第七十三話 矢附と笠原 2
奈菜の発勁が和美の身体を吹き飛ばす。その光景を、矢附と笠原は二階から息を呑んで見下ろしていた。超常的な戦闘に圧倒され、言葉を失う。
しかし矢附の胸にあったのは驚愕だけではなかった。怒りがこみ上げ、わなわなと拳を震わせる。
「……ダメだよ。こんなの、絶対にダメだ」
震える声を絞り出し、矢附は振り返った。
「矢附さん?」
笠原が呼びかける。だが矢附は答えず、一階へ降りていく。
笠原はその背を追おうとするが、足がすぐには動かなかった。
二階の壊れた壁から見下ろす戦闘。奈菜を斬りつけ、その腕を容赦なく断ち切った和美。逆に叩きつけられ、塀にめり込む和美。
――殺す気だ。
笠原は恐怖に気づく。脅しでも演技でもなく、本当に和美は矢附を斬ろうとしていた。鬼になると言いかけた言葉も、本気なのだろう。止めようとする奈菜もまた、本気で命を賭けている。
「ダメだよ」――矢附の震える呟きが耳に残る。そうだ、ダメに決まっている。
自分を救ってくれた人たちが、互いを友と呼びながら殺し合うなんて。
それを「仕方ない」と受け入れる気持ちは、笠原には持てなかった。
和美は奈菜に「色」を問うていた。奈菜は「白だ」と答えた。すべてを覆い尽くし、考えることをやめさせる色。
けれど今の和美は、無思考に友を殺そうとしているわけではない――そう笠原は直感する。赤だ。赤の影響だ。
無に近い白は、容易く強烈な色に染まる。赤は強い。怒りは簡単に人を支配する。
逡巡の末、笠原も階段を降りていく。
和美が赤に染まり、やがて青にまで侵されようとしているのなら、それを運んだのは自分だ。鬼の残滓をまとった自分だ。
その影響で、和美は「怒り」と「懇願」という感情にすがってしまった。
――すがらせてしまったのは、私たちだ。
「もうやめて、西生さん! 高城さん!」
矢附の叫びが住宅街に響く。だが近隣の誰一人として顔を出さない。
和美の領域が広がっている。西生の光界に似た鬼の結界。選んだ者しか入れず、出られず、声も音も届かない。
「矢附、止めとき。もう何を言っても無駄や。和美は腹を決めてる。とことんどつき合わな、止まらんやろ」
「その“とことん”って……どこまでを言ってるの? 互いに殺し合えば気が済むの? 本当に?」
矢附の鋭い視線に、奈菜は息を呑む。昂ぶっていた戦闘の気持ちに、冷水を浴びせられたようだった。
「こ、殺すなんて……アホなこと言うなや。ウチは和美を助けたくて、真っ正面から向き合おうと……ああ、違うな、間違っとるなぁ!」
奈菜は苛立ち、頭をかきむしる。
「違わない! 奈菜は真っ正面から向き合ってくれてる。何も考えられなくなった私の答えを、必死に引き出そうとしてくれてる!」
瓦礫が崩れ落ちる。和美はその上でふらつきながら立ち上がった。
「邪魔をしないで、矢附さん。さっきも言ったけど、もう“理解ってもらう”しかないの。これは青春ごっこの延長じゃないのよ。それ以上踏み込むなら――斬り殺されても文句は言わないで」
小さな門扉の前に立つ矢附へ、剣の切っ先が向けられる。宣告であり、同時に忠告でもあった。
「それが本当に高城さんの意思なら……いや、たとえ本当の意思でも、私たちは文句を言うし、必ず止めてみせる。でしょ、矢附さん?」
その背後から笠原が現れ、矢附の肩に手を置いた。震える身体を落ち着かせるように。
「……本当の意思?」
和美は苛立ちを覚えたが、その言葉には引っかかりを覚える。
「高城さん。私が思うに、今のあなたは“赤”の影響を受けてる。お姉さんを助けられなかった後悔を、怒りが増幅している。でもそれって、本当に外へ――誰かへぶつけたかったこと?」
笠原は一歩踏み出し、奈菜と和美の間に立った。再び攻撃が始まれば、その身で受け止める覚悟で。
「それに……高城さんは“青”の影響も受けてますよね。助けたいという懇願が、他者を傷つけることへのためらいを消してしまってる。私が……私に手を差し伸べなかった人たちを、全員巻き込もうとしたみたいに」
笠原に倣い、矢附もまた二人の間に立った。和美を見つめ、振り返り、奈菜をも見据える。
「西生さんも同じです。私たちにまとわりついた鬼の残滓が、西生さんにも影響してる。冷静になってくれませんか?」
矢附の真剣な眼差しに、奈菜は肩をすくめて苦笑した。
友を助けたいと懇願し、理解されずに怒った。
――やっぱりウチ、鬼との交渉は向いてへんな。
奈菜は小さくため息をついた。




