08_侯爵令嬢と侯爵令息
「――げ」
「――ちっ」
いやだから人の顔を見て舌打ちするのやめなよ、下品だって。わたしみたいに顔を顰めるぐらいにしときなよ。
……おかしいな。つい昨日、滅多なことでは学園内で会うことはないだろうと思っていた男が目の前にいるんだけど。
なんだってこんなところにいるんだ、青髪男。ここ一年の階の廊下だよ? こんなところに何の用事? 教室間違えてない?
わたしはと言えば、グレアムを待っているところだ。いつもは放課後すぐに迎えに来てくれるんだけど、珍しく今日は遅いんだよね。そういう日もあるだろうから、それは別にいいんだけど……待つ場所を失敗した。教室で待ってれば良かったよ。
青髪男ことポールス・ラザーフェルドは、嫌そうな顔をしたままこっちに向かってくる。え、なんで。嫌いなら無視しなよ。他に用事あるでしょ? だから来たんでしょっ?
「今日はあの役立たずはいないんだな、ヘレナ・ラスウェル? ついにアイツにすら見限られたか」
どうして突っかかってくるかな。なんでわざわざいない人の悪口言うかな。ケンカ売りに来たの?
「以前言ったことを覚えていないのかしら? グレアムは優秀な従者よ。それから面白い冗談ね、わたくしの側を離れるなんて許すはずないでしょう?」
グレアムがいなくなったら困る。超困る。身の回りの世話もグレアムがしてくれてるし、いかにヘレナっぽくするかの演技指導もしてくれてるし、勉強も見てくれてるし、息抜きにも付き合ってくれてるんだよ。いなくなったら、困ることしかない。ていうか、わたし頼りすぎだね、コレ。ちょっと反省。
「フン、傲慢だな」
おまえに言われたくはない。
「用事があるのならさっさと済ませたらいかが? あなたの無駄話に付き合う程わたくし暇ではなくってよ?」
いや、うん、今は暇なんだけどさ。いくら暇でもこの男の相手はしたくない。だってグレアムの悪口言うから。
「フン、俺様だってそうだ」
じゃあ話しかけんな。
ていうか、一人称にびっくりしたんだけど。自分に様つけるの……逆にすごいね。
ポールスは、さっきまで授業を受けていたわたしの教室に入っていく。
しかしすぐに出て来た。
目当ての人が居なかったのかな? それならさっさとどっかへ行ってくれないかな? あ、わたしが行けばいいのか? うーん、でもグレアムが来るかもしれないし。こういうときスマホ欲しいね。この世界、連絡手段がない。
とりあえずポールスとは目を合わさないようにしよう。あなたのことなんて眼中にないですよアピールだ! こういうときスマホがあったら、スマホに夢中で見えてないんですってできるのに。暇も潰せるし。
「――お前は何をしてるんだ?」
うっわ、なんか話しかけてきたよ。しかも怪訝そうに。なんで?
……あっ、エアスマホのせい?
ついつい指でスッスッって見えないスマホを操作してしまっていたよ。
誤魔化すために、見えないスマホを弄っていた手で髪を払う。
「わ、わたくしは従者を待っているだけでしてよ」
ど、どもってしまった。これは失敗。今のは忘れて。やり直させて。駄目?
「……また、魔法じゃないだろうな?」
ま、魔法? 何を怪しまれてるんだ、わたしは。魔法じゃなくてアレはスマホなんだけど。
またってことは、以前ヘレナに魔法を使われたのかな。ヘレナは魔法の才能がずば抜けていて、魔法を自由自在に使えたらしい。
わたしはちょっと、まだ、基礎的なことしかできないんだけどね。火や水を出したり風を吹かせたりできるぐらい。操るには至ってない。いやまあ、元の世界から考えたら魔法使えるとかそれだけですごいんだけども。
「こんなところで魔法なんて使うわけないでしょう。あなたには常識がないのかしら?」
学園内には魔法専用の訓練場があり、そこ以外での魔法の使用は基本的に禁じられている。生徒たちはまだまだ未熟な魔法の使い手だから、きちんと大人の監視の下で使わなくてはならないのだ。
「はあ? 常識がないのはそっちだろう? 初対面で燃やされかけたのは忘れてないからな」
恨みがましい目。
え、真面目に何やってんのヘレナ。
初対面っていつ頃? 場合によっては、幼い男の子にトラウマを刻むことになるよ。
ていうか、ヘレナにそんなことされた上で突っかかって来てるんだね、この人。なんというか、タフだね。普通怖くて距離を置くよ、そんな危険人物とは。
……なんか分が悪い気がするから、話を逸らしておこう。
「ところで、あなたの用事は何だったのかしら? 教室を覗いていたようだけど」
しかし残念なことにポールスは誤魔化されてくれなかった。
厳しい目で見てくる。
「お前があからさまに話を逸らすとはな。この間のようにまた逃げるのか? 従者を庇ったり、随分心境の変化があったようだな?」
関係ないけど図星と梅干しって似てない? 似てないか。煮干しの方が近いか。
……やっぱヘレナの知り合いは、やりづらいね。
さっさと会話を切り上げたいけど、また逃げって言われちゃうよなあ。逃げるっていうのはヘレナらしくない、らしい。
わたしは表情を改める。――小馬鹿にしたような、薄らと浮かべた笑み。それがヘレナの笑み。
「――随分、知った風な口を利くのね。意外だわ。わたくしてっきりあなたに嫌われているとばかり思っていたわ」
ポールスの眉がピクリと跳ねる。
「何を言ってる? 無論嫌いだ」
わたしはクスクスと嫌みったらしく笑ってみせる。
「なら、どうしてわたくしに話しかけるのかしら。どうしてわたくしの行動の差異を気にかけるのかしら。……良いことを教えてあげるわ。嫌いという感情は、好きに転じやすいものらしいわ」
ほら、物語とかでよくあるヤツだよ。嫌いだと思ってた人のことをいつの間にか好きになってるとか。初対面の印象が最悪で、その後のギャップで落ちるヤツとか。
嫌いって関心があるってことだからね。無関心からでは何も始まらないけど、嫌いって言ってる内は無関心じゃないんだよね。興味がないと好きも嫌いもないからね。
まあコレがポールスに当てはまるかどうかはまた別問題だけどね。正直この人は普通にヘレナのこと嫌いだと思う。自分を燃やそうとした人と友好的になりたいとか思わないもんね。
だからまあ、「え、まさかアンタわたしのこと好きなの?」的に煽ってみせたのは、そう見られるのが嫌だろうと思ったから。そんな不愉快な誤解を与えるなら近付かないでおこうってなるでしょ、たぶん。
「はあ? いきなり何を言ってるんだ、お前。ついに狂ったか?」
理解が及ばないといった顔をするポールス。
いや、狂ったは言い過ぎじゃない? 酷くない?
どうしよう。そこまで理解を示してもらえないとは想定外。わたしが馬鹿なことを言い出した狂人みたいにされてしまったよ。
えー、そこそこ納得できない? 嫌よ嫌よも好きのうちって言うじゃん。そういう文化ないの? ……険悪な関係から始まる恋愛、結構好きなんだけどなあ。
「俺様がお前を気にかけるのは、お前が敵だからだ」
敵ぃ? 同じ侯爵家の子供だからってこと? ライバル視ってヤツ?
「なんだその怪訝そうな目は。お前が先に言ったんだろう」
「え?」
ヘレナが? ポールスを? 敵視していたの? グレアムは鼻であしらってたって言ってたけど。
「忘れたのか? 俺様を燃やそうとして、使用人に止められたとき、お前は俺様のことを『滅ぼすべき敵』とまで言っていたぞ。思えばお前はあのときから狂ってたんだな」
ええ、ヘレナ様ったら過激……。どれだけポールスのことが癇に障ったの……。しかも燃やそうとしたときって、初対面じゃなかった? えぇ、もうわけがわからないよ……。
分かったのは一つだけ。ポールスはやっぱりヘレナの被害者だった。
「あら……そうだったかしら? 随分昔のことを根に持っているのね」
それだけ衝撃的で忘れられないんだよね。お気の毒様です。
事情を知らないわたしでは、とぼけることしかできないよ。謝るのはヘレナらしくないからできないんだ。とりあえず心の中ぐらいでは謝っとこう。なんか、すまん。
「まあいい。お前が忘れようとも、俺様は絶対に忘れないからな」
うん、コレは根に持つよね。命狙われたってことだもんね。
いやでも、本当そこまでされてて、突っかかってくるのすごいよ。また燃やされるとか思わんのかね。ああ、小さい頃ならともかく、今ならポールスも魔法が使えるからそれは平気か。……本当に? 火に対してトラウマとか残ってない? 大丈夫?
「忘れられない、の間違いではなくて?」
「五月蠅いな。お前こそ無駄話に付き合う暇はないんじゃなかったのか」
今のは無駄話じゃなかったからいいんだよ。
「こういう話なら歓迎するわよ? わたくしの従者をいじめないのならね」
ヘレナのことも知れるしね。
「気持ち悪い発言だな……あの男の扱いに関しては気が合うと思っていたんだがな」
女の子に向かって気持ち悪いはいただけない。
ていうか、そういえばグレアムの話では過去になんかあったんだっけ、この二人。ここで聞いたら不自然かな。
しかしわたしが何かを言うより先に、何故か視線を泳がせたポールスが言いづらそうに口を開く。
「――なあ、ところで、今日アイツ……キャロルは居たか?」
どうした、突然に。
いや、待てよ。まさか今までのは前振り……!? それが本題か?
キャロルって、言うまでもなく主人公のことだよね。もしかして、気になって来ちゃったの!? 一昨日パーティーで具合の悪いキャロルさんを助けて、彼女の体調が良くなったか気になって来ちゃったの!? ここに来た目的ってそれ!? 何だそれなら早く言ってよ~! 協力……はあんまりしたくないけど、そういうことなら教えてあげたのに!
「キャロルさんなら、相変わらず元気にしていたわよ。彼女に用事だったの? 残念だったわね、今日は誰よりも速く教室を出て行ってしまったわ。用事があるんじゃないかしら?」
キャロルさんはわたしの前の席だからね。ババッと帰り支度をして、風の如く教室を去って行ったのをわたしは見送った。あまりの早業に呆然としてしまった。彼女の隣の席の王子もびっくりしてた。
「……そうか、ならいい」
安心したような表情。
おお、これは、キャロルさんに気があると見て良いのか……? いや、まだ早いかな? ちょっと気になるぐらい?
お勧めはしたくないけど、ポールスが人を好きになるのは自由だもんね。もちろんキャロルさんが誰を好きになるのかも自由だ。その邪魔をする気はない。
まずは気になるってならなくちゃ、始まらないもんね。
キャロルさんが攻略キャラの誰と恋愛するのかまだ分からない内は、わたしは何もする気はない。
下手に邪魔したら、上手く行くものも行かなくなっちゃうかもしれないし。
わたしがするのはキャロルさんの恋愛が上手く行くよう導くこと。悪役は適度に。ていうかヘレナの存在自体がまわりにとって悪って感じなんだけどね、既に。ヘレナっぽくしとけば、なんかもう悪役してる気分な今日この頃。
「お嬢様」
少し離れたところから聞き馴染んだ声。
優秀な従者のくせに遅いじゃないか、と思いながら声の方を見遣る。
「グレア、ム――?」
けれど、直後にわたしは固まってしまった。
ポールスも驚いた顔で彼らを見る。
「――キャロル」
グレアムの隣には、主人公のキャロルさんがいた。
わたしはそのことに自分でもよく分からないぐらいに動揺していた。
どうしてわたしはこんなにも衝撃を受けているんだろう? こんなの想定内のことじゃないか。
グレアムは乙女ゲームの攻略キャラ。主人公の恋人候補。ずっと知っていたじゃないか。二人が出会ったところで不思議なことは何もない。そうだ。彼らが一緒にいることは必然とも言えることなのだ。
だけど、わたしは、どうしてか思うのだ。
――出会って欲しくなかったな、と。