13話:婚約解消の理由
私を行き遅れと言ったシヴィルの声に、辺りは静まり返った。
区長は口を押えて私から目を逸らす。
周りの修道女もあまりのシヴィルの言葉に息を詰めていた。
「訂正しておきます。破棄ではなく婚約解消です」
「何が違うのよ! 行き遅れに変わりはないでしょ!」
今度のシヴィルの言葉には、区長まで息を呑んだ。
修道院という俗世から離れた場に暮らす者たちでも、シヴィルと私の関係性を知っているというのに。
まさか当の本人がこれだなんて。
「何故そうなったのか、まさか忘れたとは言わせませんよ。そしてそのことを衆人環視の前であなた方の家の者が語ることは禁止していたはず。禁を破ったと見て、今後差し止めていた制裁金の回収をいたします」
「なんでよ! 本当のこと言っただけでしょ! だいたい、そんなの無効よ! ニコラさまに言いつけてなかったことにしてやるんだから!」
「できるとお思いならどうぞ」
貴族同士の取り決めに王家が入ることはある。
けれどことはすでに白黒ついた後。
その上で決まった取り決めの強制力を、王太子一人でどうにかできるわけがない。
ましてや我が公爵家とそれに連なる親族全てが関わる大問題だ。
本当にシヴィルはそれを忘れているのかしら。
「ふん、言われなくてもやるわ。だいたい義兄さまの代になれば大きい顔できなくなるくせに立場を弁えなさいよ。私は未来の王妃よ!」
シヴィルの立場をわかっていない大言壮語に思わず失笑してしまう。
「なるほど、夢を見るのは結構。あなたが地に足のつかない理由はよくわかりました」
シヴィルはラシェルを追放したことの結果なんて考えてはいない。
ただ誰もが羨む特権と約束された王妃の座が欲しいだけ。
手に入れられると夢見る王妃の座しか見ていないから、今すでに国が傾くかも知れない予兆が現われだしていることにも無頓着なのだ。
未来の王妃になる自分がいれば、変わらずこの国も存在していると思い違っている。
ずいぶんと都合のいい妄想だ。
「あんたなんか義兄さまに性格叩き直されればいいのよ!」
「さようですか。私はやらなければいけないことができたので失礼させていただきます」
もうここにいる必要もない。
そう思ったら思わぬ方向から声が上げられた。
「お待ちなさい、イレーヌさん。あなたがこのシヴィルさんよりも聖女としての資質が高いことは自明の理。あなたこそ聖女を名乗るにふさわしいと私は考えます」
何を言っているの、区長?
そしてどうして今度は区長が勝ち誇った顔をしているの?
「この聖女の御坐所にて、聖女の振る舞いというものをお見せになればいいわ。聖女として勤める者こそが聖女なのですから、聖女の業を行うあなたを王太子殿下であっても否定はできないでしょう」
「「はぁ!?」」
私とシヴィルの声が重なった。
区長、あなたって人は! 本当に余計なことしか言わないわね!
私に聖女をやれ?
ラシェルを追い出しておいて恥知らずにも!?
「狡いわよ! 公爵家の権力使ってニコラさまを困らせる気ね!?」
シヴィルが区長の言葉でまた私を睨む。
私が聖女になれば公爵家がつくから王太子の無茶ぶりも撥ねつけられるとでも思っているのが区長の表情からわかる。
形勢が自分に傾いたとでも言わんばかりに区長は言った。
「困らされているのはこちらです。シヴィルさん、あなたが聖女の義務を放棄するようなことを言うからでしょう」
「何が義務よ! 私にだけきついことをさせようと虐めるくせに!」
「違うと言っているでしょう。どうしてあなたはそう自分の都合のいいことばかりを押し通そうというのですか。あなたが聖女として能力が足りないから耐えられないだけなのです。さぁ、イレーヌさん。聖女に相応しい実力というものをお示しなさい」
「そんな賢しらぶるだけの女に、聖女が務まるわけないわ!」
ふざけるな!
そう叫べればどれだけいいだろう。
心の中でくらいははっきり言わせてもらおう、腹が立つ! と。
正直この場で二人の顎を掴んでこれ以上無駄口を叩かないようにしたい。
いえ、いっそ二人揃って修道院地下の懲罰房にけり込んで…………。
「あぁ、駄目だめ。これじゃ脳筋パトリックと同じじゃない」
私は自分の言葉で正気に返る。
そうだ、あのパトリックと同じだなんてなんたる屈辱。
それに私が同じところに落ちては、一人残る弟トリスタンの肩身がより一層狭くなってしまう。
「あなたよりよほどイレーヌさんのほうが聖女には相応しい素養を持っています。それはこの私が保証しましょう」
「どうせ自分が言うことを聞かせられる相手しか選んでないんでしょ! そんなのニコラさまも知ってるんだから!」
「なんと言うことを! ぶ、侮辱です! 聖女を支え、ひいては国の安寧に寄与する私に対する、いえ、この中央教会に対する侮辱以外の何ものでもありませんよ!?」
「気に入らない子を区長が虐めるなんて有名な話でしょ。ふふん、今さら取り繕ったって遅いんだから。もうニコラさまには区長の悪事は言いつけてあるのよ」
「なんて愚かなことを! 私を脅そうと言うのですか!?」
「ふん、ニコラさまの婚約者である私に無礼なことをしてきたのはそっちでしょ。だいたい聖女が聖女の御坐所で倒れるなんて聞いたこともないのに、私だけがふらふらになるなんておかしいのよ! いったい何したの!?」
「ですから、それはあなたの力が足りないことと、聖女交代による揺らぎで!」
「あ! また私を下げた! 本当にニコラさまに言いつけて区長辞めさせるわよ!」
「できるはずがありません! えぇ、できませんとも。私の地位は国によるものではないのですから。教皇庁へ訴え出たところで、王太子殿下にも非はあるのですよ」
またくだらない応酬が始まった。
その場で王太子に逆らったとなれば罰を受ける可能性もあったけれど、今は安全だと区長は開き直ったようだ。
区長の解任について訴えたなら、女子修道院へ押し入った王太子の非を反訴するつもりだろう。
心底どうでもいい。
「ともかく聖女は私よ!」
「あなたよりもイレーヌさんのほうがましです!」
結局言い合いは私に回って来る。
「私が聖女と認めるのはただ一人。私自身が聖女を名乗ることなどあり得ません」
それだけ言って、私は歩き出した。
「お待ちなさい! このままでは国が滅ぶかもしれないのですよ!?」
今度は区長が国を盾に私を脅すようなことを言う。
なので、足を止めて肩越しに振り返った。
「わかっていらっしゃるなら、どうぞ、中央教会の権威を失墜させぬようせいぜいそちらの自称聖女に務めてもらってください」
「自称!? 私はニコラさまに認められた聖女よ! イレーヌ! 私を馬鹿にした報い、必ず受けさせてやるんだから!」
「お待ちなさい! イレーヌさん!?」
もう今度は振り返らずに私は聖女の御坐所から遠ざかる。
私を連れて来た修道女たちも、引き留めることはできないようだ。
まずはことの顛末をお父さまに上げて、シヴィルの家のほうに法律家を向かわせよう。
それと新たに教皇庁にも根回しをする必要ができた。
絶対に今回の責任、区長に取らせてやるんですからね!
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