80話:名誉の負傷
夜明け前、私は国境方面へ抜ける領地の道へ向かった。
「イレーヌ、危ないと思ったらすぐに呼べ」
私一人を残して伏せるロジェが真面目な顔で言う。
「身を守って逃げるわ、お気遣いなく」
「…………頼もしいが、気をつけろよ」
言い足りなそうなロジェが伏せると、私は一人暗い中立ち尽くすことになった。
ほどなく、合図の光りが明滅するのを見る。
どうやら本当に北からの刺客は穴を掘って逃げ果せたようだ。
予定どおり穴に落として踊ったまでは良かった。
ただ踊った者が言うには穴の中の敵に動揺はないとのこと。
慣れたのかと思っていたら、地面を掘る音に見張りが気づいて作戦変更となった。
「くそ、急げ! 追っ手が来るぞ!」
「残念。追っ手ではなく待ち伏せよ」
穴を抜け出した後は、逃げるならこちらと読んでの待ち伏せに上手くはまってくれたようだ。
「こいつ! 公爵の!?」
私の姿に土塗れの五人が止まる。
辺りに目を配るのは伏兵を警戒しているのだろう。
やはり私一人だとは思わないわよね。
攻撃しない限りは出てこないけれど、どうしましょう?
現状捕まえるのは簡単だ。
ただ令嬢一人にここまで警戒しているとなると、国許に帰って是非その経験を大きく吹聴してほしい。
けれど伏兵まで用意して足まで止めさせられたとなると…………。
見逃しては私が責められる可能性が出てしまうのよね。
捕まえて、何か有効活用できるかしら?
「ばれていたか!」
「さぁ、どうかしら? 私にあなたたちの逃亡を報せるお告げがあったのかもしれないわ」
戯言なのだけれど、敵は警戒に目を光らせながら否定しない。
やはり穴の縁の不気味な踊りを怖がってはいたようだ。
「それとも、あなたたちが素直に闇の中懺悔をした結果かしら?」
「ふざけるな! 何がお告げだ!? この魔女め!」
「あ、おい! 待て! それは…………!」
一人が背負っていた箱を振りかぶると、それを仲間が止めようとした。
やはり壊れているらしく結界の生成に問題はない。
私は結界を張っていて平気。
だと思ったのだけれど、体の内側から不快感がぞわりと這い上る。
「これは箱の妨害? 壊れていたんじゃ、いえ、あれは!?」
不穏な稼働音は確実に不調を報せる音。
投げられた箱は火花を散らしていた。
確かに壊れている。
だからこそ投げるなんて暴挙を刺客の仲間も止めたのだ。
「ロジェ!」
呼びながら私は結界を強化しようと両手を前に突き出す。
さっきほど結界が思うように張れない。
不安定すぎていつもの堅固さを維持できないなんて尋常ではなかった。
逃げてと言おうと名前を呼んだのにそれどころではなくなる。
「くそ! 伏せろ!」
刺客も身を守るようにその場に身を投げ出した。
どう考えても箱を投げるのは自爆攻撃だ。
結界の強度は保てないだけで少しの間なら硬くできる。
異変を見逃さないように私は箱を睨んだ。
瞬間、箱に剣が投げつけられる。
私に向かっていた箱は逸れるけれど、地面に落ちる前に炎を発して爆発を起こした。
「イレーヌ!」
近い叫び声を確認する間もなく、抱きつかれる。
そのまま地面に引き倒された。
箱が爆発して部品が四散し地面に衝突する音がする。
倒れた私のすぐ側にも降って来ていた。
その勢いは人体に深刻なダメージを与えうるもので、空気を伝わる熱がさらに危機感を煽る。
「イレーヌ! 無事か!?」
破片が降ってこないとみてロジェが身を起こす。
開けた視界に映るロジェの顔に私は目を瞠った。
「あなたのほうが怪我をしてるじゃない! 額から血が出てるわ!」
覆い被さったロジェから流れる血に手を伸ばすと、途中で握り返される。
「守れてよかった。後は任せろ。…………ただでは帰さん」
私に笑いかけたロジェは、背後の敵を睨む。
その横顔は塗り替えるように激しさが浮かんだ。
あまりの変わりように心臓が跳ねる。
血の流れた横顔が見慣れたと思っていたロジェとは違いすぎた。
「イレーヌ! って、ロジェ!? 何処に、あぁ! 誰でもいい! ロジェの援護を!」
トリスタンが叫んで剣も持たずに敵へ走るロジェを指す。
伏せていた護衛も慌ててロジェを追った。
「全く、とんでもないことを。刺客も余波で吹き飛んでるじゃないですか。…………あ、蹴り倒して剣を奪った」
私に近づきながらトリスタンがロジェの行動を口にした。
ロジェは爆発の影響でまだ立ち上がれない敵を蹴りつけ剣を奪う。
そのまま残りの四人に切りかかり、護衛は敵に突進するロジェを追う形だった。
「あの勢いならあちらは大丈夫でしょう。イレーヌ、ここから一度退きますよ」
「あ、待ってトリスタン。倒れた時に足を捻ってしまったの。歩けるくらいに回復をするから」
私は怪我をした足首に手を当てて回復に集中する。
せっかく守ってもらったのに怪我があったのではロジェも座りが悪いだろう。
こんなことでロジェの活躍にケチをつけたくはなかった。
「やれやれ、ボルボーの黒太子は聞いていましたけど、聞きしに勝ると言いますか」
迷いなく敵を討つロジェは、確かに戦況を覆す早駆を行った黒太子の噂に合致する。
我が国では軽い言動と扱いだけれど、北からも睨まれる存在感を持つ軍人なのだと実感できた。
「…………相手が酸欠とは言えあっけなかったですね」
「早すぎるくらいよ。手負いとは言え迷わず攻めて制圧したせいでしょうね」
「剣に毒が仕込んであった。解毒剤を持ってるはずだ、探せ」
私たちが眺めている間に、ロジェは護衛に命じて剣を捨てる。
「イレーヌ、怪我してるんだろ。何処だ?」
「え!?」
「いつまでもこんな所に座り込んでるからな。それくらいわかるぜ」
「…………はぁ、ごめんなさい。足を捻っただけよ。もう少しで歩けるくらいにできるわ」
そうは言ったけれど、私は回復を中断してロジェの額に手を伸ばした。
「まだ血が止まってないなんて、思ったより深いじゃない。回復するわ。害はないからじっとしていて」
「あぁ、うん。…………その、勝手して悪い。頭に血が上った」
「では、捕まえた五人の内三人は引き取ってちょうだい。あと、爆発してしまった箱も邪魔だからよろしく」
「いいのか? 北の情報源をこっちに回しちまって」
「言ったでしょ。今手に入れてもやりようがないって。王子を怪我させただけで返すなんてできないわ。言い訳の材料にでもしてちょうだい」
聖女対策で使う箱をロジェは初めて見たらしいので、きっとボルボー王国の者は興味を持つだろう。
現状、それくらいしか報いることができない。
ロジェは私の考えを見透かしたように笑う。
「気にするな。惚れた相手を守ってできた傷なら名誉の負傷だ」
額に当てた私の手にロジェは手を重ねる。
そう言われると返す言葉がない。
私は今だけ、その無礼を許しておくことにした。
「さて、いつまでも地面に座らせとくわけにもいかないな」
「え、きゃぁ!?」
悪戯に笑うとロジェは私を抱き上げた。
側にいたトリスタンも開いた口が塞がらない。
「これなら俺の治療しながら移動できるだろ?」
「あなた…………、な、なんて…………!」
「油断も隙もないですね。そんなに元気ならさっさと運んでください」
トリスタンの無碍な扱いにもロジェは上機嫌に笑って歩き出す。
私はその腕の中で回復にも集中できず、頬に集まる熱を冷まそうと無駄な努力をすることになってしまった。
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