07_休日と二度寝
それから、従者のひとりごと
――ハッ! 思い出した!
入学パーティーが終わり、グレアムに散々弄ばれた夜が明けた、朝。
わたしはようやく思い出した。
「ポールス・ラザーフェルドって、攻略キャラだ!」
ぐっすり眠って脳が元気になったのか、上手いこと情報が整理されたのか。今になって思い出すとは。
ポールス・ラザーフェルド。またの名を青髪男。いや、わたしが勝手につけただけなんだけどね。
昨日グレアムが言っていたとおり侯爵家の息子。もちろん跡継ぎ。強引で我が強い性格で、血の気が多いが、情に厚いところもある。
そんな感じだったかな。
……なんかアレだよね、あんまいいとこなくない? 先入観から来る偏見かな。シナリオの中で成長していくってんならアリ……アリかなぁ? ダメだな、もしも元の世界に戻ってこのゲームやろうと思っても、もうポールスのルートは無理だわ。
ていうか、気づいちゃった。
昨日のパーティーで主人公ことキャロルさんをお姫様抱っこしてたの、アレ、絶対ポールスだわ。
だから、大広間の扉の前で鉢合わせたんだね。なんという間の悪さよ。
主人公にポールスはお勧めしない。人の従者を貶す男だぞ。性格悪いって。
でも、良い情報も思い出した。
ポールス・ラザーフェルドは、一学年上の先輩キャラなのだ。つまり、学園で会う可能性はものすごく低いっ! 学年毎に教室のある階が違うからね! やったね!
――っはぁ~、今日は休日。二度寝しよっ! おやすみ!
♢
「――お嬢様?」
いつも通りの時間に、主人の部屋へとやってきたグレアムは扉をノックする。しかし、返事がない。
「入りますよ……?」
一言断ってから鍵を開けて、部屋に入る。
彼の主人は気持ちよさそうに顔を緩めて眠っていた。どうりで返事がないわけだ。
「……休日ですからね、もう少し寝させてあげましょう」
中身が違えば、寝顔までもがこんなに違うのかと密かに驚く。
まだ主人が本物のヘレナ・ラスウェルだった頃、グレアムは何度か彼女が眠っている姿を目にしたことがある。
彼女は眠っているときでさえ、油断しない。一切隙を見せない女性だった。
目の前で眠る現在の主人のように、幸せそうな顔は寝ているときでさえ見たことはなかった。――むしろ彼女は眠っている時の方が苦しそうにしていた。悪い夢を見ているようだった。
「お嬢様は、本当にどこに行ってしまわれたのでしょう」
死んだ、とは思わない。
彼女はずっと、何かを隠していた。そして目的を持って動いていた。
口を開けば厳しいことばかりを言うけれど、今思えばそこまで悪い人間ではなかったように思う。爵位を狙うようなことを宣言したのも、自身の兄が領主になった場合、領民が苦しむ姿が目に見えていたからだ。彼女はいつも民を擁護する姿勢を崩さなかった。
ただ、少し秘密主義が過ぎた。
おそらく、今のこの状況も彼女の秘密や目的に関係のあることなのだろうとグレアムは思っている。
目の前の、名前も思い出せぬ主人は、彼女に巻き込まれた被害者なのだろうと。
彼女はグレアムにとって良い主人とは言えなかった。思いつく限りの暴言は一通り吐かれたし、理不尽な要求も星の数ほどされた。だが、グレアムは彼女の元を離れる気はなかった。職を選べるほどの余裕がなかったのも事実だが、彼女は少し、ほんの少しだけ、あの方に似ていたから。だから、彼女の言動に耐え、従ってきた。
だが、それでも限度はある。
今、グレアムは、彼女のことを許せそうになかった。今の奇怪な状況を作り出したであろう彼女のことを。
理由は、目の前で眠る少女。
素性が何一つ分からない、へんてこで間抜けで表情豊かな少女。今の、主人。
彼女の行動の結果、この少女が巻き込まれたことが、グレアムは許せなかった。
悩みなんてなさそうなこの少女はいつも明るく振る舞っている。だが、実際は分からない。証拠に、昨日のパーティーを途中で抜け出してきたときは、酷く淋しそうな顔をしていた。
別の世界から来たのだという少女。
右も左も分からないこんな場所で一人など、不安に思わないはずがない。しかも、まわりは敵ばかりと言って良い。
今はまだ、笑っていられるかもしれない。少女にとってこの世界で目にするものは新鮮で、刺激的で、興奮に値するものらしい。そのことばかりに気を取られている内は、夢を見ているような感覚で、まだ平気だろう。だけど、いつまでもそうしてはいられない。新鮮さが薄れ、現実味が濃くなっていったら。……確実にいつか、決定的に苦しくなるときが来る。昨日のような、まだ誤魔化しのきく淋しさよりも、もっと辛い感情が。この少女は優しく、情が深いから。
少女はきっと、本来ならここに来る必要がなかった。それが、何かが狂ってこんなことになってしまった。
根本の原因であるはずのヘレナ・ラスウェルはここにはいない。この苛立ちをぶつける場所はどこにもない。
グレアムにはこの少女を守り、支えることしかできない。
「守る……か。怖い言葉ですね」
怖いのは、守ることではない。守りきれないことだ。
グレアムはそのことを、身を以て知っていた。忘れたくても忘れられない程に刻まれた、遠い過去の記憶。
もう一度、守りたいと思える相手ができるとは思わなかった。
だが、自分以外誰もこの少女のことを知らない世界で、不幸にさせたくはない。楽しそうな笑顔を曇らせたくはなかった。
「お嬢様の尻拭いのつもりでしたが――これは結構、絆されてますね」
思わずこぼれるのは、笑み。
この少女は、純粋で素直で、真っ直ぐこちらを見てくるのだ。たまに変なことを言っては、こちらを笑わせてくるのだ。
今までの環境が酷すぎた分、それはグレアムに効いていた。
「……お嬢様が戻ってくれば、あなたは元の世界に戻れるのでしょうか」
本物のヘレナが戻ってくることについて、二つ不安要素がある。
一つは、少女が元の世界に帰れなかった場合、どうなるのか。彼女はきっと自分の肉体を取り戻す。
そうなった場合、少女には肉体がなくなってしまう。魂だけの状態だ。魂は輪廻の輪に乗る。そうなってしまったら、少女はこの世界で生まれ変わりを果たす。それはつまり、少女の死と変わらない。
少女が元の世界に帰れた場合もまた不安なことがある。もちろんこちらの方が少女にとって最善だろう。少女は元の世界に帰りたいとは言わないが、恋しく思っていないはずがない。少女を待っている家族や友人がきっといるのだから。
ただ、一つ懸念がある。現在、少女の肉体がどうなっているのか分からないことだ。綺麗に保たれているのなら問題はない。しかし、魂の抜けた肉体は、死体だ。もしも、もう少女の肉体がなくなってしまっていたら、結局少女は輪廻の輪に乗ることになるだろう。こことは全く別の世界で。
どちらにせよ彼女が戻ってくることに、グレアムは不安を感じていた。戻って来なければいいとさえ思う。そうすれば今の状況が保たれるのだから。しかし一方では、少女がここに留まるのを良しとしないために、早く戻ってきて欲しいと願う気持ちもある。
「あなたを守るのはなかなか難しいようですね……お嬢様を頼るのが一番でしょうか」
魂だけになったはずの彼女は、輪廻の輪には乗っていない。グレアムはどうしてかそう確信していた。
ただ、彼女を頼ったところで、素直に自分の頼みを聞いてくれるかどうか。
「んん……」
もぞりと少女が寝返りを打った。
「まったく……幸せそうに寝てますね。ずっとそうやって脳天気にしていてください」
「……また、ばかにしたあ……むにゃ」
この少女は普段から馬鹿にされることに敏感に反応するが、寝ているときもそうらしい。
グレアムは優しい笑みを浮かべる。
「――そろそろ、起きる時間ですよ、お嬢様」
「ん――~~っ、ふがっ! え、何々? なんで鼻つまんでんの、グレアム? 苦しいんだけど」
「それは申し訳ありません。あなたがあまりにも間抜けな顔で寝ているものですから」
「くぅっ、またばかにしてっ! 寝ている顔は制御できないんです~! 不可抗力ってヤツです~」
「そうですか。ですが、おかしいですね。普段とたいして違いがありませんでしたよ」
「うぇっ、普段から間抜け顔ってこと!? それは思ってても乙女に対して言っちゃいけないヤツだぞ!」
「いえ、普段から愛らしい顔をされているということですよ」
「――えっ、嘘、起きたと思ったけど、わたしまだ夢の中にいるの!? それとも幻聴!? じゃなきゃありえないよね、グレアムが褒めてくれるなんて」
「失礼ですね。きちんと現実ですよ。もう一度鼻つまみますか?」
「えっ、いい! 自分で頬っぺたつねるから! ――痛い! 現実だ! え、じゃあ本当にグレアムかわいいと思ってるの!? わたしのこと」
「ええ、もちろん。狸に似て、愛らしいと」
「――狸! 何故! 今の顔はヘレナのものなのにっ!?」
「どうしました? 狸、可愛らしいじゃないですか」
「~~っ、ハッ! そうだ、この世界には動物の狸しかいない! つまり置物の狸の方じゃない!? これは、素直に喜んでいいんだっ!」
「置物……?」
少女の世界にある置物の狸とやらは、愛らしさが欠片もないのだろうか。
「グレアム、ありがとう! 狸でも嬉しいよ! でもヘレナの顔が狸に見えるのは視力を心配するよ……!」
「ご心配なく。私の視力は正常です」
ヘレナ・ラスウェルの容姿は綺麗に整っており、とても狸とは似ても似つかない。そんなことはグレアムも分かっていた。だが、グレアムには何故だかそんな風に見えたのだ。少女のことが、とても愛らしく。
ありがとうございました。




