#2
宮城圏警察本部は、新年早々のあの全国規模の漂着物対策で大忙しだった。
現在、海岸への漂着物は一括して警察が主管となっている。海岸を擁する各所轄に海岸課という部署まであるのだが、基本人手は少ない。
過去には廃船を含め漂着物は拾得物扱いで、公告期間が六ヶ月という時代もあったが、漁業資源安全保障体制であるRNF・新漁業改革体制下、大切な産業基盤である海岸線を長期間占有するのは国益に反すると、法改正されたのだった。
何通りかの手続きが定められているが、警察が所有者を割り出して撤去命令を出し、期限までに応じない場合は強制処分・行政処分、という流れが定着している。
しかし、これほど大規模な漂着物対応は初めて。
「二月二〇日現在の進捗率はこうです。」
会議室の宙空に無指向の情報窓が浮かんだ。
「管轄内の漂着物のうち、稼動中の船舶、つまりは巻き込まれたケースの船舶はすでに所有者の元に戻っておりますが、廃船及び沈没船の所有者の特定がまだ途中で、」
「だから、沈没船がどうして漂着するんだ?」
海岸課職員の言葉を誰かが遮った。
「はぁ、全国的に同じように打ち上げられました。なぜ浮かび上がり、流れ着いたか原因は……不明です。」
「船はなぜか、長い年月沈んでいたにも関わらず程度が良く、登録番号等で所有者を洗い出しています。ただ、震災前、さらには昭和時代以前のもの、明らかに近世以前の木造船まであり、考古学的な海中遺構として扱うべきかもしれません。現在、文化庁と調整中です。」
海岸課の上司が助け船を出した。
「ええと、詳細はこちら、全体の進捗率で七〇%です。」
「続いて漂着遺体の身元の確認についてです。えー管轄内の漂着遺体はトータルで四二〇遺体。内、身元が確認されたのは三〇五遺体、引き取りは一二〇遺体。」
捜査1課が続いて報告した。
「引き取られない原因は、船と同じです。」
こちらは質問される前に上司が説明した。「明らかに考古学的な時代の遺体で、総務省にも戸籍データはなく、文化庁の古文書や厚生省の遺伝子バンクでやっと確認がとれている状況ですが、子孫の方はさすがに一六、七代も前の先祖の名前なんて知りません。」
「一六、七代? そんなに古いのか?」
「でも保存状態がよく、屍蠟化しています。生きているみたいです。」
「引き取り手のないご遺体は、子孫の方の了承を得て、然るべき施設に移管しようと、本庁と調整中です。」
「警察本庁? そんなに大袈裟な話なのか?」
「東北州三圏で該当遺体は一〇〇〇近くなると見積もられます。」
「どんな施設が受け入れるって言うんだ? 大昔のお仏さんを? そんなにたくさん?」
「大部分のご遺体の死亡推定月日は、平成二三年三月一一日、つまり東日本大震災の犠牲者なのです。」
会議場が騒然とした。
「了承が取れたご遺体から順次、各域の震災慰霊施設に移管しようと、本庁と調整中です。」
石巻市も、漂着物の問題で頭を痛めた。
宮城圏から委託を受けている石巻工業港及び石巻漁港の貿易関連の事業が、海岸線を占有する漂着船で大きな障害が発生していたのだった。
農畜海産物の輸出が停滞し、港外は着岸待ちの交易船で大渋滞。輸入品はそもそも多くは無いが、外国から届くバイオ発電用の植物系廃棄物の搬入が滞ると、工業港の西、松島基地大曲ハンガーに隣接したバイオ発電会社・重吉BPPの発電量にも、影響が出ることが懸念された。
新年の、あの全国的な奇跡の光景が、じわじわと日本経済を苦しめていた。
それは田代島でも同じこと。
新年のあの光る海がもたらした奇跡のような帰還で故郷に帰ってきた漂着船たちだったが、その多くがRNF漁研の養殖施設に影響を与えた。
被害こそ奇跡的に無かったが、漂着船により施設の使用が困難となり、漂着遺体の回収のため漁業作業が出来ない日々が続いたこともあり、特に牡蠣とワカメの養殖施設の運用は危機的状況に陥った。
それでも日を追うごとに、漂着船は順次、警察や所有者により撤去された。
最後まで移動されていないのが、国軍の可潜近接戦闘駆逐艦・えんしゅう。
初動は一番速かった。漂着当日には松島基地から先遣隊が派遣されて水上拒馬の敷設などの保全処置が取られ、翌二日には事故調査チームが入った。
松島基地の指揮所に入っていた安住国防副大臣までも三日には視察に訪れ、その際、DG—TPへの表敬も行われる……予定だった。
しかし在日米軍岩国基地から前触れもなく漂着船に対するクレームが出され、安住国防副大臣は田代島に足を下ろすことなく、高々度音速輸送機・コウノトリで岩国に向かった。
国防副大臣がDG—TPを表敬するという事態を快く思わない内局の工作だろう。そして次の選挙で、安住国防副大臣はその職を辞することになるだろう。
これが宝田の分析で、実際、先月の選挙で所属政党が大敗、安住国防副大臣はその職を辞したのだった。
「で、葛城大尉の遺体なんだが……」
震次郎が言い掛けると、宝田は首を横に振った。
田代島の仁斗田港から少し奥に進んだ消防団の消防ポンプ小屋の隣、タシロ計画災害防衛隊の事務所に男二人。午後の日が外に満ちているが、北向きの平屋にはなかなか入ってこない。
「遺体がどこに移送されたか、いや本当に遺体があったのか、あったなら何体回収されたか、なぜこれだけ長期間、あれを放置したままなのか、不明なんです。情報がまったく掴めないんです。」
情報専門の宝田の言葉に、震次郎は腕組みをして表情を歪めた。
「そうか。……あれが、不憫でな……。」
風の中、微動だにしないほど固く固めた髪を午後の日に光らせ、しずえは岸壁に佇んでいた。スリムタイプのジーンズに黒いダッフルコートというその姿は、どこか心細く寒そうだった。
しずえの見つめる先、牡鹿半島と田代島の間には、午後の日にやや赤らむ灰色の巨大な船。今にも動きそうな躍動感あふれるその舳先には、SB-MCDU302えんしゅうの文字。
しかしその船は二度と動きはしない。
鋭い衝角を兼ねた波浪貫通型船首、近接戦闘に特化した重層モジュール装甲の鈍い輝き、無数の近接戦闘用の自律防御砲座・固定式CIDS、完全に船体内に埋没した艦橋は往時のままだが、ФН偽装船を拿捕するための甲殻類の脚めいた巨大な捕獲腕は力無く舷側から垂れ下がり、力尽きていることを如実に示している。
今にも動きだしそうなのに、えんしゅうはもう二度と動かない。
なぜならその半身は無様に引きちぎられ、辛うじて船体後部にぶら下がっているだけだから。
「おかあさん。」
岸壁を吹き抜ける風がささやいた。
首を回すと、少し離れた日溜まりに、逆光になった影があった。
「もう帰ろう。風邪引くよ。」
「もうこんな時間ね。夕飯の準備しなくちゃ。」
しずえは眩しげに目を細め、歩き始め、しかしもう一度だけ、もう動かない船を振り返った。
「おかあさん。」
振り返ったしずえに、娘がぎゅっと抱きついた。
「ほら、こんなに冷たくなってる。」
しずえはサクラを抱きしめた。髪からはしずえと同じシャンプーの匂い。カウチンセーターは本物のウールで、羊の体臭のような独特の臭いがしたが、その奥にはいつもの娘の匂い。一二年間、毎日触れている匂い。
「今夜は鍋にしよか? 漁研からたくさん牡蠣もらったのよ。」
「いいね!」
サクラはしずえの腕に絡みついたまま言った。岸壁を歩って、仁斗田の家並みの方へと向かう。もうじき日が暮れる。
「今週の日曜日さ、田代学園の送別会でね、土曜日の夜は卒業生たち、旧校舎でお泊まり会するんだ。で、お願いがあるんだ。お父さんにはまだ言ってないんだけど……。」
夕暮れ時、本郷はスーパーまごやで立ち読みをしていた。
今週号のコミック本で、東北タイムズで四コマまんがを書いている作家の書き下ろし中編が一番のメインになっていた。
「お客さんお客さん。」
サングラスに金の短髪、筋肉質の二の腕を剥き出した上半身Tシャツの男が、本郷に声をかけた。
「立ち読みお断りですよ。」
男はサングラスを下にずり下げ、その奥のあどけない瞳をちらりと覗かせ、にっと笑った。「だがら後でキャシーちゃんに何か買ってけでな。」
「こら! また薄着しとる! 鳥肌出とるやん!」
背後からぱしりと叩かれた。「また風邪ひくで!」
知らぬ間にアサミが背後に立っていた。
「痛ー! 叩くごどねべっちゃ!」
まごやの若旦那は背中を押さえて悶絶した。「暴力反対!」
「ちゃんとジャンパー着ぃ。」
制服姿のアサミが大柄な金髪男をまるで子供扱いし、赤いジャンパーを羽織らせた。胸元にVESPAのロゴが入っている。
「おーアサミちゃん、どうしたの?」
本郷がコミック本を戻して声をかけた。
「今日はお食事会や。いつもは土曜日なんやけど、ほら送別会であれやろ?」
眼鏡の奥で悪戯っぽく笑って見せた。
「あーあれ? あれ本当にするの?」
本郷が半信半疑な顔をした。「サクラちゃんには聞いたけど……。」
「いけるやろ? 田代島でいっちゃんのスポンサーがおるから。」
言いながら若旦那の背中をどついた。
「本郷さんどーにがすてけろ。毎回凄いの作って食わせられんだでば! スポンサーになんねがったら何されっかわがんねー。」
若旦那が懇願する表情になった。
「何言うてんねん! 脅迫とちゃう! うちは関西の味教えとるだけやで!」
アサミがまた若旦那の背中をどついた。
「はは! 仲いいね!」
「本郷さんこそなんや? キャシーとデートやろ? 田代島は狭いよってにすぐ噂になるで。」
アサミが面白がって言った。
「おれたちもお食事会だよ。ここで材料買って、うちで鍋つつく、予定。あれが本当なら今日しかないから。」
本郷が言う内に、キャシーが息を切らしてスーパーまごやに飛び込んできた。
「ごめんなさい、出る前に……コールが、あって……。」
キャシーが言った。「あれ、アサミも、いたの……。」
息を整えつつ、鍋の材料を買い込むために『阿部ツ商店』と書かれたカゴを手にした。
「うちらは今日はたこ焼きパーティーや。」
「えぇ! 又、粉モンでご飯食わせられんのがや! おれも鍋いいでばぁ!」
若旦那が不平を言った。
「鍋に入れてもうまいねん。たこ焼き。そこまで言うやったら作ってたるわ。」
「わ〜具ぅ普通のでいいでば〜!」
若旦那が半泣きで本郷に助けを求めたが、本郷もキャシーも面白がってアサミに若旦那を預けた。
スーパーまごやで牡蠣鍋用の材料を買い込み、本郷はビール、キャシーはリサイクルコーラを買って、本郷の貸家へ向かった。
「次の赤六角、緊急度E、明日、五時くらいに根室域だったよね?」
本郷が言った。
キャシーは本郷の手をぎゅっと握ったまま、こくりとうなずいた。本郷もぎゅっと手を握り返した。
「サクラちゃんに頼まれたあれ、忙しくなりそうだね。」
本郷の住まいは、持ち主は普段いないものの家財がそのまま残っているので、間借り扱いだった。
古いが、しっかりとした伝統的な木造家屋。震災前様式を残す非モジュール構造で、サクラの家をはじめ、仁斗田にはまだこの手の古民家がいくつも残っていた。
キャシーは初めて入る本郷の住処に最初戸惑った。
玄関を入り、すぐにある居間と台所、風呂場、もちろんトイレ、寝室代わりの一間、ここまでは気兼ねなく自由に使えるスペースで、この他、二階の二間と一階の奥の二間は家主の家財がそのまま残っているので、基本、掃除や空気の入れ換え以外入らないようにしているそうだった。
「コタツで鍋しよう。」
言いながら、居間の真ん中を占めるコタツの天板の真ん中に卓上コンロをどんと乗せた。
「……コタツ初めて。」
キャシーは珍しがり、布団をめくって中の暗がりを怖々覗いた。キャシーの知る余所の家はサクラの家だけだったが、阿部家にはホットカーペットがあるだけで、コタツはない。
「やっぱ冬はコタツに鍋でしょう。」
本郷は男所帯らしい乱雑なダイニングキッチンに入り、対流式ストーブに火をつけ、青い火になるよう微調整した。
キャシーはその間に恐る恐るコタツの闇に足を入れ、思わずあったかいとつぶやき微笑んだ。狭い日本間だが、破れた壁が、天井が、包み込んでくるカプセルフィールがキャシーには新鮮だった。
「牡蠣鍋の味は、やっぱり味噌? ミゾレ? それともマニアックに粕仕立て?」
ダイニングキッチンから本郷が聞いた。
キャシーは何でもいいよと答えた。本当のところ牡蠣はグラタンかフライが好みだったが、もう何でもよかった。
「じゃぁオーソドックスに味噌行こうかー! 仙台味噌で。」
コタツの温もりを感じられ、家の中には本郷の匂いが満ち満ちている。台所で手際よく鍋の準備をする気配がする。水を流す音、ざくざく野菜を切る音、そして鼻歌。本郷が歌を歌っている。随分と古い歌のようで、キャシーは聞いたことがない。日本語っぽいがデエゴとかウージとか知らない言葉が混じる。
キャシーは本郷の鼻歌を耳で追いかけるうちに、すぅっと気持ちが遠のき、体がコタツの暗く温かい中に落ちていく錯覚を覚えた。
「後はぐつぐつ……」
下ごしらえした大きな鍋を手に居間に入った本郷は、キャシーがコタツの中に丸くてなってもぐり込み、静かに寝息を立てているのを見つけ、微笑んだ。
そっとコンロに鍋を置き、火はもう少し後につけようと、ビールを開けた。DWを開き、公共放送《JPB》配信を流した。
日本と世界、そして敵に関するニュースを聞き流し、観流しながらビールを飲んだ。
三石崎重工提供のTFP予報が挟まり、明日一七〇〇の根室域の赤六角がどぎつく表示された。
DG—TPが発足する前、つまり一昨年の冬までは、こんな番組は無かった。
アカデミヤの巨人の尾を一部の研究者が定点観測し、QLOOKUP上で公開していた程度だった。又、一部のマニアがTFPの発現を追いかけ、家並みや山、川や海が毀たれる壮絶な光景を好んで撮影し、QVIE上で公開することもあったが、多くの自称TFPハンターがTFPに巻き込まれて犠牲となったりしていた。
日本は当時から公的に巨人の尾を認めようとはせず、一部の圏や域だけ、その情報に基づき防災対応にあたっていたが、如何せん、TFPの発現場所や時間の特定精度は甘い。
住民の安全を考え避難勧告をしても、その時間と場所が特定できないため、避難勧告を実施すればするほど住人から「言った場所、時間と実際の被害が食い違う。」と苦情が出されるため、継続はしなかった。
そもそもTFPはその被害の大きさの割に波及範囲が狭いために、避けられぬハズレ、まるで交通事故並の不幸だという他人事感がずっと残っている。
TFPの先にある三〇〇年後の災厄も、都市神話並に軽んじられているのが現実だ。
国民のこの他人事感が、日本政府の立場の原点だと、本郷も理解していた。
一二月のあの日、|サクラ喪失《SAKURA LOST》によるDG—TP解散と天沼矛の母国への移管が密かに画策され、それにより本郷と別れることになることを悲しんだキャシーは、本郷に「好き」だと言い、米軍の父親から得たその情報を告白した。
それをきっかけにキャシーと親しくつき合うようになり、年齢も年齢なので結婚の二文字さえも頭をよぎる。
キャシーは可愛い、いやむしろ美しい。本郷はキャシーの寝顔を見つめ、ごくりと息を呑んだ。
そんな本郷の思いに気づいたのか、キャシーがふぅと熱い吐息を吐き、目をうっすらと開けた。気怠げに潤んだ蒼い瞳がゆっくりと本郷を探し、本郷は下心を見透かされた思いだった。
「な、鍋、食べよう。」
本郷は動揺を隠しつつ、天板の上のカセットコンロに火を付けた。「すぐ火が通るから、待っててな。」
ビールを一気に開け、気持ちを落ち着けようともう一本、ダイニングキッチンの小さな冷蔵庫に取りに立った。開け放った冷蔵庫から流れ出る冷気で気持ちを落ち着けようと、悩んでもないのに複数あるビールの銘柄をあれこれ選んでは戻し、やっとのこと手にして居間に戻った。
「暑いわ……。」
キャシーがつぶやきながら起きあがった。コタツにすっぽりと潜り込んでいたため、体が火照ったらしい。もぞもぞと着ていたフリース生地のカットソーを脱ぎ始めた。
「コタツ、温度下げようか。」
本郷は席に戻り、コタツの温度を下げようとコタツ布団をめくり、暗がりを覗いた。
「……お腹空いた。」
カットソーの下は、体に密着した黒いインナーで、キャシーの大人びた体の線がくっきりと出て本郷は目のやり場に困った。汗ばんだキャシーの体臭が本郷の鼻先をかすめ、もう我慢の限界を越えた。
「キャシー。」
本郷は名を呼び、すっとキャシーに顔を近づけた。キャシーはキャシーで、潤んだままの蒼い瞳に笑みを浮かべ、呼ばれるまま、本郷に顔を近づけた。本郷の手がキャシーの手を畳に釘付けにするように覆い被さり、キャシーは動けなくなったが、そのまま、本郷を待った。
じゅーっと鍋がふきこぼれた。
あっと気を逸らされた瞬間、居間の宙空に同報QWが二つ開いてクールなナスターシャの顔が映った。
【巨人の尾情報更新。緊急度B、二一〇〇頃、長野圏松本市に赤六角。宝田さんは現在、網地島ケーブルライン勤務中のため、本郷さんのニューマーメイド号でタシロアイランドへ。】
本郷とキャシーはばっと身を離し、それぞれの同報QWに了解と答え、すぐ窓を閉じた。
それから気まずそうにコタツのスイッチを切り、卓上コンロとアラジンの火を消し、身支度を整えると、そっと手だけつないで本郷の貸家を出た。
二月の強い季節風がキャシーの髪のお団子をほどき、仁斗田の夕闇に金色の風が吹いたようだった。
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