014:熱
入ってすぐの大広間から男女で左右に分かれた通路。男は左だ。
人々の流れに乗って進むと、すぐに三和土の床が現れる。ここで履き物を脱げというわけだな。
しかし、靴箱がないな。
周りの人は靴をはたいて土を落とすと、持ったまま奥へ進み右へ折れる。
(しめしめ。このまま真似ていこう)
後ろにくっついて右に折れると、広い脱衣場に出た。
三和土の上に簀の子が全面に敷かれ、中央に長机が置いてある。
入り口の脇には籐籠が重ねて積んである。
周りの人々を真似て籐籠を1つ取り、中央の長机へ。
篭の中には麻袋が一つ。どうやら履き物をしまうための物らしい。
キョロキョロしないように、さりげなく、流れに同化せよ……。
周りの人々を遅れて真似て、履き物をしまい、服を脱いで籐籠に放り込む。
開けっぴろげの人。篭で前を庇う人。半々だな。
(しかし、篭はどうするんだ? どこかに棚は……)
そう思って周りを見渡した。
(ひえっ……!)
突然のことで、腰が抜けるかと思った。
ああ! 何故、俺はもっと早く、キョロキョロしなかったのだろう!
右の壁が長いカウンターになっていて、そこにたくさんの『おばさま』たちが居たのだ!
----- ◆ -----
両手に着替えの包みを抱えて、私は右に歩いて行く。
ケンの事が心配だけど、周りにたくさん人が居るから、真似ればなんとかなるんじゃないかな。
実は私も、人間式の公衆浴場は初めてなんだよね。
みんなと同じように靴を脱いで、奥へ進み左に折れる。
足下が木格子になって、濡れても大丈夫になったぞ。
みんな入り口の篭を取って、真ん中の机で脱いでる。
じゃあ私も、っと。
篭の中には麻袋。履き物をしまうんだね。私のは編上靴だから、ふくらはぎの中程まである。この袋はあんまり大きい靴は入りにくい感じ。
泥は落としたから良いと思うけど、こぼれないように足下を包むように入れたら、靴が靴下を穿いてるみたいになった。
サンダルも夏場は心惹かれるけれど、畑でも足下の保護が甘いと肌を草で切ったりするし、森も刺されたり噛まれたりで甘くない。
周りは女ばっかりだから、みんな明け透けな感じ。これじゃグズグズしてる方が変だよね。
手を交差させて両袖を掴んで、ワンピースを洋襦袢ごと『するん』と頭から抜いた。
ワンピースはこれが出来るから好き! ズボンは帯ひもを締めたり解いたり、足を抜いてってのが面倒だよね。
顔にかかった髪を、手ぐしで背中に流す。
ワンピースと洋襦袢を分けて、腕でくるくると巻くように折りたたんで篭に入れた。
でも、この篭持って入れないよね。どこか置くところがあるのかな。
短股引と胸帯だけでオロオロしていたら、周りの人は壁のカウンターに向かう。
カウンターには何人もおばさんが居て、何やら番号の着いた桶を持っている。
おばさん達はみんなニコニコと愛想の良い笑顔。なんていうか、しゃべりたいけどしゃべれない感じ?
さりげなく観察していると、服と靴の入った篭をおばさんに預けて、引き換えに桶を受け取ってる。
もしかして……?
目に付いたおばさんのところに行って、篭を差し出してみる。
「ずいぶん迷ってたねえ。ここははじめてかい?」
わっ、しゃべった!
こういうときは素直に聞いてみよう。
「はい。このあとどうすれば良いのか教えてください」
「篭に預けたい物を入れて、あたし達に預けるのさ。あたし達は番号の着いた桶を貸し出す。この中には入浴用品が入っているのさ。あんた達が風呂を使っている間、あたし達はこれを預かる。服は洗って乾かし、靴は磨いて手入れする。風呂から上がったら、番号の桶と篭を交換して手間賃を払う。これで終りさ」
「みんな自分で洗ったりはしないの?」
「そんな連中は内風呂があるから、そもそも公衆浴場には来ないもんさ。腹ごしらえして寝るだけだから、番外地に住んでるんだよ」
はー、そんなもんなんだ。
「まあ妖精さんには珍しいだろうねえ。最初に声を掛ける事が出来たのは上出来だよ。誰も客引きをしていないだろう? お客から声を掛けてもらえるまでは話さない決まりなんだよ」
「どうして?」
「ここに来てるのはみんな、旦那が旅に出てて手持ち無沙汰な連中さ。浴場の細々した仕事をしたり、荷物の番と洗濯で手間賃をもらって、少しでも稼ぎたいんだ。もし声かけしても良いとなったら、どうなると思う?」
猛烈な客引き合戦。そこに巻き込まれてもみくちゃになる自分が思い浮かんだ。
ぶるぶる。これはだめだ。
「だから客からお呼びがかかるのを待つのが不文律なのさ。さ、肌着も脱いじゃいな。女しかいないんだ。グズグズしても始まらないよ」
圧倒されちゃう。大人しく短股引と胸帯を脱いで篭へ。
「そっちの包みは着替えだね。それも預かるよ。髪をまとめる手拭いは……入ってるね。これは持っていきな。石鹸はこれかい? 髪は湯船に浸けないようにね。って、妖精には今更だねえ」
「うん、それはちゃんとやるよ。熱くて痛いしね」
「その髪は目立つからねえ。しっかり手入れしなよ。最初に掛け湯を忘れないようにね」
----- ◆ -----
俺は『16』と書いた桶を手に、廊下を歩く。
桶の中には懐かしの糸瓜束子が入っていた。
タオルと石鹸は持ってきた包みから出したが、なければ用意してもらえる。
最初にシャワーを浴びることと、タオルを浸けないように言われたが、これは日本と同じだな。
どんな出来になるのかが見たいので、洗濯もお願いした。
しかし、おばさま達にはたまげたなあ。
みんながみんな、曖昧な笑みで、何か言いたげにこっちを見ているのだ。
客引きを禁じられているとの話だが、みんな無言の笑顔である。
いろいろと縮み上がってしまった。
床は白の御影石と黒の粘板岩かな? 三角や四角のタイルが組み合わされて幾何学模様を作っている。ちゃんと清掃されているようで、ヌルヌルしたりはしない。
浴場はどうやら4つ有り、全て右側が入り口になっているが、三つ目の入り口は木で塞がれていて、改装中の立て札が立っている。
商工業協会の掲示板にあった、求人を思い出した。古くなってひび割れたりした床のモルタルを剥がして塗り替えてるんだろうな。
周りの人は思い思いの入り口に散っていく。俺も思いきって最初の入り口をくぐった。
そこは露天風呂だった。
先の廊下が回廊で、ここは中庭に当たる場所のようだ。
ここの床はモルタルだ。石の継ぎ目から水が漏れるのを嫌ったんだろうな。
壁際には、槽車で見たようなひまわりシャワーが整然と並んでいる。
シャワーを使っている人がポツリポツリ。あとはみな湯船でくつろいでいる。
俺も手近なシャワーに近づき、レバーを引く。
ざあっと湯が溢れ出す。温度は少し高め。水を混ぜて、と。
適温になったところを見計らい、全身に浴びる。
なんと、槽車以来のシャワーだ。
シャワーだけなら山猫館の自室でも浴びられるんだが、入居初日の昨晩は浴び損ねたんだよな。
そこまで考えて、今朝のレアーナのサッパリした顔を思い出した。俺が寝た後浴びてたのかな。
桶から糸瓜束子を取り出し、石鹸を泡立てて首筋から順にこすっていく。
痛気持ちいい!
----- ◆ -----
桧の香りがする浴槽椅子に腰掛けて、やさしく髪を洗う。
湯でホコリや砂を流し、手で石鹸を泡立てて掌に挟み込むようにもみ洗い。
やさしくやさしく。
余り知られてないけど、樹精の髪には僅かな感覚がある。
髪を切られたりすると、チカチカとちょっと痛いのだ。
続いて指を立てて地肌をもみ洗い。
昨晩はケンを起こさないように、さっと汚れを流しただけだから、しっかり洗えなかったのだ。
しっかり石鹸を落として、絞ったタオルで髪をまとめる。
熱い湯に浸けても髪が痛いんだよね。
次は身体。
今日はどろんことは言わないまでも、野良仕事だったからなあ。
糸瓜束子でコシコシ。樹精は肌があんまり強くないからゴシゴシはダメ。
バラの香りの泡に包まれて、全身を洗い上げる。
糸瓜は適度に滑って、肌に優しくていいなあ。木綿のタオルは擦れすぎるんだよね。
泡を綺麗に流して道具を桶にしまい、浴槽へ。
浴槽はゴツゴツとした自然石で出来てて、自然の温泉の風情。露天で雨も降るからなあ。
妖精領の浴槽は檜葉とかで出来てるから、石の浴槽にはちょっと違和感。
池とか泉に感じちゃうんだよね。
浴槽からはモクモクと湯気が上がって、お湯はなみなみ。
吐水口からは熱々の湯がドウドウと注ぎ込んでる。
足先をちょっと浸けてみる。
(熱っつ!)
いやいや、ガマンガマン。
顔をしかめながら、湯の中に身体を沈める。
湯面からモクモク立ち上る湯気で、周りが霞む。
みんなは目をつぶって大人しく浸かってる。
汗ばんで赤い顔。気にせず涼しい顔。
あそこは……浮いてる!
すごい物をお持ちです。
我が身と比べてちょっと気後れ。
私、結構ひょろひょろなんだよね……。
形は良いと思うんだけどなあ。
----- ◆ -----
「う゛ぇ~」
湯船に浸かって腰を降ろした瞬間に、思わず唸るような声が出てしまった。
日本人なら理解してくれるであろう。
(いやあ、日本を離れてこんな贅沢な風呂を使えるとはなあ。水槽様々だ)
掛け流しで注がれる湯は、湯船を一杯に満たし、溢れて流れる。
入湯料2アス6レプタ。260円程度は銭湯としても格安だ。
裸で来るわけにはいかないから、実際には衣服を預かってもらう手間賃と、頼めば洗濯の料金も取られる。
この辺のサービスで利益を出してるのかな。
水は水槽が生み出すから無料だとしても、湯を焚くには燃料が居る。
街灯に瓦斯を使っているので、同じように瓦斯で焚いていると思うのだが、どうやってこんなに沸かしているやら。これは知りたいところだ。
(これは毎日通いたくなるなあ)
掌に湯を掬ってみる。ちょっと熱めの澄んだお湯。
騒ぎ立てるような狼藉者はいない。みんな身体を使う労働をして、疲れてるんだろうな。
----- ◆ -----
ゆっくり暖まって、湯船を出たよ。
タオルで身体を拭いて、脱衣場まで戻ってきた。
服を預けたおばさんはまだ居ない。洗っている最中なのかな。
カウンターで桶を見せると、おばさんを呼んでくれた。
「おや、サッパリしたね。はい着替えだよ。洗濯はもう少し待っとくれ。いま乾かし始めたところだからね」
「もう少し? そんなに早く乾くの?」
「濡れたまま持って帰れないだろう。ここは火をたくさん焚いてるんだ。温風だってお手の物さ」
そういって奥へ引っ込んだ。
今のうちに服を着ようかな。
胸帯をつけて、短股引を穿いて、洋襦袢を頭から通して。ワンピースをスポンと着たら、頭のタオルを外す。
すうっと風が通って、頭から熱気が離れる。
湿った髪を新しいタオルで軽く押さえて水気を取る。
カウンターの奥から流れてくる、あったかくて乾いた空気と相まって、水気が飛んでいく。
丁寧にやっていたら、小一時間はあっという間に経っちゃった。
「32番の娘! 服が乾いたよ!」
呼ばれてカウンターに行くと、ほかほかの服を渡された。
「さ、包みに入れて。手間賃は6アスだよ」
値段は服の量で変わるらしい。
お金を払って桶を返し、お礼を言って脱衣場を出る。
大広間にはケンが待っていた。
「おまたせーぇ」
----- ◆ -----
レアーナが大広間に出てきた。
「おそいぞ」
季節と暖まったスウェットのおかげで身体が冷えることはなかったが、大広間でただ立って待つのは退屈だった。
「女は髪の手入れがあるんだよぅ」
「俺にはとても耐えられん長さだな。切ってやろうか?」
そういってにじり寄ると、レアーナは頭を手で押さえて、ばっと後じさる。
「ダメダメ! 髪は女の命だよぅ」
どこでそんなセリフを……って、何処も一緒なのか。
「わかったよ。じゃあ帰るぞ」
「小間物屋に寄っていこうよ。椿油が欲しいんだ」
「油? 何に……って、髪か?」
「そうだよ。石鹸を使ったら、ちゃんと塗らないと水気が抜けちゃうよ」
そういえばシャンプーを使わず、石鹸だったな。
頭に油を塗る習慣を、聖書とかで見た記憶があるな。
日本でも鬢付け油とか有ったわけだから、これもまた平行進化のようなもんか。
公衆浴場を出ると、空は藍色に染まりつつあった。
太陽も『眠たげ』だ。
ポツリポツリと星が見え始めた。
寒くもないのに、なんとなく身を寄せ合ってしまう、独特のあの雰囲気。
俺たちも御多分に洩れず、肩を寄り添って小間物屋へむかった。
「油くださーい」
「おっ、なんの油でしょうかね!」
「椿の。髪に使う奴ね」
「あー髪かい。それならこの小瓶がオススメだね。一滴づつ出るように工夫してあるんだ。瓶も倒れにくい角瓶で使いやすいよ」
棚の上の木箱から小さな角瓶を取り出し、レアーナに見せる。
てのひらサイズの小瓶で、40mLぐらいだろうか。
「じゃあそれ!」
クラフト紙の袋に入れられたそれを、嬉しそうに胸に抱くレアーナ。
店主は俺に手を差し出した。
「じゃ、お父さん。1デナリ7アス3レプタね」
え? お父さん?
「?! お父さん! ありがとう!」
白々しい顔で、店主に合わせるレアーナ。
なんという同調圧力。
1,730円相当か。まあいいだろう。
「また、ごひいきに」
日滅を迎えて、人々は家路を急ぐ
長い棒状の種火を下から差し込み、ガス灯を点火している。
オレンジ色の、温度を感じさせる光が広がる。
商店主も軒先にランプをつるし、最後の呼び込みで声を上げる。
「もう、買い残しはなかったっけ」
普段小鳥に集られてるから、ここぞとばかりに集ろうとしてるな?
「あー、明日明日。とりあえず明日だ」
そういって背中を押し、足早に山猫館に向かった。
ぱちり。
階下からの物音で目が覚めた。
風呂に入ってから寝たので、サッパリ爽やかな目覚め。
ガサガサ音を立ててベッドから這い出し、窓を開ける。
さっと差し込む光。
目を細め、目が慣れるまで道を眺める。
自家前の道を掃き清める婦人。
仕入れた荷を解いて、店頭に陳列する店主。
その間を縫うように走って行くお使い役。
活気ある下町の雰囲気だな。
隣の居間からはレアーナの、朝の日課の気配。
ちーちー、ぴーぴー囂しい。
これが終わるまでは出られないのか。
あー、トイレぐらい行きたいなあ。
「朝のアレ、なんとかならないのか? せめてトイレぐらい自由に行きたいんだが」
屋台でホットドッグを囓りながらのお小言。
薄焼きパンにボイルしたソーセージをはさんだ食べ物なんだが、トウモロコシ粉ではないのでタコスじゃない。ホットドッグとしか言い様がないなあ。
「居間の方が広いし、かたづけやすいよ。それに小鳥に言っても、すぐ忘れちゃうからなあ」
「俺が通っても支障ないならいいんだよ」
「小鳥は人間に追い回されてるから仕方ないよぅ」
顔を押さえて溜息。
これはガマンするしか無さそうだ。
「じゃあ指を鳴らすぞい。良く聞いているんじゃぞ?」
指を鳴らす先生。しかし音は聞こえない。
たっぷり2秒ほども経って、パチンと指を鳴らす音。
「「「……」」」
本来は子供たちの歓声があがる所なんだろうな。
俺はじっと無表情に、実演する先生を見つめている。
子供たちは、そんな俺を気にして、こっちをちらちら伺う。
先生のやりづらそうな顔。そんな顔されても、こっちだって困る。
朝食の後、お小言を避けるようにレアーナは果樹園へ行ってしまった。
ちなみに屋台は前払なので、ちゃんと自分の分は払わせているぞ。
俺は前日もらったチラシを頼りに、『方術教室』に参加しているのだ。
先生は還暦を優に過ぎていそうな老人。
場所は広場の木陰。
切り株の机に手書きの看板と、いかにも私塾の青空教室だ。
子供たちは、お小遣いと思しき手垢の付いたアス貨を先生に払うと、棒付き飴を受け取って三々五々地面に座り込む。
俺もその中に混じって、先生にアス貨を無言で差し出す。
先生はギョッとするが、子供たちの手前、棒付き飴を黙って渡す。
俺は棒付き飴を口にくわえて、ペロペロしてみる。
麦芽糖の水飴かな。
子供たちの『なんで大人がいるんだ』という視線が、四方から突き刺さる。
しかしそんなことより知識だ。
当たり前の事を大人には聞きにくいが、教室なら黙っていても聞かせてもらえる。
俺は子供たちの間にどっかと座り込んだ。
「よぅくきたな、みらいをささえるこどもたち。きょうはふしぎな『せんじん』のちえをまなぼうぞ!」
芝居がかった先生の口上。
たた、たん、と足を踏み鳴らし、肘で宙を突く。
手を広げ、たん、たんと足踏み。
すると、ボワンと足下から白煙が立ち上った。
まるでシケたマジックショーのような演出。
これも方術なのか。
目くらまし程度の実用性はありそうだが、あんな予備動作が必要ではバレバレだな。
「「「……」」」
しかし子供たちは盛り上がらない。
なぜかこっちを気にしているようだ。
声どころか、身じろぎすらしていないのに何故だ。
棒付き飴をペロペロしながら、その視線を堂々と受け止める。
「……つぎは、『かげばなれ』をお見せしよう。影を見ているのじゃぞ」
先生はしゃがみ込み背中側に手を伸ばし、蝶の羽のように立てる。
指で地面を擦るように手を振り上げ、『きゅおろぅ』と聞こえる奇声を上げた。
そのまま兎跳び。
(!)
足が地面から離れ、離れた場所に着地する。
しかし影は動かず、先程の場所のまま。
立ち上がった先生の足下には影はない。
「これぞ『かげばなれ』のじゅつ!」
先生の動作に合わせて影は動くのだが、その場所が固定されているのだ。
おもわず空を確認するが、太陽は輝いている。
(どういう原理なんだ……)
影は数十秒ほどで薄れていき、先生の足下に影が再び現れた。
発声を伴う術もあるようだな。
「「「……」」」
やはり子供たちは盛り上がらない。
なぜこっちをチラチラ見るのだ?
その後も、いろいろな術を見せられた。
足音をポコポコという破裂音にする『音履きの術』。
爪の色を変える『色爪の術』。
握った泥団子をカチカチにする『収縮の術』。
別の所から声が聞こえる『声写しの術』。
すべて身体の動作や発声によって効果が現れ、時間で効果が薄れたり、やはり特定の動作で打ち切ることが出来る。
身体を動かす労力以外は必要としない、軽業師が見せる一種の『技』と言えるものだ。
しかし、なぜか子供たちは俺を気にして盛り上がらない。
その後、実際に子供たちに方術を真似させる段階になっても、いまいちノリが悪い。
だが、出来る子、出来ない子の差が出始めると、俄然やる気をだしてきた。
良いかっこを見せたい子。くやしくて頑張る子。面白がってやる子。
先生もやっと調子が戻ってきたところで、お開きとなった。
バラバラと散っていく子供たちを眺めながら考える。
原理は全く想像が付かないが、見たところ『方術』は身体の動作が鍵のようだ。
レアーナの言っていた、決まった『所作』が決まった『効果』を生む、ということなのだろう。
ただ、その効果は体系だった物ではない。
用途が思いつかなかったり、こけおどしだったり、何の得にもならなかったり。
なんというか、偶然の動作が、偶然の効果を生む、てんでバラバラの物なのだ。
……そう! 一言で言うと『奇術的』なのだ。
『火花の術』は、たまたま役に立つ希有な効果なのだろうか。
考え込む俺に声がかかった。
「あー、そのぅ。こまるんじゃよ。営業妨害は止めてくれんかのう」
「……料金を払って正規に参加しているのですが」
どうやら、大人がいると子供たちのノリが悪くなるので、参加してくれるな、と言うことらしい。
飴を配っていたところから見て、昔の紙芝居おじさんの立ち位置なのだろうか。
子供たちからしてみたら、強面の大人がじっと見ていては、楽しめないということだ。
「方術の何が知りたいんじゃ。教えるからもう来んでくれんか」
素早く打算。
今の客層から見て、子供が学ぶ知識だ。下手に聞けないな。
もっと本質的な……そうだ!
「……『火花の術』というのがありますね。あれは『何』なのでしょう?」
「はあ? あれは種火を付けるための――」
「ええ、その火を付けている玉の事です。『アレ』のことを知りたい。『アレ』は何なのでしょう」
先生は気の抜けたような表情になった。
「アレ、とは『燃素』のことかね?」
「はあ? 『燃素』?!」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「『燃素』って、あの 『燃素』?」
「どの『燃素』の事をいっとるかは知らんが、あの『燃素』じゃ」
なんか馬鹿みたいな会話になってしまった。
『燃素』
古代ギリシャで火の元素と言われた架空の元素で、よくライトノベルでありがちな、水地火風のあれの素だ。
物が燃えるのは、これが放出されるためで、それが炎であると。
しかし、酸素の発見と酸化反応の解明で、すでに消え去った迷信だ。
「いや、物が燃えるのは酸素による酸化反応ですよ。何ですか燃素って」
「おまえさんこそ何をいっとるんじゃ。酸素とはなんじゃ。どこにあるんじゃ」
俺は空中に手を振り回し、宙を示した。
「この空気中には酸素という成分があって、それが物質と結びつくと燃焼して熱が生まれるのです。その熱が炎となって現れるのですよ」
先生の表情が『可哀想な人』をみる表情になった。
(え~っ!?)
溜息をつく先生。
「特別授業じゃ。そこに座りなさい」
そういって、切り株の上に小さなガラス玉を置いた。
俺が切り株の前に座ると、ガラス玉を指して言う。
「そのガラス玉は、中空になっておる。ガラスふきで吹いて作った、継ぎ目のない玉じゃ。確かめてみるといい」
俺が手に取ってみると、直径は6センチほど。壁の厚みは5ミリほどはあるだろうか。
「おぬしの言う酸素とやらは、この中にもあるのじゃろう?この中で火は燃えるかな?」
「……はい。しかし、酸素を使い尽くせば消えます」
「そうか。ではやってみるぞ」
ぱん、ぱん、ぱんっ。きゅっ、きゅっ。とん、とん。
パチッ!
火花が生まれる。
先生は、火花の大きさを調整すると、ガラス玉に重ねる。
火花はガラス玉を『透過』し、俺はその玉をじっと見つめる。
「火花の術は、周囲の燃素を集める術じゃ。燃素は可燃物と触れればそれを燃やす。術を続ける限り集まり続け、放っておけば散っていく。それが火花に見えるというわけじゃ」
ガラス玉の中の火球は燃え続けた。
1分……2分……
「まだ燃えておるな」
5分……10分……
「そろそろ酸素とやらは無くなったのではないか?」
火花はまだ燃え続けている。
俺は声もない。
「老人には長時間はちとこたえるわい。そのガラス玉はやろう。好きなだけ試してみるとええ」
先生が立ち去った後も、俺は呆然とガラス玉を見つめていた。
----- ◆ -----
ケンのお小言から逃げてきた私。
今日も葡萄棚の袋掛けだ。
小鳥たちは、朝言って聞かせても昼には忘れちゃう。
それに人間を怖がるのは、いつも追い散らされるからなのに。
お昼は、屋台で買った串焼き肉と、カリカリに焼いた棒パン。
今日は街まで帰る気分じゃないから、おばさん達と果樹園で食べた。
ケンはちゃんと食べてるかな。
いやいや、ケンもお腹を空かせた小鳥たちの気分を知るべき!
「おやおや。御機嫌斜めだねえ。良い人と喧嘩かい?」
「ちがうよう。わたしまだ未婚だよ」
「女が不機嫌になるのは、決まって男のことさ。違うように見えたって、掘り下げるとそこに行き着くもんさ」
あーもう。なんでそういうこというかなぁ。
「さ、さ。蜜柑の果汁だよ。飲んで飲んで」
今日は一日みっちり働いた。
明日辺り、入領事務所へ行って、日誌を漁らないと。
夕暮れの農道を、街に急ぐ。
空を塒に急ぐ鳥たちの群れが渡っていく。
人恋しくなるなあ。
番外地は仕事を終えた人達がいっぱい。
お腹が空いたなあ。
「ただいまー」
ばあん!
扉を勢いよく開けたが、部屋は薄暗かった。
鎧戸は開けられていて夕日が差し込み、居間には椅子に座った黒い影。
ケンが悄然と椅子に座っている。
机の上にはガラス玉が一つ。
それをじっと見つめている。
「ちょっと、どうしちゃったの?!」
朝の剣幕からは思いも付かない落ち込みよう。
(……これ、あのときと同じだ)
遭難中に距離標を見た時のケンだ。
あのときも20マイルじゃないって言い張って……。
「なにがあったの?」
「……レアーナか。おかえり」
やっぱり、おかしいよ!
こういうときは私が引っ張らないと!
「もうすぐ日滅になっちゃうよ。早く夕食を食べに行こう」
「……今日、方術教室に行ってな。それで――」
「あーもう!そんなことあとでいいから!さあ行くよ。今晩は鶏にするよ!」
むりにでも手を引いて、外に連れ出す。
もう、世話が焼けるぅ。
こうなっちゃったケンは役に立たない。
気分を変えさせて立ち直らせないとなあ。
そう思って、夕暮れの街に引っ張り出した。
ケンの二の腕を胸に抱き、放さないように引っ張っていく。
今日はちゃんと座れるところにしないとね。
----- ◆ -----
「で、いったいなにがどうしたの?」
良い感じに焼けた鶏の胸肉を刺した肉刺を、教師の指示棒のように振り回しながら、レアーナが聞く。
俺の頭は、無理矢理にでも歩かされたことで回り出し、昼食すら食べていなかったことを思い出した。
随分長いこと呆然としていたのだな。
俺は方術教室で有ったこと、そして山猫館に帰ってからのことを話した。
方術教室で、燃え続ける炎を見せられた後、俺はガラス玉を持って山猫館に帰った。
(試してやろうじゃないか)
部屋の隅に積んであった段ボールの中から、空のペットボトルを取り出した。
ペティナイフを使って上の注ぎ口を切り取り、底に拾ってきた小石を敷き、その上にガラス玉を置いた。
ペットボトルの中に蛇口から水を注ぎ込み、軽く叩いて気泡を追い出す。
机の上に置いて準備完了。
じっと観察する。
ガラス玉から空気は漏れていない。浸水もしない。
玉は確かに密閉されている。
何度か失敗して火花の術を発動させる。
(さて、ここからだ)
上から垂直に降ろしていく。
水に触れると、ジュワーッという音と共に細かい泡が出る。
大きさが小さいからいきなり沸騰とは行かないが、水は影響を受けているな。
そのまま下げていって、ガラス玉の中に入れる。
両手でペットボトルを挟み込む姿勢だ。
玉の中で赤い火花が燃え続ける。
火花は可能な限り小さくしているが、水は少しづつ温かくなってくる
水がお湯に変わり、ペッドボトルに触れていられなくなり術を解くまでの数時間、火花は結局玉の中で燃え続けた。
のろのろと後片付けをする。
俺は打ちのめされていた。
この世界では、燃焼に酸素は不要なのだ。
水中の密閉されたガラス玉で燃えるあの火は、やはり燃素なのだろうか。
「あきれた! そんな事してたの?!」
レアーナの辛辣な批評。
「別に何が燃えてたって、術の効果に変わりないじゃない」
レアーナの考え方は実にシンプル。
こうしたいという目的があり、必要な結果が得られるなら、その過程は問わない。
便利な車なら、内部でエンジンがどう動いていようと関係なく、ガソリンという原因が移動という結果に繋がればいい。
しかしハッカーはそこに理屈を見いださずにはいられないのだ。
火花の術を行うと掌の間で浮かぶ火花。
周囲の燃素を集める術、と言っていたな。
両手の間には当然空気しか無い。
この空気中にも燃素があると言うことだ。
そしてそれからずっと、ある疑問が頭に渦巻いている。
俺の知る空気は窒素、酸素、アルゴンに二酸化炭素。
燃素なんて入っていない。
俺が呼吸している『これ』は、本当に空気なのだろうか?




