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まほろば  作者: 一歳真誉
外の世界
14/15

レトルトのパスタ

 あの真っ黒な橋を離れてから、随分と経った気がする。

 車は森のぐねぐね道を相変わらず進んでいた。そしたら、周りを覆っていた木が突然みんなどこかに消えて、きらきらと明るい空の光が目の中に飛び込んでくる場所に出た。

 瞼を擦りながら窓の外を覗き込むと、どきっとした。

 車はお山とお山の間に伸びる細い橋の上を走っていたんだけれど、下に、ずっと向こうまで伸びる、見覚えある真っ黒な道があった。

 道の周りには、長方形の白い建物が等間隔に並んで建っている。

 どれもがまる、さんかく、しかくのみで出来た、真っ白なモノたち。

 雰囲気が“マグメル”に似てる。

 咄嗟にそう思った私は、心臓がきゅんてなるのを感じて、急いでドアの陰に隠れた。

 おねえさんが変な声を出して訊いてきた。

「なに、どうした?」 

「あれって、何?」

 外のものを指さすと、真歩まほおねえさんは車を停めて、橋の下を覗き込み始めた。

 私は『とまらないで!』って思ったけど、教えてしまったのは自分だし、おねえさんがそうしたいならしょうがない。

 おねえさんはふたたび車に戻ると、席のベルトをしゅるりと付けながら言った。

「工業地帯だな」

「こうぎょう、ちたい?」

「うん」

 のろのろと車を進ませながら、おねえさんは橋の下の景色を見ながら言う。

「あっちの幹線道路を使った方が、西に早く着くかもしれない」

 私は心の中で、ガーンて思った。

 言わなければよかったって後悔した。

 おねえさんはそのまま今いる橋を渡り切って、森の中に入る。木の枝とか、土とかがいっぱいにくっ付いた灰色の細い道。少し進むと、さらに細い道があって、“至美濃工業地帯”て書かれた小さな板が、伸び放題の草の中に斜めに突き刺さっている。

 おねえさんは「あっ」て顔をして、その脇道に入る。泥だらけの薄暗い場所を通り抜けると、橋の上から見えていた真っ黒い道が目の前にひらけた。晴れた空の下に、黒い道と白い線と、いくつもの青い板がてりてり輝く。

 おねえさんは左右を確認して、車を道の中に走らせた。でも、周りを見てもおねえさん以外の車はなかった。少し進むとあっという間に白の建物たちに囲まれたので、私はますますドアの陰に隠れた。

 自分が抜けだしてきたマグメルと同じような、お山ほどもある高さの、のっぺりとした建物たちがずっと続いてる。不自然なほどきれいで、整ってて、巨大な、にんげんの場所。

 突然、おねえさんは足元のペダルを踏んで車を停めた。

「どうしたの?」って声を掛けると、おねえさんは黙って外を指さした。

 見ると、両脇にある建物から、おねえさんの車とは比較にならないほど大きい車が並んで溢れかえり始めてる。車は、どれも白い。四角い箱みたいな形をしていて、表面には「岐阜県南工業・恵那工業団地」て書いてある。道の手前に黄色のランプを点滅させるモノがあって、これがピカピカとしている間、大きな箱の行列は私たちを通せんぼした。

 おねえさんは小さく鼻を鳴らすと、窓べりに頬杖をついて言った。

「面倒なのに捕まったわ」

「あれはなに?」

「一帯の工場の運送トラック。出終わるまで待つしかないな、これは」

 “トラック”の行列は思った以上に長くて、中々終わらなかった。

 おねえさんは腕を組んで、いらだたしげに席に寄りかかる。操作を途中で放棄しちゃったみたいに見えて、私はちょっと焦った。

 おねえさん、ここでやめたら車は走れないよ。

 でもひと眠りしてもよさそうなくらい、トラックさんの行列は続いていく。

 窓ガラスに顔を近づけて外の様子を伺うと、黄色いランプのそばに人がいるのを見つけた。

 その人は白い服に、白い帽子を被った姿でトラックさんの溢れていくのを黙って見守っていた。太陽さんが元気いっぱいに雲の間から顔をのぞかせ始めたのに、暑そうな長袖長ズボンの恰好。

「おねえさん」

「ん」

「ひとがいる」

 おねえさんは面倒くさそうにシートから身体を起こすと、私の指差している先をじっと見た。

 ランプのそばに立っているひとが、タブレットみたいなものを持ってうろうろしている。

 おねえさんはしばらく見つめて、呟いた。

「工場の従業員だろ」

「あの人は何をしているの?」

「仕事」

「しごと、って?」

「世の中を動かすために毎日する、色んなこと」

「おねえさんのこれも、しごと?」

 おねえさんはちょっと「ぐっ」て詰まった表情をすると、煩わし気に答えた。

「そうだよ」

「ざっかやの、ねーちゃん?」

「そうそう」

 外からいきなり『ピー』って音が聞こえてきたから、私は驚いた。

 ランプのそばにいたひとが、私たちのいる道とつながっている場所に柵をおろして、こっちに向かって頭を下げてる。

 おねえさんはそれに対して何の反応もしめさず、もう一度走り始めた。

 “こうじょう”から出てたトラックさんは、気付いたらずっと向こうを走っていた。おねえさんはそれを追いかけるように操作する。

 私は車に付いてる鏡からさっきのひとを見つめながら、訊いた。

「しごとって、面白い?」

「場合による」

「おねえさんは、楽しい?」

「少なくとも気楽ではあるな」

「どうしてするの?」

「お金が必要だから」

「お金って、私よく分からない」

「今度手伝わせるから、その時覚えたらいい」

「え? てつだわせるって、なにを?」

「ざっかやのねーちゃん」

 私はぽかんとしてたけど、ちょっとずつ嬉しくなってきた。

 だって、おねえさんが私を認めてくれたみたい。

 おねえさんと会った最初のとき、なにかおてつだいできるかなって見てばかりだった自分が、おねえさんと一緒になにかをすることができる。それも、おねえさんの方から持ち掛けてきてくれた。

 私の嬉しさは、徐々にわくわくに変わった。

「ざっかやのねーちゃんて、なにすればいい?」

 おねえさんは「ん?」て眉毛を困らせたあと、思いついたみたいに言う。

「とりあえず、雑用とかかな」

「ざつよう、って?」

「あれ取ってとかこれお願いとか、そういう感じ」

「操作は?」

「え?」

「そうさ。おねえさんにいつも任せちゃってるから、雪保ゆきほが車の操作をやるの」

「それは絶対に駄目」

「なんで?」

「なんでも」

 むぅ。

 おねえさんのけち。

 ほんとは私、ちょっとだけ乗ってみたいのに。

 ずっと隣で座ってると、そっち側の席にも座りたくなる。おねえさんの席は私の席と違って、操作のためのわっかもあるし、数字が書かれたパネルもあるし、ドアに付いてるスイッチもいっぱいで楽しそう。おねえさんしか弄れないものがいっぱいあるから、私も触ってみたかった。

 お洋服を買ってもらうとき、おねえさんがゆっくり時間をかけてお洋服を選んでるから、車の中で操作のわっかを触って遊んでたら、ロック? が掛かっちゃって怒られた。

 だから雪保は、もう一度車さんにリベンジしたいのです。

 それで、いつかおねえさんみたいにカッコよくコントロールできるようになりたい。

 おねえさんの車が、白いトラックさんたちに追いついた。

 トラックさんたちはおねえさんがいつも走る速度よりも少しだけゆっくりで、きちっと整列して走ってる。道路は道幅が広くて、一つの方向に対して横に三つも“しゃせん”があったんだけれど、その間をトラックさんはたまに列を整えるために静かに移る。そういう風にしてたら、おねえさんの車は瞬く間に囲まれた。

 私は真横についたトラックさんをじっくり観察することが出来た。

 おねえさんの車よりも二倍くらい背が高い。円型の真っ黒な足は屈んだ自分くらいの大きさがあって、普通は一個だけなのにトラックさんの足はハムを挟んだパンみたいに二枚重ねになっていた。”エンジン”の音もこっちの車と比べると大きくて、重たそう。

 ゆっくり隣りあわせに走るそれを眺めていたら、びっくりすることに気付いた。

 トラックさんの操作する場所には、誰も乗っていない。

 誰も乗っていないのに、トラックさんは独りで走ってる。

 私は急いでおねえさんに報告した。

「おねえさん」

「なに」

「周りのどのトラックさんにも、人が乗ってないよ」

「ああいうのは自動運転だからね」

「じどううんてん?」

「そう。操縦する人が要らないの」

「へぇ。この車は出来る?」

「出来るけど、退屈だしナビも壊れてるし、目的地を指示出来ないし自分でやるよ」

「そっか」

 私はナビという言葉に、おねえさんがテレビを見なくて済んでいる状況に助かっていることを思い出しながら、どきどきする気持ちのまま外を眺めた。

 こうじょうの周りに、あれがある。

 私が抜け出してきた、たまごみたいなのっぺりとした球体。

 自分が居たところよりは小さかったけど、でも四角いこうじょうがいっぱい並ぶ山の合間に点々と建っているのが見えて、私はごくりと唾を飲んだ。

 見なければよかった。

 マグメルって、あちこちにあるんだ。

 外を見ながら、何気なくおねえさんに思った感想を言ってみる。

「人がいないね」

「ん」

「こんなにいっぱい建物があるのに、外に出てる人がちっともいない。わたしとおねえさんみたいに、車で走ってる人もぜんぜんいない」

「外に出る勇気がないんだよ」

 そっけなく呟くおねえさん。

 外に出るゆうきがない。

 なんでだろう?

 外はこんなにも楽しいのに。

 マグメルの中にはないもので、いっぱいに溢れているのに。

 でも、確かに私の居たマグメルでも、雰囲気はそんな感じだった。

 いつも隣に立っていた研究員のおじさんもおばさんも、外の話題は一度も話していたことがない。かいものに行こう、とかスポーツジムに行こうとか、えいがとかぐるめとかは言ってたけど、海に行こうとか山に行こうとかは全然言ってなかった。その代わりバーチャルルームがどうのこうの、って言ってた。

 私は海とか山とかは、毎日読まされた絵本や定期的テストの文章に出て来たから、言葉としては知っていたけど、そういうものはマグメルの中には概念や背景としてしかないから、ずっと本物に憧れていた。

 今こうして外に出ていることが、今でも夢なんじゃないかって思うときがある。

 おねえさんは夢の世界のあんないにん? って。

 でもおねえさんはここにいる。

 ここにいて、ここに座っていて、おててはこんなにもあったかい。

 操作してるおねえさんにちょっとだけ寄り添ったら、「運転中はやめろ」って怒られた。

 あぅ、ごめんなさい。

 でもなんだか、そういうおねえさんがすき。

 うふふって、笑っちゃうくらい、すき。


 建物も道路も綺麗でりっぱなのに、ひとっこ一人いないこうじょうを抜けたら、”ゆうやけぞら”に真っ赤に染まる景色が目の前にどーんて現れた。

 トラックさんのお尻の赤いランプがずらりと並んで、赤と黒の薄暗い道にひしめき合う。そんな中を、おねえさんの車はあの真っ赤で大きい景色の中に薄く広がる“みずうみ”に向かって進んでいった。

 今いる場所は、お山のゆるい坂道だ。道の左右は銀色の板に挟まれていて、点々と続く白いライトが暗くなり始めた道を照らし出している。おねえさんの言う“かんせんどうろ”は、真っ黒い絵の具をお山にいっぱい垂らした背景に、”ゆうやけぞら”の映った鏡をバーンて倒したみたいな、そういう、綺麗だけどどこか怖い場所に向かっていた。

 みずうみは、不思議だった。

 前に見たみずうみは青かったのに、ここのは真っ赤。それでいてそばに、とても小さい光の粒を寄せている。お山全体が真っ黒なのでよく見えなかったけれど、それも近づいていくうちに、どういう状況か段々と理解できてきた。

 みずうみの周りに、とても大きな街がひしめき合っていたんだ。

 それも、さっきまでとはとびきり違う、広くて大きなマグメルの大群に。

 おねえさんはあそこに向かって速度を上げてる。

 ものすごく緊張する自分の身体。

 ほんとのところ、すぐに降りたかった。

 だってあんなに巨大なマグメル、みたことない。

 自分の居たところよりずっとすごくて、だからきっとあっという間に見つかっちゃうって思った。

 食い入るように眺めていたら、赤いみずうみとマグメルたちはお山の陰に隠れた。

 その代わり、目の前にトラックの眩しいおめめのランプと、真っ黒い壁のようなものが現れた。

「あれはなに?」

 私はだっそうした日、頭をごちんと当ててしまった背の高い壁を思い出しながら、おねえさんに指差し尋ねる。

 おねえさんは身体を左右にゆっくり揺らした後、つぶやいた。

「検問所だな」

 けんもんじょ?

 疑問に思っていると、周りのトラックさんが速度を落として、そのうち停まった。

 おねえさんも自分の車をキュッて停めて、トラックさんの真後ろに待機する。

 周りの視界を遮られて、今何が起こっているのか、ちっとも分からない。

 何十台もあるトラックさんたちのランプが煌々と灯っていて、目が痛い。車の”エンジン”の音もいっぱいで、心臓を小刻みにノックされているみたいな振動が伝わって来る。

 遠くから、『ピー、ピー』て音が聞こえた。

 マグメル内で運動のテストのときに使われていた、笛のような音が聞こえる。

 トラックさんが一斉に走り始めた。ずっと詰まっていたのに、嘘みたいに流れていく。

 どんどんと空間が捌かれてさっぱりとし始めた道の中、おねえさんは目の前の黒い場所に向かって進む。

 それは、よく見たら夜の暗がりに黒く染まった、白くて大きな壁だった。

 壁のふもとに、白い服を着たおじさんが、赤い棒を振り回しておねえさんを「こっち」て誘ってる。

 ゆっくりと進むおねえさんの車。オレンジ色の光に満ちている小さなトンネルに向かって、おねえさんの車は進んでいく。黒と黄色の縞模様が描かれたおかしなテープの張られた四角い建物が、道路のそばにぽつんとあって、そこからもう一人のおじさんがひょっこり顔をのぞかせた。

「一般乗用車かいな」

 ヘルメットをかぶったタスキのおじさんが、車の窓を開けるおねえさんに尋ねる。

 おねえさんは「はい」て静かに答えて、ポケットから紙と金属のコインを取り出している。

 私は自分が捕まるんじゃないかってハラハラとしてたけど、どうやらそれは違うみたい。

 おじさんはおねえさんに、ここの壁の中を通る許可を与えようとしているみたい。

 紙とコインをいじるおねえさんに、おじさんは慣れ切った口調で質問する。

「お金やのうて、ID提示できるもんは持っとるかいな?」

 おねえさんは一瞬、表情をくもらせた。じっと黙っていて、何も言わない。

 おねえさんは右手を差し出そうとしたけど、その手をじっと見て、何故かつらそうなおめめになると、おじさんに急に明るく「すみません、IDは忘れてしまいました」と笑った。

 おじさんが「ありゃあ」と困ったような声を上げた。「ねえさん、知っとるとは思うけど、ここから先はマグメル居住権、あるいは一時的な入場権を付与されたIDを出してもらわんと許可だせんのや」

 おねえさんは静かに頷いて聞いている。

「せやから、どうしても入れることは出来んなあ。済まんことやけど、規則やさかいね」

「分かりました」

「そこをぐーっと行くと、引き返し用のUターンスペースあるから、あれで戻ってもらうなぁ。ほんま堪忍な」

「いえ」

 おねえさんは窓を閉めると、オレンジ色のトンネルを潜り抜けた先にある真っ暗な場所で車をぐるりと一周させて、そのまま元来た道を戻り始めた。

 私はずっと後ろになった“けんもんじょ”を見つめながら、言った。

「通れなかったね」

「うん」とおねえさん。「マグメル直通の道だとさ」

「あの先は、マグメルなの?」

「そう」

 おねえさんは今走ってる広い道からすごく細くて小さい道に入ると、私に訊いてきた。

「そろそろ、適当なところでご飯にするか。食べる?」

「うん。今日は、なにかな」

「レトルトのパスタ」

 誰もいない真っ暗のみずうみの道が、真歩おねえさんの車に照らされた。

 赤かったみずうみは、いつのまにか黒に変わっていた。

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