読切短編 二百三十二番目
田中誠二は、今日も人の死を執行する仕事をしている
書類を三枚確認し、本人確認を二度行い、同意の録音を残す。正規の手続きを、定められた順番で。彼が勤める「穏やかな出口支援センター」では、末期患者や耐えがたい苦痛を抱えた人々が、自らの意思で生を閉じることを選ぶ。田中はその意思を、正確に実行するだけだった。
「あなたは本当に、自分の意思でこれを選びましたか」
十七年間、この問いを二百三十一回繰り返してきた。答えはいつも同じだった。ただ、一度だけ、その答えを聞き逃した気がしている。
五十八歳の女性が診察室に入ってきたのは、三月の午後だった。余命宣告を受けた患者ではなかった。問診票の「理由」欄に、彼女はこう書いていた。
息子に、これ以上迷惑をかけたくない。
田中は手を止めた。
規定上、認知症初期の患者も受け付ける。同意能力があると判断されれば。五分ほど、彼女と話した。受け答えは明瞭だった。論理的だった。涙一つ流さなかった。
だから田中は、次の問いに進んだ。
「あなたは本当に、自分の意思でこれを選びましたか」
「はい」と彼女は言った。「でも」と彼女は続けた。「一つだけ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「息子というのは」と彼女はゆっくり言った。「先生のことです」
田中の手が、書類の上で止まった。ペン先が紙をわずかに裂き、かすかな音を立てた。
違う、と思った。この女性は自分の母親ではない。会ったことがない。名前も、顔も、思い当たらない。
だが彼女は構わず続けた。
「あの日の人も、同じことを言っていました」——白い椅子。俯いた女の肩。呼ばれなかった名前。
書類の番号が、田中の目に飛び込んだ。
二百三十一番。
彼が数えていた、生涯の総数。
最初の一件の日付を、田中は暗記していた。十七年前。自分がこの仕事を始めた年。施設の開業初日。担当は別の職員だった、はずだった。記録を見たことはなかった。そう記されていたはずだと、誰に聞いたわけでもなく思い込んでいた。なぜなら規則で、担当以外の個人情報は閲覧できないから。
「あなたは」と彼女は静かに言った。「お母さんに何も聞かなかった。だから私が、代わりに来ました」
田中は、ゆっくりと顔を上げた。
目の前に座っているのは、見知らぬ女性だった。それだけは確かだった。
「一つだけ選んでください」と彼女は言った。「ここから先、あなたが死なせるのは」
彼女は少しだけ微笑んだ。
「私を終わらせるか、それとも、あの日の記録を開くか」
田中は二百三十二枚目の書類を、静かに引き出しの中に戻した。——番号は、もう数えられなかった。




