序章
百年にわたる戦争が、ようやく終わりを迎えた。
世界は、ものの数日で平和になった。
魔王と呼ばれた恐るべき魔族が、勇者の手によって討ち倒されて以来、人々は「暗黒時代」の記憶を塗り潰すかのように、連日の祝祭に明け暮れていた。
しかし、その中心にいるべき勇者は、ついに帰ってこなかった。
己の命すら顧みず、聖剣を振るって悪を滅ぼした『無貌の英雄』。
その偉業に感謝を捧げるため、王国は勇者の像を造り、王都の中央広場に据えた。世界に光をもたらし、二度と戻ることのなかった、勇敢な若者の姿を。
あちこちで祝祭が繰り広げられる王都の中でも、中央広場はひときわ豪奢に飾り立てられていた。
花とリボンで彩られた真新しい像。その前には大勢の人々が集い、それぞれの胸に勇者への思いを馳せていた。
騎士たちは故人に敬意を捧げ、その偉大なる姿を見上げて涙する者もいた。
誰もが英雄の死を悼み、その偉業を讃えていた。
──そんな喧騒から隔絶された路地裏に、一人の女がいた。
腰に吊るされた長剣は、もはや廃品と見紛うほどに朽ち果てている。ボロ切れ同然のマントも、壊れかけた黒鎧も、一目見ただけで役に立たないとわかる代物だった。
幼さの残る美貌には不釣り合いな深手を負った『厄介者』の女は、石壁に背を預け、力なく両手足を投げ出していた。
遠くから聞こえてくるのは、平和を謳歌する人々の歌声。
通行人たちは彼女を邪魔な荷物か、あるいは触れるのも忌まわしい腫れ物のように避けて通り過ぎていく。
誰一人として、彼女に手を差し伸べようとはしなかった。
このまま放置すれば、一日か二日のうちに命を落とすだろう。
それほどまでに衰弱しているというのに、女はいったい何が楽しいのか、飽きることなく狭い青空を見上げていた。
血の気を失った唇が、ゆっくりと弧を描く。
まるで、心の底から満ち足りているかのように。
頬を撫でる優しいそよ風が、艶を失った黒髪をそっと揺らしていた。




