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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 番外編
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守り紋

 俺がくたばったときは、うさぎの人形にしてくれよ。――いやいや、俺じゃねえ。あァ、故郷の妹がな。縁起でもないけれどもよ。

 俺ァ、そんな木偶(でく)よりも、酒だな。酒がいい。いつものヤツで良いからよ。変わらず皆で、一杯やってくれや。


 そこに亡骸はないかもしれないが。





 ぎゅっと、手の平よりも小さな木彫りの像を握るその手。厚くて硬い皮、しっかりとした太い指は、繊細で小さな彫り物に似つかわしくない。しかし、小刀はを持つ手はすっかり慣れた様子で、細やかな装飾を施している。


 夜風が心地良い城壁の上。天祥門の東側に位置するそこに、亥胆(いたん)はことりと木彫りの像を並べた。

 今並んでいる像は五つ。あと二つ彫るつもりだが、今夜中には終わるだろう。

 中には“彼”が願った通り、うさぎの形をしたものもある。酒を願った者には、杯を。もちろん、避けも用意するが。それぞれ、贈るべき相手の趣向にあわせて制作しているつもりだった。



「ふむ――」


 こんなものか、とひと息つく。

 木工職人の息子として生まれ落ちた彼――亥胆にとっては、このような細工ごとは決して苦手ではなかった。持ち合わせの道具は十分なものではやいが、それでも、大まかな造形を彫るには事足りる。


 ずんぐりとした力持ち。夏絶の覚えも良い特攻隊長亥胆は、一歩戦場から離れれば、こうしてものづくりを好む穏やかな性格であった。

 いつ命を落としたとしても文句は言えない戦場において、彼はひっそりと、仲間の死を悼んでいた。それが彼なりの踏ん切りの付け方だった。


 ふわりと風が吹き上げては、落ちた木屑をさらってゆく。

 ここ、天祥門の内部では、先日の敗戦から防備を強化しているが、イザリオン軍が押し寄せてくる様子はない。

 門の防備を厚くするため、部隊の入れ替わりもいくつかあるようだが、今のところ夏絶の部隊にはなんの音沙汰もなかった。


 変わったことと言えば、蔡将軍の――北深の部隊ともに行動することが多くなったと言うことだろうか。だが、それも致し方ないこと。先日の敗走で、夏絶隊は三分の一の隊員を失ったのだから。

 もともと人数の多い部隊ではないからこそ、一度に七名もの仲間を失ったことは、亥胆にとっても初めての出来事となった。


 亥胆とて無傷ではない。

 本来ならば自分が真っ先に死ぬべきだった。ジャックの攻勢は、たとえ亥胆だったとしてもどうすることも出来なかった。

 夏絶がすでに相手を削っていたことと、こちらは全員でことにあたったからこそ何とかなったわけだが――自分に変わって命を落とした者たちのことを思うと、もう何も言葉が出てこない。

 こうして木を彫るのも、考えることを忘れたいからなのかもしれない。




「それは、もう、出来るのか?」


 背後から突然声をかけられて、亥胆は身を強張らせる。思いがけない声の主に、その反応もすっかりと遅れてしまった。


「……夏絶様」

「もう少し、明るいところでやれば良かろう」

「いえ」

「そうか」


 ぱちぱちと、遠くで炎が爆ぜるのが聞こえる。人の行き来が激しい中央からは離れたこの場所。城郭の上に登ってははるか央蛇を見下ろす。

 必死で逃げてきた道は、今は深き闇の中。松明で煌々と照らし出せるのも限度があるらしく、ただただ暗い道が真っ直ぐに続いている。


 戦以外の場で、まさか夏絶に声をかけられるとも思わず、戸惑う気持ちが膨れあがる。ましてや、寝泊まりしている場所からもかなり離れている、こんな陣の端。何もない場所だからこそ、偶然通りがかったわけではないことは容易に推測できる。


「どう、したのですか?」


 梧桐なら気の利いた言葉のひとつやふたつ出るのだろうが、あいにく亥胆は、言葉を選ぶのが得意ではない。

 ただただ言葉に詰まって、作りかけの木の人形をいじっていると、夏絶は軽く肩をすくめた。


「私とて、風にあたりたいときくらいある」


 それだけ告げて、夏絶は央蛇の方へと視線を向けた。

 深い深い闇の向こう。夏絶にとっても初めてになる大きな敗戦――彼とて、何か思うところがあるのかもしれない。



 かまわん、続けろ。夏絶はそう言ったきり何も話さない。それでも、近くに夏絶がいるとどうにも落ち着かない。

 梧桐に引っ張られるようにしてこの隊に入ったけれども、亥胆と夏絶の間には今だ距離はある。平民の亥胆にとって、夏絶ははるか雲の上の方だという印象は変わらない。彼も彼で、亥胆と距離を詰めることなど今まで無かった。


 闇を見つめる黒曜石の瞳が、いつもより一層、深く沈んでいるのがわかる。

 言葉も、視線も交わらぬ時間。ならば、と幾ばくか安心して、亥胆は作業を再開した。


 明日の夜にでも、改めて弔ってやりたい。亡骸はないけれども、像を火にくべて、祈りを捧げるくらいなら出来るだろう。

 そう思いながら手を動かしてしばらく、視線を感じて顔を上げると、黒曜石の瞳と目が合った。

 驚いてつい手を止めると、彼は続けろ、と口にした。

 夏絶に逆らえる亥胆ではない。戸惑いながらも、無言で作業を続ける。



「器用なものだな」

「えっ……あ。ありがとう、ございます」


 まさか素直に褒められるとは思わず、亥胆は手元の像を取り落としそうになった。ずんぐりした図体を丸めて、慌てて両手で像を握りしめた後、夏絶の方を見やる。

 夏絶もまた驚いたように両目を見開き、亥胆の手元を見つめていた。たった一言で、ここまで動揺させるとも思っていなかったのだろう。


「梧桐に聞いたが、いつも、そうやっていたのか?」

「あ……今までは、数も、ありませんでしたから」

「そうか」

「……」

「……」


 気まずい。

 非常に、気まずい。


 亥胆はもともと話すのが得意ではないし、夏絶もまた、何を話せば良いのかよく分からないのだろう。

 味わったことのない類いの空気に気圧されて、亥胆は脳内で何を口にするべきかを全力で考える。いきなり王子と二人の会話――しかも、明日戦場にでるわけでもないこの状況で、話すべきことなど見当たらない。

 しかし、先ほどの夏絶の言葉にはっとして、亥胆は「あ」と、口にした。


「梧桐に、聞いたのですか?」

「? そうだが? ……いつも仲間を、弔ってくれていたのだろう?」


 亡骸はなくとも、想いを託すことなら出来る。

 休めるときに休むべきなのは、重々承知している。その時間を割いてまで仲間を弔おうとするのは亥胆のわがままだ。

 それでも、どんなに甘いと言われようとも、ひとりで続けてきた習慣。それを梧桐が話したとは一体どう言うことだろうか。



 梧桐は非常に口が良く回る男だ。大量の嘘と実のない情報にほんの少しの真実を混ぜて、結果、どうでもいい話ばかりする。大切なことほどはぐらかす。もちろん、主である夏絶には例外だろうが。

 それでも、亥胆が細々と続けているこの習慣は、亥胆の想いがこもっているからこそ、夏絶に話すようなことではなかったはず。

 梧桐は、人の感情による行動を――その想いが切実であればあるほど――放置してくれる傾向がある。だからこそ、今まではそっとしておいてくれたはずなのに。


 どうして今更、と考えたが、目の前の夏絶の表情を見て納得した。いつになく柔らかく、張り詰めていた緊張が解けたような顔。

 先日の敗戦から、たしかに、夏絶は変わったらしい。



「形が色々あるな」

「生前に、頼まれていたものも、あるんです。これは、(ねい)が――妹が好きだったからと言って」


 作ったもののひとつ――木彫りのうさぎを手にとって、亥胆はぽつりぽつりと、話し始めた。

 戦場で散った(ねい)と呼ばれた男をはじめ、もう会えなくなってしまった仲間達の趣向。聞いた話が半分、あと半分は亥胆の勝手な判断だが、あながち外れてはいないだろう。

 拙い言葉ながらも、ひとりひとりとの思い出を、夏絶はただじっと聞いていた。


「そうか。……お前は、よく見ていたのだな」


 感心するような、羨むような声を言われて、亥胆は何度か瞬いた。七名の話を全部聞いたところで、夏絶はぽりぽりと頭を搔く。そして城壁から体を離し、亥胆に背を向けた。


「手間をとらせた。……よろしく、頼む」



 それだけ告げて、彼は亥胆のもとから離れていく。闇に消えてゆくその背中を見つめたまま、亥胆はぽかんと口を開いた。

 自分たちの長は、あんなにも殊勝なことを言う男ではなかった。

 先の戦、ジャックとの相手を譲られたときから、彼は確実に亥胆たちに歩み寄り始めているらしい。


 少しくすぐったい気持ちになりながら、彫られた木彫りの像に目を落とす。

 最後の最後で、彼らもまた、夏絶に託された。その結果、命を落とすことになったが――少しでも、報われたのではないだろうかと、亥胆は思う。




「亥胆」


 頬を緩めていると、今度は凜とした高い声が聞こえてきて、もう一度亥胆は顔を上げることとなった。

 夏絶が去ったのと反対方向から、入れ替わるようにしてやって来たのは、先の戦から行動をともにしている嘉国の姫君。いや、今は平民娘の格好をしているため、とても姫には見えないが。


 しゃらり、と金属が揺れる音がする。

 彼女――千夜はいつものように杖を持っているわけではない。戦に出るわけでもないから装飾品も全て外しているはずなのに――と思ったところで、頭に揺れる金色に視線が奪われた。


 月と星を思い起こさせる繊細な装飾。その簪は、千夜という彼女の名にふさわしい造形をしている。

 先日の戦の後から、彼女は毎日それを髪に挿しているらしい。

 以前は布でも巻いていたのか、平らに見せていた胸も、僅かばかりの膨らみではあるが隠すことがなくなった。


 少年か青年か、あるいは娘か。どれとも言えない中性的な雰囲気だった彼女だが、今では間違えようがなくなってしまった。笑みにはどこか柔らかさが含まれて、女性らしい様相に、亥胆も表情を緩める。

 夏絶が変化したのと同じように、彼女も彼女で変わりつつあるらしい。



 本来の身分は姫君であるが、元を辿れば彼女は平民の出だ。今も平民として隊の中では扱われているし、夏絶に見せたような緊張は、彼女には不要なものだ。


「夜は冷える。早く、休むと良い」


 亥胆は肩をすくめて、なだめるように告げると、千夜もふふふ、と柔らかく笑った。


「子供じゃないんだ。大丈夫だよ、少しくらい。……隣、いいだろうか」


 眠れないんだ。

 そう告げながら彼女は髪をかき上げた。さらり、と風に揺れる絹のような黒髪。髪飾りにあわせて、女性的に一部を結い上げた髪は、夜の景色と相まって、彼女をぐっと大人っぽく見せた。

 その横顔につい見とれていると、彼女もその視線に気がついたらしい。ふ、と笑っては、亥胆が作った像に目を向ける。


「皆に聞いたよ。いつも、こうやって、仲間を弔っているんだって」

「自己満足だ」

「いや、その気持ち、良く分かる」


 くしゃりと微笑む彼女の瞳は、少しもの悲しげな色を残していた。しかしそれも僅かな間。夏絶と同じように、形が違うと口にしたものだから、ついつい笑みが溢れてしまった。


「ああ――それは」


 だから、亥胆はもう一度語り始める。

 失った仲間たち、ひとりひとりの物語を。




「……ありがとう、亥胆。教えてくれて」


 千夜は素直に、そう口にした。


「細工の作り方、今度、私にも教えてくれ。こう見えて、手先は器用なんだ」

「いや。俺が何でも、作るけれど」


 苦手ではないから、と告げるが、千夜は首を横にふる。


「違うんだ、亥胆。今までわたしは、わたしのことでいっぱいいっぱいだったから。ちゃんと、君たちの事を知ろうと思って。あいにく、この隊は人が少ない。だから、君と過ごす時間も欲しいんだ」

「……」

「――ひとりで歩くのは、やめにする」


 そう告げる彼女の瞳は、央蛇を真っ直ぐ見つめている。その横顔を見て、亥胆は、ああ、と思った。

 隣に並びながらちぐはぐに進んできていた夏絶と千夜だったが――彼らは今、ようやく、同じ方向を向きはじめた。


 しかし何故だろう。夏絶はこちらに近づいてきたように感じたのに、千夜に関しては、少し、離れてしまった気がするのは。


 今まであまり話したこともなかった娘だが、王族でありながらも、平民である彼女に親近感を覚えていた。自分たちのことを知りたいと言ってくれているのに、彼女が見ているのはどこか――もっと、遠くの気がして。


 さほど親しいわけでもないはずなのに、少し寂しい気持ちがしてしまうのは、彼女が女性だからだろうか。

 この隊でも、女性の仲間は千夜と沙紗のみ。特に戦闘能力を持たない千夜のことは、自分が護らなければいけないという意識もあったのかもしれない。

 彼女が頼るべき人が増えることが、物足りない、ということなのだろうか。



 少し子供じみた自分の感情に笑いながら、亥胆はくしゃりと笑みを浮かべる。


「だったら、今度、俺の故郷の守り紋を教えてやろう」

「紋様か。ああ、是非。……実は、一度都に戻ることになりそうだから、その前に教えてくれると助かる」

「え?」

「明日にでも通達があると思うが、わたしと高夏絶。となると、柳己も来ることになるのかな。それとも、みんなで行くことになるのかな? ……まあ、あまりいい話ではないと思う。戦で皆が護ってくれたから、今度はわたしが護る番だ」

「もう、帰ってこない?」

「ははは、そこは交渉次第だろうな。天の一方的な呼びつけだ。高夏絶も一緒だから、わたしだけが引き抜かれる、ってことはないと信じたいのだけど」


 曖昧に笑いながら、千夜は大きくため息をついた。

 

「他の部隊も、今は移動が多いからな。どうなるかは、蓋を開いてみないことにはわからないさ。でも、天と直接話すことができるのは、わたしだけだ。だから、私は皆に不利益が出ないように、勤めるよ」


 だからそのために、お守りを持っていく。そう言って千夜は肩をすくめた。

 開き直ったかのように笑う彼女を呆然と見つめたまま、亥胆は口をぽかんと開けた。

 まるで心が停滞したかのように、言葉が上手く出てこない。


「……亥胆?」


 下からのぞき込まれて、彼女のはしばみ色の瞳と目が合う。

 はっとして、亥胆は後ろにのけぞった。勢いよく体を動かしたものだから、千夜も驚きで目を瞬かせている。


「……いや。あの」

「そんなにわたしが頼りないか?」

「ちがう。そうじゃ、ないっ」


 首をふるふる横に振って必死で否定するが、千夜はくすくすと笑っている。


「出来ることはちゃんとするから、後は運を君からもらうよ。約束だ、亥胆。守り紋、教えてくれ」

「ああ」


 半ば押しきられる形で頷くと、彼女もまた満足そうに頷いた。

 よーし、と良いながら背伸びをした彼女は、そのまま大きく欠伸をする。


「うん。亥胆はいいな。温かくて。話していたら、少し落ちついた。ありがとう」

「え? あ、いや」

「休めそうだから、先に失礼するよ。相手してくれて、ありがとう」

「……いつでも、また、来ると良い」

「うん」


 彼女はこくりと頷いて、手を振りながら亥胆に背を向ける。

 しゃらら、と金の簪が揺れたところで、亥胆はようやく気がついた。



 ああ、そうか。

 彼女が離れて行ってしまった気がしたのは――。



 納得して、目を細める。

 いくら気安くて、平民出身の彼女だと言っても、やはりその身は王族に繋がれているのだろう。

 だからといって、亥胆に何が出来るわけでもない。最初から、彼女は王族だと分かっていたのだし、別に落胆することなど何もなかったはずだけれど。

 何度か自分に言い聞かせて、亥胆はこくりと頷いた。


 せめて、守り紋は彫れるように、教えてやろう。彼女が抱えるものはあまりに大きい。だから、少しでも、何かの加護が彼女に宿るようにと。それが戦以外で自分にしてやれる、唯一のことなのだから。

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