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ターマハラ ― 人間性への回帰 ―  作者: クリコミ
第一章 ターマハラの神憶
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第一段 アヤネとカガセオ

ヤマト暦2029年。

物語は、第二次世界戦争開戦より24年前から始まる――。


ヤマトには、アスカという都市があった。

アスカは人口約五万人ほどの都市で、遺伝子操作を受けていない人間が多く集まって暮らしている。


雨が降りしきる真夜中、

一軒の屋敷の前に、ひとりの赤子が捨てられていた。


屋敷の中から、赤子の泣き声に気づいた一人の大人の女性が、外へ出てきた。

その女性の名は、アヤネという。


一歳にも満たないであろう赤子は、毛布に包まれ、籠の中に入れられていた。

アヤネは外へ出て、誰かいないか周囲を確認したが、そこに人の気配はなかった。


彼女は赤子を大事そうに抱き上げ、そっとあやした。

すると赤子の泣き声はぴたりと止み、すやすやと眠りについた。


そのとき、アヤネは赤子の毛布の中に、一通の手紙があるのを見つけた。

その内容に目を通した瞬間、アヤネの目から涙が溢れ落ちた。


彼女は赤子を胸に抱きしめたまま、静かに家の中へと入っていった。


――この手紙の内容は、赤子が成長した後、アヤネ自身の口から語られることになる。


アヤネには、以前オモダルという夫がいた。

しかし夫はすでに亡くなり、彼女は未亡人となっていた。

外見は非常に若く、美しい女性だった。

黒く艶やかな髪は腰あたりまで伸びている。

細長い目に長いまつ毛を持ち、どこか落ち着いた雰囲気を漂わせていた。


日が昇り、朝になった。

早朝からアヤネは台所に立ち、朝食の準備を手際よく進めていた。

鍋や食器の触れ合う小さな音だけが、静かな屋敷に響いている。


そのとき、玄関のチャイムが鳴った。


「今、手が離せませんの。どうぞ、お入りになってくださいな」


少し大きめの声で、アヤネがそう告げる。


しばらくして、一人の青年男性が台所へ入ってきた。


「奥様、おはようございます」


男性は軽く頭を下げ、アヤネに声をかけた。


「カガセオさん、おはようございます。今日もご苦労さまです」


アヤネは、にこやかに微笑みながら答える。


カガセオはアヤネよりも背が高く、細身の青年だった。

この屋敷は、未亡人が一人で暮らすにはやや大きすぎる家であり、

カガセオはその屋敷に仕える使用人である。


「今、朝食の準備をしておりますので、もうしばらくお待ちくださいな」


そう言うと、カガセオは少し恐縮した様子で、


「いつもご馳走になってしまって……すみません、奥様」


と答えた。


「いいえ。お気になさらないで」


アヤネは小さく笑い、続けて尋ねる。


「それより、体調の方はいかがですか?」


「はい。今日も具合は良いようです。だいぶ慣れてきたようで……」


少し照れくさそうに答えるカガセオを見て、

アヤネはその返答がよほど嬉しかったのか、ほっとしたように微笑んだ。


「それはよかったです」


一拍おいて、アヤネは思い出したように口を開く。


「そういえば、カガセオさん。昨夜、玄関の前に赤子が置かれていたのです。

今は一階奥の寝室で眠らせています。様子を見てきてもらえますか?」


「赤子、ですか!? 一体、どうして……」


「それが、まったく分からないのです。詳しい事情は、後でお話ししますから」


そして、少し急かすように微笑んで、


「それより、早く見てきてくださいな」


「はい、承知しました、奥様」


そう答え、カガセオは奥の寝室へと向かった。


アヤネは再び台所へ向き直り、朝食の準備を再開する。

フライパンからは、ジュージューという音を立てながら、目玉焼きが焼けていた。


しばらくして、カガセオが戻ってきた。

腕には、あの赤子を抱いている。


「奥様。赤ちゃん、もう起きていたようです」


そう言って、少し困ったような表情を浮かべる。


「こうしていると懐かしいです。それと……おしめも、濡れているようで……」


「あら、それは大変」


アヤネは手を止め、赤子の方へ視線を向けた。


「朝食の準備が終わりましたら、すぐに替えてあげましょう。

たしか、娘が使っていたものの残りが、まだあったはずですから。」


そう言って、優しく微笑んだ。


そのとき、小さな女の子が、眠たそうに台所へ入ってきた。


「ママ、おはよ……」


「あら、おはよう。ナミちゃん。もうすぐご飯ができるから、少し待っててね?」


アヤネは手を止めずに言い、振り返って続けた。


「カガセオさん、すみませんが、ナミカを少し見ていてもらえますか?」


「はい、奥様」


「ナミちゃん、おはよう。おじさんと、少し向こうへ行っていようか?」


そう言われて、ナミカは眠たそうに目をこすりながら、


「はぁい」


と返事をした。


それを聞いたアヤネは、少しだけ眉をひそめる。


「ナミちゃん。今、カガセオさんが『おはよう』って言ってくれたでしょう?

そういうときは、何て言うの?」


ナミカははっとして、慌ててカガセオの方を向き、


「おはようございます」


と、ぺこりとお辞儀をした。


そして次の瞬間、


「……あっ! カガセオさん、それなぁに!?」


と、突然大きな声を上げた。

視線の先に、赤子がいたのだ。


「この赤ちゃんはね、今朝、この家にやってきたみたいなんだよ」


「ふーん……かわいー。さわってもいい?」


「いいよ。じゃあ、向こうの部屋に行こうか?」


「はーい!」


二人が居間へ向かっていくのを、アヤネは微笑ましく見送った。


居間に入ると、布団を敷き、その上に赤ちゃんを寝かせる。


「やさしく触ってね」


カガセオがそう言うと、ナミカは小さな手で、


「いいこ、いいこ」


と、赤子の頭をそっと撫でた。

さらに、ほっぺをツンツンとつつく。


「……やわらかーい」


不思議そうに目を丸くしている。


しばらくナミカが赤子と遊んでいると、アヤネが居間に入ってきた。


「カガセオさん、ご飯の準備ができました。

先に召し上がっていてくださいな。

おむつも持ってきましたので、あとは私がやります」


「それと、この子の名前はね……ナギト、と言うのよ」

そう言って、アヤネはそっと微笑んだ。

残されていた手紙に、そう書かれていたのだ。


「ナギト……それじゃあ、ナギちゃん、よろしくね!」


とナミカは嬉しそうに言った。

「ナギト」よりも「ナギ」のほうが、言いやすかったのだろう。


「では、ナミちゃん。ナギちゃんはママに任せて、食卓へ行こうか?」


「えー、やだー。まだ遊びたいー」


そう言って駄々をこねるナミカに、アヤネは少しだけ厳しい声で言う。


「ナミちゃん。それ以上わがままを言うと、ご飯を片付けてしまいますよ?」


その言葉に、ナミカは渋々うなずき、


「……はーい」


と答えて、カガセオと一緒に食卓へ向かっていった。



アヤネは赤子のおむつを替え終え、抱っこしたまま寝かしつけていた。

その間、ナミカはカガセオに見守られながら、朝ごはんを食べ進めている。


ナミカが食べ終わる頃になって、ようやくアヤネが戻ってきた。


「やっと寝ました……」


そう言って、ほっとしたように息をつく。


「ナミちゃん、今は赤ちゃんが寝室で寝ているから、

家の中を走ったりしちゃだめよ。起きちゃうからね」


ナミカは少しつまらなさそうに、


「はーい」


と返事をし、


「ごちそうさま!」


と言うと、さっそく赤子のほうへ向かおうとした。


「起こさないようにね!」


と念を押しつつ、やはり心配になったアヤネは、


「カガセオさん、すみませんが、

しばらくナミカを見ていてもらえませんか?」


と、申し訳なさそうに声をかけた。


「承知しました、奥様」


そう答えてから、カガセオは続けて、


「それと、今日もご飯、とてもおいしかったです。ご馳走さまでした」


と微笑み、ナミカの後を追った。


アヤネは、カガセオが歩いていく後ろ姿を、

やさしく微笑みながら見つめていた……。


アヤネは食事の片付けなどが一通り終わり、エプロンを外しているところだった。

外からはナミカの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。どうやら庭で、カガセオと遊んでいるようだった。


アヤネは赤子の様子を確認するため、寝室へ向かった。

薄暗い部屋の中で、ナギトがぐっすりと眠っているのを確かめると、ほっとしたように息をつく。


「今日は、天気が良いようですね」


そう言いながら、アヤネは庭の二人のもとへ歩み寄った。


「はい、奥様。ナギトちゃんがよく眠っていましたので、

起こしてしまうのはよくないと思い、今日は天気も良さそうですし、

ナミちゃんを外で遊ばせることにしました」


ナミカは庭で蝶々を追いかけ、楽しそうに走り回っている。


「ふふ……お気遣いありがとうございます」


アヤネは穏やかに微笑み、続けて言った。


「本当に今日は良い天気ですね。

たまには、みんなで公園で昼食をとるのはいかがでしょうか?

ナミカが使っていた乳母車や、未開封の粉ミルクもまだ取ってありますし」


と、カガセオに尋ねた。


「それは良いですね! ぜひ行きましょう」


カガセオは、嬉しそうに答える。


「では、準備をしますので、

もうしばらくナミカのことをお願いしてもよろしいですか?」


「承知しました、奥様」


アヤネは微笑み、どこか弾んだ表情を浮かべながら、家の中へ戻っていった。



お昼頃になると、ナギトを乳母車に乗せ、四人で外へ出かけた。

カガセオが乳母車を押し、アヤネとナミカは手をつないで歩いている。

外から見れば、若々しい親子が連れ立って出かけているかのような光景だった。


やがて近くの公園に到着した。

一面に芝生が広がり、木々が青々と茂っている。

ほどよい日陰になる木の下を見つけ、そこに風呂敷を敷いた。


アヤネはナギトを抱きながら、哺乳瓶でミルクを飲ませていた。

その様子を、ナミカは物珍しそうにじっと眺めている。

ミルクを飲み終えると、風呂敷の上にタオルを敷き、その上にナギトをそっと寝かせた。


「さあ、私たちも昼食にしましょうか」


そう言って、アヤネはおにぎりを取り出し、皆に配った。


ナミカはおにぎりを頬張りながらも、何度もナギトの方へ視線を送っている。

どうやら、ナギトのことが気になって仕方がないようだった。


アヤネとカガセオは、にこやかに会話を交わしながら食事をしている。

昔の出来事を思い出して語り合っているようだ。


三人は昼食を終えると、散歩がてら少し遠回りをしながら、屋敷へと戻っていった。


夜になり、夕食が終わった頃。

居間でナミカがナギトと遊んでいる中、カガセオは、アヤネに向かって真剣な表情で問いかけた。


「奥様、これからナギトちゃんをどうなさるおつもりで?」


「……これを」


アヤネは、赤子とともに残されていた手紙をカガセオに手渡した。


カガセオは手紙の内容に目を通し、読み終えると、


「もしこれが事実だとすれば……極めて重大なことです」


と、低い声で言った。


「我々の側で保護すべきではないでしょうか」


アヤネは少し考え込み、静かに首を横に振る。


「長期的には難しいでしょう。まず政府の正式な許可は下りないはずです。

ですが、手紙の内容が正しければ、特権を使って事を進めることも不可能ではありません。

それに……少し調べたいこともあります」


そう言ってから、アヤネは続けた。


「あの子は、しばらくこの屋敷で育てましょう。

少なくとも、学校に入学する七歳になる年までは……」


「承知しました、奥様」


「そうと決まれば……赤ちゃんのミルクやお洋服、それにおむつも買い足さないといけませんね。

当然、カガセオさんにも手伝ってもらいますから」


「色々と忙しくなりそうですね」


アヤネは、どこか張り切った様子でそう言った。


カガセオは、少しだけ微笑み、


「昔を思い出しますね」


と言った。


アヤネは、


「ふふ……そうですね」


と、嬉しそうに答えた。


隣の部屋では、ナミカが笑いながら人差し指をナギトの口元へ近づけて遊んでいた。

ナミカの指をちゅぱちゅぱとしゃぶるナギト。


少し離れた場所から、アヤネとカガセオは、その光景を愛おしそうに見つめていた。


「……こんな幸せな日常が、永遠に続けばいいのに」


その言葉は、かつて人類が失ってしまったものへの、ささやかな祈りのようでもあった。


そして、二年の歳月が静かに流れていった……。

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