29、ヴィルヘルミーナという女性
昨年に立太子の儀を終えたクリスティアン兄様には婚約者がいらっしゃる。南の辺境伯ハルクプライス家の長女で、穏やかな微笑みを浮かべる女神のような女性。そんな方が今、私の目の前で微笑みを浮かべておられる。
今日は王宮でお茶会がひらかれたのだが、その主催者は目の前の彼女だ。たおやかな彼女に挨拶をし、場が和んできた頃に彼女からとんでもない発言が飛び出した。
「あー……堅苦しい! ここはあれだ。うん無礼講でいこう。そうしよう」
「ヴィルヘルミーナ……」
突然の変貌に彼女と初めて会う私は驚いて、失礼ながら二度見三度見をしてしまう。ヴィルヘルミーナ様はお隣に座っておられたセシリア・ヒルシ様に呆れた目線を送られていた。セシリア様はヒルシ伯爵家の長女で、クラウス兄様の婚約者である。
今回のお茶会は少人数で、王太子妃になられる彼女にとって近しい者だけが呼ばれていた。セシリア様はヴィルヘルミーナ様のご友人でもあり、他に呼ばれているのはエレオノーラ様、レベッカ様、フローラ様、ソフィア様、そして姉のユリアナと私。護衛や侍女達は何人もいるが、すでに彼女はこういう方なのだとわかっているのか誰も止めようとしない。
「いいじゃないか。ここは完全にプライベートな空間だ。公式の時は猫をかぶるから心配はないぞ」
「えぇ、あなたの猫かぶりは完璧ですわ。しかし、あなたの事を知らない方にいきなりそれはないのでは?」
「むっ……」
セシリア様は大人っぽくて落ち着いたクールな方だった。ヴィルヘルミーナ様の表の顔は猫をかぶっていたという衝撃的な発言まで出てきている。私とソフィア様以外の方々は知っていたのだろう。動じる素振りもない。
「アマリア様とソフィア様は初めて会うから驚いてしまったでしょう。ごめんなさいね」
「い、いえ……そんな」
衝撃が抜けきらなくて私達二人は首を振って否定するしかできない。ヴィルヘルミーナ様は先程のたおやかな雰囲気を捨て去って、快活な笑みを浮かべている。あれ、この方に似ている誰かを知っているような。
「今ここにいるあなた達には私のありのままを知っていて欲しかったのだ。まぁ、その……いきなりですまなかった」
頭を下げられて謝罪されては慌てるしかない。今では開けた王室として民に近い存在になっているが、さすがに在りのままをさらけ出すわけにはいかない。こういった心の許せる場所が必要なのかもしれない。
「実は前々からアマリア様に会いたかったのだ。殿下がずいぶんと可愛がっているようだったので私にも会わせてくれとお願いしていたのだが、ちっとも会わせてくれなかった」
「あ、ありがとう存じます」
「そんな堅苦しい言葉など不要だぞ。そうだ、ヴィルお姉様とでも呼んでくれ! 私は可愛い妹が欲しかったのだ!」
ぐいぐいくるこの感じは兄様達と同じだ。そんなキラキラとした期待を込めた目で見ないで欲しい。ここにも難易度が高いハードルが存在している。
「ヴィルヘルミーナ、おやめなさい。代わりに私がお義姉様と呼んでさしあげるわ」
「え、セシリアのはちょっとな……では、レベッカ様も私をヴィルお姉様と呼んでくれ! あなたとは義姉妹になるのだから」
「ヴィルヘルミーナ様、その、え……」
レベッカ様に飛び火してしまったが、彼女はクレメッティ兄様の婚約者に内定している。正式な発表は私達が学園に入る少し前におこなわれる予定だ。レベッカ様は婚約者候補として選ばれてから何度かクレメッティ兄様とお会いして、お互いを知っていったそうだ。魔法や魔道具での話が合ったそうで正式に決まった。昔のお茶会では興味が無さそうだったが、今では仲の良い婚約者同士になっている。クレメッティ兄様は誠実で常識人だし、お二人ともしっかりとしているからきっと大丈夫だろう。こっそりと教えてもらえた時にはお二人にお祝いをしておいた。
「なんだかすごいお茶会に来てしまいましたね」
「本当ですね」
私とソフィア様を除いて兄様達の婚約者組と長女の後継者組がそれぞれ盛り上がっている。私もソフィア様もまわりに圧倒されながら、時々ふられる話に混ざったりしてお茶会を無事に終える事ができた。
ヴィルヘルミーナは来年の婚姻の儀に向けて忙しい毎日を過ごしていた。王太子の婚約者として正式に発表されたのは立太子の儀の後にある夜会だった。表向きは穏やかな淑女を演じているが、もしこんな立場でなかったら好き放題に生きていた。
二国の国境と隣接する南の辺境伯家に生まれた自分は剣の道に生き、いずれ大陸中を旅したいと思っていた。淑女としての教育は受けていたが、家族にもとりあえず表向きだけは繕ってくれたらいいと言われていた。きっと無理だろうと諦めていたのだろう。私でも無理だと思う。
そんな風に生きてきた自分が何故かクリスティアン殿下の婚約者候補に選ばれていた。家柄や魔力の相性で選ばれたのだろう。どうせ最終的に私が選ばれる事などないと気にしていなかったが、気づけば婚約者に内定しているではないか。この先も猫をかぶって生きていかねばならないなんて嫌だ。これはもう出奔するしかないと決意を固めていたら、それは家族に止められた。
内定してから殿下と何度か二人でお茶をする機会があり、もし今ここで本性をさらけ出せば解消してもらえるのではと浅はかな考えが過る。
「殿下、私はその……」
「何かな?」
穏やかな笑顔で聞いてくださる殿下には悪いが、今から私は自由を手に入れるのだ!
「で、殿下!わた……」
「あ、もうその猫かぶりはいいよ」
「へ?」
「その間抜けな顔も自然でいいね。私はそちらの方が好ましいよ」
先程までの紳士的な態度から一変、穏やかな笑顔が面白い玩具を見つけたかのような笑顔に変わっている。口をぱくぱくとするしかできなくて、次の言葉が出てこない。
「君とは政治的なあれこれや魔力の相性で決まったのだけど、君は自分自身を守る事ができるだろう? 表向きは淑女の鏡として評価されているし……うん、何よりその性格が面白い」
「おもしろい……」
「うん。この先の人生を共にするなら一緒にいて面白い人がいいと思ったんだよ。昔みたいに王族の婚姻もかたいものではなくなってきている」
殿下の言うように貴族の結婚も昔とは変わってきており、恋愛結婚も増えている。だからと言って私は殿下に恋愛感情はいだけなさそうだ。それは殿下もではないだろうか。
「そういえば君は可愛いものに目がないそうだね。嫌がる弟にドレスを着させて妹として扱ってみたり……」
「それは幼少期の事だ! ……ですわ。おほほ」
「そんなとってつけたように誤魔化さなくてもいいよ」
何故それを知っているのだ。まさか婚約の際にそんなささいな事までも徹底して調べられているのだろうか。
「妹が欲しかったのは本当ですよ。私は可愛いものが好きなのです。ふわふわした小動物なんて最高ですね! まぁ、懐いてくれませんでしたけど」
「それは可哀そうに。そんな君に私と結婚すればもれなくついてくる可愛い妹達を紹介しよう」
「妹達ですか?」
「そうだよ。君も知っているだろう? 君の尊敬するアードルフ殿の孫娘、キルッカの天使だよ」
「キルッカの天使!!」
それはまさに私が崇拝しているアードルフ様の孫娘達につけられた二つ名。次女であるグロリア様はとある事情で表には出て来られないが、三姉妹はまさに天使そのもの。彼女達の情報はひとつたりとも逃すわけにはいかないので、私は全力で集めていた。
「うわっ、ストーカーかよ……ごほん。そうだね、天使だよあの子達は。だから私の伴侶となる者にもあの子達を妹同然として可愛がってくれる女性が望ましい。君みたいにね」
「シスコン殿下、私でよければこの先もあなた様を末永くお支えしますわ! 共にこの国を守っていきましょう!」
「言質はとったからね。これからよろしくね、ヴィルヘルミーナ」
「えぇ、クリスティアン殿下」
こうして私は特大の餌につられて猫かぶりと自由を天秤にかけた結果、殿下の婚約者になる事を選んだ。殿下とはきっと愛し愛されるような関係にはならないだろう。それでも戦友のような家族にはなれるのだと思う。
親友のセシリアも第二王子殿下の婚約者に内定し、第三王子殿下の婚約者にはレベッカ様。合法的に可愛い妹達を得る事ができた私には猫をかぶり続けることなどささいいな問題。国民達を騙すようで申し訳ないが、より良い国になるように殿下と頑張るから許して欲しい。
ところで殿下、いつ私にキルッカの天使を紹介してくださるのですか?
紹介してくださったが、なぜ渋々なのだろうか。それに三女のアマリア様には結局、自分で招待したお茶会まで会う事ができないのだった。




