86話:殺到する求婚
「貴っ様、イレーヌ! 今度という今度は許さんぞ!」
元気に王都の公爵家に乗り込んで来たのは兄のパトリックだった。
今日はなんの仕込みもなかったのだけれど、普通に運が悪かったわね。
「何を許さんというのだパトリック?」
「うぐ…………」
私と一緒にいたのは公爵であるお父さま。
パトリックは予想外だったらしく、睨まれた途端にたじたじになった。
「入って言ってみなさい。それから謹慎中にもかかわらず屋敷を出たことの正否を決めてやろう」
言い訳をしてみろというお父さまに、パトリックは私を睨む。
現状を考えればパトリックが乗り込んで来た理由はわかるけれど、それにしても私は関係ないわ。
そして愚にもつかない理由で家長からの言いつけを破った言い訳にならないでしょうに。
「お、俺は、陛下を侮辱した、ボルボーの王子を、王都に連れ込んだ、イレーヌの過ちを…………」
「何が侮辱だ?」
淡々と詳しく聞くお父さまに、パトリックも自分が正しいことを確信したかのようにはっきりと言葉にする。
「侮辱でしょう。陛下を軽んじた上に辱めた。臣下を思うお気持ちが空回っただけのことさえ嘲笑ったと聞きます!」
パトリックは自分の言葉に頷いて続けた。
「陛下を支えてこその臣民のはずが、イレーヌはボルボーの王子と一緒になって陛下を貶めた上に、華美な服装でこの国の各所で魔物被害が報告される時に散財に明け暮れている! これは公爵家の継嗣として正さないほうが間違っている!」
「具体的に言え。何を持って陛下を貶めたというのだ。相手は他国の王族。思い込みや早とちりでは済まない相手だ」
お父さまが耐えて感情を抑えていることにも気づかず、パトリックは増長する様子を見せた。
「イレーヌは陛下が用意してくださった婚礼を袖にした挙句! その婚礼相手の地位を嘲笑った! さらには皇太后さまが下賜したドレスを貶めたのです! これは明らかに我が国の王族に対する不敬!」
まだロジェについて話していないのに、耐え切れずお父さまは机を叩いてパトリックの言葉を遮る。
その衝撃で机に摘まれていた書状が雪崩落ちるのを私は目だけで見送った。
パトリックはもはや隠さないお父さまのお怒りに身構える。
けれどお父さまは一度息を吐き出してまだ耐えようとした。
「…………その婚礼相手の身元はわかっているのだろうな?」
「もちろん! 男爵家の三男で、その男爵家は伯爵家から別れた家なのです。そして伯爵家は今継嗣がおりません! 男爵家の三男はそこへの養子入りが見込まれています!」
何もわかってないパトリックに、私は溜め息を飲み込んで空気に徹した。
こちらも相手の男爵家三男については調べた。
結果、その養子入りというのは男爵家が勝手に言ってるだけで、何一つ具体的な話しではない。
伯爵家には他にも親族がいるし、なんだったら養子となれば幼子を取って育てると言っていた。
男爵家三男なんて爵位も継げない、継ぐ財産もない相手。
我が家が貴賤結婚を持ちだす前に公爵家の姻戚として不適切であり、そんなことも考え及ばず結婚を命じた新王のほうが責められるべき案件だ。
「貴賤結婚については、どうなのだ? まさかお前、我が家が王位を持つことを忘れたとは言うまい」
調べた上でお父さまとも不思議がった。
我が家が貴族相手では貴賤結婚になることをパトリックから聞いてなかったのかと。
「あんな小国の王位などなんの意味があるんです? 名義貸しみたいなもので行きもしないじゃないですか。それに俺の代には失くす王位など」
「馬っ鹿者ぉ!」
今度はもうお父さまも耐え切れずに怒鳴った。
もうそんな甘い考えで法令違反を容認するなんて私も信じられない思いだ。
法に定められている以上罪は罪。
そして結婚は家同士の話で罪は両家に及ぶのだ。
さらには明らかに仲人になった新王にも累は及ぶ。
もっと言うと、王位継承権を剥奪されたのは同じく王位継承権を持つ家の令嬢と婚約破棄したパトリックだけ。
すでに小王国の継承者はトリスタンに定められており、公爵家と縁が切れるなんてことはない。
「本当に何もわからず、考えもせずにいるのだな!? 見捨てられた王国の民について思うことはないというのか!? やはりお前は我が家の継嗣足りえはしない! お前を継嗣に据えておくくらいなら、イレーヌの産んだ子を継嗣にする!」
「何を馬鹿なことを! こんな弁えも知らない行き遅れのイレーヌの子など! 公爵家を滅ぼすつもりですか!?」
「何が行き遅れだ! この求婚の書状の山を見てもまだわからないのか!?」
お父さまが雪崩落ちた書状を指すとパトリックは信じていない様子で半笑いになった。
「は? 何故今さらイレーヌに? こんな顔以外に取り柄のない…………あ!? さてはすでに俺を降ろしてイレーヌの子を継嗣にすると発表したのですか!? なんてことを!」
「しておらんわ!」
お父さまは話の通じなさに唸り、パトリックは訳が分からず苛立つ。
「パトリック、エルミーヌさまの所で私の発言に過誤があったと言うのなら、ボルボーの殿下に『我が父の許諾を得ない内はお答えするわけには参りません』と答えてしまったことよ。そのせいでこの書状なのだし」
「なんだと!? 陛下とシヴィルへの謝罪の気持ちさえないとは!」
「陛下にはお断りを申し上げた以外にお答えしてません。シヴィルに関しては一言も交わしていないわ」
「そ、そんなことあるか! 嘘を吐くな! お前に贅のかかったドレスを見せびらかされて恥をかかされたと、俺に嫌がらせを受けたことを訴えたのだぞ!」
また適当な嘘に騙されて。シヴィルも面倒なことをしてくれる。
「だいたいこんな公爵家の財を食い潰すだけの者に継嗣を産ませるなど間違っている! いったい皇太后さまのドレスを越えるためにいくらつぎ込んだんだ!?」
まだお父さまは息子の馬鹿さ加減に復活できない。
どころか重ねられるパトリックの発言に歯ぎしりさえし始めた。
「はぁ…………。そういうなら、私がどんなドレスを着ていたか聞いているのかしら?」
「もちろんだ! 表から見た時には半端にレースを飾ったように見せかけて、その後ろがとんだ散財でしかない一面総レースの華美なドレスだったと!」
確かにそんなドレスを着ていた。
後ろから見ると背中から引き摺る裾まで精緻できらびやかなレースの集合体となっているドレスだ。
派手好きのエルミーヌさまに合わせて遊び心を込めてあのドレスにした。
同時にエルミーヌさまの審美眼に適うよう安物であってはいけないということもあったのだ。
けれど私はシヴィルのドレスを見て壁の花に徹した。
絶対後ろを見られたら絡まれると思っていたのだけれど、去り際見たようだ。
皇太后さまの下賜したドレスよりも豪華な装飾を。
「…………何故それをあなたに泣きついてまでシヴィルは話したというの?」
「お前にそのドレスを持って謝罪に行かせるためだ! すぐにそのドレスを持って来い! 言葉だけでなく行動を持って謝罪をしろ!」
「あぁ、羨ましいから奪い取ろうということなのね」
「なんだと!?」
「やめんか!」
腕を振り上げるパトリックにお父さまが本気で怒った。
「あのドレスはお前たちの生母が実家から嫁入り道具の一つとして持ってきた物だ! 何が公爵家の財を食い潰すだ!? あれは本来ならイレーヌが結婚披露の際に着る予定だったのだぞ! それを潰したお前が謝罪だと!?」
死んだ実母がそう遺言していたと聞いている。
そして婚約解消で使う予定がなくなってしまっていた品でもあった。
「な、なんでそんなものを、あんな茶会で…………」
「あの集まりは、ボルボーの殿下と共に私も賛辞を受ける予定でした。晴れの場で一度は袖を通して人々にお披露目しようと考えたのですが、その機会も逸してしまいました」
このことは遺言のこともありお父さまには話してあった。
ただ目立つとまずそうな雰囲気で断念した顛末に、お父さまは怒り悔しがってくださった。
だからこそこのタイミングでのパトリックの来訪、そして発言は火に油を注ぐだけでしかなかったのだ。
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