#88「大人として」
まだ夜が明けぬ空から静かに降る雪。まるでぐらたんの気持ちを表すかのように・・・
胸を締め付けるような痛みがカオリを襲ったが、頭の中はまだ混乱している。
魔界帝国の軍人? ぐらたんが? ネビロス君を? あんなに好きだった彼を殺せだなんて・・・、嘘だよねっ??
周囲を隈なく見まわしたが、もう既にぐらたんの姿はいない。カオリはアギャンに振り返るが、彼女が手に持っていたぐらたんの携帯端末に目がいってしまう。バルバトスという軍服を着た手のひらサイズの青年と目が合い、彼は手で顔を覆い隠した。
アギャンに事情を聞こうと駆け寄ったが、バルバトスが先に彼女に話しかける。
『・・・世話の焼ける。変な所はあのお方に似てきた。彼女の捜索は後だ。伍長、今はナベリウスの遺産が最優先だ。ウンギャンに連ら・・・』
「この・・・」
アギャンは歯をギリッと食いしばる。彼の態度に怒りの沸点が越えたのだ。
「バカバルーーーーーーーーーーッ!!!」
気がつけば、バルバトスはアギャンの大きな拳に殴り飛ばされていた。ホログラムの形は崩れてバラバラになる。
ホログラムに実体は無いので霧散するだけのはずだったが、しっかりとダメージを受けるなんて彼は思ってもいなかっただろう。
ドサッと彼が倒れる音だけが端末から聞こえた。
カオリも、通常のホログラムではあり得ない現象を目にし、更にアギャンの普段見せない激情にビクッとしてそのまま固まってしまっていた。
ホログラムは復活し、ヨロヨロと立ち上がる上官の悪魔。
『バカな・・・感覚共有は切断しているはず・・・、お前、よくも上官に向かっ・・・』
「やかましいっ!!」
再びアギャンの鉄拳がホログラムをバラバラにした。再び彼の呻き声だけが端末から漏れる。
殴った拳をブルブル振るアギャンは吐き捨てるように言った。
「ふん、慣れない冥界通信なんてするからそうなるギャン」
そして、再び復活した彼の小さな胸ぐらを摘み上げた。
「キサマよくも、お嬢様にあんなことを言い出せたなっ! あわよくば、ウンギャンにまで・・・ッ! その口二度と利けないように喉笛噛みちぎってやるぞ、ハネヤローッ!!!」
『ッ!!』
アギャンの一喝に圧倒されるが、すかさずバルバトスは言い返す。
『刃向かう気か!? 身をわきまえろ、伍長。今は一刻も早く・・・』
「わきまえるのはキサマの方だっ!! 何が抹殺だ。謹慎中のキサマに命令権はないギャンッ!!」
痛い所を突かれ、バルバトスは完全に沈黙した。
「キサマ、あの子の気持ちを考えた事はあるかっ!! ヴィルが居なくなって、学校でPTSDになってもおかしくない事件に巻き込まれて・・・それでも家を守るのは自分しか居ないって、あんな小さい頃から覚悟を決めて・・・」
アギャンは摘んだ彼の胸ぐらを激しく揺らす。彼女の声はだんだんと震えてきて、目から涙が滲み出る。
『うっ・・・、揺らすな・・・。彼女も軍人だ。彼女自身が歯車になる事を選んだ。軍人になる事はこういうこともあると、本人も自覚しているはずだ』
アギャンの揺さぶりは一層激しくなる。
「ふざけるなぁっ! ならキサマは実行出来るのか!? ヴィルを殺せと命令されれば、ただ従って実行するのか!? キサマが尊敬するヴィルをっ!!」
『准将が覚悟しているのならな・・・!!』
「ヴィルの覚悟なぞ知るか! キサマ自身の気持ちを聞いているっ!」
『・・・』
「・・・いくら覚悟を決めても! いくら覚悟を決めてもねぇ! あの子はまだ13歳の子供だギャンッ!!」
『ッ!!』
「今まで1人で抱え続けて・・・でも本当は誰かに頼りたくて仕方がないあの子を・・・私達大人が支えて上げないでどうするっ!! 見損なったギャン〜〜!」
アギャンの勢いは止まらず、ぐらたんの端末を地面に叩きつける。端末は積もった雪にめり込んだ。ノイズ混じりで情けない悲鳴が雪の中から聞こえてくる。
『~っ、謹慎なんて喰らってなかったらな・・・俺だってッ!』
「まだ言うかっ! キサマはあの子を逃す為にこの任務を与えたのに、次は暴れ竜に怖気付いて、大切な人を殺して戻ってこいだ〜? キサマはどっちの味方だ!!? お嬢様が大事なら、今すぐそんなとこくらい抜け出して司令部くらい1人で制圧して見せるギャンッ!! このヘタレッ!!」
アギャンは足を上げた。
「もう許さないッ! 修正してやる〜〜ッ!!」
『!!?』
端末を踏みつけようとした所、すかさずカオリがアギャンを羽交締めにして止めに入った。
「や、やめてーーっ! ぐらたんのケータイが壊れちゃう」
「え〜い、離せっ、カオリ! ・・・結局ただの職業軍人枠に収まりやがって〜ッ!」
『や、やめろ〜・・・お、俺を殺す気か〜ッ!?』
ガシガシと地団駄のように踏みつけるアギャン。後から羽交締めにするカオリが巧みに逸らして、端末を潰させないようにした。
「アギャン、待って、待って!! 落ち着いてっ! こんな所で言い争ってる場合じゃ・・・、早いとこぐらたんを探しに」
「ア“ア”ア“ア”っ! ボッコボコにするまで気が済まないギャン」
そしてカオリに押さえられながらも、マシンガンのようにアギャンは彼に罵声を浴びせ続ける。
その時、
「ハイ、そこまでなのです。ストップ」
手を叩きながら、山小屋の玄関からポラリスが出てきた。全員ピタッと止まり、白いシスターに注目する。
「話は聞かせて貰いました。全く・・・気持ちはわかりますが、貴方もぐらたんと変わらないですね。カオリの言う通り、早くぐらたんを連れて帰りますよ。貴重な修行の時間を取られる訳にはいかないのです」
「・・・はい、申し訳ないですギャン」
彼女の登場でやっとアギャンは大人しくなった。
そしてポラリスは雪に埋まった端末を引っ張り出した。
「さて、誰かと思えば・・・、バルバトス君じゃないですか。世界はなんと狭いモノなのです」
クラクラと意識が飛びかかっていたバルバトスは、彼女の顔を見るなり、血の気が引いて気まずそうな顔になった。
『あ、貴方は!?』
「はい、余計な事は言わないのです」
続きを喋ろうとした彼をブンブンと振り回して遮るポラリスに、意外な顔をするカオリとアギャン。
「えっ!!? 先生、この人知ってるんですか?」
「はい。孤児院じゃ有りませんが、もちろん私の可愛くて出来の悪い教え子です。まあ、そんな話はいいのです。さっさと探しに行きますよ」
バルバトスは逃げる為に通信を切ろうとしたが、中々切れずワタワタとしていると、ポラリスが顔を近づける。
「バルバトス君、今暇なら貴方も付き合いなさい」
彼女の圧力に負けたのか、観念して座り込んだバルバトス。
更にアギャンが言い聞かせる。
「そうだギャン。お前には最後まで見届ける義務がある。大人として・・・」
さっきまでの発言を思い直し、アギャンの言葉が重くのしかかった。行動を制限され、頼った仲間達の報告を待つばかり。次第に焦りと苛立ちが積み上がっていった。それを無意識ながらも、一番助けを必要としていた彼女に強く当たってしまって、逆に追い込んでしまっていた。
大いに反省して彼は俯く。
『・・・済まない』
腕を組んで頷くアギャンはツッコミを忘れない。
「謝る相手が違うギャン」
『分かってる。君達にも迷惑をかけた』
「随分と丸くなりましたね。あの時も素直だったら・・・。さて、行きますよ」
「はい、先生! お願い、アギャン。ぐらたんのこと聞かせて。バルバルトーストさんもお願い」
『バルバトスだ』
「・・・今更無関係だなんて言わないで。私もぐらたんを見つけたいの。たとえ魔界の魔族だったとしても、大切なお友達だから」
真剣な彼女を目にし、アギャンはバルバトスと目を合わせると、暫く目を閉じた。
そしてカオリを再び見るのだった。
「・・・分かったギャン」
雪は止み視界は良好、夜目が効く自分達が頼りだ。
カオリ達は雪山を降りていった。
☆☆☆
夜が明けて、山中をぐらたんが彷徨う。
パジャマのまま飛び出してしまい、とても寒い。防寒のため、ファントムフレイムの火球を彼女の周囲に追従させる。その様はまるで幽霊のようだ。
足を止めては天を仰ぎ、森の中で叫ぶのだった。
「あーーっ! バレちゃった! バレちゃった! バレちゃった! バレちゃった! バレちゃったーーーッ!!」
なんて失態だ。カオリちゃんの気配に気づかないなんて・・・。正体を知ってさぞショックだっただろう。今まで自分を偽り、ネビロス様を騙し、カオリちゃんやみんなを騙して犬神少女ごっこをしていたに過ぎないのだ。
私は悪魔。魔界帝国陸軍情報部魔導士官。
軍の命令は絶対。大佐の言う事は正しい。
ターゲットのネビロス様を監視し、魔界へ引き込むのが私の任務。不可能なら機密保持のためターゲットは殺すしかない。
これが私の任務・・・
なのに・・・私は何をやってるんだろう・・・。
今は胸がとても痛い。
もう、どうしたらいいのか分からない。
何も考えずここまで飛んできて、このままどうするのか途方に暮れていたところガサガサと雪が崩れる音が聞こえた。
「あら可愛い・・・」
一匹の白い兎がぐらたんの目の前に現れた。鼻をピクピクしながら、白い雪玉のような小動物が警戒心無くつぶらな瞳で彼女を見つめる。可愛らしい見た目にぐらたんの表情は緩むのだった。
「珍しい。本物の兎なんて初めて見たかも・・・。これってポラリス先生が言ってたユキウサギだっけ?」
動物など殆どがファーノイドと呼ばれる人類に進化してしまったと言う。今や「動物」は語り継がれて来た幻獣と呼ぶべきだろう。
興味が先走り、ぐらたんは一歩足を進めた途端、
「えっ・・・?」
兎が突然後ろ足で立ち上がり、大きくボコボコと膨張していく。骨格が変わり筋肉が発達し、ガタイの良すぎる巨体になった。顔もイカつくなって、額から氷の一本角が伸びた。
余りのも変貌のしように、ぐらたんは絶叫した。
「びやああああっ!! なんだコイツっ!?」
幻獣は幻獣だった。もはや兎なんて存在しないのだ。目の前にいるのは紛れもなくマナの環境化で進化した魔物だ。
大柄な兎の魔物は頭を突き出すと、氷の角が勢いよく発射された。
ロケット弾のように飛んできた角はぐらたんのほおを掠め、後の大木に刺さると瞬時に木が氷漬けになった。
あの角は体の一部ではなく、魔術の一種と言ったものか・・・。
そして後方には同種の魔物が数匹、木の影から姿を現す。
3、4匹・・・前の奴と合わせて5匹か!?
「じょ、冗談じゃない・・・」
ムキムキな兎みたいな魔物達に取り囲まれ、緊張に包まれた。
じっと睨み合いが続く中、ぐらたんは魔物達の微かな踏み込みに反応し、周囲に浮遊させていたファントムフレイムを正面の1匹に集中して撃ち込んだ。
まずは1匹。
雪煙と水蒸気が一斉に辺りを覆い隠し、ぐらたんは上に飛翔した。
魔物達は怯んで雪煙に飲み込まれる中、2匹が気流の流れを読んでぐらたんに襲いかかろうと上へ飛び出した。
脚力は脅威的なもので、一気にぐらたんに追いつく。
前後を挟まれ、特徴的な鋭い氷の角がぐらたん目掛けて飛んでくる。だが、空中においての優位性は覆ることはない。
軽やかにクルリと旋回し、正面から来る魔物の角を回避しつつ瞬時に背後に回った。重力に縛られる2匹は、彼女のあり得ない挙動に度肝を抜かれるのだった。避けた角は後ろから襲おうとしたもう一匹の胸に
命中。瞬時にパキパキと魔物の巨体を凍り付かせた。
同士討ちをしてしまった1匹が怯んでいるうちに、ぐらたんは黒い矢尻を投擲。
カース・ダート!
魔物が振り返る瞬間に漆黒の刃が側頭部に突き刺さると、電撃が走ったようにビクッと痙攣した。
絶命した2匹は共に落下して雪煙へ消えていく。
3匹・・・あと2匹
そしてドスっと重たい音を出した。
複雑な表情でぐらたんは地上を見下ろし、震える手を向けて魔術の準備に入った。
手をかざした下方に円形の光の幾何学模様が走る。
雪煙が晴れると、残りの2匹と目があった。
怖気付いた2匹の魔物は、そのまま一目散に逃げて山の斜面を下っていった。
視界から完全に消えるまでずっと狙い続けて、一気に緊張の糸が切れたように手を下ろして雪上へ降りた。
落下してもう動かなくなった2匹を見ては、あの時の天使兵達と重なった。やるせない気持ちと不愉快さがぐらたんの中でドス黒く侵食していく。
「くっ・・・!」
——素晴らしい。なんの躊躇いもなくあっという間に魔物を! これが貴方の本質です! もはやまともにみんなの所に居られない。苦しいですよね? 本当の自分を闇に隠して、ずっと貴方は騙してきたのですから・・・。カオリに、あの少年・・・そして自分自身も・・・——
ルビィー・ホーンッ!!
幻聴なのか分からない嘲笑うような彼女の声が脳裏に響いてぐらたんは振り返ると、前方の雪が勢いよく盛り上がった。
「ッ!!?」
雪の中から、さっきの魔物が出てきた。全身は所々火傷を負っている事から、最初の1匹目を仕留め損ねたようだ。
よろめきながらも、兎の魔物はゆっくりと立ち向かって来る。
「まだやる気か・・・?!」
魔物の執念に押されながらも、ぐらたんは魔術の準備をする。
そして最後の力を振り絞って魔物が一気に迫って来るのを、ぐらたんはスッとスライドするかのように左側に回り込み、握ったカースダートをそのまま左胸に捩じ込もうとするが・・・、
——ククク、本当の貴方は血を求めているんですよ——
ぐらたんの鼓動が乱れて加速する。耳障りな声と共に、自分に介錯を求めた天使兵の顔がフラッシュバックした。
「・・・ッ」
寸前で躊躇してしまい、逸れた漆黒の刃は魔物の左肩に突き刺さった。
魔物の左肩は神経が切れたようにだらんと垂れ下がり、反撃で振るった魔物の右腕がぐらたんを薙ぎ払った。
「ぐっ!? あっ・・・」
地面に叩きつけられるも雪がクッションになってくれた。しかし、もろに脇腹に喰らったために横になりながら重い痛みに疼くまるぐらたん。
ミントに変身してない時の痛みがこれ程だったとは、改めて犬神少女変身システムに助けられていた事を再認識させる。
魔物はトドメを刺そうと爪を剥き出して再び右腕を振り上げた。
死線が駆けるその刹那、魔物の背後で何かが閃いた。
その後崩れるように魔物はぐらたんに覆い被さるように倒れた。
見えたのは萌黄色に輝く三日月の刃。その特徴的な大鎌は紛れもない。
「・・・。ったく、死神に無駄な殺生をさせやがって・・・これだからトロい奴はムカつぜ」
立っていたのは船虫だった。
魔物の下からぐらたんが這い出て、助けに来た意外なヤツの名を口ずさむ。
「・・・虫、どうしてここにっ?」
「あっ!? 折角助けてやったのに、なんつーヤツだ」
「余計なお世話だ・・・」
ぐらたんはゆっくり立ち上がる。浮かない顔で俯く様子を船虫は気にかける。
「どーしたよ。そんなカッコでバニラホワイトまで来て・・・他の奴らは?」
彼女の言葉で、ぐらたんは驚くように白い息を吐き出す。
「ふぇっ!!? バニラホワイト?」
後を振り返るとタニブ山の山頂が見える。
どうやら北に飛んでバニラホワイトまで抜けてしまったようだ。
そもそもアーカチェ山脈は国境になっているのだから言われてみれば当然だ。
「んだよ、フローズンショコラマウンテンまで単独で攻めに来たのかヒヤッとしたぜ」
船虫がいるのは当然、近くに彼女が言っていた決戦の本拠地らしき所があるに違いない。
「とにかく早いとこ帰んな。そんなカッコで居てると凍えて死んじまうぜ?」
船虫は手を振りながら後に振り返った。これはまたと無いチャンスである。
ぐらたんは無防備な船虫の背中に飛びかる。
「ぶえっ!!?」
彼女を押し倒し、雪煙が舞う。
背中に馬乗りになって彼女の腕を捻って押さえ込んだ。
「いででででででっ!」
「確か・・・フローズンショコラマウンテンだったな。本拠地まで案内してもらおうか」
「テンメ〜〜ッ! ぬぎぎぎぎっ」
船虫は顔上げて、限界の限り身を捩ってぐらたんを見上げたのだが、彼女の目が潤んでいた。仕舞いには涙がポロポロとこぼれ出していた。
ギョッと目を見開いては戸惑いを見せる船虫。
「オメー、ホントにどーしたんだよ?」
いつの間にか、ぐらたんは拘束の手を緩めてしまう。
自分でもそう思う。
頭の中なんて整理が出来ておらず、勢いに任せているだけだ。
感情はメチャクチャな状態。
プルプルとぐらたんの肩が震える。
「・・・んないよ」
「あっ?」
「私も、どーしたらいいのか分かんないんだよぉぉっ!!」
「んんッ!?」
船虫はピンッと触角を立てて、険しそうに唇をギュッと結んだ。
相当困惑しているようだが、構うことなかった。
このメチャクチャな気持ち、何処にぶつければ良いのか分からず、もう目の前の船虫にぶち撒けるしかなかったのだ。
魔界のホログラムは人間界のモノと違って物理的に触れる事ができる。
なのでホログラム上でタッチ操作が可能。(人間界のモノは物理ボタン等のインターフェイスで操作しないといけない)
また映像から音を出したり、ノイズが無くくっきりしていることから魔術レベルには結構な差がある。




