第95話 深淵
地図を片手に目的地にまで疾走&飛行して来た美味達は、その日のうちに『罪過の地底湖』の間近にまで接近。しかしながら、そこはただの地下への入口と言う訳ではなかった。
「はえー、まさか本物の刑務所が、入口の真上にあるとは…… お姉ちゃん、驚き桃の木!」
そう、何と『罪過の地底湖』に唯一繋がっている地上部の入口には、グラノラ王国の刑務所が建てられていたのだ。現在美味達は刑務所内にある入口までの道のりを、刑務官に案内されているところである。
「うっそだろ!? こんな場所に美人さんが来たぞぉ!?」
「よーう、嬢ちゃん達! こんな場所に何の用だぁ!? 遊びに来たんなら、俺が相手をしてやっても良いぜぇ!?」
「バッカ、遊ぶのは俺っちだってぇの! うすのろは引っ込んでろ!」
「んだとこらぁぁぁ!」
「やんのかくぅらぁ!?」
美味達が牢の前を通ると、受刑者達は下品な言葉を吐き捨て、そのまま勝手に殴り合い始めてしまう。全員が全員血の気が多いのか、それを止める者は皆無。むしろ、続けて参加する者が続出するほどで、最早それは喧嘩ではなく乱闘騒ぎにまで発展している。
「すみませんねぇ、ここを通らないと入口に行けないんですわ。ああ、アレらは気にしないでください。うちの馬鹿共は理性っちゅうもんがないもんでして。女性を見るのも久しいもんで、直ぐああなっちまうんですよ。目を合わすとまた騒ぎ出すんで、徹底的に無視してください、無視」
この程度の乱闘は日常茶飯事なのか、案内役の刑務官も特に慌ててはいないようだ。冷めた様子で、最低限の注意事項のみを口にしている。
「拳が出るのは元気な証拠! 活きの良い事は、つまるところ良い事ですわ! どれ、私様もいっちょ祭りに交じって来ましょうか! 目を合わせるのは駄目でも、手合わせするのは問題ねぇですわよね!?」
ぐるんぐるんと片腕を回し、デリシャのやる気は十分である。そのやる気が殺る気でない事を祈るばかりだ。
「いや、問題ねぇ事はねぇんですが…… え、本気でやる気で? いやいや、困りますよ。危ないですって。責任取らされるの、自分なんですって」
「デリシャさん、駄目ですよ。本当に危ないですから」
「ほら、お仲間の金髪さんもこう言っていますし、やっぱり止め―――」
「―――意味もなく受刑者を病院送りしてしまったら、その人達の医療費を私達の食費から割く事になってしまいます。倒しても食材が手に入る訳でもないですし、ただただおかずが減るだけでメリットがないです」
「た、確かにそれは困りますわ! 危険ですわ! 私様、ここはぐっと我慢しやがります!」
回していた片腕を押さえ、グッと堪えるデリシャ。そんな彼女らのやり取りを目にし、刑務官は思った。ああ、そう言えばこの子ら、S級冒険者候補の人達だったっけ…… と。そして、これ以上ないほどに納得する。
「ところで、何で『罪過の地底湖』の真上に刑務所があるんです? ホワイ?」
「ああ、やっぱり気になります? 説明が長くなるので、個人的に面倒――― いえ、お時間を取らせる訳にはいかないかなぁと、そう思っているのですが」
「なら、入口に着くまでの間だけで良いですよ。受刑者の喧嘩を見ているよりかはマシなので」
「金髪さん、なかなかストイックな性格していますね…… ええ、分かりましたよ。後で職務怠慢を報告されては困りますので」
深々と溜息をつきながら、刑務官はこの刑務所の成り立ちについて話し始めた。
この刑務所はグラノラ王国中の重罪人が集められた、言わば悪の巣窟となっている。そんな場所ともなると警備はより厚く、より厳重になるもので、刑務所自体も要塞と化した状態だ。エスタによって築かれた何重もの鉄壁に囲まれ、監視体制も万全、更には刑務所内には騎士団長が常に在中している。広大なグラノラ王国を見回しても、これほどまでに厳戒な場所は王城以外にないと、そう断言されているほどだ。
「―――で、そこまで厳重であるのなら、『罪過の地底湖』の管理もそこでやった方がお得じゃない? という、国王様の思い付きで刑務所が移動する事になったんです。終わり」
「思ったほど長くなかったですね…… と言いますか、そんな気軽く移動できるものなんですか?」
「うむ、私もそれは思った。理屈はまあ分かるような気もするが、この規模の建造物ともなると、言ってしまえば城を動かすようなものだぞ?」
「まあ、普通に考えればそうなんですが、それをやってのけるのが上の方々なので。『鉄血』のS級冒険者、エスタ・リコムイもその際に協力したそうですよ。まあ自分が生まれる前の事なので、どのようにしたのかまでは分からないのですが」
「おおっ、エスタさんが!」
「流石はエスタ殿だな。尊敬の念を込めて、また会食を共にしたいものだ」
「ですわね! 私様のばっちゃみたいで、とても親しみやすいのですわ!」
「はー、エスタとも知り合いなんですね。すげぇなぁ…… あ、着きましたよ」
説明が終わった丁度のタイミングで、美味達は地底湖への入口へと到着する。 ……が。
「……あの、底無しの穴しか見当たらないのですが?」
「わっ、どこまでも真っ暗だ!」
行き着いた先にあったのは、床に大きな大きな丸い穴が開いた場所だった。地下へと続く洞窟、地下へと続く階段、などとそういったものではなく、本当に直下型の穴なのである。
「はい、これが『罪過の地底湖』への入口です。足を踏み外さないよう、気を付けて降りてくださいねー。では、どうぞ」
「いや、どうぞって……」
どこまでも闇が続くその穴の側面には、取っ掛かり一切なく、殆ど平らに近い状態となっている。クライミングで降って行く事は、まずできなさそうだ。
「うちって重罪人を扱う刑務所でしょ? その中には死刑になるような極悪人も居たりして、最も刑罰の重い奴なんかは、ここから突き落とすんでさぁ。落下死した後も亡霊となり、『罪過の地底湖』で罪を償わせる為にね。まあ、そこまでの極悪人なんて、私が赴任して来てからは見てないんですけどね。なので、今はこの穴も昔のようには使ってないんですよ。安心しました?」
「……そこで安心したとしても、落下死する恐れは変わってないですよね?」
「そりゃあ、まあ。でないと、いざとなった時に使えないので」
「ハァ、そうですか…… 兎も角、この程度の入口を突破しない事には、王の認可はもらえないと、そういう事なんでしょうね」
「そうなんだろうね~。どうする? もう行く?」
「私様、準備運動で体はポッカポカでしてよ!」
「私も今か今かと待っていたところだ。食材の声が幻聴となって聞こえて来る……!」
話の最中にウォームアップを終わらせていたようで、美味達は既に降りる気満々だ。甘露も含め、そこに恐れという感情は一切感じられない。
「……えっ? ほ、本当に行くんですか? 正気ですか? この穴なんですよ?」
「ええ、正気ですとも。所内の案内、ありがとうございました。では」
「「「とうっ!」」」
ある者は翼を生やし、またある者は壁の側面を走り、またまたある者は宙を蹴り、またまたまたある者は普通に穴の中へとダイブ。四人の姿は闇の中へと消え、もう刑務官の目の届かない場所へと行ってしまった。
「……何の躊躇もなく闇の中に突っ込みますか。いやはや、ホントすげぇなぁ」
残された刑務官は穴の奥を覗きながら、呆れるようにそう呟く。と、そこへ別の刑務官がやって来た。
「あっ、こんなところに居られましたか、パイ署長! 仕事をサボらないでくださいよ!」
「やべ、見つかった……」
そう言って、被っていた職員帽子を渋々と取り始める、署長と呼ばれた刑務官(?)。帽子を取った直後、長い長い黒髪が彼女の背中に解けていった。
「いや、ちょっと道案内をしててー、別にサボってた訳ではー」
「変な言い訳しないでくださいよ、署長! ちゃんと別に案内する者を用意していたのに、すっかり待ち惚け状態ですよ、署長!」
「分かった、分かったから、そんな署長とか連呼しないでくださいよ。言われる度に責任が重くなる気がする……」
「なら、しっかり仕事をしてください! パイ騎士団長!」
「そっちの肩書も止めてぇ、滅入るぅ……」
騎士団長兼グラノラ刑務所署長、パイ・グゥ。騎士団長の中でも屈指の実力を誇るとされる彼女であるが、やる気のなさも騎士団長中で屈指であった。




