#86「ここ一週間は帰ってこない」
翌朝、ミルクベーカリーの営業開始の準備に向けて、せかせかとスダチがトレーに乗せたパンを棚に陳列して行く。その行為を何度も繰り返していた。ウンギャンややどりんも手伝い、パンを陳列して行った。
陳列されたパンは、いつもと違い菓子パン類が多い。ネビロスの店のメニューにある物だ。
厨房から、ネビロスが最後のトレーを運び出す。彼はいつものようにぬいぐるみの身体で活動していた。
昨夜、ウンギャンとぐらたん、カオリが邪龍と出くわして、この身体を取り戻してくれたようだ。
「戻って来たのはいいが・・・」
ネビロスは自身の右腕を見る。彼の右腕はオレンジ色でシマシマ模様のついた虎の腕に変わっていた。
カウンターの上からウンギャンが話しかける。
「ネビロス様、腕の調子はどうですギャン?」
「ああ、問題ない。取り返してくれて、ありがとな」
あの後レナ巡査が家に招いて直してくれたのだ。お古の虎のぬいぐるみから右腕を移植してもらった。子供達にボロボロにされてしまったので使って欲しいとのことだった。
またしても白いぬいぐるみからではないのが不満点だが普段通りに動かせる分、蜘蛛腕よりマシだ・・・ネネには悪いが。
じっと右腕を眺めていると、
「どういたしましてギャン。それにしても昨夜はお楽しみでしたね・・・」
ウンギャンからとんでもない言葉が発せられた。ネビロスの心臓が破裂でもしそうなくらいドキッとし、顔を真っ赤にする。
彼には分かっていたようだ。ぬいぐるみに染み付く知らない匂いが。
「ば、バカっ! 変なことを言うなッ!! 巡査のお子さん達と遊んだだけだッッ!!」
「それにしてはヤケに嬉しそうでしたギャン」
確かに。
元気で無邪気なモフモフの兄妹にもみくちゃにされて喜ばずにはいられない。
ケモハラなどしていない。
ただ一方的にメチャクチャに遊ばれただけだ。ネネに貰った蜘蛛腕も千切れそうになったり、新たに左瞼に引っ掻き傷を貰ってしまった。キメラ化が進むぬいぐるみに胃が痛くなってくるが、そんなこと忘れるくらい癒された。むしろ貰った傷は勲章だ。
コレだけは言えるシークワースに来て良かったと・・・。
水晶の中で怒涛の感涙。ガッツポーズをして、本心はぬいぐるみの中に押し込む。
「楽しそうで何よりだ・・・」
やどりんがぼそっと一言。隠しきれて無かった。
そんな時、出入り口のドアが開いた。
入って来たのはハンティング帽を被った中年男性だ。
開店前なので、スダチが厨房から頭を出す。
「すみません。開店時間がまだなのでもう少しお待ちください・・・」
しかし男性は言うことを聞かず、厚かましく足を進めて入って来た。
「ああ、ごめんよ。俺は客じゃない。フリージャーナリストさ。取材に来たんだ」
男性は首に下げていた名札を見せびらかした。
「取材ーーッ!!?」
スダチは喜びを通り越して衝撃を受けた。持っていた空のトレーを落としそうになる。
ジャーナリストに見覚えがあったやどりんとウンギャンは硬直して、入って来た男性を警戒しながら見る。昨日ぐらたん達に取材に来たジャーナリストである。
視線を感じた男性は犬神少女達と一緒にいた妖精達が目に入り、一瞬ニヤリとした。
「お師匠! 凄いっ! 取材ですよ!!」
スダチは子供の様にはしゃぎ、尻尾をブンブンと振りながらネビロスに近寄った。
ネビロスは戸惑いながら、はしゃぐ彼を落ち着かせる。
「スダチ、ステイっ!」「しかし、お師匠・・・」
彼の様子に少し申し訳なさを感じたのか、ジャーナリストの男性も戸惑った顔で、両手を前に出した。
「あ、再び申し訳ない・・・。確かに取材に来たんだが、この店じゃない。犬神少女目当てで来たんだ」
これを聞いて、スダチの中で何かが崩れる。激しく揺れていた尻尾はダラんと下がり、何も言わずに放心状となった。
やどりんとウンギャンが更に警戒して目を光らせる中、彼を慰めるためにネビロスは彼の頭をさりげに撫でながら、2人に目線を合わせて軽く頷く。
そして男性に振り向いた。
「・・・取材か? 悪いなおっさん。犬神少女達はここ一週間は帰ってこない」
「へっ!?」
肝心な犬神少女の不在を聞かされ、ジャーナリストは気の抜けた声を漏らした。
☆☆☆
タニブ市の北東にあるタニブ山。
シークワースとバニラホワイトを隔てるアーカチェ山脈に属している山だ。
ぐらたん、カオリ、アギャンはポラリスに車でタニブ山山頂にある山小屋へ連れて来られた。
秋にはメイプルの木々が山を真っ赤に染めることが有名で、その時期に登山客が多い。しかし冬場でもオーロラが見える事で訪れる客はいるが、山の天候は激しい。天気予報を確認せずに訪れる愚か者は居ない。
猛吹雪が吹き荒れ、窓はカタカタ揺れて雪が弾丸の前のように壁に殴りつける音が響く。これらの環境音で異世界に来たのかと犬神少女達は天候の急変に戦慄した。
「うぁ・・・大丈夫なの? この宿、崩れたりしない? 雪崩なんて起きたら、ひとたまりもないよ〜」
雪が打ち付ける音に敏感に反応して、ビクビクしながら部屋を見回すカオリ。
「へくちっ」
くしゃみをしたアギャンは毛布にくるまり、ヒーターで暖を取っている。
その隣でぐらたんはすぐさまポケットティッシュをアギャンに渡した。
この状況にポラリスは全く動じない。お互い座った状態でカオリに向き合って手に持った蝋燭の火を見つめる。
「黙っていなさい、カオリ。山頂なので雪崩に襲われることはありません」
「は、はい! ・・・それもそうか」
カオリも納得し、少し安心して蝋燭の火に集中した。
火の様子から神通力の特性を調べる彼女特有の占いだ。神々には固有の力を持っており、それをご利益として下々の民に加護を与える事ができるという。
まず最初にカオリの神通力を見ている最中だ。
「特性なんか知ってどーするの? ポラリス」
ぐらたんは儀式を退屈そうに眺めていた。
「先生をつけなさい。神通力はイメージが大切です。力を引き出しやすくするのに知っていて損はないでしょう?」
蝋燭の火は次第に安定して、針の様に真っ直ぐ伸び出した。カオリはこの状態をポラリスに聞く。
「先生、これって?」
「なるほど。貴方のご利益は完全なる勝利です。どんな困難でも乗り越える力があります」
「へぇ〜、勇者らしい力っ」
「過信してはいけませんよ。勝利に導く力があったとしても、常に状況を把握して柔軟に対応する知恵とそれ実行する勇気が備わっていなければ存分に引き出すことは出来ません。簡単に覆ります」
「知恵と勇気かぁ・・・じゃあ、己を鍛えないとね」
「その意気です。じゃあお次は・・・」
「私の見てほしいですギャン!」
「ではこちらに」
次はアギャンの番だ。彼女はポラリスと向き合って座り込んだ。儀式が始まる前に蝋燭の反応は早く現れて、横に膨れた黄緑の火になった。まるで光るキャベツみたいだ。
「綺麗〜、さすが元神使様だね。先生これは?」
またもやカオリが聞いて、ポラリスが答える。
「貴方のご利益は・・・豊穣です」
「えっ!?」
意外な特性にアギャンは驚いた。戦闘で役に立ちそうな力ではなく期待外れでガッカリした。
「そ、そんな・・・お嬢様のためにお力になれると思ったのに・・・」
そして小声でぐらたんに話す。
(・・・と言うか、ミッシェルのイチゴ園で手伝ったことあるけど、別にいつも以上に収穫出来たことなかったですギャン)
(魔界の環境に適用しちゃってたから、ご利益なんて発揮しないだろうね)
(うっ、ここで鍛え直して、魔界に戻ってもミッシェルのお役に立てないなんて・・・、アギャンここまでです・・・)
「大袈裟な・・・大丈夫だって、居てくれるだけで十分助かってるよ」
「お、おじょおおざま”あ”あ”あ”っ! 有難き、じあ”ばぜ〜」
目をうるうるさせながらアギャンはぐらたんに泣きついた。
苦笑いで見守るカオリと目を合わせ、ぐらたんは軽く彼女の頭を撫でるのだった。
だが、ポラリスはアギャンをぐらたんから引っ張り剥がして、真剣な目で迫る。
「豊穣をバカにしてはいけません。そのご利益はとても重宝するのです。なんと言ってもどんなに環境が悪くてもちゃんと実る事ができるのですから。はっきり言って羨ましいのです。世界を緑に染め上げ、野菜や果物が沢山・・・。そして富をもたらします。無尽蔵に農作物を生産し続けて、食に困る事はありません! 私の孤児院に欲しい神材です。どうですか? スノークリスタルで菜園をやってはみませんか? 農学を極めれば、頂点を目指せますよ。貴方を最高の豊穣神アギャン大明神にしてみせましょう。中央天界に引き篭もる神々なんてカスに思えてくるのです」
早口言葉になり、先生の顔がもっと迫って来た。ギラつく青い瞳がとても怖い。お金と危険なニオイがその目から漂う。
彼女に圧倒されながら困惑するアギャンだったが、ぐらたんに目を合わせると、
「あ、わわわ。ダメです。いけません、先生! 私はお嬢様の眷属! ウンギャンと揃って運命共同体なのですギャン!!」
恐れながらもポラリスの誘いを断った。才能を見込まれるのは嬉しい事だが、先生の元で力を極めるメリットがない。冷静に考えれば、やはり環境が整ったところで発揮するのが一番である。
「そうですか、残念なのです」
顔には出なかったが、ポラリスの耳が悲しそうに垂れ下がっていたのは分かった。
「あはは、そうなっちゃうよね」
「よくぞ言った! 私への忠誠心が勝った!」
カオリは再び苦い顔で笑い、ぐらたんは勝ち誇ったように得意げな顔をした。
彼女のドヤ顔にムカついたのか、辛辣な顔で最後のぐらたんを呼ぶポラリス。
「チッ・・・、さっさと済ませるから、早く来るのです」
「は〜い、先生」
余裕ある笑顔で先生の前に座り込み、彼女の儀式に臨む。
その瞬間、蝋燭の火が荒ぶるようにボワッと激しく燃え広がった。
「うわっ!?」
ポラリスの嫌がらせかと思い、じっとポーカーフェイスを睨みつけるぐらたん。
「私じゃありませんよ。貴方の神通力に反応したのです」
「ふん、どうだか・・・」
「お静かに」
文句を言う暇を与えず、ポラリスは真剣な眼差しで儀式に集中した。
今まで見せたことのない余裕のなさそうな顔に見えた。
ぐらたんも彼女に合わせて、蝋燭の火を見つめる。火は落ち着かないように、明滅を繰り返していた。
そして火は次第に黒くなるとそのまま小さくなって消えてしまった。
ポラリスの沈黙が続いた。
「先生・・・?」
ぐらたんはじっと固まって動かない彼女の顔を窺う。
周りの2人も気になり、消えた蝋燭を覗き込んだ。
「消えちゃったギャン」「先生、これはどう言うことですか?」
顎に添えた手を離し、漸く先生は口を開いた。
「・・・分かりません。これは初めてのパターンなのです」
「最後黒くなったけど、とても不吉な感じが・・・」
カオリの見解にポラリスは首を横に振った。
「それはぐらたんの魔力がノイズになって消えただけです。問題は、火が点滅していたところにあるのです」
「点滅・・・、どう言う意味なんだろ?」
みんな揃って暫く考え込む中、ポラリスは瞑った目を開き、ぐらたんを見る。
「・・・全く貴方は面白い子です、ぐらたん。圧倒的に魔力が勝っているのに神通力を感じるのです」
確かにエーテリオンよりマナが多ければ最終的に後者しか残らないはず。だが実際にはどちらも確認出来ている。ネビロス様の言っていた仮説の通り、マナとエーテリオンはお互い反物質ではないと言うのか・・・。
火が消えた蝋燭を不気味に思いながら見つめるぐらたん。
「・・・この事はもう少し考える時間をください。貴方の方はそうですね・・・、模擬戦で見せたあの結界を使いこなせるようにしてください」
「結界? あのよく分からない空間の歪み?」
「ええ、あれは空間湾曲によるもの。強力な神通力で空間を無理矢理捻じ曲げるという・・・。あの技を使える者は・・・レヴィアタンしかいないでしょう」
「レヴィアタン・・・」
カオリとアギャンは息を呑んで黙っている所、ぐらたんは思い詰めた顔で彼女の名を口ずさんだ。
奴と同じ力を?
何か因縁じみていて気味が悪いが、更に付け加えた先生の言葉で気分は一転する。
「あと、ネビロス玉も彼女の空間湾曲によるものです。使いこなせるようになれば、彼の封印を貴方が解けるかもしれません」
「何っ!?」
ネビロス様の封印を?
なら是が非でも自分のモノにしなければっ! それに奴に対抗するのにも必要な力だ。
そう思うと俄然やる気が出て来た。ぐらたんは身を乗り出す。
「先生、私やるよ! で、どんな修行なの?」
彼女のモチベーションが上がった事でポラリスは微笑んだ。
「良いでしょう。短い一週間、この私がじっくり可愛がってあげるのです」
「「お願いします、先生ーーッ!!」
カオリとアギャンも、ぐらたんと同じ気持ちで意気込みを見せるのだった。
周りの寒さなど気にならない。いやむしろ暑いくらいに、熱血な空気になった。
「よろしい・・・」
ポラリスは彼女が運んできたリュックをかき漁る。
掬い出されたのは小さくて白い立方体の山だった。
「・・・何これ?」
「貴方達の基礎を鍛える為の教材です。まずはコレをやってもらいます」
ぐらたんの手にジャラジャラと教材らしき立方体を注ぐポラリス。
その無地のサイコロみたいなモノにアギャンは見覚えがあった。
「あっ! それ知ってるギャン! サイコパズル!!」
「知ってるの、アギャン!」
カオリの問いかけに頷き、懐かしそうにアギャンは語る。
「幼少、よくウンギャンと遊んだギャン。神通力による引力でピース同士をくっ付けて色んな形に組み上げる自由度の高いパズルだギャン。特にウンギャンがどハマりしてて、巨大人型ロボットなんて作ってたギャン」
「ロボット? へえー、そうなんだ!! 凄いっ!」
カオリは感心しながら、ぐらたんの手にいっぱいのピースを見つめる。次はぐらたんがアギャンに聞いた。
「アギャンは何作ったの?」
「とにかくデッカい壁ッ!!」
「へ、へぇ・・・」「・・・」
犬神少女達が雑談する中、ポラリスが語り出す。
「よくご存知で。神通力を引き出すため、想像力を鍛えるのに最適なオモチャです。元々は天界の建築で、仮組みや縮小模型に利用されていた建材を幼児向け玩具に利用したモノがコレなのです」
ぐらたんの手から数個ピースが勝手に浮かび出すと、ポラリスの目の前でピタピタと連結していった。
「磁石とかじゃないの?」
渡されたパズルのピースの山をリュックに戻して、繋がったモノを手に取っては、引き剥がそうと力を加えるぐらたん。勿論どんなに引っ張ってもくっ付いたピースは離れない。
「磁石だったら最初からくっ付いてるのです」
ポラリスがツッコミを入れた後、ぐらたんが持っていたパズルは引力を失ってボロボロとリュックの中に落ちていった。
ぐらたんは二つのピースを手にしてお互いを合わせるが、さっきの様にくっつく事はなかった。
「私にもやらせてっ!」
カオリもポラリスのリュックから数個手に取って合わせるが、くっつかない。
「うーん・・・」
2人が真剣に没頭してる中、アギャンは得意げにサイコパズルを手に取った。
「ふふふっ、サイコパズルはこうするギャン。2人とも刮目するギャン」
アギャンは2つのピースを合わせた。そして左手を離すと、ピースは離れずくっ付いたままだった。
「ほお~。経験者のアギャンには簡単な課題だったのです」
「「凄~~いっ!!」」
2人はアギャンが実践してみせたパズルを見て食い入る様に見つめる。アギャンは増長して更に新たなピースを手に取った。
「まだまだ、サイコパズルの醍醐味はこれからギャン!」
3つ目を、1つ目と2つ目がくっ付いたパズルに近づける。
しかし、くっ付いたピースが離れ、近づけたピースの方にくっ付いた。
「あれっ!? おかしいギャン」
構わず近づけるが、真ん中のピースは再び離れて元の1つ目にくっ付いた。
「えっ!? えっ!? ・・・このっ!」
両手にそれぞれ持った1つ目と3つ目のピースの間を行ったり来たりする2つ目のピース。
「ぬぐぐぐっ・・・」
思う様に3つ連続してくっつかない。舌をペロっと出したままパズルと格闘するアギャン。
それでも、ぐらたんとカオリは、これはこれで面白そうに眺めていた。
「・・・。貴方も一から叩き直しです」
「はい・・・」
神通力の衰えを思い知らされたアギャンはショックのあまり、頭をガクッと下げ小さく返事をした。
動きまくっていた真ん中のピースは明後日の方向にピョーンと飛んでいってしまった。
「それでは、続きは後にしてご飯にしましょう」
「「「は〜〜〜いっ」」」
待ちに待ったお昼ご飯。ネビロス達が焼いてくれたパンだ。
みんな美味しそうにパンに齧り付く。
期間は一週間と短い。修行と言うより合宿に近い気分だ。
この短くて濃い神通力の修行が始まるのだった。




