40 探偵の過去2
それからというものの、脱出する機会なんて当然あるわけがなかった。
私が収容されている施設? みたいなところは、まず起床してから部屋を出て、朝食、それから運動、労働と続く。昼食を食べ終えた後は再び労働に戻るが、ここで一部の人は科学者に呼ばれてどこかに連れて行かれる。
この一部の人は──美奈に夜中聞いた話によれば、ムンクと呼ばれる、施設で一番偉い科学者が行う実験に担ぎ出されるとのことだった。その実験は人間から吸血者になれるか? という──今で言ったら、というより、今の大人達が言いそうな非倫理的な、もしくは非人道的な実験らしく、場合によっては死ぬこともあり得るらしい。実際、連れて来られた人の中には戻ってこなかった人達もいると言い、その人達は後々「不慮の事故で亡くなった」という話が付け加えられているという。
まあ、その話は嘘だろう──そう思っていると私たち全員が思っている。
中には本当に「不慮の事故で」亡くなったと思っていそうだが、私たちの大半が恐らく説明される内容はほぼ信じていないだろう。
そう思っていたある日のこと。
私と美奈は午前中の労働の時間、ナツメに呼ばれた。
内容は──〝脱出経路について説明するから、今晩警備員の人達に事情を伝えて部屋を出て欲しい。下の内容を伝えておけば、警備員たちに怪しまれずに済む〟
と伝えられた。無論内容を隠すためだろうか、所々に隠語が印字されている箇所もあり、少々読みにくいところもあったが、大体の内容は把握していた。
手紙を渡されたその日の夜。
私は美奈と共に部屋を出た。指示通り、私は部屋の前で巡回をしていた警備員たちに事情を話し、部屋から離れた。彼らには何の違和感を持たれなかったため、難なく部屋を出ることに成功した。
ナツメの部屋に入った時、彼女からいきなり「これを着て」と言われ、渡されたのはいつも科学者たちが着ているような白衣だった。胸元にはエンブレムが入っており、それ以外の特徴は何もないという感じだった。
「これ、羽織るの?」
そう言ったのは隣の美奈だった。夜中行動している為か、彼女は白衣を羽織る度に何度か欠伸をした。それが移ってしまったのか、私もまた眠気が襲って欠伸をしてしまった。
「……うつった」
「あ」
口の前の手を止めると、美奈が微笑んできた。
「かわいい」
──え?
この時に限ってそういうことを言うの? え、普通に有り難いけど、今言うべきことじゃないよね、それ。
内心美奈へツッコみを入れつつ、「あ、ありがと」と言った。その私の様子を見て、彼女は「照れ隠しだぁ~!」と謎にはしゃいだ。
「とりあえず、行くよ」
と言い、ナツメは床にしゃがみ込み、机が置いてある横の一部分を開けた。そこは地下通路に繋がるような狭い道であり、普段掃除することもないのか汚らしい印象を受けた。
私も美奈も彼女の後を追って階段を下る。道中、照明が全くないため、正面に居る美奈やナツメが本当にそこに居るのか、あるいは今どこに居るのか途中で分からなくなってしまった。
ただ、声が反響しているからまだ分かったけどね。
地下通路を歩くこと、数分。通路が開けた先に出てきたのは、小さな広場のようだった。今まで歩いたところは照明が全くなく──あったとしても、ほんの一箇所だけ──、ここの広場に出てきた際には一瞬だが目が暗んだ。
少し歩けば、その広場は少々だが賑わっていることに気がついた。左右には色んな商人たちが立ち並んでおり、各々で商売を切り盛りしていた。その中には地上で販売してはいけないような──いわゆる違法なものだけど──、そういったものまで売られていた。
無論、そこには吸血者の人身販売も含まれていた。
なぜそこでやっていたかは分からない。そこについてはナツメに訊いても「……分からない」と少し間が空いたけど答えてくれず、別の話題にすぐ切り替わるなど納得のいかないようなものだった。
広場を真っ直ぐ歩く。そうこうしているうちに、大きな扉が目の前に立ちはだかった。その扉は古びており、まるで中世にタイムスリップしてきたような趣を感じた。
閂式となっている扉をナツメが開く。重く、ギギ、という音が広場内に響かせる。結構大きな音で広場内に居る人々の視線を集めるのかな──と思いきや、周囲を見渡したらどうとしたこともなく、普段通り──と言ってもその〝普段〟が分からないけど──の動きをしていた。
「行くよ」
そう言い、ナツメが扉の向こうの石畳に足を出す。同じく、私も美奈も足を扉の向こうに出そうとした。
その時だった。
どこからか女性の甲高い悲鳴が聞こえた。
私は咄嗟に後ろを振り返った。なぜなら、聞こえた悲鳴は後ろからだったから。
──まさか……奴らが……?
そう思いながら、私はドクンドクンと胸打つ心臓を掌で感じながら、目の前に迫ってくる衛兵たちを一瞥する。彼らは平然とした表情でこちらに近づいてくる。
「……ヤバい」
そう言ったのは隣の美奈だった。
「ヤバい?」
「うん。彼らに捕まると吸血者実験より遙かにヤバい実験に使われるんだ」
「……遙かにヤバい?」
物怖じとした表情で語る美奈に、私はただきょとんとした表情でしか反応することができなかったが、彼女はその意味合いを察してくれたのか、それとも私の心情やら状況やらと察してくれたのか、それ以上言うことは何も無かった。
「何してるの、早く行くよ」
と言い、ナツメが私たちの手首を掴んで扉の向こうへ走り出す。が、その先に歩むことは出来なくなり、何かの弾みで私たちは先程の広場に追い出されてしまった。扉も完全に閉まってしまい、ナツメがもう一度開けようとしても開けられなかった。
「おやおや……。そこに居るのはナツメさんじゃないですか」
そう言ったのは、縦長の顔をした男性だった。洋風な顔立ちをしているが、髭を剃っていたからか、少しだけ違和感を覚えた(気がする)。後ろには大量の部下らしき姿を控えており、恐らくこの今話している男性が立場的に一番上なのだな、と思えた。
「奇遇ね。こんなところで何用かしら」
偶然を装っている口振りだが、手元や口調が震えており、現在の心境がどんな状況なのか察することが出来た。
「いやですねぇ……この辺にあの牢獄から逃げ出した女子二人が居ると報告を受けてきたのですが……、まさか此処で貴女と出会うなんて知る由もありませんでした。まさかと思いますが……」
そう言い、男性はナツメの顎を強引に近づけた。鼻と目がくっつく距離ぐらいになるものの、ナツメは全く怯んでいないように思えた。
「その子達を外の世界に逃亡させようとしている……そんなことを思っていませんよね?」
詰問するように男性がナツメに呟く。先程より力が強くなっているのか、彼女の顎を掴んでいる大きくて分厚い掌が食い込んでいるように見えた。
「……思ってない。大体、そんなことをしようとしたらどうなるのか、あなたが一番理解しているのでは?」
とナツメは睨み付ける。男性は戯けるようにして彼女を離すと、
「それはそうでしたね」
と両手を挙げた。そのポーズに私は一度安堵しかけたものの、その後に男性が吐いた台詞に思わず呆然としてしまった。
「──では、なぜそこの二人と一緒に居るんでしょうか」
その言葉にナツメは応えなかった。
動ずることなく、彼女は棒のように立っている。
すると、男性が片手を器用に回して後ろの部下達に合図らしきものを送ると、後ろに居た彼らが私と美奈、それぞれを引き離した後、二の腕を力強く掴んで拘束し始めた。
「止めて‼」
そう叫んだのは美奈だった。目の前で拘束されながら叫んでいる姿はあまりにも痛々しく、見ても居られない光景だった。
だけど、その状況と同じように私も遭っているんだけどね。現在進行形で。
両手を後ろにやられ、かつ紐で縛られて身動きが取れなくなる。しかも自分の身体を思い切り他人が押しつけているんだから、尚更動けない。どうしたものか、そう思いながらただぼんやりと見つめていると、ナツメが「取引しましょ」と言って一息入れた。
「取引?」
わざとらしく男性は首を傾げた。
「ええ。あなたたちはこの二人を捕えようとしてきた。私は──まあこの際認めるけど──この二人を逃がそうとしていた。そこで提案。どちらか一方を敢えて逃亡させて、どちらか一方を実験に差し出す……って言うのはどうかしら?」
掌を男性に向け、慇懃にナツメが言う。その彼女が話した内容に、私は認めたくなかったものの、彼女としては策があるのだろうと少し期待をした。
「そうですねぇ」男性は顎を撫でた。「悪くない提案です。ただ、やはりこちらとしては〝逃亡した二人を捕えろ〟と命令されてここまで来ているので、その提案は残念ながら──」
「では、こうするのは如何です?」
言葉を遮った後、ナツメがコホンと空咳をする。
「私を逃亡計画の張本人として上部に報告させた後、社会実験の一環として二人のうち誰かを外部に逃がす。ある程度期間が経った後、ここの施設の人か……もしくは狩人を使って連れ戻すか。この提案の方が、あの目的を果たすためには必要不可欠だと思いますよ?」
──あの目的? 何それ?
ナツメが初めて口にした〝目的〟に私は内心首を捻った。が、頭の中に浮かんだ疑問に首を捻る間もなく、私は無理やり立たされた。目の前にはナツメと先程まで話していた男性が立っており、ジッと私を見つめていた。
──顔が細長で、色白で洋風な顔立ち。髪は短髪で、僅かだけど毛量が少なくなっていることから、恐らく年代はあまり若くはないと思われ、顔の所々に皺やシミが確認出来る。瞳の色は青色が濃くなったアースアイ。澄んだ青色の瞳に思わず引き込まれそうになったが、気持ち悪さが漂う笑みで心の臓がドクンと波打つ。
暫く、男性の瞳に私が映る。
すると、いきなり私の腕から力が無くなり、開放的になる。周囲を見てみれば、私の傍に立っていた部下らしき人物が離れていく姿があり、手首を見れば紐がほどけていた。
恐らく彼らがこの男性に命令されたことなのだろう。そう思いながら、男性の話を聞いた。
「悪くない。この子を外部に出すとしよう」
そう言うが、周囲の部下から「どうして」や「なぜです」と言った反発の声が続発した。それらの声を鎮めるように、男性は「うるせぇ」と一喝した。一気に広場が静まった。
「これは隊長の命令だ。命令に背いた奴は別途対応する」
そう言い、部下達の後ろに男性は向かった。その背中はまるで威厳のある、昭和体質の残った男性のようだった。
周囲の部下達は彼の命令通り、「行くぞ」と私に端的に述べた後、扉を開けてその向こうの景色に向かわせた。私は戸惑いながら歩みを始めたものの、二歩か三歩ぐらい歩んだ頃には後ろを振り返っていた。
そして──私はなぜか首を横に振っていた。
気づいた頃には涙が出ていた。
なんでだろう。
ただ、二人と一緒に居たかったはずなのに。
私は涙を流しながら、焦点をナツメに向けた。彼女はただスッと私を見つめたままであり、何も言わず唇をキュッと結んでいた。数秒経過した後には私に向かって頷いたが、それ以降の反応はなかった。
続いて焦点を合わせたのは美奈。が、彼女は床に焦点を合わせたまま、私を見ようともせずに身体を拘束されていた。まるで地蔵のようにその場に固まっており、反応する気配など感じなかった。
ただ──涙は流していた。
何の涙だろうか。それは私でも分からない。
けど、それは恐らく──私との〝別れ〟を表した涙ではなく、〝怒り〟を表した涙なんだって思った。
私は二人に背を向けた。
そしてそのまま、扉の向こうへ歩いた。




