3-16話 気に入ったぞ、主よ!
大樹は、ずっと木片の前に座っていた。
食事もせず、眠りもせず、ただ黙って、木片に蔦を当て続けていた。
黄金の光が、じわりじわりと木片の表面を満たしていく。でも——三日経っても、木片は動かなかった。
柵が心配そうに覗きに来ても、鍬が「何か欲しいものはあるか?」と声をかけても、大樹は首を振るだけだった。
俺も、毎日様子を見に来ていた。
でも、声をかけられなかった。
それから数日後の夜。
「……主よ」
大樹が、俺を呼んだ。
蔦がいつもより静かだった。ぶわりと広げることも、ムキッと腕を作ることもしていない。ただ、木片の前に座ったまま、俺を見ていた。
「どうした」
「……我には、限界がある」
大樹が、静かに言った。
俺は、その言葉の重さを感じた。自信家な大樹が「限界」という言葉を使うのを、初めて聞いた気がした。
「春萌の蔦光——我の春魔法の力だ。春の如く柔らかい力で、傷を癒す」
「ああ」
「多少の傷なら、治せる。主を治した時のように」
「うん」
「だが」
大樹の蔦が、木片をそっと包んだ。
「体をバラバラにされては——我の力では、治せない」
静寂が落ちた。
焚き火の音だけが、続いていた。
「もう五日だ」
「……うん」
「だが、動かない」
大樹の声が、かすかに震えた。
「木から生まれた者たちだ。我が、なんとかしてやりたかった」
俺は、大樹を見た。
傲慢で、声がでかくて、自信家で——でも今は、ただ、悔しそうだった。
「———大樹。」
「なんだ、主よ」
「一つ、頼んでいいか」
大樹が、俺を見た。
「我にできることなら」
「……俺に触れてくれ」
大樹の蔦が、ぴたりと止まった。
「主よ、それは——」
「ミクラみたいに出来るかも。お前の力を、底上げしたい」
沈黙。
大樹は、しばらく俺を見ていた。
「……我を、人の姿にすると」
「嫌か?」
「嫌なわけがない!!!」
大樹は、静かに答えた。
「ただ——主が、我のために、そこまでしてくれるのかと」
「お前が五日間、ここにいたんだろ」
俺は、木片を見た。
「俺が生み出した。俺のせいで、バラバラにされた。それを五日間、お前が一人でなんとかしようとしてくれた」
「……主よ」
「頼む、大樹」
蔦が一本、サラリと伸びてきた。
俺の手のひらに、そっと触れた。
黒い奔流が、溢れ出した。
大樹の全身を、黒い泥のような波動が包んでいく。
濁流が、中央から人の高さまで盛り上がっていく。
赤い光柱は——立たなかった。
代わりに、別の何かが。
奔流が、ぼとぼとと剥がれ落ちていく。
そこに立っていたのは——大男だった。
巨躯だった。
大鬼のような体格をした、上裸の大男。茶色く日焼けした肌に、深緑の髪。緑の無精髭が、もみあげまで繋がっている。
大きな目が、ゆっくりと開いた。
眼力が強い。まっすぐ前を向いた、傲慢な男の目だ。
魔法の名が——浮かび上がった。
『魔春魔法』
先頭に、「魔」の一文字が輝いていた。
「……これが」
大男が、自分の手を見た。
太い指。日焼けした手のひら。背中から、春の若葉色の蔦が、マントのようにゆっくりと伸びていく。
「魔春魔法」
静かに、呟いた。
「力が——満ちている」
大男が、俺を見下ろした。
見上げるほど、でかい。
「主よ」
声は、大樹のままだった。あの傲慢な、でかい声が。
「大樹…いや」
「……お前はこれから、タイジュだ」
大男——タイジュは、少しだけ目を細めた。
「……はっはっはっはー!!」
笑い声が、夜の拠点に響き渡った。
「気に入ったぞ、主よ!呼ばれ慣れたその言ノ葉!!タイジュ、その名、いただこう!!」
「それでは主よ、我が力、見ておれ!!」
タイジュが、木片の前に戻った。
背中の蔦を広げる。春の光が、今度は五日前とは比べ物にならない強さで溢れ出した。
黄金ではなかった。春の日差しのような、柔らかい若草色の光だった。
木片の一つが——動いた。
ゆっくりと、起き上がった。
木の形のまま、でも——確かに、意思を持って動いている。
「……おお」
タイジュの声が、震えた。
「生きておる……!!」
光が広がっていく。
一つ、また一つ、木片が起き上がっていく。
それぞれが、小さな体を持ち、きょろきょろと周囲を見渡している。
木の精、だった。
バラバラになった木片が——新しい存在として、蘇っていた。
「はっはっはっはーー!!」
大樹が、蔦をぶわりと広げた。いつもの傲慢な笑い声だったが——声が、少し震えていた。
「生きておるぞ、主よ!!全員!!」
「見てる、見てる」
俺は、木の精たちを見渡した。
全員が、タイジュを見ていた。
それから、俺を見た。
小さな、丸い目のようなものが、一斉にこちらを向いている。
「……よろしくな」
木の精たちが、ぴょこりぴょこりと、一斉に動いた。
タイジュが、くたりと蔦を垂らした。
「……疲れたか?」
「……ほんの少しだけだ。主よ」
珍しく、素直に認めた。
「ありがとな、タイジュ」
タイジュは、しばらく黙っていた。
それから、蔦をぶわりと広げた。でも、いつもの傲慢な広げ方じゃなかった。
「……当然のことをしたまでよ」
声が、少しだけ照れていた。
「はっはっは」
笑い声も、今日は少し小さかった。




