後編
その日の夜は、買い込んだごちそうを囲んで、旅の始まりのような賑やかなキャンプになった。
戦士が「ほら、お前が好きな果物だ!」と、今にも皿からこぼれそうなほど豪快に盛られた山を突き出し、白魔法使いが「……別に頼んでないわよ」とツンとしながらも嬉しそうに受け取る。そんな二人を、騎士が「食事の席くらい姿勢を正せ」と咎め、戦士といつもの言い合いを始めていた。
「黒魔法使い、これ美味しいよ! はい、あーん!」
隣では、勇者が僕の口元に肉の串を突き出してくる。距離の近さにドギマギしていると、おっとりした聖女が「本当に仲が良いですねぇ」と目を細め、シーフが「お金をくれたら私が代わりに『あーん』してあげるよ? 割増料金ね」と悪戯っぽく笑って茶化してくる。
平和。まさにその一言に尽きる夜だった。
「なあみんな。戦いが終わったらさ、何がしたい?」
戦士が焚き火の薪をくべながら、ふとそんな問いを投げかけた。
世界を救った最強の戦士。彼が真っ先に口にしたのは、意外なほど平凡な夢だった。
「俺はさ、実家の村に帰る。もう一生分斧は振ったしな。親父の跡を継いで、土をいじって美味い芋でも作るさ」
「ふん、あなたが作ったら、ひん曲がった不格好な芋しかできないわよ。……でも、まぁ、もう武器の買い出しとか戦費の計算をしなくていい生活っていうのは、悪くないかもしれないわね」
白魔法使いが小さく笑う。彼女もまた、自分の研究室に一度戻って、魔法の研究をのんびり続けたいのだという。
「私は王都の復興に尽くさねばならない。書類仕事が山積みだろうからな」
「お前は戦いが終わっても頭が固いなぁ!」
「無計画な復興などあり得ん。だが……まぁ、たまには貴殿の作った形の悪い芋を、このお調子者のシーフや聖女と一緒に突つくくらいの時間は、作ってもいいかもしれないな」
騎士がいつも通りの冷徹な表情の裏に、深い仲間思いの光を滲ませる。
「ふふ、私は教会を離れて、戦災で行くあてをなくした子供たちのために小さな孤児院を開きたいんです。みんなで遊びに来てくださいね」
聖女の優しい言葉に、みんなが「あぁ、約束だ」と笑顔で頷き合う。
誰もが、自分たちのこれからの明るい未来を信じて疑っていなかった。その輪から少しだけ外れた場所で、シーフがポケットの奥に手を突っ込んだまま、ひどく寂しそうな目で焚き火を見つめていることにも、僕たちは気づけずに。
──だが、その穏やかな時間は、唐突に踏みにじられた。
暗闇を切り裂くように、多数の馬の足音が近づいてくる。
焚き火の光の中に現れたのは、眩い金色の鎧を身にまとった、王都の白銀騎士団の一隊だった。
「──魔王討伐の英雄たちよ。王の御名のもとに、迎えに参った」
先頭の男が馬から降り、慇懃無礼に頭を下げた。だが、その目は全く笑っていない。僕たちを称えるためではなく、まるで危険な猛獣の檻を確かめるかのような、冷酷で底冷えする視線だった。
「さあ、全員で王都へ向かいましょう。陛下が、皆様のために盛大な凱旋パレードと、それに見合う『相応の処遇』をご用意して待っておられます」
使者の言葉が、夜の森に冷たく響く。
平和主義を掲げる僕の胸の奥で、言いようのない不吉なざわめきが、急速に大きくなっていくのを感じていた。
「……せっかくのお誘いだが、断らせてもらう」
静寂を破ったのは、戦士の低く、地を這うような声だった。
「俺たちは全員、死線をくぐり抜けてクタクタなんだ。パレードで愛想を振りまく体力なんて残っちゃいねえ。俺は実家に帰って、泥まみれになって眠るさ」
その言葉に続くように、白魔法使いも、聖女も、騎士も、それぞれの帰路を告げていく。王都の使者はみるみるうちに不快げに眉をひそめ、あからさまな冷気を放ち始めた。世界を救った英雄だろうと、王命に従わない者は不届き者──その剥き出しの蔑みと冷酷さを、僕は見逃さなかった。
このままでは、皆の立場が悪くなる。いや、それどころか……。
僕が黒魔法の詠唱を頭の中で組み立て始めた、その時だった。
「待って。みんなはちゃんと休ませてあげて」
遮るように、勇者が一歩前に出た。
彼女はいつもの、眩しいほどに真っ直ぐな笑顔を使者へと向ける。あまりにも純粋で、だからこそ、見ているこちらの胸が痛くなるような笑顔だった。
「私が代表して王都に行くよ。魔王討伐の報告も、これからの面倒な手続きも、全部私が引き受ける。だから……みんなのことは、静かに家に帰らせてあげてほしいな」
まただ。彼女はいつもそうだ。
戦いの中でも、彼女はいつも自分の傷を隠して他人の手を握った。王都の使者たちが向けている、英雄への敬意を欠いた冷たい視線。その「酷さ」に、彼女は気づいていないわけがない。気づいた上で、みんなの平穏を守るために、自分がすべての泥をかぶろうと笑っているのだ。
「……賢明なご判断だ、勇者様。では、すぐにでも出発を」
使者たちは他のメンバーに見向きもしなくなり、勇者を促す。
明日、それぞれの故郷へと散っていくはずだった僕たちの道は、今この瞬間に、引き裂かれるように分かたれてしまった。
出発の直前。馬車に乗り込もうとする勇者の袖を、僕は衝動的に掴んでいた。
振り返った彼女に、僕は胸の奥を激しくかき乱す恐怖を押し殺し、震える声で言葉を紡ぐ。
「……本当に行くの? 拒否したっていいんだ。僕たちの呪いのこともある。王都の魔術師を頼らなくたって、僕が、何があっても絶対に解いてみせるから。だから──僕たちの傍にいてよ」
「ううん、いいんだよ、黒魔法使い」
勇者は僕の手を優しく包み込み、そっと微笑んだ。
その手のひらは、魔王戦の疲れのせいか、どこか冷たく、ほんの少しだけ震えているように思えた。
「世界はね、平和になったの。それだけで私は、もう命をなくしたっていいくらい幸せなんだよ。だから、私が少しだけ王都で我慢すれば、大好きなみんなが自分の帰りたい場所に帰れるなら、それが一番いいの」
彼女の言葉は、どこまでも澄んでいた。あまりにも無垢で、あまりにも優しすぎて、押し潰されそうなほどの愛おしさと切なさが、僕の胸にこみ上げる。
「ねえ、黒魔法使い。あなたはあなたの故郷に帰って、のんびり羽を伸ばしてね。そして、もし私の体に何かが起きて、寂しくなっちゃったら……その時は、真っ先に私を見つけにきて」
彼女は僕の顔をじっと見つめ、小さく、だけど祈るように呟いた。
「あなたは世界で一番優秀な、私の自慢の魔法使いなんだから。私ね、あなたに最初に見つけてもらえるなら、どんな暗い場所にいたって、絶対に泣かないよ」
それが、彼女の胸の奥にある、まだ名前も知らない恋心のすべてだった。
仲間のために命を投げ出すことを厭わない彼女が、最後に僕にだけ残した、たった一つの、傲慢で切ないわがまま。
「……あぁ。約束する。絶対に、僕が君を見つけるよ。何があっても、どこにいたって、必ず」
僕が喉の奥を詰まらせながら頷くと、彼女は満開の花が咲くような、この世で一番綺麗な笑顔を見せ、王都の馬車へと乗り込んでいった。
それが、僕たちの永遠の別れの始まりだとも知らずに。
◇
翌朝、僕たちはそれぞれの帰路についた。
戦士と白魔法使いの、もう二度と交わることのない背中を見送った。そして僕自身もまた、呪いの手がかりを探すため、一度自分の故郷へと向けて歩き出した。
──いつか呪いを解き明かし、またあの焚き火の夜のように、全員で笑い合うんだ。
その約束だけを抱きしめて、僕は前を向いた。
まさか、その故郷で僕を待っていたのが、仲間たちの命が本格的に崩壊し始めるという絶望の報せであり、僕自身もまた、呪いに侵され続けるということはまだ誰も知らない。
次の日、僕は皆に連絡を取ってみた。
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――勇者、音信不通




