第十二話「国境線と雨の日の珈琲」1
第一章 荒野のバリスタ
セプティマ・ザイオンを後にしたオフロード車は、ユーガリア大陸西部の広大な荒野をひた走っていた。 空は低く、今にも泣き出しそうな鉛色の雲が垂れ込め、ポツポツと大粒の雨がフロントガラスを叩き始めていた。 ワイパーが泥水を拭い去る音と、タイヤが砂利を噛む音。そして、酷使されたエンジンの低い唸り声だけが続く、単調で過酷な旅路。
だが、無骨な鉄の箱であるはずの車内には、以前とは違う、芳醇で温かな香りが満ちていた。それは、殺伐とした逃避行には不釣り合いな、極上の安らぎの匂い。
「……はい、どうぞ。熱いので気をつけてくださいね」
後部座席で、ルカ・ノクスが魔法瓶のポットから、人数分のカップに黒い液体を注いでいた。激しく揺れる車内でも一滴も零さないその所作は、長年、義父であるエリアスとミレイユに仕え、教会での奉仕を行ってきた生活の賜物だ。注がれた液体から、香ばしく、どこか懐かしい湯気が立ち上る。
「お、サンキューなルカちゃん。気が利くじゃねえか」
運転席でハンドルを握るチャーリー・Sが、片手でカップを受け取り、一口啜る。途端に、サングラスの奥で彼の目が丸くなった。
「……うめぇ! なんだこれ、店で出すレベルじゃねえか」
「本当? ……あ、すごい。深みがあって、酸味も丁度いいわ」
助手席のキリコ(九十九霧狐)も、驚いたようにカップを見つめた。 それは、旅先で飲むインスタントや、自動販売機の缶コーヒーのような安っぽい味ではない。 豆の選別から焙煎、抽出温度まで完璧に計算されたような、本格的なドリップコーヒーだった。
「へぇ。……やるじゃねえか」
隣に座るジン(夜刃迅)も、ブラックで一口飲み、ぶっきらぼうに呟いた。 彼は荷台のスペースに押し込められた『黒胎』の封印ケースに背を預け、愛用のナイフの手入れをしていたが、その険しい表情は少しだけ緩んでいた。 冷え切った体に、カフェインと熱が染み渡る。
「お父さん……エリアスが好きだったんです。美味しい珈琲を淹れるのが、私の日課でしたから」
ルカは照れくさそうに微笑み、自分のカップを両手で包み込んだ。 彼女の膝の上には、父から託された『聖銀の短剣』が置かれている。まだその重さに慣れてはいないが、彼女はそれを手放そうとはしなかった。 このコーヒーの香りと同じように、父との思い出が詰まった大切な護り刀だからだ。
「いい心がけだ。……運び屋にとっちゃ、美味いコーヒーは、ガソリンと同じくらい重要だからね」
キリコは、ルカの頭を優しく撫でた。 この少女が加わったことで、殺伐としていたチームに「生活」という彩りが生まれた。それは、かつて彼女たちが憧れた『リコリス・バロック』が囲んでいた食卓――ただし、伝聞によれば彼女たちのコーヒーは泥水のように不味かったらしいが――の風景に、どこか重なるものがあった。
「……伝説の魔女たちも、こうして旅をしてたのかな」
キリコが窓の外を見つめて呟く。
「さあな。……だが、あの人らの飲んでたコーヒーよりは、間違いなくこっちの方が上等だろ」
ジンが皮肉っぽく笑い、残りを飲み干した。カップの底に残る温もりが、張り詰めた神経を少しだけ解きほぐしてくれる。
「……そろそろだ」
チャーリーが、前方を顎でしゃくった。 雨脚が強まる中、地平線の向こうに、荒野を断ち切る巨大な「壁」が見えてきた。
国境線。 ここから先は、かつての聖地アストエル――現在はミサイア共和国の領土となる。だが、その境界線は平穏なものではなかった。 幾重にも張り巡らされた高圧電流の鉄条網、サーチライトを備えた監視塔、そして武装した無人機が空をパトロールする、厳戒態勢の軍事境界線。 新興国家であるミサイアは、周辺諸国や武装勢力からの干渉を防ぐため、国境警備を極限まで強化しているのだ。
「検問があるわね。……どうする? 正面から行く?」
キリコが『千里眼』で遠くの様子を伺う。 正規のゲートには長蛇の列ができている。
「無理だろ。ウチの荷物は危険物だらけだ」
ジンが、背後の『黒胎』のケースをコンコンと叩く。 世界を滅ぼしかねない魔界の泥。 正規の手続きを踏めば、即座に没収・拘束される。 天帝の通行手形は皇国国内でしか通用しない。
「強行突破しかねえな。……捕まるよりマシだ」
チャーリーがサングラスをかけ直し、ギアを落とした。 エンジンの回転数が上がる。 オフロード車が唸りを上げ、道なき道へと突っ込んでいく。
「舌噛むなよ! ……一気に行くぞ!」
その時。 キリコの狐耳がピクリと動いた。激しい雨音とエンジンの駆動音に混じって、聞き覚えのある、生理的な嫌悪感を催す微かな音が聞こえたからだ。 あの日、東帝都のハイウェイで聞いた、空間を切り裂くような高周波の駆動音。
「……ッ、止めて! 罠よ!」
キリコの叫びと同時に、前方の地面が爆発した。
ドゴォォォォォン!!
爆風が車体を激しく揺らす。チャーリーが神業的なハンドルさばきで車体を制御し、横転を防ぐ。舞い上がる土煙の向こうから、雨音を切り裂いて無機質な合成音声が響いた。
「Target confirmed(目標確認)。……『黒い遺産』の引き渡しを要求する」
空間が揺らぐ。何もないはずの荒野に、テレビの砂嵐のようなノイズが走り、黒い影たちが実体化した。 マットブラックの強化外骨格。 顔のないバイザー。そして、雨粒さえも弾くステルス装甲。
アークステイツ連邦・国家秘密部局『ゴーストライン』。
「またお前らか……! ストーカーもいい加減にしろ!」
ジンがドアを蹴り開け、雨の中へと飛び出した。 ライダースジャケットが濡れ、髪から水滴が滴り落ちる。 彼の目の前には、因縁の相手たちが陣取っていた。
重火器とドローンを操るカイ・マーデン。 超振動剣を持つ近接戦闘のスペシャリスト、ガブリエル・ストラド。 そして、指揮車と思われるステルス装甲車の上には、隊長イーヴォ・ハーケンが腕を組んで立っていた。
「此処はミサイアとの緩衝地帯だ。……皇国の主権は及ばない」
イーヴォが冷徹に告げる。彼らは国境の混乱に乗じ、法の手が届かないこの場所で待ち伏せをしていたのだ。 国際法も、条約も関係ない。 力こそが正義である無法地帯。
「渡せ。……さもなくば、車両ごと焼却する」
イーヴォが手を挙げると、荒野のあちこちから無数の光学迷彩が解除された。数十体のパワードスーツ部隊。そして、空を埋め尽くす攻撃ドローンの群れ。 圧倒的な包囲網が、四人を逃げ場のない檻の中に閉じ込めていた。
「……ッ」
ルカが息を呑み、短剣を握りしめる。 キリコが呪符を構える。
「焼却だァ?」
ジンが、一歩前に出た。彼の背中から、殺気という名の黒いオーラが立ち昇る。
「やってみろよ、鉄屑共! ……テメェらが俺たちの荷物に指一本触れる前に、全員スクラップにしてやる!」
雷鳴が轟く中、黒翼と亡霊たちの三度目の激突が始まろうとしていた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




