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別れ際の一言

踏切の音が、だんだん近づいてくる。


私たちは、どちらからともなく立ち上がった。膝の上に積もりかけていた雪が、はらりと落ちた。電車のヘッドライトが、線路の向こうの闇を切り裂いて、ホームを白く照らしはじめた。風が、雪を巻き上げて、私の頬を打った。冷たかった。けれど、その冷たさが、かえってありがたかった。


「これ、乗る?」と、私は訊いた。


「うん。真奈も?」


「ううん。私は反対方向」


そうか、と彼は言った。たったそれだけの言葉が、なぜあんなに重く聞こえたのか。私たちは、同じホームに立っていて、けれど、向かう方向が逆だった。十年前からずっと、そうだったのかもしれない。


電車が、轟音とともに滑り込んできた。雪を巻き込んだ風が、二人の間を吹き抜けた。私のマフラーが乱れて、彼が、ほとんど反射のように手を伸ばしかけて、そして、止めた。宙で行き場を失った手が、ゆっくりと下りていった。彼の左手の、薄い金属の輪が、車内の灯りを受けて、ちらりと光った。


「じゃあ」と彼は言った。「元気で」


「うん。航くんも」


ドアが開いた。暖かい車内の空気が、ホームに溢れ出した。彼は一歩、踏み出した。それから、振り返らずに、車内に入っていった。背中が、人の流れの中に紛れていく。私はその背中を見ていた。十年前にも、私はこんなふうに、この人の背中を見送ったのだ。あのときは、雨だった。あのときは、何も言えなかった。


発車のベルが鳴りはじめた。


ホームじゅうに、けたたましく響くその音。タイムリミットを告げる音。あと、何秒。私の中で、十年間ずっと鍵をかけていた場所の戸が、その音に押されて、ひとりでに軋んだ。


ドアが、閉まりはじめた。


「航くん」


呼んだのは、私だった。自分の声とは思えないほど、小さな声だった。ベルの音にかき消されてもおかしくないほどの。けれど彼は、閉まりかけたドアの向こうで、振り返った。ガラスの内側から、彼が私を見ていた。


「あのとき、本当は」


私は言った。雪が、私と彼の間で、無数に降っていた。


「行かないで、って、言いたかった」


ドアが、閉まった。


ゴム同士が触れ合う、鈍い音。その音が、私の最後の一言の、いちばん大事な部分を呑み込んだのか、それとも、ガラス一枚を隔てて、ちゃんと彼に届いたのか、私にはわからなかった。わからないまま、電車はゆっくりと動きはじめた。


ガラスの向こうの彼が、何か言った。口が動いた。けれど、その唇が形づくった言葉を、私は読み取ることができなかった。読み取れないまま、電車は速度を上げて、彼の顔は、流れる光の帯の中に溶けて、消えた。


ホームに、私だけが残された。


雪は、まだ降っていた。さっきより、少しだけ静かに。線路の上に、電車の去ったあとの空白が、ぽっかりと口を開けていた。私は、その空白を、しばらく見ていた。


言ってしまった。十年、言えなかったことを。


胸の奥が、痛いのか、軽いのか、自分でもよくわからなかった。たぶん、その両方だった。後悔ではなかった。といって、すっきりしたわけでもなかった。ただ、長いあいだ握りしめていたものを、ようやく手放したような、不思議な静けさが、雪と一緒に降りてきた。


反対方向の電車を告げるアナウンスが、間延びした声で流れた。私は、ポケットの奥に押し込んでいた左手を、ゆっくりと出した。指輪が、ホームの灯りを受けて、控えめに光った。


私は、自分の電車を待つために、ベンチのほうへ歩きだした。さっきまで二人で座っていたベンチには、雪が、もう薄く積もりはじめていた。私はそこに座らずに、立ったまま、降りつづける雪を見上げた。


冷たいものが、頬に触れて、すぐに溶けた。


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