みむろキャンプ
みずうみのすぐそばの、真っ暗なくさはらの中でご飯を食べた後、私たちは車の中で寝て、起きたら朝になった。
でっかいみずうみは、昨日とは全然違った姿になった。
黄色い朝日にきらきらと光るみずうみから、湯気みたいなもうもうとした煙が全体に立ち上っている。それがぐるりと周囲を囲むお山のなかで、まるでぐつぐつ煮えてるみたい。みずうみとお山の間は、見渡す限りの広い”くさはら”。
冷たい空気が、鼻の穴から奥にすっと入って、口から吐き出された。
私と真歩おねえさんは、このくさはらの中を真っすぐに突っ切っている道のそばで寝泊まりしたみたい。周りには明かりが全然ないから、昨日はどういうところなのかちっとも分からなかったけど、朝に起きて、それで車から降りて周囲を見渡したらやっと理解できた。
車の周りをぶらぶらと歩いていたら、おねえさんが起きて来た。
「なにしてんだ」
眠気で気だるそうに訊いてくるおねえさんに、私はもうすっきりと目が覚めた頭で答えた。
「さんぽ。ぶらぶらしてたの」
「あんまり遠くに行くなよ」
そう言って、おねえさんは朝食の準備をし始める。
目を細めて、鼻でしきりにため息をつきながら髪の毛をわしゃわしゃするおねえさんが、なんだかおかしくて笑った。
おねえさんが”焚き火”を作っている間、私は”くさはら”のモノを弄って遊ぶ。
大きな灰色の石ころがあったから、「よいしょ」て持ち上げたら、下から変な生き物がブワッて溢れた。
細長くて黒いものや、足の長いものや、背中がまるっこくて足がびっしりあるものたち。
あまりにもぶわーって一斉に動き回るから、怖くなって石ころを元に戻した。でも戻したあとに「あっ」て、「潰れちゃう!」て思って、もう一度持ち上げたらいきものたちはへっちゃらで、相変わらず逃げまどってる。
こんなに小さいのに、身体がとっても丈夫みたい。
雪保よりも、だんぜん硬いかもしれない。
おねえさんが私を呼ぶ声が聞こえたので、急いで戻った。
「あのね、いしの下に、変なものがいっぱいいた」
「みだりに触るな。手、これで拭いて」
「うん」
朝ごはんは、硬いパンとあんまり美味しくないスープ、それから干からびたお肉。
「ここは、どこ?」
私が訊くと、おねえさんはゆっくりと答えた。
「琵琶湖。京都と目と鼻の先の場所で、でかい湖があるところ」
めとはなのさき?
えっ。私に、なにかついてるのかな。
お鼻をいじっていたら、おねえさんはスカートのすそで手に付いたパンの粉を払うと、すっと立ち上がった。首をかしげている間に、おねえさんはモノたちをぼんぼんと車に放り込む。
急がないと置いてかれちゃいそう。
私は慌てて朝ごはんをくちに運んだ。
おねえさんの車は、とてもスピードよく進み始めた。
”くさはら”が、まるで横に走っているみたいに過ぎ去っていく。でも、きらきら輝く朝のみずうみはずっとあって、車の後ろ側に消えちゃうことはない。しばらくすると、”くさはら”はどんどんと左右ともに縮んできた。左にはみずうみが近くなって、右ではみどり色のお山が迫ってくる。
突然、ふっと”くさはら”が消えたかと思うと、代わりに灰色の平らな地面と、真っ黒な道が姿を現した。
お腹のあたりがきゅっとした。
真っ白いブロックが、目の前のガラスの向こうに見えた。それが、どんどんとこっちに迫って来る。
紙のように白いそれは、もうすぐそこにまで近づいたお山をちょうど前でとうせんぼするみたいに、どーんと構えていた。のっぺりでつるつるで、窓がない。下の方に小さな口が開いているだけで、そこに柵と、人が立っている。
「停まって、停まって」
おねえさんの席の窓から、外に立つ人の声が入り込んできた。
昨日の“けんもんじょ”で出会ったおじさんと全く同じ格好をした女の人が、赤い棒を振り回しながらおねえさんの車に近づいてくる。
車は停まって、おとなしくした。
目の前のブロック壁が、ぽっかりと開いた四角い通路を、ずっと奥まで続かせている。柵が降りているから、車は進めないし、赤い棒を振り回す女の人も無視できない。
「ID見せてね」
髪の毛を後ろで一本にまとめた女の人が、おねえさんにてきぱきと言う。おねえさんは無表情で右手にはめた指輪を、そばにあった機械にさっと押し当てる。機械は前向きな言葉を言うと、ピピっと鳴ってとおせんぼの柵を開かせて、「気を付けて行ってらっしゃいませ」って、とっても優しい声で言った。
赤い棒の女の人は大きい声で、柵の退いた目の前のぽっかり口を指さして言った。
「この通路を出ると国道がまっすぐに続いてるから、下手に降りないでそのまま進めば、ミヤコエリアに着くよ。行き過ぎると新神戸に出るから、気を付けて」
「ありがとうございます」
「はい。いってらっしゃい」
おねえさんは軽く頭を下げると、窓を閉めて車を発進させた。
車はブロック壁のお口の中にさっと入った。オレンジ色の薄ぼんやりとした照明が、私のおめめをぱちくりとさせる。
はちおうじ市で見た、あの真っ黒いトンネルに造りがそっくり。明るいから、あれと比べたら全然こわくない。
オレンジの通路が終わると、車はせまい坂道に出た。
ここはごてんば市に向かって走った山道にちょっとだけ似てる。
ぐいぐい降りていくと、今度は銀色のプレートに挟まれた広い道に出た。車はおねえさんの車以外にいない。プレートは、昨日の”ゆうひ”の道のものとそっくり。青い板が道の上にかかげてあって、そこには白い文字で「山科-Yamashina」って書いてあった。その隣には、「京都東出口」。銀のプレートの背が高くて、景色はなにも見えない。
真歩おねえさんは急に加速し始めた。車がガクンてなって、おっぱいにベルトが食い込む。
車はしばらく山だらけのところを走っていたけど、突然それが終わった。銀色のプレートが切れたところから、一面真っ白のさっぱりした街が現れた。真歩おねえさんの操作する姿の向こう側に、かすんで見える遠くのお山まで全部が白の、大きな板みたいな不思議な街。平らで広くて、高い建物がない。つるつるとしてて、モノとモノの隙間が多い。まると三角と四角だけで、すべてができてる。太陽さんの光で、きらきらとしている。
よく見ると、街の奥に、おかしなエリアがあった。そこだけ木がたくさん生えていて、建物も何もかも、おかしなくらいに違う。おうちがとっても古そうなものばかり。あのエリアだけなんだか、にぎやか。見たこともない形の建物がたくさん並んでいた。真っ白い四角の街の中に、ごちゃごちゃとしたいろんな色の詰まったもう一つの街が嵌まっているから、とっても不思議。
はこね街で見た光景とマグメルによく似たそこは、こわいのとわくわくとが混ざる、変わったところ。きれいで不思議だから、ついつい見ちゃった。
真歩おねえさんは見向きもしない。
ただ黙って、車のわっかを握っている。
きっと、あれが”きょうと”だ。
「すごいね」
「うん」
そっけないおねえさんの返事を聞きながら街を見ていたら、周りが急に暗くなって、オレンジ色の光がぼんやりと溢れた。
どうやらまた、トンネルに入ったみたい。
前の方に、赤いランプと白い光が見える。
赤いランプは全然大きさを変えないけど、白い光はどんどんとこっちに近づいてきていて、それがうんと眩しくなったら、シャーッて大きな音を立てて通り過ぎていった。
私は振り返ってみる。おねえさんの詰め込んだごちゃごちゃ荷物の隙間から、赤いランプとよく似たモノが今度は逆に遠ざかっていくのが見える。
前を向いたら、また同じように白い光が通り過ぎた。これが何度も起き始める。
私は理解した。おねえさん以外の車が、隣の道を走ってるんだ。今までの道と違って、ここはたくさんの車さんが走っている。
「おねえさん、車さんがいっぱい」
オオオと唸る車の中で、私は聞こえやすいように少し大きめの声でおねえさんに話しかけた。おねえさんは薄暗い車の中で前だけを見ながらゆっくりと頷いて、聞き取りにくい声で「他の車両が増えて来た」と言った。相変わらずおねえさんの声は小さい。
ようやくトンネルを抜けたと思ったら、いきなりマグメルだらけのところに出た。
右も左も、全部が白い建物で、私はびっくりしすぎて、声が出なかった。
自分がまるで覆いかぶさられているみたいに錯覚したそこは、色んな形のマグメルが複雑な形で入り乱れている、とんでもないところだった。お互いが通路みたいなものでつながっていて、それが自分たちの頭上にたくさんひしめいている。あまりにもぎゅうぎゅうだから、太陽さんの日差しがちっとも入ってこない。妙に薄暗くて、朝なのに”ゆうがた”みたいに寂しい感じでこわい。
まるでマグメルの森に来てしまったみたい。
私はこわさのあまり、ぎゅっと目をつむった。
真っ白な世界は途端に真っ暗になって、何もなくなった。
音が溢れる。おねえさん以外の車が周りに増え始めたから、聞き取れないほどの多くの音が私の耳を支配している。感じるのは途方もなく不安になる音の洪水と、ばくばくといつもよりずっとおかしく暴れる自分の胸の鼓動だけ。
頭にかっと血が上ったみたいで、くらくらする。
しばらく席に縮こまっていたら、ふっと瞼の裏に明るさを感じた。
目を開けると、車は高い橋みたいな道路に出ていた。目の前には横にずーっと連なる緑色のお山が広がっている。
薄暗くて不気味な“マグメルの森”は、どうやら抜け出したみたい。
ほっと一息つく私に、おねえさんは気になった様子で訊いた。
「マグメルにトラウマでもあんの」
やっと落ち着いてきた自分の呼吸を整えながら、私は「とらうまってなに?」と質問した。
おねえさんは答える。「これを見たら嫌だってなる気持ちと、その原因のもの」
問いにちゃんと答えようと思ったけど、やめた。
マグメルについては、あまり言いたくない。言ったらちょっと、自分についてばれちゃう。
だから私は静かに頷いて、あとはそのまま何も言わなかった。
おねえさんもそのまま、操作した。
お昼くらいになると、私たちの乗る車が突然おかしな感じになり始めた。
キュルキュルキュル、みたいな変な音が出て、結構うるさい。出来るなら今すぐ止んでほしいというくらいに大きく鳴る。動きもおかしくて、たまに力が抜けたみたいになったと思ったら、急に走り出したり、また力が抜けたりする。
普段から大人しめのおねえさんもさすがにキョロキョロとしだして、車をいったん道のすみに停めた。
いつもは触らないスイッチを押して車を降りるおねえさん。私も降りて、隣に立つ。
車は、顔の部分が少しずれて、黒い隙間をのぞかせていた。
おねえさんはその隙間に指を突っ込むと、ぐいと持ち上げる動作をした。そしたら車の顔の皮が剥がされて、中身が丸見えになった。
私はぎょっとした。車さんのあられもない姿に、ちょっと気持ち悪くなる。
よく見てみると、車さんは白い皮の下にいっぱいの仕組みを内蔵していた。ぎゅうぎゅう詰めで、どこがどういったものなのかさっぱり分からない。
普段は見えないようにされてる車さんの中身に興味が湧くと同時に、ちょっと嫌だなって思った。
だって皮を剥かれた車さんはいつもと違って、こわい。突然車さんが恐ろしいものになってしまったみたいで、嫌だ。普段のコンパクトにまとまったかわいい姿の方がいい。
おねえさんは慣れない手つきで、車さんの中身を弄り始めた。
手探りってことばがあるけれど、今のおねえさんはまさにそういう感じ。あれを弄ってみるけど、何か違う。だったらこっちを弄ってみるけど、どうも違う。
おねえさんが頻繁に首をかしげ始めたところで、私はそっと訊いてみた。
「車さん、こわれちゃった?」
おねえさんはずらされた皮をバンッと戻すと、すすまみれになった手を払いながら、困った様子で言った。
「分かんない。まだ走れないこともないから、もう少し持つとは思うけどな。でもまあそれも、時間の問題か」
「車さん、なおる?」
「高いからぜひとも直ってほしいね。頼むわ」
呟きながら、おねえさんは自分の席へと向かう。私も反対側へ回って、自分の席に座った。
「薄々寄ろうと思ってたけど、こうなったら嫌でも行くしかない……か」
窓際に頬杖をつきながら独りごちるおねえさんに、私は「え?」と反応した。
おねえさんは答えず、黙って地図を取り出して、ページの表面を指でなぞり始める。
「どこか、別のところに行くの?」
「うん」
「どこに?」
「タダで車をなおしてくれるとこ」
そんなところがあるんだ。
なんて便利で、優しいところなんだろう。
感心していると、車は再び走り出した。
調子が悪いけど、車さんは頑張っている。
あれだけ溢れていた他の車は、いつの間にかひとつもなくなっていた。マグメルの森を抜け出たところから、全然いなくなったらしい。おかげでおねえさんの車が調子をおかしくして停まっても、大丈夫だった。車さんは頻繁に気絶しかけて、三回目か四回目の時はなかなか目を覚まさなかった。おねえさんも「いよいよだめか」って、諦め顔で呟いたら車さんは復活して、しばらく元気になった。
車さんが復活したのが嬉しくて、私は席のシートを撫でながら応援した。
きっと車さんとおねえさんは、長い間パートナーだったんだと思う。だから、おねえさんが少し悲しそうな顔をした時、車さんは復活したんだ。
私も、二人のパートナーになれるかな。
最後にもう一度車さんが停まっちゃったとき、私たちはお昼ご飯を食べて、それから時間を置いて再び出発した。
お腹いっぱいになったせいか、私はついうとうとしちゃって、車さんを応援しているうちにぐっすりと眠ってしまった。
「雪保」
肩を強く揺さぶられて、目を覚ました。
まぶたをこすりながら、状況が良く分からないまま私は唸る。
「ここ、どこ……?」
「兵庫の山奥」
おねえさんの声がどこからか聞こえてきて、掴まれていた肩がそっと解放された。
目を開くと、おねえさんは私の顔を覗き込むようにしていた。
おねえさんも眠そうで、私が起きたのを確認すると顔を引っ込ませ、車の外で伸びをする。
私も車を降りて、スカートのしわをパンパンと払ってから、深く息を吸って周囲を見回してみた。
おねえさんの言う通り、ここはどこかの山おくらしい。真っ黒な影を落としたお山と、真っ赤に染まった”ゆうやけぞら”が、すべての方向を包んでいた。もう殆ど夜といってもよさそうなくらいに暗くて、ちょっと不気味な感じ。
キョロキョロとしてたら大分先を行ったおねえさんに「こっちこい」と呼ばれて、急いで追いかけた。
土が柔らかい。草が全然生えてなくて、かわりにむき出しになった地面が一面に広がっている。べちょべちょしてて、泥に足を取られる。
おぼつかない足取りで走っていたら、おねえさんがこっちに振り向いて、そっと右手を差し出してくれた。私は飛びつくようにしておねえさんの手を握った。助けを借りて、よいしょ、よいしょと泥を踏み抜く。
ここは、さがみはら市で見たキャンプ場に似ている。
あそこと違って木がだいぶひらけているけど、だいたいの雰囲気は同じだ。おねえさんの持っている明かりとそっくりのものがいくつか灯っていて、そのおかげで何も見えないということはなかった。ちらちらと揺れる光が、”ゆうひ”の暗がりに浮かび上がっていてとてもきれい。
木の陰に車がいくつも停まっているのが見えた。どれも大きくて、トラックさんみたいな大型の車。
人もたくさんいる。私たちとは全く違う服を、みんなおそろいで着ている。彼らは一人で歩いてたり、ニ、三人で立ちながら話をしている。大きな荷物をトラックみたいな乗り物からたくさん運び出したり、綺麗に整列しながら、大声で呼びかけ合ったりしている。
「来たね、真歩。久しぶり」
急によく通る声が背後から飛んできたので、私はびっくりして振り向いた。
髪をまとめた女の人がいつの間にか、しゃきっとした姿勢で私たちの後ろに立っていた。みんなとおそろいの服とズボンの袖をまくり、えっへんといった感じで腕を組み、にやりと笑っている。
おねえさんは歩くのをやめると、私の手を放してその女の人に向き直り、言った。
「実結。車が壊れた。直してくんない?」
おねえさんが“みゆう”と呼んだ人は、片方の眉を上げて、大声で返した。
「久しぶりにきたと思ったらそれ? また無理な乗り方したんでしょ」
「山道ばっか走ってたから」
「ああ。あんたね、それだったら軽自動車から乗り換えたほうがいいよ。いくらなんでも満載の軽で全国津々浦々は流石に酷だよ。いい車ならあたしがあげるって何度も言ったよね」
「直してくれんの?」
「相っ変わらず話聞かないね真歩。ここは修理屋じゃないんだよ」
みゆうさんはさっと向きを変えると、荷物のたくさん積み上げられている広場に向かって、足早に歩き始めた。
おねえさんもそれにならう。途中、私を置いてけぼりにしたのを思い出してか手招きしてきた。
私が二人のおねえさんに追いついたころには、明かりの置かれた簡素なテーブルを挟んでなにやら話し合いが行われていた。
「こっちの仕事に見合うだけのものは、持ってきてくれたんでしょうね?」
テーブルの上に散らかった用紙をかき集めながら、“みゆう”さんは早口でまくし立てる。
対しておねえさんは、いつものように静かに答えた。
「足と情報ならそれなりにはあるよ」
「だったら今すぐ手配するよ。どうちゃん! いる?」
どーちゃん?
みゆうさんが暗がりに向かって叫ぶと、物の陰からまた知らない女の人が出て来た。
“どうちゃん”と呼ばれたその人は、やっぱりおそろいの服を着ていた。でもみゆうさんみたいに着崩していない。背が小さくて、でも背筋はぴんと伸びている、物静かそうな人だ。
「奇妙なあだ名で呼ぶのはやめてくださいと、何度も言っているはずですよ」
なんの感情もなさそうに、つまらないとさえ思ってなさそうな表情でどうちゃんさんはぴしゃりと言った。
その様子がみゆうさんにはおかしく思えたのか、あははと笑うと、用紙のくっついた黒い板を振り回しながら謝った。
「ごめん、堂子。でもこっちのほうが、呼びやすくて」
「周囲の士気と私の名誉に関わるんですが」
「殺気立ってるよりましかなって。これ、手配してくれる?」
「なんです?」
「友人への手助け」
“どうちゃん”さん改めどうこさんは、おねえさんが静かに立っているのを見つけてちょっと驚いた顔をすると、さっと頭を下げた。
おねえさんも同じように、頭を下げる。
わずかな沈黙の後、どうこさんは黒い板を受け取って、左腕を変な形に掲げながら言った。
まるで、眩しさを防ぐため、手のひらを目の上に被せているみたいだ。
「お久しぶりです、真歩さん。今回も私たち中庸軍にご助力いただけるのですか」
おねえさんはやや返答に遅れたあと、「うん」とつぶやいた。
どうこさんはかすかに笑うと、黒い板を脇に携えてお辞儀し、泥だらけの広場に消えた。
みゆうさんはそれをにこにこ見送ると、私を見つけて「あれ」と言った。
「真歩、その子は誰?」
「あ、こいつは」おねえさんは一歩退くと、私をみゆうさんに見せるようにして説明した。「道端で倒れてた、どこかの子。そのままにするわけにもいかないし連れて来たら、懐かれて」
「へぇ」
みゆうさんは興味深げに、私の顔を見つめてくる。
恥ずかしくなった私は、真歩おねえさんの後ろにもぞもぞと隠れた。おねえさんは私の肩にそっと手を置いてくれたけど、恥ずかしさは中々消えない。
「名前は何て言うの?」
みゆうさんがまっすぐこちらを向いて訊いてくるので、私は緊張気味に答えた。
「ゆきほ、です」
「ゆきほちゃんか。そっか。私はね、みゆう。御徒町実結。宜しくね」
「よ……ろしくおねがいします」
おかちまちみゆうさんはにかっと笑うと、おねえさんに向かって大きい声で言った。
「あんたが子供の面倒見るなんて、ちょっと意外」
「成り行きでそうなっただけ。わたしは何度も断ったんだよ」
おねえさんはちょっと恥ずかしそうに言い返す。みゆうさんは派手に笑うと、「そうかそうか」と言って、私とおねえさんの肩を叩いた。
「ま、なんにせよ今日はゆっくりしていきなさいよ。今晩はみんな大好き、カレーだよ? 食べるでしょ?」
真歩おねえさんは、不安そうにしていた私の手を握りながら頷いた。
みゆうさんは「よしきた」と指を鳴らして、「ようこそ、三室キャンプへ」と左腕を掲げ、地面を蹴った。




