四方八方敵だらけ 1
長い長い廊下。
無駄に金がかかっているが、まがりなりにも一国の元首の居城である。貧乏くさいよりはずっとマシだろう。
ありふれたサマースーツに身を包んだサトルが歩を進める。
傲然と。
まるで彼が官邸の主であるかのように。
遠く近く戦闘音が響いている。
と、足が止まる。
「出てきたらどうだ? 気づかれていないと思っているわけでもあるまい」
何もない空間へ声をかけた。
一瞬の時差を置き、何を象ったのかわからない彫像の影から、姿を見せる男。
黒髪にちらほらと白いものが混じり始めた中年だ。
「いずこかの名のある神とお見受けする。どうかご寛恕あって我が妻をお返し願いたい」
口上を述べる。
鼻で笑うサトル。
「蒼銀の魔女の元亭主か。残念だが返してやることはできんな。あれはもう俺の女だ」
表情も変えず、村井が懐の隠しから短刀を取り出す。
二振り。
「ならば、御身を滅ぼして奪い返すのみ」
隙なく両手に構える。
「良くほざいた。人間が」
肉食獣のような笑みを魔族が浮かべた。
「アンジーさん。ここは任せて行ってください」
静かな声。
すっと前に出る絵梨佳。
探知能力に優れた琴美が探しに行った方が良い。それ以上に、一刻も早く母親を救出したいはずだ。
「ごめん。借りとく」
年少の友人の心遣いに感謝。
三浦と名乗った男の脇を、琴美が駆け抜ける。
男は動かない。
否、動けない。
絵梨佳の戦闘力が判るゆえに。
小柄なこの少女から目をそらしたら最後、一瞬で殺されるだろう。
戦士としての直感のようなものである。
「実剛さんは、少し離れていてくださいね」
一歩、二歩。
無造作に近づく絵梨佳。
圧倒的なプレッシャー。
警棒を構えたままの三浦の頬を汗が伝う。
なんだこいつは。
重圧に耐えかねて襲いかかる。
少女は防御も回避もしない。
だが、警棒は絵梨佳の顔の前、三センチのところで止まっていた。
振り下ろされた警棒を、ただ握っているだけ。
「それで?」
「くっ このっ」
押しても引いても動かない。
「こんな人たちに沙樹さんが負けるわけない。どんな卑怯な手を使ったの?」
むしろ優しげな問いかけ。
三浦に返答する余裕などない。
「答えなくても良いけど。べつに知りたくもないし」
壊れた玩具でも投げ捨てるように警棒を放る。
咄嗟に手を離していなければ、三浦の身体ごと飛んだことだろう。
「バケモノめ……」
「なにをいまさら。知ってて手を出したんでしょ? ちゃんと責任取ってね」
絵梨佳の右手に力がこもり、振り下ろされる。
寸前。
少女は攻撃を中断して飛びさがった。
「三浦サンが戦えるような相手じゃないよ。こいつはね」
一瞬前まで絵梨佳がいた場所に着地した少年が言う。
黒髪黒眸。
年の頃なら光や美鶴くらいだろうか。
「下でもこいつらの仲間が暴れてる。指揮官がいない自衛隊連中は酷い状態になってるから行ってあげて」
「了解した」
ほうほうの体で戦場から去る三浦。
絵梨佳は追撃しなかった。
油断なく少年を見つめている。
「はじめまして。お姉さん。僕はカトルだよ」
「どうしてあなたたちは、まず名乗るの? 礼儀にうるさい人?」
「自己紹介はコミュニケーションの第一歩だと小学校で教わったからね」
「じゃあ、わたしも名乗った方が良いのかしら」
「知ってるから良いよ。どの神話大系にも属さないまつろわぬ神。悪魔に貶められなかった外なる神の末裔だもんね」
「なにそれこわい」
大仰ないいっぷりに呆れる絵梨佳。
澪の血は神のものではない。
どこまで真実か判らないが、地球外生命体の遺伝である。
地球の神々の系譜に存在しないのは当然だ。
「なんか、僕たち以上にくわしそうだね」
実剛が言った。
婚約者の邪魔にならないよう、やや後方から。
男としては忸怩たるものがあるのだが、こればかりは仕方がない。
「だれだいきみは?」
まったく興味ありませんよ、と態度で示しながらカトルが問う。
「巫実剛。絵梨佳ちゃんの許嫁だよ」
いささかむっとしながら応える。
「婚約者? おK。きみはいらないよ」
瞬間、実剛へと迫るカトル。
両手の爪がナイフのように伸びる。
巫の次期当主は、一歩も動かず、顔色すら変えなかった。
カトルの爪が実剛を引き裂く寸前、絵梨佳の右足が少年を蹴り飛ばす。
屋上をバウンドしながら転がってゆく。
「実剛さんに臭い顔を近づけるんじゃない。クソガキ」
ゴミでも見るような目。
むくりとカトルが立ちあがる。
さしてダメージを受けているようには見えない。
「いいね。じつに良い。その目。ぞくぞくしちゃうね」
「変態さんですか? うざいんで死んでください。いますぐ」
正面から突入した三人は、意外に頑強な抵抗にあって進撃を止められていた。
待ちかまえていたのは自衛隊。
数は三十人ほど。
これは屋上で実剛たちと対峙し、昨日沙樹を拉致した三浦の配下たちであったが、むろんそんなことを光則が知るよしもない。
「粘るな……こいつら」
苦々しい賞賛。
一人一人はたいして戦闘力を持っていない。
量産型能力者にすら遠く及ばないだろう。
はっきりいって普通の人間だ。
にもかかわらず、機に臨み変に応じてよく戦う。
互いにフォローしあいながら、戦線を維持し続けていた。
玄関ホールから一歩も進めない。
十五分以上戦い続けているのに。
「佐緒里。何人やっつけた?」
左となりに立った同級生に問いかける。
「五人くらいだ」
少ない。
殺さないよう手加減しているというのもむろんあるが、それを差し引いても、まったく戦果が挙がっていないといっても良いほどだ。
光則が倒した分を合わせて八人。
それでも三割近くは戦闘不能になっているのだ。
なのに敵は諦めない。
驚異的な粘りと忍耐である。
間断なく降り注ぐ銃弾。
易々と回避しながらも、今一歩踏み込めない。
「ここに敵を引きつけるのも、戦術としては間違っていませんよ」
物陰に身を隠した信二が慰める。
さすがに魚顔軍師の戦闘力では前線に出ることはできないのだ。
戦況が変わったのは、五分ほど経過した後である。
防戦一方だった自衛隊が、徐々に攻勢に転じ始めた。
とくに突出と後退のタイミングが巧みで、ストローで吸われるように誘い出された佐緒里が小さな傷をいくつも負ってる。
慌てて光則が救援に入らなければ、一気に勝負を決められていたかもしれない。
しかも引き際も良い。
救援が現れた瞬間に、躊躇なく後退する。
これは明確に戦術目標を持って行動しているということだ。
「うっとうしいっ!」
ヒットアンドアウェイを繰り返す敵に佐緒里がいらついた叫びをぶつける。
どこかを叩こうと思っても、違う場所から火線がのび、そこを叩こうとすればまた違う場所からの攻撃に晒される。
もともと辛抱強い性格ではない鬼の姫は、相当にフラストレーションをためている。
「わずかな攻防で弱点を見抜きましたか。名将の戦いぶりですね」
感嘆の吐息をはく信二。
もともと連携力が低いところに、性格的な弱点を突かれてはかなり苦しい。
自衛隊は指揮官が替わったようだ。
「なんでしょうね。モンスター退治は自衛隊のお家芸とでもいうような戦い方が気に入りませんね」
最初から、強大な力を持った人外と戦うこと前提した訓練を積んでいなければ、このように巧みには戦えまい。
まさか、たかが人間の軍隊ごときを相手に苦戦を強いられることになるとは。
「とはいえ、敵の方が有利な状況だけに、かえって付け入る隙がありそうですね」
にやりと笑う魚顔軍師だった。




