#3
「も〜どうなってるの? 明日、根室の予定だったじゃない?」
サクラがぶーぶー言いながら、手に大きな鍋を持ってNMM号に乗り込んできた。
「でも、今日片づけとけば、明日のあれも明後日の本番も逆に余裕が出ていいわ。」
「スルー予定の日本海、ФН寄りの赤六角《RHEX》が処置され、試算が大幅に狂った模様。でもФНの蚩尤の骨は海洋TFPに対応できないはず。巨人の尾の情報更新は匿名による更新。」
ナスターシャが怪訝げに言った。「二月初めの対馬、五島列島の時と同じ、匿名による処置?」
「もーなんだかわかんないけど好都合よ。ともかく行こう行こう! 牡蠣鍋持ってきたから、あっちで食べよ。」
「なんや、うちもタコヤキ鍋、若旦那が食べへん言うよってに持ってきたで。」
アサミも手に大きな鍋。「旨いゆうてんやけど、あかんわ、料理はチャレンジや言うトコを理解しぃへん!」
キャシーは牡蠣鍋を置いてきてよかったと内心思った。
「あ、それから、おかあさん、ちょっと体調悪いから家に置いてきた。おとうさんが看病してる。って言うか、もう酔いつぶれてたから置いてきたんだけどね。」
サクラが一人で搭乗した理由を述べた。
「え? じゃDCルームは誰がしきるの?」
キャシーが聞くと、ナスターシャが黙ってキャシーを指さした。
「だよね〜。タシロアイランドに残るのは二人だけ、で、やっぱ年上だもんね〜。ほら久保田さんは仕事違うし〜。」
サクラも同意した。
NMM号はDCクルー五名だけ乗せて駐機場を出、速度を上げた。
【久保田さん、熊さんで出るから、キャシーとナスターシャだけそっちに下ろすから。】
本郷が同報QWで伝えた。
【熊の巣なんだが、夕方、スタッフが出て行ったようだ。動かせないかも知れんぞ。】
久保田老が言った。熊の巣は差し出し元の東京航空開発が交代で要員を配して運用していた。
【えー? こんな時になんで?】
本郷が不本意そうに言った。【ヤタガラスだと高くつくよ?】
熊さんはその巨体に似合わず、燃料を問わないマルチフューエル仕様の可逆熱行程プロップエンジンを四発装備し、燃料消費量も燃料経費も低い。
かたやヤタガラスは、RRドライブとMエフェクターを稼働させるための可逆熱行程発電機用のエタノールと、通常外燃エンジン用の合成灯油、準弾道軌道飛行用推進剤である液体酸素と液体水素等、多種類の燃料を大量に消費する。
【本郷さん、TAD側からさっき通告が……。】
ふいに宝田の No Image の同報QWが開いた。【本社側の意向で、当面の間、給油及び整備、熊の巣の要員配置を休止するそうです。】
NMM号内が、静まった。
「……どういうこと?」
サクラが小首を傾げた。
「TADはもうDG—TPを支援できない。支援が無ければ、燃料代のかかるヤタガラスしか使えない。いずれお金が無くなって燃料が無くなって……TFP処置ができなくなる。」
ナスターシャが冷静に答えた。
タシロ計画防衛隊は、破産する。
TFP処置ができなくなる。
GDEDが、また一歩現実味を帯びる。
「そんな馬鹿な話は無い……わ。」
キャシーは叫びかけ、声をしぼめた。
思い当たるのは、夕方のコール。父親からのコール。たわいもない父娘の会話のつもりだったが、そうではなかった。
あれは様子見だ。
TADに圧力をかけたのは、父のいる米軍だ。
東京航空開発は新手の航空機メーカーで、開発とは名ばかりで、露国の温存施設から温存機を入手し、可逆熱行程エンジンに換装したMBモデル機を複製製造し商っている。
UN内での廉価航空機の販売で頭角をあらわしており、今ここで、米軍が機嫌を損ねれば、その企業生命が危ぶまれるのだろう。
サクラ帰還で盛り返したDG—TPに対し、天沼矛が欲しい米軍が実力行使に出てきたのだ。そうに違いない。
キャシーは言葉を失った。
DG—TPが解散すれば、本郷と別れなければならなくなる。
「ヤタガラスを使おう。やれるだけのことはやろうぜ。」
本郷が意を決し、NMM号をタシロアイランドに接舷させた。
「よし! 出発前に鍋食べて力付けて行こう!」
サクラが鍋を手に仁王立ちして叫んだ。
「タコヤキ鍋もあるで!」
アサミも同じように仁王立ちで叫んだ。
「こちらタシロ計画防衛隊です。ご存知かも知れませんが、本日二一〇〇、長野圏松本市にTFPが発現すると試算されました。ただ今より処置準備に入ります。避難勧告をお勧めいたします。」
まずは松本市に通知する。
「日本とのTFP対処契約は未締結ですが、TFPを処置しないことによりGDED発現リスクが高まります。当方は個別のTFP処置が主目的ではありません。三〇〇年後に発現が試算される最大級殻破壊を未然に阻止することが主目的でありますので、今回のTFPにつきましても処置させていただきます。」
TFP処置の宣言をする。処置中止の申し入れも時折あるが、TFP処置を拒否する権利は国際法上無い。一方で、TFP処置を強行する権利も実は無い。ただし各国が実際にTFP処置を行い、巨人の尾の利用と情報更新を行ってGDED阻止に当たっている。
「松本市は防災広報で通知はするって。」
キャシーが少しほっとした表情でナスターシャを見た。
「予定座標を通知します。松本市東部、薄川流域、北緯三六度東経一三八度を中心に半径二キロ。」
去年暮れにナスターシャが考案したサクラパッチのお陰で、現在、巨人の尾の精度は飛躍的に高まった。しかしまだこの程度である。
「キャシーもナスターシャも鍋食べてね、じゃわたしたち行ってくるわ!」
DCルーム脇で鍋を温めなおしていたサクラが口をもぐもぐさせて言い、ゲルトルーデの車椅子を押してDCルームを出て行った。「そうそう、タコヤキ鍋もいけるよ!」
「せやろ? せやろ?」
アサミもサクラたちを追いかけ、出発準備中のヤタガラスに乗り込んだ。
「松本って何有名? おとうさんたちにお土産買う時間あるかな?」
「アホ言うてへんでちゃっちゃて着替えぇな。夜やで。コンビニくらいしかやってへんわ。」
「あ、せやな〜。」
サクラが肩をすくめ、ヤタガラス機内のロッカーに向かった。アサミはその場で服を脱ぎ捨てつなぎ姿になり、寒そうにB—3タイプのムートンの革ジャンを羽織った。
【ヤタガラス出発するぞ。準備いいか?】
本郷が同報QWで呼びかけ、ゲルトルーデは着替え途中だったので小さくきゃっと言って No Image に切り替えたが、サクラは下着姿のまま「まだだよ〜。」と答え、本郷の方が慌てて映像を切った。
【サクラ! はしたない!】
キャシーが思わずサクラをたしなめたが、サクラは減るもんじゃないからいいよ〜と暢気に答えた。
「それにしても、このDGスーツ、何とかならない?」
サクラは細かにパーツ分けされたピンクのスーツを身に着けながらぼやいた。
それぞれノースリーブ、膝丈レギンスタイプの白のインナー上下を着込み、臙脂色のコルセット型プロテクターで首、胸の両サイド、おなかから腰回り、ももの横をきっちり覆う。
プロテクターのスカート状の裾には可愛いデザインのポケットが左右二つずつ。救助用グッズがぱんぱんに押し込んであり、闇の中でも光るボタンで止められている。
ピンクのアッパーが可愛いくるぶし丈のセーフティーブーツを履き、両足それぞれに白い環を腿の辺りまで通し、環に直交した短いグリップを操作すると、ピンク色のレッグガードが瞬時に展開し、サクラのブーツの上、引き締まったすねからももをぴっちりと覆う。
最後にピンク色のジャケットを羽織る。ジャケットは前が大きく開いており、臙脂色のコルセット型プロテクターとぴったりと密着して、初めて上半身を完全に覆う。ジャケットの肩口にも可愛いポケットがあった。
ジャケットの袖口の大きな環を回すと、環から噴射された液体がサクラの白い指先に臙脂色の膜となって広がり、瞬時に使い捨てグローブを形成。
「完璧! 本郷いいよ!」
ロッカー内の仮設シートに腰掛け、ゲルトルーデも着替えを終えると車椅子を所定の隙間に押し込み固定して発進に備えた。
【ヤタガラス発進。】
タシロアイランドの四〇〇メートルの滑走路上、一番北の端に駐機されていた巨大な黒い全翼機が身をもたげた。
滑走路に食い込ませていた鉄の爪を解き、大量の燃料を浪費する外燃エンジンの出力を上げていき、その巨体をゆっくりと前進させる。
「Mエフェクター起動!」
全翼前縁に溝が展開し、翼の中に仕込まれた短距離離陸用の零速度揚力発生装置・Mエフェクターが起動し、失速必至の極低い対気速度であるにも関わらず、巨大な黒い翼は舞い上がった。
重々しくタシロアイランドの滑走路を飛び立ったヤタガラスは、徐々に速度と高度を上げ、夜空の中程で外燃エンジンをカット、主推進機関であるRRドライブを起動した。あらゆる種類の媒質を線形加速し、圧縮噴射するRRドライブは巨大な黒い翼をぐんぐん加速した。ヤタガラスはこの低温の媒質噴射に加え、液体酸素と液体水素を添加しさらに強力な推進力を発揮する。瞬く間に、音の速度の数倍まで加速した。
「やっぱこれじゃなきゃ〜!」
サクラが楽しそうに叫んだ。「この加速がいいわ〜!」
サクラだけ、加速Gに大喜びだった。
それでもまだ弱い方。米国あたりまで行き来するなら、さらに高度・速度が上がって、加速減速中は3〜4Gくらい体感できる。
今回は移動距離が短いため、低い高度をマッハ五、六で飛ぶのが限界。
TFP発現予定場所の松本市まで約四〇〇キロ弱、加速減速時間を入れても一〇分前後。その間、いつも厄介な関東州を通過することになる。
本郷が危惧したとおり、減速を始めた刹那、国軍が動いた。
『本空域は現在特別警戒中である。ただちに速度を音速以下に減速し、指示に従い最寄りの空港へ着陸されたい。繰り返す、本空域は現在特別警戒中である。ただちに速度を音速以下に減速し、指示に従い最寄りの空港へ着陸されたい。この通告に従わない場合は実行排除する。』
関東州の空の守りを一手に引き受ける成田基地からモズがホットスクランブルで上がってきた。もちろん減速中とは言えヤタガラスはモズの巡航速度の倍以上は出ている。
「航空局へは通知済み。航行上の注意喚起は無かった。松本市でのTFP処置に向かう途上である。通過を許可されたい。」
本郷が答えると、信じがたい返答が返ってきた。
『例外を認めるわけにはいかない。指示に従わない場合は、実行排除する。』
「嘘だろう? 撃ち落とす気か?」
ヤタガラスはもともと国軍のオオガラス再突入輸送機の改修機であるが、DG—TPへの供用の際に航行用のレーダー以外の兵装は取り外されている。実行排除の最終宣告である射撃レーダー照射を探知する装置は無い。
しかし元国軍のパイロットである本郷にはそれが感じられた。今回は本気だと。すぐに急減速をし、左に旋回、指示に従う素振りを見せた。
【最寄りの空港はエアタウン狭山、先導をするので追従されたい。】
航行用レーダーにモズの機影が二つふいに現れた。通常航行用の二次レーダーを働かせたようだ。
松本市でのTFP発現予定時間二一〇〇まであと二〇分。
「しかしTFPを処置しないと……」
無駄なあがきとわかりつつ、何とか説得しようとした瞬間、それは起こった。
最初は落雷かとも思った。旋回し高度を下げ、エアタウン狭山に向かって保針していると、月のまだ上らない夜の向こう、西の地平線に光の筋が長々と走ったのが見えた。
落雷ではない。真っ直ぐ一本、光の柱が天と地の間に渡された。
【あぁ!】
サクラの悲痛な叫びが響いた。【わかった! わかったわ! これだわ! これが、これがTFPを……国津神を…殺してる!】




