おとなのサイン
ガタガタと揺れる車の中で、私は真歩おねえさんに質問をした。
「おねえさん。これからどこに行くの?」
「とりあえず、京都方面に向かおうかな」
「きょうと? なに、それ」
「街全体が巨大なマグメルの、変わったとこ」
えっ。
街が“マグメル”?
「街のぜんぶが、マグメルなの?」
「そう。半開放型のマグメルだから、大体の人間は入れるようになってるの。道路の状態もそこらより全然いいから、道に使うにはもってこい」
私はとたんに不安になった。
だって、ケーサツさんがその、街全体がマグメルの“きょうと方面”にいないとは限らない。
私ことしーいーあーるまるまるごーざんろくぜろには、決して忘れちゃいけないことが一つある。ケーサツさんに追われているということ。
あの日見た、おばあちゃんの分厚いテレビ。あそこに、私の顔は映し出されていた。映して、この子を探しているって言ってた。それは、私以外のヒトたち全員に「しーいーあーるまるまるごーさんろくぜろは脱走中」ということを伝えるためのものだ。
おねえさんもきっと、例外じゃない。
おねえさんだって、映像の内容を向けられた一人のにんげんのはず。
だから、私の映っているテレビを見たら、「おまえがCER00536.0なの?」ってなる。
さらに、おねえさんは昨日、「自分はマグメルに住んでた」って言ってた。あの中へ住んでいたのだとしたら、おねえさんもマグメルの人たちと同じ、住人だ。ひょっとしたら、あの人たちと同じようなことをおねえさんは考えるかも知れない。つまりは、私をあの中に連れ戻す協力をするかも知れない。
私がしーいーあーるまるまるごーさんろくぜろだと分かったその時、おねえさんはどうするのか全然予測がつかなくて怖い。これから向かうところにテレビがいっぱいあるのか、私を探しているところなのか、ケーサツさんがたくさん待ち構えているところなのか、おねえさんが私を渡すのかどうか、その全部が気になって仕方がなくて怖かった。
私がおかしな態度でいるから、おねえさんは車を操作しながらこっちをチラと見て、静かな声でつぶやいた。
「トイレ?」
「え? あ、うん……」
とっさに嘘をついた。
ううん、嘘じゃないけど、でもとりあえずおトイレに行きたい。
実は最近、おまたの調子が悪くて、変なものが出てくるようになってる。
おしっことは違う、何かおかしなものが出るから、私はずっとおねえさんの陰で気にしていた。
今もちょっと気になり始めたから、おねえさんの言葉に反応しちゃった。
おねえさんは車を小さい川の方へ走らせると、たくさん生い茂ってる草むらの横にたたずむ、真っ黒い石で出来た不気味な橋のそばに停めた。
どこからかトイレットペーパーを取り出して、私に投げたおねえさんは言う。
「川があって良かったね」
「ここでするの?」
私は窓の外を眺めた。
ここは朝に出発した“てんりゅう区”よりも、更に深くお山の中に入って行ったところだ。周りには両脇を挟んでいるお山しかなくて、そんなところをずーっと道と川が続いてる。道は細くてぐねぐねで、たまにボロボロの建物が植物に覆われた姿でぽつんと建ってて、海はもう、ずっとずっと後ろになった。
私はおねえさんの方を振り返ると訴えた。
「恥ずかしいよ。だってあそこにおうちが建ってるもん。見られちゃう」
「こういう場所は、もうずっと人なんて居ないから平気だよ。あれは廃屋で、中にはだれも住んでない」
「ほんと?」
「ほんと」
「おねえさんも一緒に来てよ」
「私に見られるよ」
「う……」
私はしぶしぶ車から降りた。
周りは曇り空で、お山から流れるお水が、石ころだらけの川の上でしゃあしゃあと音を立てて流れてる。
ふわりと、冷たい空気がほっぺたを撫でた。
川の冷たい風が、こっちまで吹いてくるみたい。
橋の付け根のところから川の方に降りて、周りをきょろきょろとしながら、私は橋の下でスカートを下ろす。
はままつ市のてんりゅう区を出るときに“かって”もらった新しいおようふくが、薄暗い橋の下でぐるぐる巻いているおかしな風に揺れる。
おねえさんは「わたしの服をいつまでも着てるの窮屈だろうから」って言って、錆びだらけの建物の一つに入って、私に服をくれた。「好きなの選んでいい」って言われて困ってたら、おねえさんが全部選んでくれた。おねえさんたら目つきも性格も厳しめなのに、選ぶふくはみんなかわいいのがいっぱいで、貰ったとき、すごい嬉しかった。おねえさんがくれた服を触るのが嬉しくて、ずっとぺたぺたしてた。
でも今は嬉しくない。
おぱんつを下ろしたら、大変なことになってた。
せっかくかってもらった下着が、私から出たもので汚れちゃってる。
びっくりして固まってると、橋の上からおねえさんが下りてきた。
私があんまりにももたもたしているから気になって来たみたい。
私を見つけたおねえさんは「どうしたの」って声を掛けて来たから、私は慌ててスカートをたくし上げて、上ずった声をあげた。
「す、すんだよ」
「……なに」
「なんにも」
「ちょっと見せて」
私はかんねんして、おねえさんに下着を見せた。
汚くなっちゃったおねえさんの贈りものを見られるのが、どうしても嫌で、泣きそうになった。
せっかくもらったのに。
おねえさんは少しだけ驚いた目を向けてる。
たまらずに目をそらす私。
だってこんな姿、おねえさんに見られたくない。
じっと黙っている私に、おねえさんは「はぁ」と小さくため息を吐くと、目の前にしゃがみ込んで言った。
「別に隠さなくてもいいの、こういうのは」
「だって、これはおねえさんからの……」
「気にしない。こんなことでいちいち怒ったりしないよ」
「どうして……?」
「おめでたいことだから」
「おもらしが……?」
「おもらしじゃなくて、これは――」
私はおねえさんに色々なことを説明してもらいながら、おまたを綺麗に拭いてもらった。
おねえさんは私に「雪保が大人になった証拠」って言った。
「おとなになる? こんな変なのが出てくることが、おとなにつながるの?」
「そう。もう一人前ってことなんだよ」
「でもわたし、まだ知らないことがいっぱい」
「おまえの頭と心はともかく身体は大人なの」
「よく、分かんないよ」
「大抵そんな感じだから、大丈夫。そのうち分かるよ」
車に戻ると、おねえさんは私に小さなおむつを渡した。
「これ着けてれば、さっきみたいなことにはならないから、あとでやっときな」
「どうやって使うの?」
「裏面に書いてあるから。よく読んで」
おねえさんが窓べりで頬杖をついて外を眺めている間、私は自分の席で渡されたものを頑張って着けた。
何だかごわごわとしてて、むずがゆくて変な感じ。
着けたあともその“フリー素肌”って書かれた袋をいっぱいにひっくり返して読んでみる。
書かれている文字に、私はピンときた。
これって、さがみはら市でおねえさんが言ってたモノかな?
車がぐいんと走り出して、私はバランスを崩す。
取り落したそれを拾っていると、おねえさんは言った。
「そういうのは今後、言いなよ。じゃないと困るから」
「……でも、恥ずかしくて」
「恥ずかしがるようなことじゃない。わたしだってああいう風になる」
「おねえさんも?」
「そう」
「おねえさんも、いっしょ?」
「一緒。だからちゃんと教えなさい。分かった?」
「うん」
私はちょっとだけ嬉しくなった。
私とおねえさんは全然違うけど、でも、同じところだってある。
自分とはまるで違う形で、性格で、年齢だけど、同じところだってある。
そう思ったら、なんだか温かい気持ちになった。
隣に座っている感覚。
同じって、嬉しい。




