第2話:修正された歴史、あるいは証明
退院の翌日、俺――一ノ瀬拓海は、神保町の古書店街にいた。
ICUでのあの目覚めからというもの、俺の胸の中にある「龍馬」としての記憶と、現代の自分「一ノ瀬拓海」の記憶が、濁流のように混ざり合っていた。
あれはただの夢だったのか。
それとも、時を超えた魂の旅だったのか。
確かな答えを求めて、俺は専門書が並ぶ棚から、一番分厚い日本史の教科書を抜き取った。指先が微かに震えている。
パラパラとページをめくり、「幕末」の章を探す。
――薩長同盟。大政奉還。坂本龍馬。
文字を目で追うたび、胸の奥で懐かしい景色がフラッシュバックする。
西郷の豪快な笑い声、桂の鋭い眼光、そして冷たい冬の京の空気。
そこには、俺が知っている歴史がそのまま記されていた。
安堵と同時に、言いようのない喪失感が胸を刺す。
やはり、あれはただの過労が見せた夢に過ぎなかったのか。
閉じようとした、その時だった。
ページの端にある「注釈」の小さな文字が、俺の視界を射抜いた。
『※近年、幕府の終末期における経済文書から「株式会社・日本」の構想図に近い断片が発見された。これについては、当時、一部の志士たちが徳川の封建制を否定し、全国的な経済統合を目指していた形跡とされ、歴史学界で議論が続いている』
俺は思わず息を呑んだ。
さらに別のページ、坂本龍馬の暗殺について記述された箇所。
『龍馬の暗殺に関しては諸説あり、慶応4年の混乱期、彼が公的な記録から突如として姿を消していることは周知の事実である。近年、彼の活動が「個人の政治活動」を超え、日本の近代産業の基礎となる「特定の経営モデル」を広めたとする説が有力視されており、その不可解なほど完璧な経済政策は、現代の経済史家たちを今なお驚かせている』
俺は教科書を持つ手を強く握りしめた。
それは間違いなく、俺が書いた「決算報告書」の理念だった。
俺が幕末で散々やり散らかした「帳尻」は、歴史という巨大な記録の中に、不可解な空白と奇妙な足跡として確実に組み込まれていたのだ。
店を出ると、神保町の雑踏が広がっている。
スマートフォンを取り出すと、そこには俺が経営する会社の株価推移が表示されていた。
夢の中で龍馬として描いた、あの無理無体な「損益計算書」と、驚くほど似通った軌跡を描いている。
「……やっぱり、あれは夢なんかじゃなかったんだな」
俺は小さく苦笑して、教科書をバッグにしまった。
歴史を書き換えた代償は、確かにこの世界に刻まれていた。だが、それは悪いことばかりじゃない。
俺はネクタイを緩め、改めて目の前の大都会を見つめた。
幕末の龍馬は、時代を変えるために死んだ。
だが、今の俺には「生きる」という選択肢がある。
「さて。帳尻合わせの続き、こっち(現代)で始めるとしますか」
龍馬の熱い魂と、現代の経営者の冷徹な視点。
二つの武器を胸に、俺はまた新しい戦場へ足を踏み入れた。
歴史は変えられた。
なら、この現代も、俺の手でどうにでもなるはずだ。




