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026:核心の闘争

 片眉をしかめて眼窩(がんか)単眼鏡(たんがんきょう)を挟み込み、火焔の中で白熱する金貨をみつめる。


「いまよ!」


 隣で一緒に見つめていたニーナの合図に合わせて、反射炉(アタノール)からすばやく”やっとこ”で金貨を取り出し水瓶(みずがめ)に放り込む。


チュオッ! ジュゥゥゥゥゥ


 すさまじい蒸気とともに、金貨はみるみるうちに(にび)色になる。そのまま、隣の(かめ)に順に入れていき常温にもどす。

 ボロ布(ウエス)でぬぐって手に乗せた金貨は、光沢のある銀色になっていた。


「ぎりぎり成功したみたいね。でも取り出すのがちょっと遅れてたわよ。合図を聞くんじゃ無く、もっとしっかり炎色を見極めないとだめよ」


「ぷっ……。ケン、目の周り丸く跡が付いてるよ」


 均衡転胴(地球ゴマ)を指先に乗せて遊んでいたレアーナが、俺の顔を見て吹き出した。右目に単眼鏡の跡が付いているらしい。


「これで純銀か」


 俺は王妃(おうひ)錬成した金貨をぐっと手に握りしめる(●●●●●●●)


「でも、どうしたの。失敗してでも自分でやってみたいなんて。あなたにはこんな知識、いまさら(●●●●)不要でしょう?」


 探るような問い。短期間に何度も相互錬成を繰り返したのでは、さすがに疑われるか。


「いやいや、いまさらって何ですか。物珍しい物を見せつけられて、試せると聞けば話の種にやってみたくなるのは道理でしょう?」


「ふうん、道理ねえ……」


 ニーナの視線がチクチクと痛い。


「まあ、おかげで毎日こっちの解析に付き合ってもらえるんだから文句は無いんだけど」


「持ちつ持たれつで良いじゃないですか」


 曖昧に話を濁して、なんとか話を切り上げる。

 早く宿に戻って『結果』を確かめたい。


「あ、きょうはおしまい?」


 レアーナが嬉しそうに立ち上がった。

 俺は納得しかねる表情のニーナに会釈して、レアーナと一緒に宿へと戻った。




 宿の自室に戻ると、扉に錠をかけてベッドに座りスマホを取り出す。


「あ、またあのモコモコ見るの? わざわざ同じ金貨を何回も錬金してまで見たいもの? あれっていったいなんなの?」


「あれはこの金貨の心魂摂理さ。モコモコは軽銀(アルミニウム)だな。トゲトゲとかグルグルとかゴツゴツとかも有っただろ?」


 意味の判らないレアーナには(いぶか)しいだろうが、俺にとっては世界の成り立ちを暴く、心がうきうきするような作業なのだ。



 クルーソーのバージョンⅠを掌握した俺は、そこから上位階層の基盤に手作業でコマンドを送り込んで、地道に脳の機能階層を登ってきていた。

 クルーソーの脳の機能階層はどれもこれも規格化されていない。そもそもCPUとI/Oマッピングが全部違い信号タイミングも異なるため、全体を一貫したバスは存在しない。各基板は自身の前後のバージョンに対する互換性しか持っておらず、数珠つなぎのように専用のバスでつながっているのだ。新しい技術を盛り込んだ次バージョンの開発時に前バージョンをコンソールにして疑似クロス開発しているので、こういった構造になっている。

 理性脳、すなわちクルーソーの表層意識は電源が切られているので動いていないと思われるが、俺に融合している関係上、最上層まで手を延ばすと覚醒する可能性がある。そのため、大脳辺綠系と大脳基底核の情動脳までで、今は(とど)めている。


 クルーソーバージョンXIX(19)を掌握し、クルーソーの身体機能へ正規にコマンドを送る手段を得た俺は、外界の解析の第一歩として、軽銀に変化した一枚の金貨をサンプルに定め、手に握りしめて『読み込んで』みた。

 読み出されたデータは一見めちゃくちゃなものだったが、クルーソーの支援を受けて解析を行った結果、分光器の投影幕に投影される平面イメージを、視覚野の受け取る網膜信号として構築する事に成功した。

 人工的に錬成された、均質な軽銀を分光した心魂摂理は、なにやらモコモコした物体だった。点対称の妙に整った外見ではあるが、意思のない物体だとこんな物かと落胆したのだが、拡大して調査していくとすぐにその正体が判明した。


『ジュリア集合』


 どれだけ拡大しても、縮小しても同じ構造が現れる、自己相似(フラクタル)構造の結晶体だったのだ。

 人間のような個のはっきりした心魂摂理は、内部に自身を維持する機構がある。身体を両断するなどしてその機構が破壊されると、その機構を構成する要素の連携も途切れ、そこから自壊してしまう。

 しかし、石などはパカンと割っても、どれも変わらず石だし、鉄を融解してくっつけてどれだけ大きくしてもやはり鉄だ。こういった、分割・融合しても同じである物はどのような姿をしているのか不明だったが、これで判明したわけだ。

 どんどん細かくすりつぶしていけば、理論上は物質の最小単位である、この世界の『原子(アトム)』にたどり着けるのだろうが、残念ながらそれを観測する手段はない。


 この結果に満足した俺は、ニーナに指導を頼み込んで、サンプル金貨を相互錬成することにした。

 大きさや形状がかわらず、材質だけが変換されると、結晶体の自己相似(フラクタル)構造はどうなるのか。

 軽銀から始まり、鉄、銅、黄金、白金、錫、鉛、格羅謨(クロム)、亜鉛とメジャーどころを錬成して、持ち帰っては解析した。

 解析結果は、毎回がらりと変わったが、その全てが自己相似(フラクタル)構造の結晶体だった。


 そして今回の銀だ。

 レアーナが背中に張り付いて肩越しに画面をのぞき込む。スマホの画面の大きさと視野角(窃視(せっし)防止フィルターが貼ってある)から、こうでないと覗けないらしい。覗かないという選択肢は無いようだ。


「今度もまた形が違うんだ。でも対称の綺麗な形なのはいっしょだね」


「形が材質を表すみたいだな。同じ形の粒が判じ絵(パズル)のようにぴったり組み合わさって、相似形の塊を構成するんだろう」


「ふーん。でもそれを調べてどうするわけ? ちっとも面白いと思えないんだけど?」


「もちろん、これだけじゃ面白くはないさ。いままでは法則……というか仕組みを見るための下調べだったんだ。今から試してみよう。見てろよ……」


 俺は金貨をにぎにりしめて、スマホのリモートコンソールからコマンドを送る。

 一瞬の白熱。


「熱っ!」


 熱さをこらえて、収まってからゆっくりと手を開く。


「……成功だ」


 金貨は鈍い黄金(こがね)色に変化していた。


「え? えええええ!?」


 レアーナが俺を乗り越えるように身を乗り出してくる。俺を引き倒して、その上をのしのし這ったレアーナは、俺の手首を掴んで手の上の金貨を見つめる。


「なにこれ! なにしたの!?」


 レアーナは俺の顔と金貨を何度も何度も見直した。


「金貨の心魂摂理を読んでただろ。こんどは『書いて』みたんだ」


「書くって……炉も触媒もないのに、こんなことできるの!?」


「だから実験だったのさ。今までの材質の心魂摂理は、繰り返しパターンを解析して残してあるんだ。自己相似だから、再帰的に探索していけば類型(パターン)が切り出せるんだ。辞書方式の圧縮手法(アルゴリズム)の応用だな」


「じゃあ、一度でも『握った』ものになら、後からどれにでも何度でも変えられる?」


「この実験結果だとそうなるな」


「すごい! すごい、すごい!! こんなの聞いたことない! これ、お仕事にできるんじゃないの!?」


「……炉と触媒が必要な錬金と比較すれば、元手もかからないから、確かに儲けることは出来るだろうな。でも必ず秘密を知ろうとする(やつ)が現れるぞ。俺の個人()で、教えても他人には出来ないと言っても納得しないだろうな」


「でも、人に喜ばれるし、お金も儲かるんじゃないの?」


 レアーナは不満顔。なんというか、『皆に喜ばれることはどんどんやるべき』な子供っぽい親切心に駆られてるっぽいな。ちゃんと口止めしておこう。


「儲けすぎれば同業者からは恨まれるだろうし、儲けなければひっきりなしに依頼者が押しかける。『あいつにやったのにおれにはやってくれないのか?』で身動きとれなくなるぞ?」


 しばらく考え込んだレアーナ。


「………………やっぱり内緒にしよう! どこにも行けないのは困るもんね」


 いろいろシミュレーションした結果、仲間内の都合が勝ったようだ。

 なんとか誘導できたな。口止め成功。



 ----- ◆ -----



 ケンイチロウが帰ったあと、私は彼の行動について考察していた。


 いまだ、彼の心魂摂理の半分に係わる情報は得られない。だが彼はそれに不満をあらわさなかった。まるで、そうなるだろうと判っていたかのように。あれほど求めていた情報のはずなのに、急に熱が冷めたようで、あっさりしたものだった。

 代わりに突然、錬金術をやってみたいと言い始めた。

 一枚のレプタ貨を持込み、それを様々な金属に錬成しなおした。失敗も気にせずに何度も何度も。なのに一度でも成功すると、練習もせずに次に移る。

 すると、今まで変化の無かった彼の心魂摂理の未解析の半分が、急激な変化を見せた。新たな錬成を成功させる度に、変化は増大していく。


(もしかして、あの半分は単なる素質だったのかしら。あまりにも(ひと)っぽくて、変身を疑ったんだけど……)


 ケンイチロウは、『錬成の成功に比例した変化なら、全く未経験の分野だったから劇的な変化が起こっているだけでしょう。1と2には1の差しかありませんが、0と1には無限大の差がありますからね』と涼しい顔。

 しかし彼には未経験の人にありがちな、『とまどい』や『迷い』が見られないのだ。


(もし、私が同じ事をするとしたら、どんな状況がありうるだろうか?)


 興味本位なら簡単な錬成を一度やれば十分だ。成果が欲しいなら同じ硬貨を何度も錬成しなおす意味が無い。技能を身につけたいなら、まぐれで終わらせず練習しなければダメだ。


(彼が一体何を求めているのか、想像が付かない……)


 しかし、私は確信している。

 彼はとても物狂(ものぐる)いには見えない。何度も錬成を繰り返す行動は、奇妙ではあるがそれなりの一貫性がある。

 論理的な思考で行動しているならば、彼はここに来て、私が気がつかない『何か』を得たのだ。その『何か』を知ったことで、こんな妙な行動をしているのではないか?

 隠された意図を知るためには、彼の思考を追うしかない。今までのケンイチロウの行動を思い返す。


「あいつ……たまに変なところで動揺することがあるのよね……」


 いままでなんとなく心に引っかかっていた。私は記憶をたどりながら、一つ一つ挙げていく。


「……液火を卸していた国名を挙げたとき。……学究院の創立話をしたとき。……心魂摂理の写像模型を見た時。……仕事の道具がムーに無いことを指摘したとき。……黄金を輸出していた国名を挙げたとき」


 その時に彼は僅かだが動揺した。

 自分のことを漂流者だと言っていたが、彼は明らかに知識が偏っている。認識というか、感性というか、思考法というか、そういったところもだ。

 しかし常識が無いわけじゃない。『ズレて』いるのだ。

 いくら漂流と言っても世情(せじょう)にうとすぎる。

 今回の彼の行動は手当たり次第といった感じで、まるでシメオン教授が未知の土地で標本を集めてる時のようだ。


(彼はどこから来たのだろう……本当に漂流してきたのだろうか。常識を知らないのでは無く、ずれている……ムーに無い物を使っていたと言う……はるか昔の創立話に反応する……)


 頭の中に渦巻く情報の断片がひらめきを呼び、古い伝説を思い出させた。


「まさか……『時渡りのサン・ジェルマン』!?」



 ----- ◆ -----



 辺りはゴツゴツとした岩場になっていた。照りつける太陽と吹き渡る風。

 さえぎるものがないせいで、ゴウゴウと風が鳴る。巻き上げられた砂塵が渦を巻き、地面にしがみつくように生えた低草をふるわせる。


「本当に、こんなところでいいんですかい?」


 街道とはいえ、何も無い荒れ地で降りる俺を心配してか、使用人は何度も確認する。


「ああ。夕方になったら迎えに来てくれ」


 俺は、馬車から降ろした背嚢を背負って、コパラ・カルパに引き返していく馬車を見送り、丘の向こうに見えなくなったのを確認してから、街道を離れ荒野に踏み込んだ。



 金貨の材質に干渉する実験に成功した翌日、俺はレアーナと一日別行動していた。

 ついて行くと言うレアーナをなんとか思いとどまらせ、街の商人に使用人を一人借りて、荷馬車で郊外への送迎を依頼したのだ。

 ここは、街から荷台で揺られること20分ほどの荒野だ。遠くには学究院の尖塔が見えるので方角を見失うことはない。

 道から十分に離れたところで背嚢を降ろし、簡単な天幕(テント)を張る。


「何が起こるか判らんからな。さすがに誰も連れてこられないよな」


 大規模な実験をするつもりで、この荒野に来たのだから。




 金貨のように『手に触れる物体』に、クルーソーを通して『干渉』することができることは立証された。

 データ解析して復号(デコード)しなくてはならないが、心魂摂理を二進(バイナリー)化できることも。


(ならば、何も持っていなければ、”空間に干渉”し得るだろうか?)


 『手の上に何も無い』とき、手は何にも触れていないわけではない。手を動かせば空気の流れを感じる。空間(スペース)虚無(ヴォイド)ではない。

 実際に空間を読み込んでみると、何らかのデータが読み出された。データは読み込む度に激しく変動し、解析は不可能だった。

 俺はこれを時間で変化する不定値、空間電位のようなものと認識した。電子回路のオープンな端子を読み込んだようなものだ。


 この結果を基に、俺は理論の拡張に取りかかった。

 クルーソーの内部領域を書き換えることは当たり前に出来る。物質とデータの相互変換も。これは錬金術の考え方の延長線上にあるとも考えられる。

 ならば論理手続(プログラム)はどうだろうか。

 データとプログラムは解釈が違うだけで本質的に同じものだ。これを空間に書いたらどうなるのか。

 そのために単純な仕様を策定して、いくつかのプログラムを書いてみた。


 『コア・ウォーズ』という対戦思考ゲームを知っているだろうか。

 コンピューターのメモリ空間上でプログラムが戦い、相手を破壊して勝敗を競うゲームだ。

 ちょうど同時期に、擬人化したプログラムが戦うという、そのものずばりなト○ンという映画が上映していたこともあり、俺も伝え聞く噂を元に幾つものプログラム戦士を作って、このゲームに(きょう)じていたのだ。

 このプログラム戦士を”空間に書いて”みることが、今回の実験だ。


「曲がりなりにも戦闘行為だからな。まずは閉鎖空間(アリーナ)が構築できるかだが……」


 これが成功しないと、影響範囲を制限することが出来ない。プログラム戦士など高リスクすぎてとても”書け”なくなってしまう。


 まずは書き出し元になる閉鎖空間(アリーナ)の制作だ。

 クルーソーバージョンXIX(19)の制御下にあるバージョンXVII(17)から、バージョンXVIII(18)の全I/Oをマッピングから外し、メモリ空間全域にスーパーバイザ・プロテクションをかける。

 CPUの全ての命令が有効になり、同時にキーボードを始めとする全ての入出力が切り離されて何も無いメモリ空間のみになったので、XVIII(18)は外部との関係が完全に絶たれた。

 一度XVII(17)を通すのは、XVIII(18)のCPUに残っているクロス開発用の背乗り探針(ピギーバックプローブ)を利用するためで、全I/Oを切り離して外部からの制御も監視も不可能になったXVIII(18)を、インサーキットエミュレーターのように外部から回路内(インサーキット)制御(コントロール)する事を可能にする。

 これでXVIII(18)の全メモリは閉鎖空間(アリーナ)となる。どれだけプログラムが”暴れて”も、外部に影響を及ぼさない。『記述言語(レッドコード)』はXVIII(18)のCPU、68060のネイティブコードだ。


「よし……書くぞ」


 腕を真っ直ぐ前に出し、スマホからXVIII(18)の全メモリ書き出しコマンドを送る。

 直後、目の前がずれた(●●●)


「え?」


 何が起こったのか理解できず慌てて二度見すると、空中に境界線がある。空中の一部分がずれ(●●)て見えるのだ。


「なんだ……これ」


 俺の行動の結果現れたのだから、こいつはXVIII(18)の全メモリに相当するものなのだろうとは推測できるが、どのような性質を持っているかは全くの未知だ。境界線を見極めながら、その周りを慎重に回ってみる。


「表面は鏡面(きょうめん)かと思ったが違うな……向こうが透けて見えているのか。視覚的には水面の屈折現象に酷似しているな。水晶のような屈折率の高い透過性の物体にも見える」


 境界の外形は立方体。空中に浮いており、地面には明確な影を落とさず、代わりに屈折による光の偏りがある。背後の景色が透過して見え、各面に対して垂直方向を0として、水平方向に近づくほど周りとのずれ(●●)幅が大きくなる。


 俺は街で買い直した新しい四分杖(クォータースタッフ)を手に取ると、恐る恐る境界面に伸ばしてみた。

 四分杖(クォータースタッフ)は境界面をなにごともなく越えた。境界面にも何の変化もない。水面を掻き乱すように四分杖(クォータースタッフ)を動かしてみたが、境界面は何の変化も見せない。


「あれっ? 物理的な境界ではないのか? でも何かあるんだから、全く影響が無いわけがないんだが……」


 向う側が見たいな。でも四分杖(クォータースタッフ)では長さが足りない。しかたない。


「それっ!」


 四分杖(クォータースタッフ)をやり投げのように構え、力一杯投げ入れた。

 四分杖(クォータースタッフ)はなにごともなく境界面を貫通し、いきなり位置を変えて『百数十メートル』離れた地面に落ちた。


「は? え? ワープした? なんで!?」


 俺は四分杖(クォータースタッフ)を確かめようと、思わず駆け寄った。まっすぐに(●●●●●)


 いきなり視点が移動した。

 十数メートル上空に。


「え!?」


 何が起こったのか判らなかった。思わず足下を見る。


 足は地面に着いていた。身体にも異常は無い。なのに俺は十数メートル上から辺りを見渡していた。

 俺の周りは、確かに地面から身長分の高さしかない。しかし、境界面の外は明らかに空中だ。


「わ、わあっ!」


 驚愕のあまり、腰が抜けて尻餅をついた。途端に視界は地上に戻った。見上げると空。


(いやちがう。この不思議な立方体の下にいるんだ。思わず立方体の中に踏み込んでいたのか)


 立方体の下から這いだした後、四分杖(クォータースタッフ)を確かめてみたが、何の変化も見られない。ちょっと土埃で汚れているだけだ。


「これは……空間が欠落(けつらく)しているのか?」




 自分を使って安全を確かめてしまった(●●●●)ので、今度はこの不可思議な立方体に興味がわいてきた。

 四分杖(クォータースタッフ)をあちこちから突っ込んで、それを観測した結果、何の変化もないと思われていたのは間違いで、四分杖(クォータースタッフ)は立方体の反対から突き出ていることが判った。

 もちろんそんな長さはないわけで、立方体の内部は距離0のようだ。

 それを横から観測すると、四分杖(クォータースタッフ)は境界面で消え、反対側の境界面から現れるということになる。その間は、もちろん空中だ。観測している境界面の反対面が見えるだけなので、四分杖(クォータースタッフ)の向う側を見ていることになるのだ。


「つまり0次元を3次元に拡張しているということか……」


 重力のように周囲との境界が歪むのではなく、向かい合う境界面を連結しているともいえるな。まさしく『ワープ』現象そのものって訳だ。

 接触できず阻害もされず、侵入もできない。直接視認することが出来ず背景が透過するということは、光ですら干渉出来ないと言うこと。

 そうなると中はどうなっているのだろうか。もしXVIII《18》の全メモリと等価であれば、何らかのループ構造になっていると思われる。光源が無いので暗黒ではあるが、完全に正対(せいたい)した合わせ鏡の中にいるような感じだろう。


「これは確かに閉鎖空間だが……中の観測も出来ないな。プログラム戦士を修正するしか無いか」


 閉鎖空間の原理はいろいろ応用が出来そうだが、その中での実験は観測できないので無意味になってしまった。閉鎖空間外で使うしか無いので、最低限の制約をかけねばならない。

 俺は仕方なく、用意していたプログラム戦士『IMP(インプ)』を書き直し始めた。


 『IMP(インプ)』は世界で最初に作られたプログラム戦士だ。自分の前に自分を書くという、たった1命令の単純な構造で、メモリ空間を自身で埋め尽くして攻撃する。

 利点は『単純』で確実に動作し『最小』故に『最速』であるということ。欠点は『無防備』で『無誘導』、『止める方法が無い』ことだ。イメージするなら超高速ロケット弾といったところ。


「自身を前方にコピーしてから、時間待ちループを1ワード分回って、自身を自壊させる。それを……1万回も繰り返せばいいか」


 デバッグモニタ内蔵の1ラインアセンブラで、直接レッドコードを打って書き直す。

 IMP(インプ)らしからぬ大きさ(コードサイズ)になってしまったが、無限に進んで永遠に残られても困るからな。現象が一瞬で終わってしまっても観測のしようが無くなる。

 スマホのコマンド送出を準備して、辺りを見回す。


(標的は……あの岩にするか)


 目測で80メートルぐらい先の岩に向けて腕を真っ直ぐ突き出し、書き出しコマンドを送った。


ガガガガガガガガガガガガガガガガガガズバーン!


 耳をつんざく轟音が起こった。

 砕けた岩が飛び散り土煙が広がる。俺は同時にやってきた衝撃波に突き飛ばされるように尻餅をついた。

 両手に余るほどの大きさの『(あぎと)』が手の直前に出現して(くう)を噛みちぎり、それが岩に向かって連鎖していき、岩をえぐり抜いて爆発的に飛び散らせたのだ。

 並んだ(あぎと)は僅かの間の後、出現と同じ順で音も無く消えていった。

 たちこめた土煙が晴れると、岩には巨大な削岩機で打ち抜いたような大穴が空いていた。それだけでは収まらなかったようで、その背後の丘も大穴が空いており、今まさに崩落して土煙が上がっている。


「え……これ、俺が起こしたのか?」


 俺は、破壊の跡と自分の手を交互に見て呆然とした。


「この破壊力……やばいだろ、これ」



 ----- ◆ -----



 翌日、私は自ら随筆(ずいひつ)亭に出向いた。

 ケンイチロウの素性が知りたくてたまらない。伝説の『時渡り』なら、その証拠を掴みたい。

 勢い込んで行ってみると、そこにはあの妖精の娘しかいなかった。


「あら、あなたひとりなの?」


「ケンなら出かけてる」


 脹れっ面で腕組みをして、明後日の方を向いて答える娘。


「どこに行ったのか知らないかしら?」


「知らないよ、今日は一日別行動だし」


 イラッとする。なんだか(かん)(さわ)る態度。ちょっと(かま)をかけてやれ。


「あらら、置いて行かれちゃったのかしら? かわいそうに」


「ちがうし! 留守番してるだけだし!」


 くいついてきたわね。わかりやすい()。これで別行動の裏付けがとれたし戻ってくるのも判った。


「ふうん、大丈夫かしら? また騙されちゃったりしてない? このあいだ注意したばっかりなのに、また街をブラブラしてるのねえ」


「ケンはそんな事しないし! ちょっと街の外に行ってるだけだから!」


 なるほど、街の外なのね。ありがと。


「いないんじゃあ仕方ないわねえ。また出直すわ。それじゃあね」


 白々しく聞こえないように気をつけて答え、随筆(ずいひつ)亭を出る。


(この街の出口は街道のみ。日帰りなら衛視が見てるはず)


 角を曲がって姿を隠すと、修士礼服(しゅうしれいふく)の裾をひっつかんで猛ダッシュ。ポロスボロス側の衛視詰め所で早速当たりを引いた。


「今日、街を出てすぐに戻ってきた旅人はいるか知りたいんだけど」


「ニーナさん、何でまたそんな事を?」


「この間、こっち側の街道で神霊が暴れたでしょう? 私、近々ポロスボロスに行く予定があるのよ。出くわしたら困るから話が聞きたいのよ」


「ああ、そういうことですか。それなら、タルデル・ワカ商会の使用人が小一時間ぐらいで戻ってきてました。人の送迎らしいですよ」


「ありがと。知人がいるからさっそく話を聞いてみるわ」


 もちろん知人など居ない。いたとしても商人が顧客の秘密を漏らすとも思えない。そもそも私が嗅ぎ回っている足跡(そくせき)など残せない。ケンイチロウに気付かれるわけには行かないのだ。

 私は街門が見える喫茶店の窓際に陣取り、荷を積まずに街を出る荷馬車を待った。


 ちびちび飲んだココアの空のカップが4つ並んだ頃、目当ての荷馬車が現れた。空の荷台に手ぶらの馭者(ぎょしゃ)。商人が空荷で人をやるなどあり得ない。あるとしたら出発点と到着点が同じ場合だ。

 さりげなく店内の時計を確認すると16時21分。


 荷馬車が戻るまでには、さらにカップを2つ空にした。

 荷台には……ケンイチロウ。大きな背嚢を背負っていて、服は土埃で薄汚れている。

 商会の使用人が使う荷馬車は街道を外れた荒れ地は走れないから、街道沿いのどこかで待ち合わせをしたのだろう。

 時計は17時19分。

 私は経過時間を頭に入れて席を立ち、真っ直ぐ学究院に向かう。


(送迎付きで街の外、往復で小一時間の場所か。それほど離れていないわね。何をしていたのかしら)


 彼に気取(けど)られないよう確かめなければ。日中は(まず)い。人伝(ひとづて)の噂でも彼の耳に入ることがあり()る。人目の無い夜の内に行わなければならない。


(とはいえ、いくら領内の街道沿いでも、夜に街の外へはさすがに丸腰で出られないわね。身支度しないと)


 学究院に戻ると、そそくさと所属研究室へ。講義もとうに終り、部屋は無人だ。研究室の扉に(かんぬき)をかけ、控室(ひかえしつ)に入る。

 積み上げられた木箱の中から私の装備入れを引っ張り出すと、もわっと舞う(ほこり)


「煉丹ギルドに潜り込んでたから、しばらく野外調査に出てないものね……」


 (ほこり)を払った装備入れを抱えて研究室に戻る。

 標本の洗浄用に流用されている沐浴槽(もくよくそう)に、水槽と液火で熱い湯を貯めると、そこに乳香(にゅうこう)の精油をたっぷりと注ぐ。広がるスパイシーな甘みのある香り。

 部屋が無人であることを再度確かめてから、腰帯(こしおび)をほどいて修士礼服(しゅうしれいふく)をするりと脱ぎ捨てる。肌着に薄いチュニックだけのなよやかな身体が燭台の炎に照らし出された。

 ためらうことなく、チュニックを、そして肌着を脱いでいく。薄暗い中に映える白い肌。流れる黒髪が裸身を妖しく飾る。見下ろすとピンと張り詰めた豊かな乳房。探索行の劣悪な環境でいじめ抜いたにもかかわらず、健気けなげに成長した自慢の身体だ。


(さあ、沐浴を済ませましょうか)


 沐浴槽(もくよくそう)に、身体を頭のてっぺんまで沈める。たっぷりの精油が肌をピリピリと刺激する。

 夜は霊たちの時間だ。神霊が、亡霊が、精霊が闊歩(かっぽ)する。人間がその中に踏み込んで行くには、『生気』が邪魔になる。乳香(にゅうこう)で生気を消し、神性を()びるのだ。


 念入りに身体を清め、沐浴槽(もくよくそう)から出ると、全身にすうっと清涼感を感じる。ほてった身体に心地よい。

 全身の水気を拭き取り、新しい肌着を身につけてから木箱を開けると、使い慣れた装備たちが顔をだす。未知の地を共に駆け抜けた愛用の品々。どれもこれも自慢の一点物だ。


 最初にフランネルのチュニックとトラウザーズに牛革の膝丈ブーツ。さらに全身揃いの鱗片鎧(りんぺんよろい)を身につける。(はがね)薄片(はくへん)に一枚一枚丁寧に亜鉛鍍金(ときん)した黒鋼(くろがね)を、革鎧に一枚一枚手ずから縫い付けたお手製だ。

 その上に斜革(しゃかく)(つき)剣帯(けんたい)を締めて、自在鍵(じざいかぎ)などの小道具が入った小物入れ、装薬の液火と燐燭(りんしょく)弾を始めとした擲弾箱、さまざまな薬品の密封容器(アンプル)袋などを、剣帯に一つ一つ留めていく。


 最後に武器だ。


 まずは愛用の短剣を右の鞘に。これは外せない。

 両手持ちの長剣の剣身のみを短く打ち直して貰った特注品で、円形の柄頭(つかがしら)には両面に焦点具(しょうてんぐ)がはめこんである。攻に呪文『焦熱炎刃(しょうねつえんじん)』、守に聖句『風凱陣(ふうがいじん)』の2枚がお決まりだ。

 聖典の詠者(えいしゃ)が使う錫杖の大規模な焦点具(しょうてんぐ)ほどの汎用性は望めないが、小さいながらも、きちんと核環(かくかん)縁環(えんかん)幻環(げんかん)の三法環(ほうかん)が揃って完結しているので無詠唱で聖典が発動する。

 順手に持てば剣に、逆手に持てば錫杖(しゃくじょう)になる優れものだ。


 そして自作の擲弾拳銃を左の腿嚢(たいのう)に納める。大砲を手持ちに出来ないかという命題に、試行錯誤して作り上げたこだわりの品だ。機構がまだまだこなれておらず、動作の確実性に欠けるが、接近できない相手には有効なのだ。


「領外探検に参加した時を思い出すわね」


 柄頭(つかがしら)と銃()に手を置き、全身を検分する。鏡の中には一人の軽戦士。

 領外探検に参加する学究院の学生は、学んだ知識を惜しみなく注ぎ込んで装備を自作する。身につけた知識で(よろ)い、独自の理論で武装することで能力を誇示するのが、アショカトリポカ(ここ)の流儀だ。

 自らの研究成果こそ、命を預けるにふさわしい。


 あとは人目が少なくなる日滅にちめつを待つばかり。

 そして、ケンイチロウの秘密の核心に(せま)るのだ。


ついに健一郎は、自らに因る、自分だけの力を手に入れました。


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