懐古の触れて2
防波堤沿いの道路をよろけながら歩く。
アスファルトの道路を太陽が照りつけていて、酷く暑い。ひび割れたアスファルトからのぞいている赤い花が、熱気で揺れているように錯覚する。
喉がカラカラになっていて、呼吸がしづらい。
冷たい水が飲みたい。
こんな時でも喉は乾くし、腹はへるものだ。
でも歩く。
このまま、歩いていればこの街の区画から出てしまう。
ぼんやりと霞む視界の中であたりを見渡す。
道路を挟んで左手には防波堤、右手には錆び付いた倉庫が並んでいる。いつもなら6番と書いてある倉庫を目印にして、僕は自宅に引き返すのを、散歩の決まりとしていた。
この先、3キロも歩けば花虫のハザード地区だ。
その後は、ずっと、人がいない地区が続く。
でも今日はそのまま、熱気が立ちこめる道をどこまでも歩いて、いつか身体が干上がってしまう事を望んでいた。
遠くを見ながら歩いていると、8番倉庫に人影が何人か見えた。
何故かこちらに手を振ってくる。知り合いだろうか。僕は視力が良い方ではないから、いったい誰が手を振っているのかわからない。
そのまま近づいていくと、ようやく手を振っている人が誰だか確認できた
「おーい!」
確か、古代機会の研究をしているラボ『MZK』の人だ。前に鷹野さんと来ていた取り巻きの若い方。
自己紹介をしていなかったので名前はわからない。
「あなたは……えっと」
「僕は雀田だよ。君は、この間船の中にいた子だよね」
「……はい」
彼の全身を見る。
初めてあった時はスーツを着ていたけど、今日はTシャツとハーフパンツというラフな格好をしていた。
笑顔を浮かべてはいるけど、それは心のこもっていない、儀礼的なものに感じた。
口が笑っていなくてどこかぎこちないのだ。まるで、人に会ったら自動的に笑顔を作り出すように教育されているようで、僕にはこの人の内面がよくつかめなかった。
「……えっと」
僕は何を話せばいいかわからなくて、言葉に詰まった。MZKの人に出会ったら聞きたかったことが沢山あったはずなのに、僕は頭は思考停止していた。
何も考えたくなかった。
よほど喉が乾いていたのだろう。僕は無意識のうちに、雀田が片手に持っていた大きめのドリンクホルダーに目が移っていた。
「あ、水、飲む?」
ドリンクホルダーを僕に向かって差し向けてきた。
「……いいんですか?」
「全部、飲んでいいよ」
欲求には勝てなかった。
ドリンクホルダーを受け取ると、渇いた喉を潤すためにそれを直ぐ唇へ持っていった。中身は少しぬるかったけど、渇いた喉を潤すにはそれでも十分だった。僕は直ぐに中身を飲み干してしまった。
*
僕と雀田は、日陰になっている倉庫にもたれかかって涼んでいた。
水をごちそうになったし、なんとなくその場を離れられない雰囲気になってしまっていた。
「なんでこんな街のはずれへ?」
と、雀田が聞いてきた。
「……」
僕は俯いて沈黙した。その問いに答えなんてなかった。
ただ、歩きたかっただけ、と答えたところで相手もこまってしまうだろう。宿舎にはいたくなかったし、仕事も休めと言われているから、何をしていいかわからなかった。
「いや、別にいいんだけどね。こんな灼熱の道を歩いていたら、いつか脱水症状になって倒れちゃうよ。この先はハザード地区だし」
彼の悪意の無さそうな気遣いに、僕は苛立ちを隠せなかった。
少しだけ声を荒げて、言った。
「あなた達こそなんでここにいるんですか」
未羽をどこにやったのですか。
そう言い掛ける。
彼らが誘拐したとは、思っていない。
ただ、そうやって誰かを責め立てたくなる気分だった。
「ああ、あの女の子の事かい? まだ見つからないんだ。ここにいるのは別件だよ。ごめんね。僕らとしてもいち早く捜索したいんだけど、通常業務もあるからね」
「あなたたちの組織は一枚岩じゃないと、聞きました」
「それは、誰から聞いたのかな?」
「……」
答える義理は無いだろう。沈黙を貫く。
「まあ、いいけどね。一枚岩じゃない……か。確かにね」
雀田は飄々と答えた。
「否定、しないんですね」
あまりにもあっけらかんとした問いに、僕は更に苛立った。
「確かに、僕も同じように感じる事はあるしね。一つの研究所といっても、グループが色々あるんだ。殆ど企業みたいなものだよ。僕はコネで入った身だしね」
いちいち一言多い人だ。
僕は聞いた。
「あなたたちのラボの誰かが、さらったんじゃないですか?」
それは、自分が聞いたとは思えないほど、冷淡な問いだった。
雀田は少し困ったような、苦い表情をする。
何も背負うものの無い人は、こんな表情をしそうだな、と思った。彼の善意の塊のような人格は、今の僕を苛立たせる要素があった。
「……あはは。僕の知る範囲内ではそれは無いと思うけどね。でも、さっき言った通り、古代機械の研究は多岐に渡っていて、グループによって目指している方向性が少し違うんだよ」
まるで当たり前のように雀田は言っているけど、それは変な話だ。それは果たして、同じ研究所に所属していると言えるのだろうか。
僕は更に確信的な質問をしてみる。
「過激派、と言われるグループとはなんなんですか?」
雀田は少し考える素振りをした。仕草や言動がいちいち気取っている。僕は神経質になっているのだろうか。人の特徴がやたらと目につく。
「過激派、というのがどのグループに当たるかはよくわからないな。僕はまだラボに入って日が浅いからね。正直、実体はつかめてないって点では、持っている知識は君とそれほど変わらないと思うよ」
実体がつかめない……なんてこと、同じ研究所にいるのにそんなことってあるのだろうか。そう僕はいぶかしんだ。
僕の表情に答えるように雀田が言った。
「ああ。僕がいるのは第3研究所といって、他にも研究所は沢山あるんだ。さっき言ったとおり、『MZK』は企業に近いんだよ。基本的な目指す場所は同じなんだけど、それに至る過程には研究所で違いがある」
研究所の実体を聞けば聞くほど、彼らが一体何者なのかわからなくなってくる。頭がこんがらがってきて、僕が質問をやめると、雀田が聞いてきた。
「君、名前はなんていったっけ?」
「高崎、陸です」
「陸くん。僕らとしても彼女の事はまだあきらめたわけじゃないんだ。それだけは信じて」
「……」
僕はこの人を信用していいのか、判断がつかなかった。怪しいといえばそんな気もするけど、雀田という男はどちらかというと少しだけ浮き世離れした、平凡な男のように僕には見えていた。
雀田は額にかいた汗をハンカチでふき取ると、屈託のない笑みを浮かべて言った。
「いやぁ、暑さも忘れて話し込んじゃったね。そういえば、あれから鷹野さんには会った?」
「いえ」
「陸くんの事を気にしていたよ。君も、色々聞きたい事があるだろう」
「聞きたいこと、なんて」
そんなもの、もはや知る権利があるのかさえわからない。今更、何を聞けばいいのだろう。
未羽について、古代機械について。それを聞いて僕はどうする気なんだろう。
「ちょっと待っててくれれば呼んでくるよ。鷹野さんなら、今倉庫内に……」
「その必要はないよ」
声がした方を向くと、そこには笑顔の初老の男が立っていた。
「やあ、元気だったかい」
鷹野さんだ。
全く気配を感じなかった。
一体、いつからここにいたのだろう。
「ちょうどよかった! 今呼びにいこうと思っていた所だったんです」
「雀田くん。そろそろ休憩時間は終わりじゃないかな?」
笑顔のまま笑顔のまま、雀田をそう戒めた。
「あっ!すいません。陸君と話し込んでしまって……じゃっ陸君、また今度ね!」
そう言うと雀田は倉庫の中へ戻っていった。
*
鷹野さんと二人になると、彼は急に顔をすまなそうに歪めた
「陸君、あの子の事は本当に申し訳なかった」
僕は鷹野さんを睨みつけた。
「……謝られる意味がわかりません」
僕に対して、何が申し訳ないっていうんだ。
しかもなんで、そんなにーー
「僕が、油断していた」
鷹野さんは、そう言うと顔を歪めた。まるで心の底から、反省しているかのようだった。
「危険を冒してまで、君の元にあの子を置いておくべきだったのか、今となってはわからなくなってしまったよ」
「……」
そうだ。さらわれるくらいなら、最初から保護してもらった方が良かったんだ。
そうすれば、あの2日間も無かったのに。
あんな気持ちになんかならなかったのに。
「ありがとう。陸君」
我慢の限界だった。
僕は鷹野さんに掴みかかった。
「謝ったと思ったら、今度はありがとう、ですか!」
仕立ての良さそうなストライプのシャツのボタンが、音を立てて引きちぎれる。
「勝手に謝ったり感謝したり! 僕にどうしろっていうんですか!」
僕は殴りかかろうとした右手が、鷹野さんが抵抗する様子の無さに、不気味な凄みを感じて、顔面付近で止まる。
鷹野さんが笑みを浮かべた。そこには、さっきまでのような内面の見えない不気味さは無く、精悍とした表情が浮かんでいた。偽りの無い謝罪と感謝を、僕は無意識のうちに感じていた。
それはどこかで見たことのある笑顔で、僕は掴んだシャツを放し、地面に両手をついて俯いた。
「そうだ。そんな君だから僕は彼女を託したんだ……」
「何を……言っているんですか」
鷹野さんの言葉を待った。
「きっと君は、彼女の事を普通の人間として接してくれていただろう」
それは違う。きっと未羽は僕なんていなくても上手く周囲と溶け込んでいた。それは未羽の屈託のない性格からくるもので、僕は何もしていない。
そうだ、僕は未羽に何もしてあげていない。2日間、ずっと振り回され続けて……でもどこか懐かしくて、暖かくて。
「陸君。古代機械と、あの子の真実を、知りたいかい?」
「……わかりません」
わからない。
それは、もう何回言ったかさえあやふやな言葉だった。
今更、真実を知ることが何に繋がるというのだろう。
「真実は、それが例え残酷なものでも、今の君には知る権利がある。君は、彼女と関わりを持ったのだから。ただ、今の君に真実を語ったところで、彼女は返ってこない。それもまた現実だ」
そうだ。未羽はここにはいない。
「それさえもわかった上で、それでも彼女について知りたいと思うなら……そうだな。ここはあまりにも暑すぎるし、君も疲れているだろう……日にちは、そうだね。明明後日の昼過ぎにしようか」
鷹野さんが僕の肩叩いて、囁いた。
「お父さんの思い出の地で待っているよ」
お父さんーー
なんで、この期に及んでなんで今ここで、父さんがでてくるんだーー
そう言いたかったのに、僕の口は何も言葉に出来ずに、鷹野さんが話しているのをただ聞いているだけだった。
「では、僕はこれで失礼するね」
そう言うと、鷹野さんは倉庫の中へと消えていった。




