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瓦礫の海  作者: 泉柴 圭哉
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父との思い出1

 

「凄い!水がいっぱいだ!」

 陸は、初めての旅行ではしゃいでいた。

「これはね、湖というんだよ、陸」

 いままで見たこともないような大きくて、透明な水たまりみたいなもの

に、陸は目を輝かせている。溶岩帯をよじ登ったり、岩の間を飛んだりで忙しい。

「はしゃぎすぎて、落ちないようにね」

「うん!」

 陸の父、和秀かずひでは足を引きずるようにして、陸の事を追いかける。


 都市『FJGK』


 二人だけの家族、和秀と陸は、木炭バスで、この地へ一泊二日の旅行にやってきていた。


 FJGKは湖が二桁近くあり古くから観光地として栄えていた。

 だが、海に花虫が繁殖して、海沿いの都市が徐々に機能しなくなってくると、たくさんの人が、水や森林が豊富なこの地に移住してきて、徐々に都市として発展を遂げていった。

 ガラス細工屋などの土産屋の隣に、最近出来たばかりと思われる研究所があったり、湖で休日を楽しむ人々のすぐそばに白衣の男がいたりするのはそのためだ。

 いまでは、昔ながらの観光地と、JP最先端の科学が同居する地区と呼ばれている。

 

「ねえねえ。あのくるくるはなに?」

 陸は風車のようなものを指差す。

 そこには、出来たばかりで、やたらと真っ白な風力発電所が湖の上に立ち並んでいる。

「なんだろうねぇ」

 和秀はうそぶく。普段の二人の会話の内容は、ほとんど陸が聞いて、和秀が答えるという一方通行のものだ。

 それは音楽のように、リズムが整えられて、二人の会話はいつでも弾んだ。

「お父さんでも知らないことがあるの?」 

 和秀は足が悪い。溶岩帯の段差があって、うまく和秀が歩けない場所は、陸が松葉杖の代わりに体を支えてやる。小さい陸には、まだ腕組みをしたり出来ないから、これが父の為に出来る最大限の事だ。

「ああ。お父さんにだって、知らない事は沢山あるんだよ。まだまだ子供みたいなものさ」

「お父さん、子供はぼくだよ!お父さんはお父さんだよ!」

 和秀が陸の頭に手を乗せると、目を細くして微笑む。

「アハハ。その通りだ。お父さんは、お父さんだ」 

「お父さん変なの。それよりも、ぼく、ソフトクリームが食べたいな」 

「よし。じゃあソフトクリームを食べたら、お父さんの絵を見に行こうか」

 

 いつもぼんやりとしているけど優しい。

 そんな父が陸は大好きだった。


 

         *



 湖沿いの遊歩道は沢山の人であふれている。

「どうぞ、ソフトクリームのラベンダー味です」

 店員が陸にソフトクリームを渡す。ソフトクリームからは、ここまでの道のりに咲いていたラベンダーの爽やかな香りがする。

「……っん……美味しい!」

 始めて食べた少し不思議な味は、陸の舌とは相性がよかったようだ。

「そうか。お父さんにもくれるかな」

「いいよ」

 和秀が陸の高さまで屈む。そうして陸が和秀にアイスを食べさせるのを、店員や散歩中の人々が微笑ましく見つめていた。

 遊歩道をゆっくり歩きながらソフトクリームを食べていると、たちまちコーンだけになってしまった。

「……ほほに、おとふはんのへがはふんはね……」

「こら。コーンを口にくわえたまましゃべるなよ」

 和秀は、優しく握ったゲンコツで、陸の事を戒める。表情は笑顔のままだ。

 陸は、父が怒るのを見たことがない。彼が、その後とても温厚に育つのは、この父あってのことだろう。 

「ーーさあ、着いたぞ」


 今回の旅行には目的があった。

 

 和秀の絵が、絵画展で飾られるのだーー


「ねえ。あれは絵なの?綺麗だね!」

 そこは使わなくなった教会を絵画展にしたものらしく、コーンを食べ終わった陸は、正面にあるステンドグラスを絵画と勘違いしてしまったようだ。

 ステンドグラスにはマグダラのマリアが描かれている。

「そうだな……あれも"絵"の一つではあるかな」

「でも高くてよく見えないなー。もっと近くでみれないかな?」

「中に入れば他のステンドグラスもあるかもしれないね。さあ、陸、中に入るからアイスで汚れた手を拭きなさい」そういってハンカチを陸に渡すと入り口に向かった。


         *

 

 

 教会の中には所狭しと、絵画が並べられていた。

「わぁ、いっぱいあるね」

 その絵画展は、ある男がコーディネイトしたもので、その男のお眼鏡に適えば、学生からプロまで、経歴は関係なく展示する、というユニークなものだ。

「でも同じような絵、ばっかりだよ」 

 ところが、ここに飾られている8割くらいの絵は風景画ばかり。陸が想像していたものとは違い、少し退屈なようだ。

「陸には、これが同じように見えるのかい」

「うん。なんだかつまんないよ。僕はさっきの絵みたいな、キラキラの方が好きだな」

 陸が言うように、殆どの絵は人物さえ描いていない平凡な風景画や果物のデッサンだった。

 和秀は、少し悩ましい表情をしてから、陸をある絵画の所まで連れて行った。

「……陸」

「なあに、お父さん」

「この二つの絵を、よーく見てごらん」 

 そこには、恐らく同じ景色を模写したであろう絵画が二つならんでいた。


 一つは水彩画で、淡く繊細なタッチでラベンダー畑が描かれていてーー

 一つは油絵で、ラベンダー畑がまるで現実そっくりに描かれていたーー


「これは、同じ風景で描かれたものだ。この二つを見て、陸はどう思う

かな?」

 陸はやんちゃだが、和秀の言うことには行儀よく従う。この二つの絵画の違いを、言葉で説明しようと必死に考える。


「んー……使っている絵の具が違うんじゃないかなぁ?」

 必死になってひねり出したのは、極めて現実的な答えだった。


「っん……正解だが、不正解でもあるな」

「どういうこと?」

「陸が言うように、確かにこの二つは違う具材で描かれている……でもね、それはあまり問題じゃないんだ」

「むつかしくてわからないよ、ぼく」


「いいかい、陸。この二つの絵は、同じ場所で描かれているのに、こんなに違うのはね」

「うん」

「この二人の画家の心、魂が全然別のものだからさ」

「こころ?たましい?」

「ああ。だから、この二人の画家は同じ風景を見ているようで、全然違う風景を見ているんだ」

「同じ風景なのに、違う……」

「そう。僕らは、同じ景色を見ていると思いこんでいるだけで、本当はみんな違う風景を見ている。心のフィルターを通してね」

「心の……フィルター」

「だから、いくら平凡で、素朴なものが描かれていたとしても、それは陸の見方次第でとても面白いものになるんだ」

「僕次第で……僕、なんかわかった気がするよ」

「そうか。陸は利口だなぁ」

 陸は、腕を組むと、フムフムと感慨深そうにうなずく。


「同じソフトクリームでも、お風呂上がりとお散歩中に食べるのでは、味が違う気がする……」

「ありゃりゃ……まあそういうことにしておこうか……」

 陸なら、絵画よりは、ソフトクリームだよなぁ……と、和秀は妙に納得した。


               

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