009:愛別離苦
ガラガラガラ、ガシャーン。
鉄格子が、2人を隔てる。悲しげなレアーナの顔。
「ごめんね。力になれなくて……」
俺は静かに首を振る。
この扱いには俺も納得しているのだ。
「では、こちらへ」
係員に先導されて、レアーナが離れていく。
俺は壁にしつらえられた、折りたたみのベッドに横になった。
部屋は向かって左側に壁に向かって畳むことの出来る簡易ベッド。奥の片隅に簡単なしきりに囲われたトイレ。
奥の壁の上の方に小さな窓。手前側は大きな開口部。どちらも風通しの良さそうな開放的な設計だ。ガッチリした鉄格子で防犯も完璧だぞ。
俺は今、留置されている。
溜息一つ。
それもこれも、俺自身の油断が招いたことだ。迂闊だった。
大歓迎されるとはさすがに思っていなかったが、まさか留置施設行きとは。変われば変わるもんだ。
「次の方」
俺は、ぎくしゃくと審査官の前に進む。
審査官は慣れた感じで手を差し出しながら、問いかけてくる。
「なにをしに?」
「観光」
そう言いながら、その手の上に旅券を乗せる。
嘘では無い。真実でも無いが。
こういった審査官は、多いときには何百人も同じ事を繰り返す。注意力は摩滅し、動作は画一化される。
俺は笑顔のまま、黙って待つ。笑顔は強ばっていないか? 態度は不自然では無いか?
審査官は手慣れた手つきで旅券を開き、印肉に置いてあった査証を押印しようとする。
(押せっ……!押せっ……!)
無意味だと判っていても念じてしまう。
「ん?」
審査官の眉がぴくんと跳ね上がった。
開いた旅券を裏返し、表紙を確認。握った査証を置き、表紙をめくって最初のページを繁々と見つめる。
精神力を総動員し、笑顔を維持する俺。
「この『日本国』というのは?」
「私の母国です」
うなずく審査官。視線は旅券に落としたまま。
「……本旅券の所持者を……保護扶助を……ふむふむ」
全身に嫌な汗が噴き出す。
「私も審査官としては短い方では無いのだが、『日本国』という国名を聞いたことが無い」
「そうですか」
「で、この国はどこの領内にあるのかな?」
「欧州亜細亜大陸の東端の島国です」
精神を削るような問答。
入領審査の向こうで待っているレアーナが、なにやら不穏な雰囲気を感じたのか、不安顔をしている。
「ふむ……欧州亜細亜ね……」
「はい」
笑顔で答える。内心、卒倒しそう。
「で、東端というのは?」
「地図で言えば、右の端です」
「右の端……なるほど」
にっこりわらう審査官。笑い返す俺。
「もう少し話を聞かせてもらえるかな? 座って話せる部屋があるから」
いつの間にか大勢の制服に周りを遠巻きにされていた。俺の笑顔が強張った。
荷物を載せた台車と一緒に、前後左右を挟まれて別室へ連行(!)された。
物腰は柔らかいが、有無を言わさない態度。
うって変わって装飾のない扉だけの廊下をぐねぐねと歩く。先の見通しが全くきかないように考慮されているかのような構造。
部屋番号のみの銘板がついた扉の中に案内される。横目で見て中に入る。
《十二号室》……。明朝体の漢字……。
中は12畳ほどの部屋。中央に前後2人がけの机と椅子。向かって右の壁には大きな鏡。左奥には1人がけの机と椅子。入り口左右には2客づつの椅子。
取調室ですねえ……。これ以上ないほどに。
「こちらにどうぞ」
審査官が左の椅子を引いて勧める。大人しく座ると、周りを固めていた係官も椅子を埋めていく。
「さて。まずお伺いしたいことは、貴方の国についてです。ここに入領国便覧がありますが『日本国』の名前はない。つまり我が『ムー』は日本という国と外交関係にない」
審査官は、持ってきた使い古した冊子を机の上にのせて示した。俺はじっと耳を傾ける。
このポロスボロスは、レアーナの事前情報通り、『ムー』国の1都市であることの裏付けが取れた。
同時に近隣に日本が無いことも。まあこれは予想していたが。
このムーは槽を使って探検をしている。かなり広い範囲を見聞していると推察できる。
審査官は旅券をめくり、俺の個人情報ページを確認した。
「今現在、ええと……中村健一郎さん、貴方には密入国の疑いが掛かっています。この意味がおわかりになりますか?」
「はい。しかしこれは不可抗力です。現在、私は『漂流中』の身なのです。私には密入国の意志はなく、あくまで母国日本に帰還するために、一時的に身を寄せようとしたに過ぎません」
『沈黙は金、雄弁は銀』という格言がある。しかし、言いたいことははっきり主張しないと、とんでもない冤罪を掛けられかねない。
ぱらぱらと旅券をめくる審査官。
「この旅券は確かに使用された形跡があります。なにより単なる偽造ならもっと知られている書式を真似るでしょう。これでは端から失敗が見えている」
手を組み、乗り出すように俺の顔を見つめる。
「われわれは貴方の入領の目的を知りたいと考えています。貴方の持ち物とそちらの荷物……」
そういって、キャリーバッグと台車を指さす。
「……確認させていただいても?」
「はい」
審査官が目配せすると、係官達が立ち上がり荷物を調べ始めた。
どうやらまともな法治国家では有るようだ。問答無用で非人道的な扱いはされなさそうだな。
国が無くなったら別の国に行って暮らせば良い、などと嘯く連中がいるが、とんでもない事だ。外交関係のない国家での扱いなど酷い物。亡国となれば旅券も紙切れだ。身分証明が出来なければ何処の国に行っても相手にはされない。相互関係でなければ、警察も軍も身柄を守らない。相手の温情にすがるしか無いのだ。
背嚢の中身は、タオル類と毛布。キャリーバッグの中身は肌着と市販の薬品、そして濡らしたくない書類。台車に乗っているのは飲料と食料。ぶら下げていた水筒代わりのペットボトル。そしてスマホセット。
「先程、貴方は『漂流中』とおっしゃった。何故、これほどの準備を出来たのですか?」
「はい、それは――」
俺は語った。これまでのことを。部屋ごと沙漠に居たこと。遭難中のレアーナを救ったこと。お互いに助け合おうとしたこと。2人でここまで旅したこと。
全て話し終えると、審査官は天井を仰ぎ瞑目した。
「お話しは判りました。お持ちの品からも禁輸品は見つかりませんでした。ただ、外交関係にない国家の民に査証を発給することは出来ません。そうなると入領も出来ませんので、放逐するしかありません。しかし、現状をお聞きするに短慮で事を進めるのは良くないと考えます。上に事を図るあいだ、貴方の身柄を留置します」
「……致し方有りません。温情有る措置を期待します」
拘置と言われなかっただけましだ。
審査官は、係官が作った俺の荷物の目録に署名を求める。保管後の返却時のためだ。
但し、一つだけ、俺は真実を伝えていない。
『スマホ』
暗中でも使える様に発光する時計であり、灯火でもある。俺の国のサバイバルツールであると。
これだけは明確にオーバーテクノロジー。没収されかねない為である。
係員が俺の荷物に一つ一つ付け札を付けるあいだ、俺と審査官は世間話に興じた。
俺にとっては、こっちが本番。できる限りの情報を引き出さねば。
「私は『日本』に帰還を望んでいます。ここではない別の場所から来たという話を、ご存じないでしょうか。伝説でも噂でも。もしよろしければ、その可能性のある場所を」
審査官は眉をしかめ、天井を仰いだ。
「ふぅむ……無いことはありません」
「ぜひ。帰還できるならそもそもこの問題は起こらなかったのです」
「……貴方は母国をユーラシア大陸の東方にあると言った。そもそも東方という言い回しを私は初めて聞きました」
審査官は入領国便覧の表紙を開く。そこには地図があった。
大きな円形の土地。その周りには図案化された太陽と軌道。これが黄道か。
中にはぐねぐねとした国境線。いくつもの国があるのが判る。
しかしかなり余白があるな。人間領といえど、全域が領土に切り分けられているわけではないようだ。
その中でも大きな土地を占める部分が色分けされており、都市を示す印と、主要な街道と思われる実線が書き込まれている。
くそっ、撮影できれば!
「これは、一般に流通している略図です。ここがポロスボロス」
色分けされた国の外縁を示す。都市の印。この色つきが『ムー』か。大国だな。
「我々は東方とは言いません。領域中心方面を『中央』。辺境方面を『外縁』。太陽が廻る方向を『回転』。その逆を『反転』とよぶのです」
審査官は略図を指さしながら言う。全く違う常識。
しかし俺は昔遊んだSFゲームを懐かしく思い出した。
『核方面』、『外縁方面』、『回転方面』、『反転方面』
「東、と言われれば理解は出来ます。しかし、見る方向を変えれば容易くひっくり返る表現を使うことには大きな抵抗を覚えます」
そういうことか。もし俺が、地図の東を指して『右から来た』という言い回しをする相手に会ったら、たしかに訝しむだろうな。
「しかし、そういう表現をする人々が来訪したとする伝説があります。曰く、列石の中で儀式により。曰く、天空の蛇に贄を捧げて。曰く、秘薬の軟膏を塗って。曰く、生死を分かつ坂を下って。曰く、石棺の中で蘇りを待って。その手段は千差万別」
興味深い! 実に興味深い話だ!
「それで! それはどこで! そのひとたちは今どこに!」
思わず立ち上がって詰め寄っていた。しかしこれは聞かなければ!
審査官はにじり寄る俺に、思わず仰け反る。
「ちょ、おちついて。落ち着いてください。全て伝説。おとぎ話です。そういった伝説の舞台となったと言われる場所もありますが、それだって不確かです。第一、同じ伝説の舞台が複数有ることも珍しくないのです。お互いが本家だ元祖だと争うような始末なのですよ」
押しとどめられ、ストンと椅子に腰を落とす。
しかし、これは大きい! とても重要な情報を得たぞ!
「そういった話は、おとぎ話や昔話として、語り継がれたり絵本になったりしています。ちょっとした書店でも買い求めることが出来る程度の、ね」
係官の札付は終わっていた。話に一区切り付くのを待っていたようだ。
「申し訳ないが、この施設には密入国犯を留置する施設しかありません。処分が確定するまで不自由はさせませんが、自由に出歩かれることはできません。制度上、現状の貴方の身分は『難民』となります」
促されて、部屋を出る。
俺は、ちらりと壁の鏡を見た。俺が思ったとおりなら……。
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「いかがでしたか?」
係官が聞いてきた。
ケンが連れて行かれた後、彼と一緒に来たのを訴えると、この部屋に通された。
大きな窓の向こうには、ケンと審査官たち。
むこうはこっちが見えないらしい。
「変なことは言ってなかったよ。私が知ってるとおり」
係官は付けていた帳面をパタンと閉じた。
「ご協力を感謝します」
「ねえ、なんでケンは捕まっちゃうの? 私を助けてくれたんだよ」
「伺いました」
「一緒に旅してきただけだよ」
「それも」
どうしよう。大変なことになっちゃった。
「国交のない国の旅券で入領すること、それ自体が罪になるのです。そういった意味では彼は罪を犯したのです」
もっとゆったりした物だと思ってた。ちょっと人を訪ねて来ただけの私には旅券のあるなしがそんな事になるなんて実感はない。
「旅券と査証が無ければ、誰が出入りしても判りません。国は国民の安全を保証する最高機関ですが、その責任と能力は国外には及びません。それを引き継ぎ、守り、送り出すまで責任を取るための手続なのです。その人が行方不明になったら? 犯罪を犯したら? 国が国民に対して責任を取れなくなります」
幼い子供に言い聞かせるような口調。
責められているような気分になって、うつむいてしまう。
「貴方を助けたこと、連れてきたことを咎められているわけではありません。入領せず領外に居れば問題なかったのです。しかし彼は入領してしまった。国交のない旅券で」
「……せめて話がしたいです」
「……それぐらいなら」
どうすればケンを助けられるんだろう。
初めての人間領。
でも心は晴れやかとは言えない。
入領事務所から出ると、辺りは騒然とした雑踏の中。右も左も判らない。
妖精領を出るときは、期待で胸が一杯だったのに。
だれも知っている人は居ない。それがこんなに心細いなんて。
ケンは帰れないといっていた。漂流中だと。
ここを出ても帰る先はない
私もここでは1人の旅人。根を張っていない。
(……連れて帰ろう)
放っては置けない。助け合うと約束したのだから。
そのためには、ここに来た目的を早く果たさないと!
(まずは役場に行こう)
道すがらの人に役場の場所を聞きながら進むと、立派な建物に行き着いた。
右と左がおんなじ形。人間はこういう左右対称を好むみたい。
恐る恐る中に入ると、以外に落ち着いた感じ。
入り口近くに居るあの人に声かけてみよ。
「あのう……お父さんを探してるんです」
困ったぁ。頭を抱えちゃう。
名前だけじゃ判らないなんて。
私から見ると、妖精はみんな物事に関心が薄い。
私が物心ついたときには、お父さんはもう居なかった。
お母さんは、お父さんのことを詳しく話してくれなかった。
逆にどうしてそんなに拘るのか不思議がられた。
かわいがられなかったわけじゃない。
なんていうか、時間の流れに冷淡なのだ。
そんな昔のこと扱いなのだ。
私は会ってみたい。
どんな人だったんだろう。
妖精を愛する人間って、どんななんだろう。
そう思ったらじっとしてられなかった。
お母さんを説き伏せて、里を飛び出した。
こっちに来たら、すぐ見つかると思ったのに。
期待が大きすぎたのかなあ。
とりあえず今日の宿を決めないと。
明日も役場に来て、探してもらって。
見つからなかったら、他の街にも行かないといけないかなぁ。