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第二十一段 辞退

抱き合ってしばらくして――


「ナギトさんの記憶消失の原因は、おそらく私の母が何かを知っているのだと思います」

「そして、私の記憶からナギトさんのことが失われているのも……」


「きっと、何か意図があって行われたことだと思います」


「私が神社でナギトさんにお会いした日……帰宅して、母を問い詰めようとも思いました……」


「でも、できませんでした……怖かったんです……」


「また記憶を操作されて、もしかしたらナギトさんともう二度と会えなくなるんじゃないかと思ったんです……」


「母は優しいのですが、いつも心の奥に何かを秘めているようで……それに触れるのが、とても怖いんです……」


「大学でナギトさんを訓練していることは、おそらく母も知っているはずです……」


「それでも何も言われないということは、黙認されているのでしょう。だから……このままの関係でいましょう……」



気づいた頃には、花火は鳴り止んでいた。


ナミカに駅まで送ってもらったが、道中、二人はあまり言葉を交わさなかった。


そして別れ際――


「ナギトさん。私は、いつもナギトさんのことを思っていますから……決して一人じゃありません」


「はい」


それだけを交わし、その日は別れた。



次の日以降、ナギトは以前にも増して真剣に訓練へ打ち込んだ。


この日も、ナミカと生体鎧の訓練をしている最中だった。


(自分はもう一人じゃない。ナミカさんがいる――)


その思いが、疲労の奥に残るわずかな力を何度も呼び起こした。


そして、月日は静かに流れていった。



やがて――

生体鎧の学内順位が発表される日が訪れた。


この順位は、授業内で行われた生体鎧試合の総合成績によって決まる。

五位以内に入れば、世界大会への出場が確定する。


なお、大学全体からも別途五名が選抜されるが、

こちらは上級学年が圧倒的に有利であり、

二年生が選ばれることは、ほとんどない。


張り出された電子掲示板に、名前が順に浮かび上がる。


第一位 サルタ

第二位 ウズメ

第三位 コヤネ

第四位 スクナビ

第五位 コゴト


そして――


第六位 ナギト


ナギトは、静かにその数字を見つめていた。


努力はした。

全力を尽くした。

だが――一歩、届かなかった。


胸の奥に、悔しさがゆっくりと沈んでいく。


それでも、不思議と絶望はなかった。


コヤネは声をかけてこなかった。

一番悔しいのがナギト自身であることを、分かっていたからだ。


そしてナギトは、ナミカに対して申し訳なさを感じていた。

あれほど時間を割いて指導してくれたのに――結果が届かなかった。


――その発表の直後。


ナミカは、大学長室の前に立っていた。

そして静かに扉をノックする。


「どうぞ」


落ち着いた男性の声が返ってくる。


ナミカは扉を開け、一礼した。


「ナミカです。シン大学長……お久しぶりです」


「ナミカ様、お久しゅうございます」


シン大学長は、驚いたように目を見開いた。


「お時間、少しよろしいでしょうか?」


「は、はい。もちろんでございます。どうぞ、こちらへお掛けください」


わずかに緊張した面持ちで応対する。


「お母様は、お元気でいらっしゃいますか?」


「はい。母は元気です。お気遣いありがとうございます」


「本日は、お願いがあって参りました」


「ご用件を伺ってもよろしいでしょうか?」


「はい。現在、大学内で生体鎧世界大会の出場選手を選抜しているかと思います」


「私は――世界大会の出場を辞退したく、ご連絡に参りました」


「……えっ?」


大学長の声がわずかに揺れた。


「なぜ、そのような……?」


「ナミカ様は、本学最高の選手です。それを辞退されるなど……どうか、考え直していただけませんか?」


ナミカは静かに首を振った。


「すでに母と相談し、了承を得ております」


そう言って、電脳メガネを操作する。


「今、母と回線を繋ぎます」


「アヤネ様……!」


通信越しに短いやり取りが交わされる。


「……はい」

「……はい」

「……承知しました」


通信が切れる。


シン大学長は深く息を吐いた。


「ナミカ様。出場辞退の件、確かに承りました」


「ありがとうございます」


ナミカは静かに頷き、続ける。


「そして、もう一点確認させてください」


「大学の規則には、最低一名、天然遺伝子の選手を世界大会出場枠に含めるという条項があるはずです」


「はい。その通りでございます」


「私が辞退することで、その枠は空席になります」


「そこで――現在大学二年のナギト選手を、私の代理として推薦したいと考えています」


大学長は目を細めた。


「ナギト選手は、天然遺伝子でありながら、二年生の中で第六位。

学内でも突出した成長を見せております」


「私の代理として、これ以上ふさわしい者はいません」


「……いかがでしょうか?」


しばし沈黙。


やがて、シン大学長は深く頷いた。


「……確かに。ナギト選手の実力と経緯は私も承知しております」


「ナミカ様のご推薦、正式に受理いたします」


「ありがとうございます」


「それでは直ちに、電脳メガネを通じて学内へ発表いたしましょう」


「このような決定は、早く周知するに越したことはありませんから」


「かしこまりました」


大学長は立ち上がり、深々と頭を下げた。


ナミカは静かに一礼し、部屋を後にした。


その頃――

電脳メガネを通じて、ナミカの世界大会出場辞退と、ナギトの代表選手追加が学内に発表されていた。


瞬く間に学内はざわめきに包まれる。


「ナミカさんが辞退!?」

「大学一番の選手だろ……?」

「どうして……?」

「しかも代理が二年生の第六位……?」


驚きと困惑の声が飛び交っていた。


発表を見て立ち尽くすナギトのもとへ、ナミカが歩み寄る。


「ナギちゃん、良かったね! さっそく、お祝いしないと!」


ナミカはいつもの柔らかな笑顔で言った。


しかし、ナギトは素直に笑えなかった。


「ナミカさん……どうしてですか?」

「こんなことになってしまって……」


「嬉しくないのですか?」


「……嬉しくないです」

「ナミカさんが出場を辞退するなんて……どうしてですか?」

「どうして、そこまでして……」


ナミカは少しだけ目を細め、穏やかに答えた。


「ナギトさん。私は、あなたが出場できることを本当に嬉しく思っています」


「もともと、天然遺伝子の選手枠は一つ用意されていました」

「その枠を使ってナギトさんが出場する――何も規則を破ってはいません」


「そして、私が出場するかどうかは……私自身が決めることです」


ナミカは一歩近づき、優しく続ける。


「それよりも、私はナギちゃんに世界を見てほしいの」

「世界大会に出て、もっと広い世界を知ってほしい」

「もっと成長してほしい」


「……これは、私の願いです」


そして、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。


「だから――出るからには、私の期待を裏切らないでね?」


ナギトは言葉を失った。

胸の奥に、悔しさとも感謝ともつかない熱が広がっていく。


周囲のざわめきは、なおも続いていた。


「女王が自ら退くなんて……」

「代理がナギトって……本当か?」

「一体、何が起きているんだ……?」


そのとき――

ナミカは一歩前へ出て、澄んだ声で告げた。


「皆さん。お騒がせしてしまい、大変申し訳ありません」


「私が辞退することになったのは、すべて私自身の判断です」

「ここにいるナギト選手には、何の責任もありません」


「もともと天然遺伝子の枠は一名分ありました」

「私が辞退したことで、その次に該当するナギト選手が選ばれただけです」


「――ただ、それだけのことです」


「もし、この件に不満がある方がいるのであれば、どうぞ私に直接お申し出ください」


場は、静まり返った。


すべての責任は、自らが負う。

その覚悟を、ナミカは一切の迷いなく背負っていた。


だが――

彼女は辞退の「本当の理由」を語らなかった。


いや、語れなかったのだ。


人間の思考や感情は、すべて言葉にできるほど単純ではない。

もし完全に言語化できるのなら、とっくに人は人工知能に取って代わられていただろう。


言葉にできない選択。

説明できない決断。

その非合理性こそが、人間を人間たらしめている。


そして――


裏を返せば。


ナミカのこの決断には、確かな理由があった。


まだ誰にも明かされていない、

彼女だけが知る理由が――。

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