第9話『支配から信頼へ』
「ちょっと待って、今のパスは私の意図と違ったわ!」
放課後のグラウンドに、カリンの声が響く。
新キャプテンとなった如月ヒナは、眉をひそめた。
「……言い方、もう少し柔らかくできない?」
「戦場で優しさは不要よ。指示は明確に、従う側のためにある」
「それって、結局は命令じゃない」
カリンは戸惑いも怒りも見せず、ただ冷静に言った。
「当然よ。私は命令でしか、チームを動かせない。だって──それしか知らないもの」
ヒナは、その目に一瞬だけ孤独を見た気がした。
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「ちょっと来て」
翌日、ヒナはカリンを人工芝のグラウンドに連れていった。
周りには誰もいない。ただ、白いラインと、二人分のボールだけ。
「今日はパス練習。私とだけね」
「ふむ、私に挑む気?」
「違う。向き合う気」
ヒナの声には、不思議な強さがあった。
「カリン。あなたが信じてきた“支配”は、間違ってなんかないよ。でもね──」
パスを出すヒナ。それをカリンがワンタッチで返す。
「今の私たちに必要なのは、“命令”より“信頼”だと思う」
「信頼……?」
「そう。味方が、ここにいてくれるって、信じて蹴る。それだけで、すごく遠くまで行けるんだよ」
リズムが生まれる。ポン、ポン、と、二人の間をボールが行き来する。
最初は無機質だった。だが、5分、10分と続くうちに、どこか心が溶けていく。
「……不思議。私はあなたを命令で動かそうとしてたのに、いま、私が“動かされてる”」
「それがチームプレイだよ、カリン」
ヒナが微笑む。
カリンは、自分の胸に生まれた感情に気づいていた。
これは、命令ではない。
信頼。
自分の意思を預けるという“勇気”だ。
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「……ヒナ。お願いがあるの。最後、あなたのパスを、私にくれる?」
「うん、いいよ」
二人はセンターサークルに立つ。ヒナがドリブルし、カリンが動き出す。
動きに無駄はない。誰もいないグラウンドなのに、試合のような緊張感。
──今だ。
ヒナの右足がしなる。
鋭くも優しいパスが、カリンの進路へ送られる。
「行くわよ……!」
カリンの体が宙に浮く。
右足のボレー。
打点は完璧。ネットの奥へ、ボールが吸い込まれていく。
ドン、と着地する音。
「……気持ちいい」
カリンは、息をつきながら呟いた。
「命令じゃない。信じて蹴るって……こんなに気持ちいいのね」
ヒナが笑う。
「でしょ?」
日が落ちていく中、二人のシルエットが、少し近づいた気がした。