第百十八話 イメージトレーニングは馬鹿に出来ない
「ちょっ、ちょっと!? これ、どうなってんの!?」
悲鳴に似た声の問いに和美と那間良が警戒して視線をやると、そこには笠原朋美が立っていた。
茶色のショートボブは僅かに乱れ、くりっとした大きな瞳は事態を把握出来ないとさらに大きく開かれて、ぷりっとした柔らかそうな唇がわなわなと震える。制服姿なので学校から直接来たのだろう。移動に火照ったからか、和美と違い上着は脱いで腰に巻いてある。
朱雀が四神の試練を省略しようとしたことが逆に災いして、ミニチュア錫杖が置かれている台の周辺には他の場所であったような結界と言うものが張られていなかった。日常の図書館利用者の邪魔をしないということは新たな来客も受け入れてしまうということ。事が平穏に治まらなくなった現状、今更な締め出しは間に合わなかったようだ。
学校で調べ物をしてくれると言っていた笠原が何故ここにいるのか、そんな疑問を跳ね除けて和美は近づいてはダメだと警告しようと口を開けた──その音より先に、跳ねる影が一つ。
何だ?、と和美は横に視線を向けるも影は既に前方へと飛び、その始点と後ろ姿に何が飛び出したのか和美は理解した。
「え、何!?──」
笠原にめがけて飛び出すは、先程那間良に殴り飛ばされた鉤。一般人を巻き込まぬよう咄嗟に護りに飛び出した、などとは思えない鋭利な飛びかかり、それは──。
「逃げて、朋美!!」
飛びかかり、腕を伸ばし、鳴らす甲高い笑い声。赤鬼に恐怖し、赤に飲み込まれた者の動き。人間離れした動きは、貸出カウンターに倒れた状態から跳ね飛んで、子供用の背の低い本棚を二三超えていき、一気に笠原の眼前へと近づいた。
逃げろ、和美の叫びに似た警告を確かに笠原は聞いて理解していた。数ヶ月、いや数日前までの自分ならその言葉も聞き取れないぐらいパニックになっていただろうし、逃げる為の足なんて動きはしなかっただろう。
だけど、今は──。
「これを──」
飛びかかってくる鉤の突き出された左手を笠原は掴む。
「こうして──」
右手で鉤の手首を掴むと左手で下から二の腕辺りを叩くように持ち上げ掴んだ。流れるような動作で右手を後ろへと引っ張りながら、身体をねじり込ませて鈎の胴体へと背中を押し当てる。
共に和美の友達となろうとしてる矢附が身体作りの為にバレー部として励んでいるのを見て、自分も何か出来ないかと考えていた笠原。和美や西生奈菜の様に鬼と戦う、なんてことは到底無理だとしても自分の身は自分で護れるようになりたいとそう思っていた。思い出したあの赤鬼の影響下、ただ怯えていただけの自分。
和美の依存先になる、だなんて友達になった矢附は言っているのだ。頼れない、護られてるだけの存在に甘んじてられるわけがない。
「──こうっ!!」
背が高くぽっちゃり系だと言われることもある笠原は、自分の身体が有効的に使えるんじゃないかと思える護身術の動画を見つけた。押し当てた背中に相手の身体を乗せて、引っ張った右手、持ち上げた左手で相手のことを背負い投げる。
ぐあっ、と声を漏らし鉤の身体が図書館の床へと投げ落とされた。赤鬼の攻撃的な意識が本来鉤ならば出来ていた受身を疎かにさせた。
「そんでもって、こうっ!!」
投げにと掴んだ腕を離さぬまま、笠原は足下に倒れる鉤の顔面を豪快に蹴った。
「は?」
容赦の無い蹴りに、唖然としたのは和美だけでなく那間良もであった。
「え? あ、やりすぎた? ってか、この人誰? 一体、何なの?」
動画で見た護身術の講師はこの一連の締めくくりに、痴漢にはこのぐらいやったって構わないんですよ、と笑って言っていた。笠原はとにかく一連の動きをこの数日練習していたので、蹴った後でこの護身術の危険性を実感した。
「あの時、エル・プラーザで怖がってただけの笠原さんが人投げ飛ばすなんて。何、高城さん、道場かなにか開いてるの?」
和美と那間良の位置は仕切り直しの距離まで離れていた。互いに笠原の動向を見守りつつ、体勢を立て直す。
「そんなの開くぐらいなら、まず那間良さんにボクシングを習えって薦めますよ。強いのは痛いぐらいわかってますから」
仕切り直し、つまりは突然の乱入など関係なく和美と那間良の戦いは続く。視線を互いに向け直し、いつ動き出すかと身体を身構える。
「ちょ、ちょっと!? なんでまた和美と那間良さんが睨み合ってるの!? やめてよ、二人共!」
気を失い倒れる鉤の腕を離し、笠原は和美と那間良を止めようと近づく。それに対して那間良が視線を動かしたので、和美は笠原の危機を察した。
「ごめんね、高城さん。先に邪魔者かたさせて」
貸出カウンターの上にいる和美と、そこから落ちて離れた那間良。笠原に近い位置にいるのは那間良の方。
踏み込んだ一歩から低い姿勢で駆け出す那間良。
カウンターを強く踏み込んで飛び上がる和美。
一瞬にして押し付ける那間良の間合い。
目で捉えることなど恐らく不可能ではないかと思われる出だしを隠して放たれる拳。
「隠したって、わかってますよ、私」
驚いた顔をしていた、那間良が一歩目を踏み込んだ時に見た笠原の表情は確かに驚きのそれだった。それが殴れる距離にまで近づいて変わっていることに気づいた。後方から来る和美のことも念頭に入れて一撃で仕留めてしまおうと振り出した右ストレート。低い姿勢から上半身を起こして隠した腕の動きを、笠原は完全に見切っていた。
「これを!」
殴られる前に身体をぶつける精神。痛いのは我慢、そのあと痛めつければいいからと動画の講師は言っていた。暴漢に襲われた時は基本的には立ち向かうのではなく逃げなさいと、広告並に挟んできた言葉が笠原の頭に過ぎるが、今は根が好戦的な講師の教えに従う。
顔面を狙っていた那間良のストレートが笠原の肩を打つ。人生で味わったことの無い痛みに笠原は悶え泣きそうになるが、ぐっと我慢して教え通り身体をぶつけにいく。
教え通り上手く行けば動画視聴者は皆、格闘チャンピオンだ。少なくとも講師のような女子プロレスラーを目指せるのかもしれない。
強そうな女の人の強そうな護身術を真似た結果、那間良のストレートの衝撃に耐えれなかった笠原は少しばかり前のめりな体当たりとなってしまい起き上がってきた那間良の頭に自分の頭をぶつけてしまう。
強そうな女の人の強そうな護身術を誰に向けて繰り出すかとイメージした際に出てきたのは、強そうな那間良の事だった。あの時、エル・プラーザで那間良の闘いなどほぼ見れていなかった笠原だが、仮想那間良相手に護身術を身につけてきた。
強くなるため。
友達に頼られる強い女になる為。
その一心が予定外のヘッドバット対決でも怯まず、さらに一歩踏み込ませた。
「こうして!」
起き上がってきた那間良の頭に突き出すように当たった笠原の頭突きが、那間良の身体を押し返して、そこに元の流れ通りの体当たりが決まる。
「こう!」
イメージトレーニングでは何千回と投げてきた。つい先程、ひとつの投げが成功したばかりだ。イメージは合ってる。確信した笠原は肩に当たった那間良の右腕を掴み、再び身体を捻る。
背後に回ってバックドロップが出来たら最高なんですけどね、などと物騒な事を言う講師の言葉を思い出しながら笠原は自分に出来る形へと持っていき──
ばったん!
図書館の床を叩く強い音。那間良の身体が仰向けに叩きつけられる。
頭に何かがぶつかったかと思えば、次の瞬間には天井を見上げる形になっていて那間良は何が起きたのか一瞬判断出来ずにいた。
その一瞬が、致命的だった。
「そんでもって、こうっ!!」
笠原が何千回と繰り返したイメージトレーニングの再現は、しっかりと那間良の顔面を蹴り飛ばした。




