第百七話 緑のナイフと白の刀
ベッドの上から飛びかかる笠沼正太。小学生とは思えない跳躍力で、部屋の隅から隅へと距離を一気に縮める。黒いレインコートがバタバタと音を立てて揺れる。開始から間髪入れずのナイフの一閃。宙に緑色の線が刻まれる。
速い、速すぎる。光の刀を構える余裕すらなく、和美は避けることすら出来なかったが、笠沼正太の振りかざした一撃目は宙を斬った。
「ちゃんとしないと、死ぬよ、お姉さん?」
わざと空振った、そう言わんばかりに笑みを浮かべる笠沼正太。和美が何か言葉を返す前に、次の一撃を振りかざす。
病室の宙を切り刻んでいく緑に光るナイフ。あの夜に対峙した時より遥かに速くなったその閃撃に、和美は防戦一方になっていた。
辛うじて構えた光の刀は、刃としての機能を果たせず、ただの棒切れとして盾としての役割だけを担っていた。光の刀、それは単なる呼び名でしかないのに、緑のナイフがぶつかって刃こぼれを起こしてるように思えた。盾として構えていても、いつか折られる。
「殺され待ちかい、お姉さん?」
「そんな、わけ、ないでしょ!」
速さだけでは無い。ぶつかる衝撃は強く、ますます目の前の笠沼正太が小学生の身体をしてる事に納得がいかなかった。
「これ、って、あの時の、再現、って、いうには、青龍の、助力、強すぎ、ない?」
光と光のぶつかり合い。現象としてはおかしいと思うが、そう言うしかない緑のナイフと白の刀のぶつかり合い。光と光のぶつかり合いゆえ、音は一切無く、手を痺れさせる衝撃だけが訪れる。
笠沼正太の連撃。光の刀は強く弾かれて、形をゆらめかせる。
「それは確かにそうなんだけどさ、ほら、お姉さんもあの時とは違うわけじゃない? 白鬼の力、持っちゃったわけだしさ。そもそもフェアじゃないとか、そういう話じゃないでしょ、試練って?」
止まらない笠沼正太の斬撃。光の刀が形を取り留められなくなってくる。
「ああ、もう、刀が消えちゃいそうだよ、お姉さん。残念だったね、死んじゃうね」
横への薙ぎ払い。そればかりを繰り返していた笠沼正太が、大きく腕を引いた。構えが変わったのは、必殺の一撃を繰り出す為。大きく引いたのは、強く突き出す為。ニヤリと口角を上げる笠沼正太。
そして、高城和美。
狙いは最初からわかっていた。あの夜の再現だと言っていた。あの夜の再現だと恐れていた。肩を刺された、あの夜の再現だと理解した。ならば、隙を見せたなら必ず狙ってくると和美は思っていた。
刃が欠けていく様に光の刀が小さくなっていったのは、和美の力加減によるものだった。速すぎる笠沼正太の動きを捉える為の演出だ。焦ってるように弱音を吐いたのも、演技であった。
あの夜の再現と黒いレインコートを笠沼正太が羽織った瞬間、和美も覚悟を決めていた。相手は幼なかろうが、三人も殺した殺人鬼だ。今更容赦も必要とはしないだろう。反省を促すなんて、今更遅すぎることもわかっていた。とっくに祓われているのだから、会心に与える時間などもう無いのだ。
真っ直ぐ伸びる笠沼正太の腕。緑のナイフの切っ先が和美の肩を目掛け伸びてくる。
真っ直ぐ振り下ろされる和美の腕。上段の構えから振り下ろされる光の刀。刃こぼれなど起きていなかった。
笠沼正太の突き出したナイフが、和美の肩に届く前に、光の刀は縦一閃、笠沼正太の身体を真っ二つにと切り払った。
自分が斬られたことを悟った笠沼正太は、声なく笑い消えていく。
「やっぱり、悪趣味よ、この試練」
和美はそう吐露して、消えいく笠沼正太をただ見つめていた。
また、助けられなかった。
そんな焦燥感が、胸に焼きついた。




