虚構の補題②
動物・魚・野菜に対して、時々申し訳ない気持ちを抱くことがある。だってボクは食事を必要としないから。何も食べなくても平気な身体だから。
ボクにとって食事とは単なる娯楽でしかない。命を捧げてくれた食べ物たちにとってはたまったものではないだろう。
せめて命の連鎖を繋げるために食べてくれよと思っているのを想像して、そんな気持ちを無下にしていることを自覚する。せめて美味しい料理にしてあげるから許してほしい。
……というわけで今日の晩御飯はカレーである。ちょうど冷蔵庫にお野菜とお肉とカレールウがあったので、ちょうどよかった。本当はヤキソバがよかったのだけれど、ヤキソバの麺がなかったので仕方がない。
「ここ最近ヤキソバばっかり食べてたもんなあ」
苦笑しながらタマネギとにんじんとジャガイモを適当な大きさに切る。
この際なので冷蔵庫に入っているお野菜全部突っ込んでしまえと、ついでにピーマンとキャベツも切った。
最初に豚肉。続いてタマネギ。それぞれお鍋に突っ込んで油で炒める。いい具合に火が通ったら、残りのお野菜全部をお鍋に投入。野菜がしんなりしてきたところで水を加えて煮詰める。
カレーのいいところは何を入れても最終的にカレールウさえ入れておけばカレー味になることである。とはいえ悪いところもある。カレールウを入れてしまうと何を入れても大体カレー味になってしまうところだ。
映画の帰りに公平と立ち寄った古本屋さんで流れていた曲を口ずさみながら、お鍋の中をかき回す。カレーの匂いが漂ってきた。いいタイミングでご飯も炊けた。
「というわけで晩御飯はカレーだ」
「うわあ。野菜たっぷりだなあ」
公平がふうふう冷ましてからカレーを口に運ぶ。実に美味しそうな顔で食べてくれている。それだけで嬉しくなって、胸がいっぱいになる。
それでもカレーを口に入れると、辛い味の奥に野菜の優しい甘さがあって、やっぱりお美味しくて、次の一口に手を伸ばしてしまうのだ。
「……それで。結局今日は何があったの?」
「あっ。そうそう」
食事を終えて満ち足りた様子の公平が尋ねてきた。お腹が空いていたんだなというのが丸わかりである。
「取り敢えず、順番に話していこうかな。昨日リインの世界を見つけたから、虚数空間に入ってアルバくんの式を検証して来たんだけど」
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現実の世界で100年前に戻り、一気に巨大化して連鎖の全容を見つめる。
リインの世界……リインの名前を借りて世界Rとするが、それが生まれるはずの場所を見つめる。
ボクは身体を小さくしながらその地点に向かっていき適当な大きさで到着する。
周囲は漆黒の無が広がるばかり。まだ世界が生まれる前だから当然である。
次にやることは虚数空間への侵入だ。
アルバくんの数式が妄想ではなく、奇跡的に現実を記述したものであるならば、虚数空間上に世界Rは存在しているはず。
無駄かもなという9割の予感と、けれどあわよくば……?という1割の期待を胸に虚数空間へ飛び込む。
ほんの一瞬だが体中に軽い痛みが走った。現実からの異物を排除しようとする虚数空間の自浄作用かもしれない。察するに人類がテクノロジーで虚数空間に入るにはあと三世紀はかかりそうだ。
世界Rは虚数空間上であっさり見つかってくれた。虚数空間の中で最初に見えた光こそ世界Rの輝きだったのだ。
世界Rの周囲を飛び回りながら、ボクは自分の目で見たものであるにも関わらず疑ってしまった。アルバくんの数式が現実に則したものであることが実証されたことになる。思わず「マジ?」と呟いてしまう。
ともあれ世界Rが見つかったことは喜ばしいことである。更に小さくなって世界Rの中へ飛び込んでいく。
宇宙のスケールから星のスケール。やがては魔女の大きさへ。
それでもまだ人間には大きすぎる。ボクは更に人間の大きさにまで縮んでリインの生まれた星……惑星rに入った。
……宇宙よりも大きな世界よりも大きな連鎖さえ片手で握り潰せるサイズから、人間サイズにまで縮むとスケールの差にほんの少しくらっとする。
倍率で言うなら太陽から素粒子に縮むのよりも更に大きな変化だからね!
流石のボクでも仕方ないのだ!
とにかくボクは惑星rを散策することにした。リインを探したかったけれど、早々に諦めた。
魔女になる前のリインの気配であれば探知可能かもしれないけれど、そもそもボクは彼女の気配の特徴を何も知らないので、どれがリインの気配なのか特定出来ないのである。
仕方がない。けれど悲観もしていない。
ボクは星が破壊される一時間ほど前を狙って来た。暫くすれば星の終わるときがやってくる。それを待てばリインの身に起こったことを見ることが出来る。
魔法の気配を極限まで抑え込み、真犯人に気付かれないようにし、ボクはその時が来るのを待ちながら情報を整理をすることにした。
「ええと……」
公園のベンチに座って、コンビニで買った肉まんを食べる。包み紙は公園のゴミ箱に捨てた。
文化の体系が地球に限りなく酷似していて助かった。流石にお金はこの星特有のものだったけれど、そこは魔法でインチキさせてもらった。
肉まんだけでなく肉まんを買った時のおまけで引かせてもらったクジ引きで肉まん頭のマントを付けたヒーローのキーホルダーまで貰ってしまったことが申し訳ない。「最後の一個でした!おめでとうございます!」と店員さんが喜んでくれたのも申し訳ない。本当にごめんなさい。ボクはお金払ってないんです。
公園で遊んでいる子供が「肉まんねーちゃんだ」とか言って指さしてくる。軽く手を振って応対しながら、スマホのメモ機能を立ち上げる。
惑星rでこれまであったこと。
惑星rでこれから起こること。
そして惑星rを内包する世界Rについて。
世界Rは恐らくリインを生むための世界だ。
連鎖はよりよい世界を作ろうとするシステムである。
全能の魔女が生まれる世界はよい世界だ。逆に言えば、よい世界を作ろうとするシステムである連鎖は、リインが生まれることを目的とした世界を作ることも不自然なことではない。
「……ってなると」
肉まんを咥えながらメモに書いていく。世界Rに起こったこととして一番初めに書くに相応しいのは、リインの誕生だろう。
更に続きを書こうとして、惑星rが襲われたところで手が止まった。
惑星rを襲ったのはエックスと名乗るボクと同じ姿の魔女らしい。
だがそれをそのままエックスと書くのは不愉快だ。ボクがやったみたい。ボクはやっていない。
というわけでここではエックス'と記載することにする。
これが決まれば後はすらすら書ける。世界Rで起きるであろう出来事は大雑把に以下の通りだ。
①リインが生まれる。
②惑星rにエックス'が出現。
③リインが魔女になる。
④エックス'が惑星rと太陽を破壊する。
⑤エックス’が世界Rから出て行く
⑥リインが全能の魔女になる。
⑦世界Rが現実世界上に発生する。
「……ふうん」
これが真実ならばリインの復讐は正当なモノである。自分の生まれた星や生活してきた家や友人や家族を丸ごと壊されて怒らないわけがない。犯人を殺してやりたいくらい憎むのも当然の話である。
……一方で。復讐される側としては、今回はボクになるのだけれど、たまったものではない。だってボクはやっていないから。ボクではないボクがやったことにまで責任は持てないし、復讐される謂れもないのだ。
「どうするかなあ……」
公園のベンチで一人思い悩む。それならいっそ公平にもついてきてもらって二人で悩めばよかっただろうか。けれど公平が虚数空間に入ってしまったら、その瞬間に自浄作用で弾け飛んでしまうし……。
リインのことを考えていたはずなのにいつの間にか違うことに思い悩んでいる自分に気付いた。結局一人では考えが纏まらない。
スマホをポケットにしまって、ベンチに横になって、空を見上げる。
青い空に白い雲がゆっくりと流れている。もうすぐに終焉が来るとは思えないほどに平和だった。風を感じながらぼうっとしていると、遊んでいる子どもの声が聞こえてきた。
「あっ」とボクは呟く。良くない。この声を聞いていてはいけない。ただ在るがままを見守るだけのつもりだったのに。このままでは。
『初めまして!微生物諸君!ボクの名前はエックス!キミたちを駆除しにはるばるやってきた女神様さ!歓迎してくれていいぞ?』
そしてその時が来た。顔を上げると、遥か遠くで街を圧し潰しながら寝そべる身長数十キロの巨人の姿があった。巨人は見知った顔で、見知った声で笑っている。
その姿を認識した時、ボクは既に走り出していた。巨人から離れる人込みとは逆向きに。
すれ違う人の殆どは、ボクの顔があの巨人と同じであることに気付いたらしく悲鳴を上げていた。
構うもんかと走る勢いを上げていく。
人込みを抜けたところでボクは地面を蹴って跳躍する。
『……ぷっ。ぷははははは!弱っちいね!ふうってしただけで町ごと吹き飛んじゃうんだ!』
ああ……!
その姿は、とても。とても不愉快だった。
手を出す気はなかったんだけどな。そう思いながら、縮小魔法を解く
『──えっ。なんだ、お前。その顔、は……。う、わっ』
けどもういい。我慢がならない。