第九十三話 亀の甲羅
皆の注目が再び齋藤に集まった。当の本人はポケットからハンカチを取り出し、汗もかいていない額をわざとらしく拭ってみせる。困ったふりのジェスチャー、あるいはただの模倣。
「御期待を持たれるところ悪いのだけど、僕はご存知の通り鬼なのでね。小早志さん側に立つべき立場だと思うのだけど? 話をするのは好きだが、彼女の不利になることをベラベラと喋れと言われてもねぇ」
わざと本心ではないと見せつけるような言い方に、花菜が堪らず舌打ちする。鬼祓いの影響で関西弁になっているのは奈菜から聞いて理解していたが、態度まで悪くなるのかと矢附は思った。いや、元からかもしれないが確かめる術もない。
「回りくどい会話はええっちゅうとんのに。面倒臭いオッサンやな。カウンセラーってこうやって苛立たせるのが仕事かいな?」
口調の荒さだけ聞けば、どっちが年上なのかわからない。矢附はそう思ったが、口に出したら面倒なことになるのは目に見えていたので、黙って耐えた。
「四神の話を出したところで、そっちの事情は把握済みやと証明しとるもんやろ? あの娘が覚醒したことで二神の穴を埋める形になった。それがオッサンがこの街から出ていけへん理由やろ? 玄武に囚われかけとる。そういうことやろ、元黒鬼さんよぉ」
花菜の指摘に、齋藤は額を拭く手を止めた。まぁそれもそうか、と小さく呟き、ハンカチをポケットへしまいながら、いつもの柔らかな笑みに戻す。
「そこまで把握してるとは、よく調べたね。ここ何十年とこういうことは起こっていないはずだから、バレないかと思ったんだが」
「ついでに言っとくと、わざわざアンタの領域に殴り込んだのも、その点を利用したかったからやで」
なるほどそれは厄介だ、と言葉では受け流しつつも、齋藤の視線は周囲を警戒するように細かく揺れ始める。
「それで、小早志さんも無理やり外に引っ張り出したのかい?」
「あんな空間の狭間でコソコソやられるのはもううんざりやしな。それに外に出したら、四神の束縛に抗ってアンタを殺しにくるやろ? 潰し合ってくれたら、こっちとしては楽やし」
「同じ守護者の立場だって言うのに、ずいぶん過激な方法を選ぶ」
「同じ立場になるのは、もっと先の話やろ。今のアンタらは、それを嫌がる暴れん坊やからな。奇跡的な同時発生でもなければ迷惑なだけや」
花菜と齋藤のやり取りは和美にも矢附にも理解できなかった。二人は顔を見合わせ、黙って様子を窺うばかりだ。その様子に花菜は気づき、ふーっと大きく溜息をつく。
「ほら見てみ。アンタが回りくどい話ばっかりしとるから、担当者が蚊帳の外みたいな顔しとるやないか。アンタのせいやねんから、合わせて説明したりや。高城さんは、アンタを小早志さんから救う要因にもなり得るんやからな」
ほら早よせぇ、と花菜がせっつくと、齋藤は観念したように肩をすくめた。
「まぁ勿体ぶったところで、大したことをするわけじゃないんですよ」
そう言ってソファーから立ち上がると、カウンセリングルームの外、廊下側の窓を指差し、視線を向けるよう促す。窓の外には校庭のグラウンドが広がっていた。
「ここ坂進高校は小山の上に建っていますよね。それがたまたまなのか、自己主張なのかはわかりませんが、亀の甲羅の上に建っているように見えませんか? まぁ、見えなくてもそういう見立てだと思ってください。その前提で、亀の甲羅の頂点――つまりグラウンドの真ん中に、そのミニチュア錫杖を持っていけば、玄武の力を授かれる仕組みです」
あまりに簡単な説明に、ミニチュア錫杖を持つ和美の隣で矢附が首を傾げる。
「そんな簡単な仕組みなら、お土産みたいに売ってるミニチュア錫杖さえあれば誰でも四神の力を授かれることになりません?」
「もちろん、誰でも彼でも四神の力を得られるわけではありません。何故高城さんが西生の次期当主に任命されたのか、という話ですね」
良い質問だ、と齋藤は意気揚々と応じる。道具のように扱うわけではない、と言いながらも、必要とあれば利用するという矛盾めいた説明だった。
「鬼と化せる者。それが四神から力を授かれる資質です。祓われた矢附さんや、ただの関係者である笠原さんではなく、未だ白鬼の力を抱えたままの高城さんが選ばれたわけです。この状況で新たに候補を探して説明する手間も省けますしね」
もちろん小早志さんには頼めませんし、と最後に悪戯っぽく付け加えるのだった。




