05-1.ふらりふらりと旅をしてみたい
昨日のオリヴァー卿との対談は想定外なことばかりだった。
寡黙な人物だと彼のことを表現した者と会って話がしてみたいほどだ。
彼のどのような一面を見て寡黙だと感じたのだろうか。
表情の変化は少ないものの、氷の騎士団長などと呼ばれるような要素は感じられなかった。
古文書を読んでいる間にでも退室しても構わないと思っていたのだが、彼は私の隣に座って真剣な表情で本を読んでいた。
古代語の嗜みはあるのだろう。
読みなれていない文字だからか、ページをめくるのはゆっくりではあったが、私の希望通り、静かにしていたのは驚いたことである。
黙っていてくれるのならば、隣に座られても嫌悪感はない。
次の仕事があるからと丁重に帰っていただいた時には、手紙を送ると何度も念を押していたのが印象的だった。
一か月、いや、一週間に一度ならば手紙が送られてきても返事を書けるだろう。――なんて甘いことを考えていたら、早朝、速達によりオリヴァー卿からの手紙が届けられていた。
今朝までのことを思い出すと、やはり、彼のことを氷の騎士団長と表現した者の話を聞いてみたいものである。彼の熱意には氷だって一瞬で溶けてしまうのではないだろうか。
そのようなことを思いながら、愛用している拡張魔法がかけられた鞄の中に財布を放り込む。後は、……鞄の中に剣も入れておこう。
拡張魔法の効果により剣を背負わなくてもいいのは助かる。
剣を使うような事態に陥らないのが一番なのだが、なにかが起きてからでは遅いのだから仕方がない。
緊急事態に備えて魔法薬もいくつか入れておこう。
光属性の治癒魔法が成功した試しがない。準備をしていくのが無難だろう。
入浴以外では外すことのない魔力媒体専用の魔道具である白銀の腕輪の状態は良好。異常はない。体調も優れないところはない。
「アリア。準備は良いか?」
荷物の確認が終わり、アリアに問いかける。
「はい。ですが、本当にいいのですか? 使用人に伝えておくべきではありませんの?」
アリアは不安そうだった。
二人で遠出をするのは初めてだ。使用人に伝えなくても、すぐに逃げ出したことがばれてしまうだろう。
「それをしたら止められるだろう。それに、隠れていくのが楽しいんだよ。……それに心配するような騒ぎにはならない。私が黙って出かけてしまうのは彼らにとってはよくあることだからな」
準備ができたら私の部屋に来るようにと言い付けてあったアリアは少しだけ不安そうな顔をしている。
そういえば、こっそりと出かける時にアリアを連れて行ったことはない。
今までは屋敷の外でアイザックと待ち合わせをして出かけていたのだ。
学院に通う前からこういったことにはアリアを連れて行かなかった。それには意味はなかった。
あの頃はアリアとこうして二人で出歩く機会に恵まれるとも思っていなかった。
私は異母妹に疎まれていると思っていたから。
「アリア。不安ならば屋敷に残っていても構わないよ」
「いいえ。お姉様と屋敷の外を遊びに行く機会を手放すわけにはいきません。わたくしもご一緒にさせてくださいませ」
「ふふ、そういうと思っていたよ」
今日は冒険者組合を尋ねる予定もなければ、どこかの町で会合をするわけでもない。
アイザックと会う予定もない。
そういえば、アイザックからも手紙が定期的に届くようになった。今度、婚約者候補としてお茶会をすることになっている。しかし、婚約者候補としてはオリヴァー卿の方が優位だろう。
オリヴァー卿はアリアについて触れなかった。
興味もあまりないようだった。
それに比べ、アイザックはアリアを敵視している。
ただ気分転換を兼ねて領地視察をしようと思っただけだ。緊急を要する書類仕事や会合、対談などがないのも理由の一つだ。
領民たちの様子をみたいのだ。それだけである。
これは現実逃避のような息抜きだ。
公爵として、領主として相応しい姿であり続ける為に必要なことだ。
そうしなければ息がつまってしまいそうになる。
「ですが、どのようにして屋敷を出るのですか?」
アリアが疑問に思うのは普通のことだ。
玄関から出ようとすれば使用人に見つかってしまう。緊急事態に備えて非常口も存在するものの、そこから出ても見つかってしまうだろう。それならば、使用人たちが想定していないだろう場所から屋敷の外へと出てしまえばいい。
「簡単なことだよ」
窓を開ける。
念の為、窓の外の様子を確認したが、やはりこの時間帯に中庭を歩いている者はいない。
庭師に対して休日を与えておいたのは正解だった。
目撃者がいない間に抜け出さなくては意味がない。すぐに連れ戻されてしまってはつまらない。
「【氷の橋】。こうやって空に橋をかけてしまえばいい」
窓の外に大きな氷の橋を作り出す。
空気中の水分を凍らせ、宙に足元を作り出す魔法を応用したものだ。
下から見られてしまえばすぐにばれてしまう。
だからこそ目撃者がいない間に抜け出さなくてはならない。まだまだ改良をしなくてはならない魔法だ。
「わあっ! すごい、すごいですわ! お姉様!!」
「そうかい? 喜んでもらえて嬉しいよ」
大きめに作られている窓から外に抜け出すことには問題はない。
これほどにアリアが喜んでくれるとは思いもしなかった。……大喜びをするアリアの可愛らしいことだ。
私の息抜きでしかないことに付き合わせるのには、少々心苦しかったが、この笑顔が見られたのだからいいだろう。心苦しさはない。
アリアが喜んでいるのだからいいではないか。
笑っていてくれるのならば、それでいい。
「アリア。見つかってしまう前にいこう」
アリアに手を差し出せば、迷うことなく掴まれた。
数か月前の私たちの間には信頼関係などなかった。
互いに疎まれていると思っていたのだ。
公爵家で生きていく中では母親の違いは大きいものだった。もしも、公爵家の血を引き継いでいたのが母ではなく父だったのならば、私たちの立場には違いはなかったことだろう。
もしも、アリアにも公爵家の血が流れていたのならば、命を狙われたのは私だったかもしれない。それならば、どれだけ良かっただろうか。
非力なアリアが狙われるよりも私が狙われた方が良い。
私ならば自分自身の命を守り切ることができる。他人からは化け物を見るような眼を向けられても気にしない。そのような眼を向けられるのは幼い頃からだ。今更、なにも変わりはしない。




