祝祭の雨 2
「ほれ陸。新しい酒だ!」
マナさんが麦酒が入ったジョッキを無理矢理押しつけてくる。未羽と親方がトイレ休憩中の間、一人でどこかに行っていたと思ったら、お酒を買いに行っていたようだ。
「はぁ」
僕は鱒の薫製にかぶりついた後に、麦酒を勢いよく飲み干す。薫製は麦酒と良く合うように味が濃く作られている。
「お前、意外とイケるくちだよな」
マナさんはもう2リッター分くらいは飲んでいるけど、酔っているような気配はない。普段から酔っているような人ではあるけど。
「遺伝みたいですね」
「あの父親、酒なんて飲めたのか? あんなゲロ優男のくせして」
父さんは、街では変わった仕事をしている人としてちょっとした有名人だったらしく、マナさんにも認知されていた。
「なんですかゲロ優男って。まあ、家ではあまり飲んでる姿を見たことはないですけど、一緒にご飯を食べに行くとよく飲んでましたよ。酔っているところはみたことないです」
「へぇ」
「もうすぐ、半年経つんですよ」
父さんが死んでからーー
僕は父さんの墓がある山の麓の方を眺める。
この土地の優れているところはいくつかあるけど、そのひとつは山が比較的海辺から離れていないところにあることだ。
海で魚介類が穫れないこの街が、ある程度豊かな暮らしが出来ているのは、この環境のおかげだった。山には山菜も豊富だし、量には制限があるけれど、淡水魚だっている。
ここから離れた、とある街などは、酷いものだった。
そこは、僕が生まれていない頃、津波が陸地に押し寄せたことがあるらしい。
その時の、花虫で汚染された海水が、陸地に大量に入り込んできたせいで、農家の人たちが一切作物を作れなくなった。
今では、その土地は閉鎖されている。土壌汚染対策をまだ国が決めかねているらしい。
僕はバリケードされたところまでしか行ったことがないから、その先がどうなっているのかはわからないけど。
荒野が続いているんだろうか、それとも赤黒い陸地だろうか。
この街の山や渓流は、まだ花虫の汚染を受けていない。
今でも昔の姿のまま、生命の輝きに満ちている。
華鳥の中で閃いたうちのひとつは、未羽にその景色を見せてあげる事だった。
僕が、ぼーっと思案にふけっていると、マナさんが遠くを見て、急に訝しげな表情をした。
「おい、あれ確か……」
マナさんの視線の先にいたのは、昨日、鷹野さんの隣にいた、白衣の不健康そうな男だった。落ちくぼんだ目は挙動不審に、視線をあちらこちらへと変えている。何を探しているのだろう。
「話しかけてみるか。おいーー」
マナさんが声をかけようとしたが、タイミング悪く、図体のでかい男達が曲がり角からやってきて、白衣の男は見えなくなる。僕らは男達の波をかき分けていく。
しかし、視界が見渡せるようになった時には、路地にでも入ってしまったのだろうか、白衣の男はいなくなっていた。
「なんだったんでしょう。昨日は街に泊まったりしたんですかね」
マナさんが疑い深く路地の方を見て、言った。
「いや、そんなことは言ってなかった気がするが。まぁ穏健派なんだろ、あいつら。大丈夫なんじゃない」
僕もそれを願うけれど、今の挙動は少し怪しかったな。一応未羽から目を離さないようにしておいた方がよさそうだ。
「マナさん。戻りましょう。未羽と親方もきっと探してます。」
「だな」
何も、問題が起きなければいいんだけど……
*
空は鈍色に染まり、雨足は更に強くなっている。
祭りの狂騒はピークを迎えようとしていた。
広場では、どこの国のものともしれない打楽器と、ビニールテントにふりつける大粒の雨が、元々一つの音の塊かのように、鳴り響いている。
10人程の人が、それぞれの音の隙間を埋めるように打ち鳴らされる打楽器には、メロディーなんてものはない。反復するリズムが、人々をここではないどこかへ連れだそうとしているみたいだ。
僕たちは、そのリズムに合わせて反射的に、そして無軌道に踊る人々の群衆を、ベンチに座ってぼんやりと眺めていた。
「行ってきます!」
隣に座っていた未羽がそう言うと、勢いよく立ちあがり、広場の中央に向かって走り出した。途中で、こちらを振り返って僕らに手を降ってくる。マナさんに借りたのだろうか、かなり大きめの麻のシャツと長い黒髪が同じような軌道で揺れる。
「あの、親方」
僕は親方にふと聞いてみる。
「どうした、陸」
「あの子、本当に何者なんですかね?」
「さあなぁ」
親方はそう嘯く。僕は未羽の方を眺めていたから、親方がどんな表情をしているかはわからない。
未羽が人々の群れにたどり着く。少女が混じって来たのを歓迎するように、打楽器のテンポが上がり、一部の男達が雄叫びをあげる。
「人じゃない、かもしれないなぁ」
親方がしみじみと呟く。
「じゃあ、何なんです?」
屈強そうな男達の間に混じった未羽が、適当に踊り出す。周りが身長の高い男達ばかりなので、未羽の小ささが、より一層際だっている。
「人じゃない、何かじゃないか?」
「人じゃない、何か……」
「なんだろうなぁ。あんな普通の子なんだけどなぁ」
踊っているうちに、仲良くなったのだろうか。未羽は周囲の男達と、ハイタッチをしながらクルクルと回ったり、笑い合ったりしている。
そうなんだ。
あの子はあまりにも普通だった。この二日間で、簡単に僕らの日常に入り込んできた。たった二日間で。
もうずっと前から、この街で暮らしているかのように。
あの出会いの異常さを、忘れてしまう程にーー
「おう! 陸じゃねえか!」
ぼんやりと、そんなことを考えていた僕だったが、肩に何かが乗った重みと、やたらと通る野太い声で、現実に引き戻された。
轟木さんが、後ろから僕の肩を掴んでいた。やたらとゴツゴツの大きな手のひらで僕の肩を揉んでくる。
「いてて……こんばんわ轟木さん」
「なにが『こんばんわ……(ぼそっ)』っだ! もっと飲め! 食え!」
そう言って麦酒と鳥の塩焼きを強引に渡される。
「えっと、困るんですが……僕、マナさんに飲まされて結構限界が……」
僕は渡されたものを轟木さんに押し返そうとするが、轟木さんの手には既に新たな酒と食べ物が握られている。
「なんだと? まっマナさんもいるんだなっ……!?」
轟木さんの顔が急に赤くなる。
「はい。いますけど」
マナさんは、他の友人と少し飲んでくるとかで、別行動をとっていた。
「……おい陸。お前、この後はどーするんだ?」
「そろそろ祭りも終わりだし。解散しようかと思っています」
「いやー……しかしだな。まっ……まだその……マナさんは飲み足りないと思うのよ」
顔を赤くして目をそらしながらそう言う轟木さんは、乙女そのものだった。
あれ、この人、昨日宿舎で『今度いいとこ連れてってやる』とか言っていたような……。もしかして、本当はあまり女性慣れしていないのかな。
「戻ったぞー……あれ? お前誰だっけ?」
そんなことを考えていると、マナさんが再合流してきた。港でも会っているはずなんだけど、轟木さんは認知されていないようだ。轟木さんの地黒の肌が更に赤黒く染まっていく。
「ご……ご機嫌うるわしゅうっ……!」
轟木さんの声がうわずる。
「なんだこいつ?」
マナさんが僕を見ながら、轟木さんの方向に顎をしゃくる。
「同じ宿舎で寝泊まりしてます。轟木さんです」
「うわー、名前まで筋肉バカっぽいな。おい、お前」
「は……はい!」
「イケるクチか?」
マナさんがそう言ってニヤリと笑う。
「はい! イケます」
轟木さんは、意味を考える前に反射的に返事をしているようだ。
「よし。決定だな」
物事がトントンと決まっているけど、主語が抜けていていて何のことだかわからないので、僕はマナさんに聞いた。
「えっと……何がですか?」
「お前んとこの宿舎で飲む! 今日!」
「え……本気ですか」
それを聞いた轟木さんが『うおー』と歓喜の雄叫びをあげる。
このやりとりが宿舎でも続くのかと思うと、僕は正直かなりゲンナリした。
(それにーー)
僕は広場で踊る未羽の方を見た。
マナさんが宿舎に来るなら必然的に未羽もーー
祭りの狂騒は自宅に戻っても続きそうだった。




