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013:日和見日和

 朝の喧騒が聞こえる。

 鎧戸の隙間から日の光が伸びている。微かに舞うホコリで空中に光の筋が煌めく。

 そうか、ここの窓は黄道向きなんだな。

 身体を起こすと、寝台の寝藁がガサリと鳴った。



 昨日の夜は、コロッケサンドをかじりながら、レアーナの身の上話を聞いた。


「森の中に迷い込んできたお父さんが、お母さんを見初めて一緒に暮らしてたの」


「どうして居なくなったんだ? 別れる理由が無いだろう」


「ちょうどその頃に、人間領から探検が来たんだよ」


「ん? んんん? 人間領から探検が来る前に迷い込んできたって事か? どうやって領域外を渡ったんだろう」


「理由は知らないけど、時々、ホントに時々人間がやってくることがあったんだって。森の中で迷って、ってのが多かったらしいよ」


「ほほう」


「もう帰れないって思っていたお父さんは、人間を見て国に帰りたいって言いだしたんだって。でもお母さんは樹精だから」


「どういう意味なんだ?」


「樹が一緒じゃ無いと生きていけないって事。当時は知られていなかったんだよ」


「妖精達自身知らなかったって事か?」


「経験則的には知ってたよ。調子や気分が悪くなるから。でも誰かがそういう生き物なんだって解明した訳じゃ無いから、なんとなくって感じ。お母さんは離れたくない、お父さんは帰りたいって……」


 あー、神話や伝説にありがちな、生活様式の違いから来る破局か。


「ん? でもレアーナは樹を持ってきてないよな」


「私は合いの子だから。小さい頃からブラブラ離れる生活をしてて、なんとなく気がついてた。人間は樹に依存はしないでしょ」


 うーむ、そういうもんなのか。


「私はお父さんが帰った後に産まれたから、お父さんを知らないんだよね」


「でも、なんでまた会いたいと思ったんだ?」


「興味……かな。私は妖精の中でもがさつな方だから、言葉にせずに仕草で伝えるとか、伝統とか苦手なんだよね。妖精同士の何も言わずにわかり合えるとか、ちょっと違うなって思う。そんな妖精を見初める人間ってどんな風なんだろうって」


「それだけ?」


「私には大切なことだよぅ。聞いてもお母さんはけっこう(うろ)覚えで物足りないし、帰って行ったことも仕方ないことだって冷めた感じ。人間領に行ったことは判ってるから、お母さんを説得して、溜まってたお金を持って飛び出したの」


「飛び出したぁ?!」


「あ、ちがうちがう」


 レアーナは慌てて手を振る。


「ちゃんとお母さんは説得したよ。単に急いでたってこと」


 おいおい、大丈夫かな。


「でも、なかなか見つからなくって、そのうちにお金が無くなっちゃって。ホテルに泊まれなくって、野宿したら補導されちゃって。働こうにも査証のせいで働けなくって。で、こうなったってわけ」


「そんなにすぐ見つかるわけ無いだろ。手がかりは何だったんだ?」


「『アンティゴノス』って名前だって聞いてたから、それを頼りに、ね」


「それだけか……それは時間が掛かりそうだな」


 レアーナは机に突っ伏して不満をこぼした。


「槽に救助されたんだから、航行日誌を探してるの。領外で生きて救助されるのは珍しいから、必ず日誌に書いてあるはずなんだって。でもすごいたくさんあって、それで時間が掛かるんだ。係員もそんなのには付き合ってくれないから」


 うへえ。それは俺も御免(ごめん)(こうむ)る。手伝うだけなんて、他人には特にキツイだろ。


「お父さんを見つけたら、そこに転がり込めばいいや、って思ってたから、当てが外れちゃってさ」


 いやいや、しっかり転がり込まれました。


「でもまあ、これで時間の余裕も出来た。当座の資金も得た。手当も出るって言うけど、わざわざ『少額』と(ことわ)るからには当てに出来る物では無いだろうから、稼ぐ必要はあるがな」


「暮らして行ければいいから、毎日終日働かなくても大丈夫だよね。空いた時間で航海日誌を漁るつもり」


「もう働き口の当てがあるのか?」


「話さなかったっけ? 果樹園でお手伝いしようって思ってるんだ。ケンはどうするの?」


「俺がしていた仕事は、ここにはなさそうだからな。似た仕事を見つけるまでは、断られにくい急ぎの仕事を受けてみるつもりなんだが、問題はここの常識に疎いことだな」


 俺はソファーの上で大きく背伸びした。


「まあ、商工業組合でバレなさそうな奴を探してみるつもりだよ」




チチチチ。

ピピッ。

バタバタバタ。


 寝台の上で昨晩のことを思い返していた俺の耳に、扉越しの物音が聞こえてきた。


(何の音だ?)


 この家に居るのは、俺を除けば一人だから、『誰が』起こしているのかは判るが……。


「おい、レアーナ。一体何を――」


バババババババ!


 扉を開けた俺を、嵐が襲う。

 部屋の中を飛び交う『何か』。


「うわっ!」


 思わず顔を庇って仰け反る。

 たくさんの何かが、部屋の中を暴風のようにかき回し荒れ狂う。


「きゃあぁぁぁー!」


 どたーん。


 その音をきっかけに、嵐は窓の外に飛び出していった。

 恐る恐る目を開けると、部屋の中にふわふわした物がたくさん漂っていた。

 よく見ると、鳥の羽毛だ。部屋のそこかしこにふわふわ落ちていく。


 居間には尻餅をついたレアーナが、キョトンとした表情でこっちを見ていた。

 ストレートの髪はあちこち乱れ、髪と言わず服と言わず、全身にたくさんの羽毛をくっつけている。

 近くには座っていたらしい丸椅子が倒れている。


「びっくりしたぁ」


「何でこんなことに」


「私の所に、餌をねだりに来てるの」


「それで、これ?」


 部屋の中は羽毛だらけだ。掃除道具を買ってこないと。


「突然入ってくるから、みんな驚いて逃げちゃったよぅ」


「そんな事言われてもなあ。そもそもなんで鳥がくるんだ?」


 レアーナは俺の問いに、あきれ顔になった。


「野鳥が樹に(たか)るのなんて、実を食べたいからに決まってるじゃない」


 テーブルを見ると、手製と思しき巾着(きんちゃく)袋。緩んだ紐と、僅かに覗く植物の種。


「鳥はなぜ樹に来るのか、なんて鳥たちは考えてないよ。でもなぜか私たちのことが判るみたいなんだよね。私もこの街に来た次の日の朝にはもう見つかったよ。それから毎朝来るの」


 野生の本能って奴か。別に餌付けをしたわけでも無くてこれか。

 手を貸してレアーナを引っ張り起こし、倒れた椅子を直す。


「で、何をやってるんだ?」


(ひえ)だよ。安くて、お腹がふくれるみたいなんだよね」


 巾着の中には、黄色っぽい細かな粒がたっぷり入っていた。


「おおっ、懐かしいな。俺も子供の頃に十姉妹(じゅうしまつ)を飼ってて、やったことがあるよ」


「へー。その子達はどうしてるの?」


「近所の野良猫に食べられた。家に帰ってくる度に一匹づつ減っていってさ」


 小さい頃の懐かしい思い出話のつもりだったんだが、信じられないという顔をしたレアーナに、居心地の悪くなった俺。


「いや、変な話になったな。すまん」




 うっかり失言で、またもレアーナの機嫌を損ねた俺は、御機嫌取りのために買い出しに連れ出した。

 今朝の羽毛を掃除する道具も必要だし、なにより食器類が一つも無い。

 昨日はコロッケサンドで不自由は無かったが、これから必要になるのは確実だ。


「どんな物が要りそうなんだ?」


 まずは朝食を取ろうと、山猫館からほどよい所にある露天喫茶店(オープンカフェ)に入った俺たちは、トーストをぱくつきながら話し合う。

 朝食の時間帯だけ路地にテーブルセットと荷台(ワゴン)を広げ、路上で調理をしている店だ。

 卵と紅茶がセットになっていて、俺は茹で卵、レアーナは目玉焼きにしてもらいトーストに乗っけている。


「もぐっ……んぐ……まず、コップと……お皿、食卓用品(カトラリー)。もぐっ……まな板、包丁」


「他にはあるか?」


 ゆで卵と格闘しながら聞く。

 順調に食べるレアーナに対して、俺は茹で卵の薄皮がなかなか剥がれなくてイライラ。おれも目玉焼きにしてもらえば良かった。


「台所用品はそれぐらい。惣菜をちょっと加工するぐらいなら、これぐらいでできるよ。ごくっ……このお茶良い香りだね。あとは石鹸にカーテンとクッションかな」


「くそ……剥がれん。カーテンは要るのか? 鎧戸があるだろう」


「せっかく日当たりの良い部屋にしたのに、ずっと鎧戸締めておくつもり?! 昼間は鎧戸開けて、カーテンにするの。椅子も備え付けの、硬い木製だし。クッションが無いとお尻が痛くなっちゃうよ」


 卵は結局薄皮が取れず、そのまま丸かじりすることになった。



 朝食を済ませた後は、二人で商店街を廻り、必要な物をそろえていく。


 最初に、雑貨屋。

 まずは必要な庭箒と塵取のセットで、塵取に箒を立てかけられるようになっている。これで1デナリ6アス。

 コップは取ってのあるマグ2コで1デナリ2アス。皿はスタンダードな陶製を4枚で3デナリ6アス。

 マグカップと皿は素早く決まったが、カーテンにクッションは、柄にこだわりがあるらしく、十数分の吟味に付き合う事になった。

 カーテンはナチュラルなベージュの無地で3デナリ6アス。クッションは中綿が寄らないキルティングの、ちょっと高級なものを2枚選んで、2デナリ8アス。


 続いて金物屋。

 食卓用品(カトラリー)はスタンダードでシンプルなデザインの鋼製。フォーク2本で1デナリ4アス。スプーンは2本2デナリ7アスで、フォークに対してかなりお高め。木柄のペティナイフは2本で2デナリ4アス。

 店頭でこれも要るよと見せられたパンナイフ。ペティナイフでは棒パン(バゲット)は切れても、山型パンは切れないとのこと。波状に加工されて手間が掛かった一品。なんと6デナリ4アス。

 そして包丁。刃物として本式の物で、形状的には三徳包丁だ。これが5デナリ4アス。


 最後に小間物屋。昨日、枕とシーツを買った店だ。

 まな板はいろんな材木から作られた一枚板が並んでいた。樹の専門家と『自称』するレアーナが選んだのは銀杏(いちょう)材のまな板で5デナリ2アス2コドラント。

 石鹸のコーナーに入ると、むせかえるような香りの渦。男の俺には耐えがたい空間だった。

 石鹸にはちゃんと香料が配合されているようで、良い香りがするものをレアーナがこれまた長時間吟味した。

 バラの精油で香り付けされた10コパックで2デナリ1アス2コドラント。


 締めて38デナリ5アス。

 結構使ったような気がするが、半ミナにもならない。そう考えると、日本円を売った8ミナというのはかなりの高額だったのだな。

 この買い物で、だいたいの通貨感覚がつかめた。

 デナリはおよそ1000円。そこから各通貨の値段を割り出すと、アスは100円、レプタは10円程度だな。

 食品類はレプタ単位まで使うが、小物類はだいたいアス単位で丸めてある。

 金属製品は意外に高くない。代わりに布・木綿が思ったより高かった。


 初めての買い物を二人で楽しみ、両手一杯の荷物を抱えて山猫館に帰った。




 時刻はまだ10時を廻った所。

 俺が羽毛を掃き出す間に、レアーナは買ってきた包みを解いて、しまう場所を決めていく。

 ああ、家族ってこんなだっけ、と思い出させる体験。

 全てを納め終わると、もうお昼が近い。


「レアーナ、お昼は何が食べたい?」


「お肉!」


 即座に返事が返ってきた。

 二人で連れ立って、今度は食堂街へ向かう。


 食堂街は惣菜を買い出す人々でごった返していた。

 昼定食(ランチ)の呼び込みが声を上げる中、俺たちは店頭を冷やかして歩く。

 俺は、客の入りが多そうな店に適当に目星を付けた。


「ここにしよう」


 《軽食『路傍(ろぼう)の石』》。

 店頭の立て看板に書かれた献立は鉄板挽肉焼き(ハンバーグプレート)。これならレアーナも納得するだろう。


昼定食(ランチ)二つ!」




 ジュワー。

 おいしそうな音を立てる昼定食(ランチ)が運ばれてきた。

 とろりとしたチーズがかかっている。添え物は粒コーンと……これはアスパラガスかな?

 ティーカップには紅茶。と、おもったらジャスミン茶だ。

 主食は拳大のコッペパン。篭に一杯だ。昼定食(ランチ)はパンがおかわり自由なのだ。

 スープはキャベツのブイヨン味。すこしバジルが振ってある。

 昼定食(ランチ)は献立が日替わりで、一食9アス2レプタ。

 良い感じのお値段ではないだろうか。


 鉄板(プレート)が冷めるころには、ハンバーグはお腹の中に消え、俺もレアーナも満足顔。

 元気を補給したレアーナは、輝くような笑顔で「果樹園に行ってくる!」と走り出していった。


(いやあ、良い感じだねえ)


 椅子にもたれて、子供を見送る親の気分の俺。

 そこにエプロンを掛けたすらりとした店員。


「食器下げますね」


 カチャン、カチャッ。

 器用に積み上げて腕の上に積んで運んでいく。

 残ったのは伏せられた『注文伝票』。


「……ああっ!!」


  しまった! 勘定、押しつけられた!



 ----- ◆ -----



 夏の爽やかな風が渡る果樹園。

 番外地を出ると、農具小屋や小さな貯草塔(サイロ)が道沿いにある農道が伸びる。

 何か忘れてきたような気がするけど、思い出せないから大したことじゃないよね。


 休耕中の区画には、足の遅い牛たちがのんびり草を食べている。ああやって、下草を食べてもらって、ついでに土地を肥えさせるんだよね。

 番をしているらしい7、8歳の少年が、ぼんやりと牛たちを見ながら草笛を吹いていて、その音が私の所まで微かに聞こえてくる。


 私も小さい頃はアレをやらされたなあ。

 ただ見ているのが退屈で、山羊にちょっかい出して、頭突きを食らって泣いたっけ。

 (しい)の実を集めて豚に食べさせたり、栗の(いが)を上手く剥く方法を考えたりしてたな。


 あー、ちょっと感傷的になっちゃた。


「すみませーん、誰か居ませんかー」


 草葺きの屋根が付いた作業場の下には、檸檬を仕分けるおばさん達。


「あれまあ。この間の妖精さんだよ」


 私のことを覚えていてくれたんだ。


「査証の書き換えを済ませてきました! もう働けます!」


 しゅたっと手を上げて元気に宣言。


「ほうか、ほうか。それはよかったねぇ。それじゃあ、早速手伝ってもらおうかねえ」



 おばさんと二人で道を覚えながらのお仕事。

 手押しの水槽を使っての水やりだ。

 私が押す台車の上に載った水槽からは、管が手押し喞筒(ポンプ)に繋がっていて、おばさんが槓杆(レバー)を押すと、ぷしゅーっと水が出るようになっている。


「こうやって根の辺りに水をやるんだよ。実にかからないようにね。あんまりやり過ぎると根腐れを起こすから、って妖精さんには今更だねえ」



 『水槽』が普及してから、生活は本当に変わった。

 それまでは『水利』が住めるところを決める一番大事な条件だった。

 安全に飲める水、作物にやれる水。それがあるところに人が定住して街を作ったんだ。

 もう川の側の便利なところは、あらかた街が出来てる。

 雨で十分足りる土地、川から簡単に汲み上げられる土地、そんなのとうに誰かが耕してる。


 だから開拓は水場を探すことと同じだったんだ。

 池があっても淀んでいたら飲めないから、結局井戸を掘るしかない。水が出ないとやり直し。

 めぼしいところに井戸を掘ってもダメなら、また次の土地を目指さないといけない。


 やる水が十分にないと、作物は簡単に枯れちゃう。

 そのせいでなかなか開墾が進まず、国が広がらなかったらしい。

 しかし煉丹術が生み出した『水槽』は、そんな停滞を全てひっくり返した。

 安全な水が潤沢にあれば、枯れた大地にも作物が実った。生活出来るようになった。

 人間達は『水槽』を荷車に乗せて、荒野に開拓団を送り出した。


 重たくて、たくさん必要で、すぐ腐っちゃう水は、長旅の悩みの種だった。

 荷車や馬車の『酒樽』が、開拓団すら支えられる『水槽』に変わり、長期の往来が出来るようになった。

 便利な『水槽』馬車はいろいろ付け足されてどんどん大きくなって……ついに『槽』が生まれたんだって。


 そして『槽』で人間領を飛び出した人間達はついに……私たちと出会った。

 妖精領は水が足りないわけじゃなかったけど、いちいち汲みに行かなくても何時でも新鮮なお水は魅力的!

 こっちでも爆発的に普及したんだよ!



「最近は天気ばかりで、そろそろお湿りが要るところだったんだよ。お嬢ちゃん、ありがとうね。私たちだけじゃあ『水槽』は重くてねえ」


 『呼び水』が必要な『水槽』は決して軽くないけど、世間話をしながら押してるだけだった私には、そんなに大変じゃなかったかな。


作業場に戻ると、檸檬は仕分けを終えて、大きさ別に木箱に詰められていた。


「お疲れさん。お茶が有るよ。こっちにおいで」


 取っ手のない陶製のコップを手渡され、真鍮製の丸々とした大きな湯罐ゆかんからなみなみ注がれる紅茶。

 湯罐ゆかんで直接煎じたのか、濃くてちょっとしぶそう。


「はい、これ入れて」


 そういって琥珀色の液体の入った小瓶と、小皿に盛られた薄切り檸檬(レモンスライス)を差し出された。

 これは……蜂蜜だ!

 紅茶にくるりと回し入れ、混ぜ棒(マドラー)で丹念に溶かす。レモンを一切れきゅっと絞って、薄切りレモンをそっと浮かべてできあがり。


 周りのおじさんおばさんは、にこにここっちを見てる。

 ふーっと吹いて、こくっと口に含む。


 爆発する甘酸っぱさ!!!

 『きゅーっ』として、思わずすっぱい顔。

 明るい笑い声が広がった。



 ----- ◆ -----



 渋々、二人分の代金を払った俺は、商工業協会へと足を運んだ。

 昼過ぎで思ったよりも人が少ない。

 仕事にありつけた人は当然居ないわけで、ここに居るのは(あぶ)れ組と言うことだ。

 俺もそう見えるだろうし、そう見てもらわないとな。

 まずはどんな仕事があるのか、掲示板を見てみるとしよう。


 まず目につくのは『運搬系』の仕事だ。


『引越人夫求む。荷車で新居まで家財道具を運ぶ作業です。7デナリ1アス(1日拘束)』


『倉庫在庫入れ替えにつき作業者急募。時給6アス1コドラント』


『仕出し定食配送。昼食を契約の職場に配膳する作業。4アス6レプタ(午前中のみ)』


 A地点からB地点まで、Cを運ぶというやつだ。

 大抵は腕っ節があればなんとかなる内容だな。


 意外に報酬が良いのが『清掃系』の仕事だ。


『募集。厨房で使用済みの食器を洗浄してもらいます。時給5アス9レプタ。賄い付き』


『募集。宿泊用寝具の虫干し作業。時給4アス5レプタ』


『煙突清掃人求む! 詰まった異物の除去と煤払い。11デナリ6アス』


 重たい作業は高報酬、軽い作業はそれなりに。

 さすがに清掃ギルドは無さそうだし、たくさん依頼があるようだな。


 バラエティーに富んでいるのが『接客系』だ。


『広告配り募集。街頭で指定の印刷物を配布してください。400枚配布毎に1デナリ9アス』


『急募! 店舗拡充につき、給仕若干名募集。時給4アス2コドラント3レプタ』


『募集。販売員若干名。街頭で調理・販売を行います。技術指導あり。時給5アス。賄い付き』


 やばそうなノルマのある依頼から割の良さそうなのまで、幅が広いな。


 『公務系』もある。


『街路樹の刈り込みと除草を行います。廃材の搬出から焼却場で処分まで。4デナリ8アス(1日拘束)』


『街路清掃作業に伴う混雑緩和のため、交通誘導員若干名。3デナリ4アス(1日拘束)』


『ガス灯点火作業員。指定の街路のガス灯を点火と夜間の見回り。時給6アス1コドラント』


 報酬はやはり低めだな。しかし無茶な仕事を振られないのは良いかな。



(そういえば、入り口の募集はどうなってるのかな)


 初めて訪れたとき、いきなり出くわした喫緊依頼の掲示板。戻って覗いてみた。

 公衆浴場の依頼は埋まったようで、用紙が外されているが、噴水清掃は残っているな。


『緊急! 噴水の藻の清掃作業を行います。水抜きから実働4時間で終了。清掃道具は貸与。5デナリ4アス』


 夏場なので水藻が繁殖したんだろうな。デッキブラシでゴシゴシしなきゃならんから濡れて汚れるし、人気がないんだろう。

 4時間で5,400円相当か……。

 夏場だけの単発で顔なじみの常連が居る事も無いだろうし、急ぎなら断られることもないんじゃないかな。


(こいつを……やってみるか?)


 思案していた俺はその時、掲示板の隅に鉢に隠れるように貼られた、小さなチラシに気がついた。

 しゃがみ込んで確認する。


『みんなの方術(ほうじゅつ)きょうしつ。とってもかんたん。おともだちといっしょにおぼえてみよう。おけいこ1かい1アス。おこずかいでちょうせんだ』


 なんだこりゃ。


 俺は掲示板の求人票を引き剥がすと、受付に出向いた。


「これに応募したいんですが」


 求人票をみた受付は大喜び。


「よかったー。これなかなか埋まらなくって困ってたのよ。助かるわあ」


 その場で細かい説明を受ける。

 街区の中にある広場の噴水。こいつの苔落としを明後日に行うので、朝10時までに現地に集合。

 作業の終了時に現場監督から認印(シグネット)をもらって帰る。

 それをここで報酬と換金するのが一連の流れだ。


「それと同じ掲示板にあった方術教室にも申し込みたいんですが」


「……は?」


 俺と一緒に喫緊掲示板前まで出てきた受付嬢は、額に手を当ててあきれ顔。


「あー、またかー」


「もしかしてこのチラシは……」


「はい、無許可なんです。こっそり貼りに来るんですよ」


 あー、そうだったのか。


「ちょうどいいから持ってっちゃってください」


 べりっとチラシを剥がした受付嬢は、それを俺に押しつける。


「じゃあ、明後日噴水前。お願いしますね」


 流れで商工業協会から出てきた俺。

 手には方術教室のチラシ。


(ちょうど明日が空いてるし、ここに行ってみるか)


 足を山猫館に向けたところで、レアーナと夕食について何も打ち合わせていないことに気がついた。

 とりあえず帰って、合流してから決めようか。



 ----- ◆ -----



 お茶を飲み終わったら、さっそく次のお仕事が始まった。


「これをね、かけてほしいんよ」


 篭に山盛りに入っているのは、7インチ四方ぐらいの蝋紙ろうがみでできた袋。

 何度か使った跡がある。

 連れて行かれたのは葡萄棚の区画。


「そろそろ鳥除けを掛けないと(ついば)まれるからね。破れてる袋は()けておいてね」


 棚は手を延ばすとちょうど良い高さ。

 どうって事ないお仕事でした。

 でもおばさん達は大喜び。


「わたしらじゃあ、背を伸ばして上を向いたままなのはつらいんよ。ありがたいねえ」


 身を包むように袋を掛けて、麻紐でくくって、次の房。


「あれ、これもうつつかれてるよ?」


「あれまあ。つつかれたのは摘んじゃってええよ。あつめて果汁を搾るでね」


「はーい」


 総出で袋掛け。

 こんなときでも世間話が止まらないおばさん達。

 ついには歌い始めちゃった。


「「「おひさまめぐるおかのうえ~。雲男がやってきたぁ~。びゅうびゅうざあざあ(ふさ)ゆらすぅ~」」」


 微妙に合わない合唱。無性に可笑しくなってきて、口元がむにゅむにゅしてきたぞ。


「「「丘の巨人がやってきてぇ~、どすどすおうおう声あげたぁ~――」」」


 このへんはそんなのが居るのかぁ。

 手拍子のリズムがぴったりくるような、ゆっくり加減に合わせて袋掛け。

 この広い葡萄棚は一日じゃあ全部終わらないから、初めからあくせくせずにやるんだね。


 日が陰り始める頃には、もうみんな帰り支度を始めた。

 一緒に作業場まで戻ってくると、おばさんが前掛けのポッケからちょっと泥の付いたお給金をくれた。


「よくやってくれたねえ。これ今日の分ね。よかったらまた来てね。今度は妖精さんのあの踊りも頼むよ」


「あーあれ? わたしあんまり上手くないけどいいかな」


「ええよ、ええよ。おまじないだしね」


 ペコペコとお互いにお別れをしあって、私は踵を返す。

 草の香り、土の感触。

 踏みしめる地面もどこか懐かしい感じ。

 遠くの街では煮炊きの煙が上がってる。

 里から遠く離れた土地で、私上手くやっていけそう!!!



 ----- ◆ -----



「ただいまー」


 レアーナが帰ってきた。

 帳場で鍵がなければ、そのまま入れるということだから、なかなかうまいシステムだな。


 振り向くと、薄汚れたレアーナ。

 そういえば果樹園に行ってたんだったな。野良仕事の結果か。


「今日は何を食べたい?」


「魚!」


 これまた即答。


「ついでに風呂に入っていこう。着替えを出しとけ」


 俺もスウェットと肌着を取り出す。

 レアーナは新しいワンピースと……こそこそ隠したのは肌着かな。

 着替えの包みを抱えて、二人で夕暮れの食堂街に繰り出した。




「仕事に応募してきたぞ。明後日だけど」


「私は明日も果樹園かな」


 ホワイトソースのかかった切り身魚を頬張るレアーナ。

 周りは食事をする労働者達が三々五々座って、腹に詰め込む作業を真剣に行っている。

 俺は口広のマグになみなみ注がれたホットミルクに、ナイフで切り取った棒パン(バゲット)をひたして囓る。


「そういえば、身体は風呂で洗えても、脱いだ服は何処で洗うんだ? 山猫館には洗濯するところはなかったが」


「んー、多分浴場で聞けば教えてくれるんじゃないかな」


 ああ、そうか。たくさんの衣類を持っていない人達のことを考えると、答えは自ずと出るのか。

 脱いでる間に洗っておかないと困るわな。

 集中して大量に短時間に洗う必要があり、そこは温水が潤沢に使える水場だ。十分に事業が成り立ちそうだ。

 たぶんそれをする業者ギルドが有るのじゃ無いか?


 セットの貝の濃厚スープ(クラムチャウダー)をスープカップから啜り、レアーナが食べ終わるのをゆっくり待った。




 小一時間のあと、共同浴場に向かう俺たち。

 周りは仕事帰りの労働者でごった返している。


 中で入湯料2アス6レプタを払ったら、男女が別れる。

 さすがに混浴ではないようだな。


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