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焼きそばパン大戦争  作者: 清泪(せいな)
最終章 焼きそばパン大戦争

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第八十八話 サワークリーム

「……っ! 今のは――」


 小早志真理亜の声が、教室にいたときよりも鮮明に響いた。耳元で……いや、耳の奥に直接囁かれているかのような気持ちの悪い錯覚。ソファに座る和美のすぐ右隣にいるようでいて、左隣の矢附との間に割り込んでいるようにも感じられる、不気味な存在感だった。


 膝ほどの高さのテーブルを挟んで向かい側、齋藤の背後にも小早志は立っていた。今にも、その首をねじ折ろうと手をかけている。


「齋藤、さん、その……」


 殺意が迫る気配の中にありながら、齋藤は人懐っこい笑みを崩さない。その笑みのせいで、この男が首を折られようと決して死にはしない――そんな錯覚すら覚えるほどだった。


「ははは。いやぁ、こうしてね、小早志さん、僕を殺したがってるんだよ。それがさっき話した“この街を離れられない理由”のひとつでさ。西生家の人間くらいなら、これまで通り煙に巻くのは難しくなかったんだけど、同等の鬼にまで目をつけられるとややこしくてね」


 困った困った、と額を叩いて笑う齋藤。幻覚とはいえ、顔に手をかけられていることすら気にも留めていない。


「これは今、どういう状態なんですか?」


 矢附の視界に、小早志の姿が次々と重なって映った。どの小早志も輪郭をなぞる影が緑色に染まり、現実から切り抜いて雑に貼り付けたかのようだ。その歪んだ像に脳が撹乱され、吐き気すらこみあげる。


「えーっと、名前のある鬼……だったかな。そう呼ばれる存在に小早志さんはなってしまったわけだ。高城さんの力も関わって、分散していた彼女の意識が再構築され、いまは溢れ出した狂気が――ああ、例えるなら肉となり皮膚となって外面を盛り上げている最中ってとこかな」


 「わかりやすく言うとね」と齋藤は付け加えたが、和美も矢附も到底納得できる説明ではなかった。


「要するに“鬼としてより脅威になった”ってことさ。再構築直後は、彼女を知る人間にだけ影響が及んでいたみたいだけど、今では一切面識のない人間にまで広がっている。範囲は乃木市全体――市民すべてが小早志真理亜の狂気に触れさせられている」


 そう言いながら齋藤は、部屋に現れた小早志の幻影を指さしていく。それは個々の幻覚ではなく、複数人に同時に見せられる“共有された幻覚”だった。


「さて、これで小早志さんも西生家も、ようやく動き始めるだろう。高城さんと矢附さんは、ここで大人しくしていた方がいい。外は危険だ、戦争が始まるからね。ああいや、今日は文化祭だし鎮魂祭の話もあったから――祭りが始まると言った方が正しいかな?」


 その提案に反発するように、和美は立ち上がった。


「ゆっくりなんてしていられない。小早志さんは、どこ?」


 戦争だとか祭りだとか。そんな言葉で片づけられるものか。何の力も持たないわけではない。和美には白鬼の力がある。使い方は未だ不確かだが、全く役に立たないことはない。笠沼正太の二の舞など、二度とごめんだ。脅威だからと小早志真理亜を祓って終わり――そんな結末は絶対に受け入れられなかった。


「小早志さんの元へ行って、どうするつもりだい? せっかく西生奈菜さんが他の祓い師を抑えてくれているというのに。君が力を使えば、その努力は水の泡だ。白鬼の力を行使した瞬間、君は祓う対象になる。西生家は腹を決めたら容赦しないよ」


 奈菜の優しさを無にする。それは和美も本意ではない。ならば力を使わず――


「力を使わず説得するつもり? 高城さんも矢附さんも、そんな目をしているね。だけど、それは無理だと言っておこう。僕はカウンセラーとして“対話による解決”を推したい。けど、そもそも対話にならない状態だということを忘れちゃいけない。狂うほど怒っている相手を“抑え込んで聞く”のは対話じゃない。ただの押しつけさ。そこは間違えないでほしい」


 「対話って難しいんだよ」と齋藤は肩をすくめ、テーブルに置かれたクッキーを摘んだ。サワークリームの淡い緑に染まった表面を嬉しそうに味わう。その無神経さが、和美にはひどく不快で、悪趣味にしか映らなかった。

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