27 召喚前日
アーガルム王国暦1000年の10月。
私はエルドレッド神殿で聖女召喚の為の魔法陣の最終チェックをしていた。
いよいよ明日だ。
緋色の瞳は風の国フレーズヴェルムを滅ぼしたという。ついに南の大陸も3分の1が侵略された事になり、もう後がないと言える。何としても聖女召喚を成功させなければならない。
いや、成功する事はわかっている。そして、世界に平和が訪れる事も。
未来から来たという弟子がそう教えてくれたのだ。
「アドルフ師匠、この魔力路、私が来た時の魔法陣とやや違いますが、人間以外が使用する為、という事なんでしょうか?」
図面を広げながらアンジェリークが私に尋ねる。
「それは私も気になっていました。人間の魔力菅に対応していませんよね。つまり、緋色の瞳用という事です」
アンジェリーク・ディディエと名乗るこの少女が二日前に突然この魔法陣から出現した。交神の円環なしに起動するはずがないから大層驚いたが、彼女の言葉にはもっと驚いた。
『500年後から来ました』
彼女は500年後の2代目聖女様より、明日召喚される聖女様に伝言を伝える為に遣わされたという。
勿論はじめは信じなかった。何を馬鹿な事を言ってるんだと笑った。しかし、話を聞いている内に段々と本当かもしれないと思い始めた。
彼女はこの魔法陣を隅から隅まで熟知していた。未来では一部が欠損しているらしく、魔力制御の回路についての知識は無かったがそれ以外の仕組みを完全に理解していたのだ。
この魔法陣は私が一人で作り上げた物で、他に仕組みを知る人間などいないはずなのだ。
欠損したという魔力制御回路を未来に持ち帰るのも彼女の目的の一つらしい。彼女は非常に優秀で私の知識をどんどん吸収していった。正式に私の助手、というか相棒として欲しいぐらいだが、あと5日で未来へ戻るという。
いやしかし、驚いた。
まさか異界を経由してセラヴィスの時間跳躍を可能にするとは。人知を超えている。いや、実際に人間ではないのか。さすがにこんな事は王子を始めこの時代の人間には話せない、緋色の瞳が500年後のアーガルムの筆頭魔術師などとは。
「アドルフ、アンジェリーク嬢。ご苦労様」
ジークムンド殿下が近衛騎士のベネディクトを連れてやって来た。ベネディクト殿の腕にはバスケットが抱えられている。
「甘いものを持ってきたんだ。休憩にしよう。パンを揚げた物に砂糖をふんだんにかけてみた。ベネディクト特製だよ」
ベネディクト殿の趣味は意外にもお菓子作りだ。これがどれも美味で私も毎日の差し入れが楽しみてしょうがない。
「うわあ、師匠! 頂きましょう!」
アンジェリークも年頃の女の子だからか、甘いものと聞くと我慢が出来ないらしい。
「わかりました。では休憩にしましょう」
神殿横に造られた東屋で休憩をとる。
王子はすぐにアンジェリーク嬢との魔術談義に花を咲かせる。
「未来では詠唱が当たり前なのだな」
「はい殿下。代わりに殿下の様に魔力を直接操作して行使する魔術は古代魔術と呼ばれ、使える者は滅多にいませんわ」
ジークムンド王子は魔術の天才だ。魔術戦闘ではこの私も敵わない。そして頭も良い。少し前から魔術を誰でも使えるようにと詠唱の研究も始めていた。そんな所にアンジェリークが現れて詠唱魔術を披露してしまったものだから、王子もすっかり聖女の使いだと信じてしまった。
「威力や範囲を思い通りに設定出来るから、是非アンジェリーク嬢も魔力操作を覚えるべきだ。その杖も便利ではあるが、杖が無いと何も出来ないではいざというとき役に立たん」
アンジェリークの持っている杖。治癒魔術と結界魔術の魔法陣が仕込んであり、まるで無詠唱の様に魔術を使う事が出来る。悔しいが私の研究では魔法陣の小型化に成功しなかった。今回その方法を教えて貰ったから我らでも実用化していきたい。しかも巷の大工の間では口伝の技術のようだ。聖女召喚の儀が終わったら街に視察に行こうと思う。
「この杖は体内の魔力を循環させて常に治癒魔術を発動させています。魔力の流れを感じ取って私も古代魔術を使えるようにするつもりです。でないとレン様の足手まといになってしまいますから」
レン様、というのが500年後に召喚された2代目の聖女様らしい。アンジェリーク嬢は聖女様直々に旅の同行を願われたとの事だ。
「黒龍を一人で退ける、か。にわかには信じられん」
霊峰デュラージュにフォンドルレアの花弁を採集しに行った際、神話に出てくる黒龍と遭遇したらしい。その際に聖女様が実質一人で黒龍を撃退したという。確かに建国記には黒龍を征伐しデュラージュの麓に王都をおこしたと記してあるが、建国記以外に黒龍の記述がある文献は見つかっていない。本当に存在したのかも疑わしいのが黒龍である。
「本当なんです! あの時のレン様はとても素敵でした!」
アンジェリークは目をキラキラと輝かせてうっとりとした表情で嬉しそうに語る。聖女様の事を話す時は毎回こうだ。まるで恋する乙女の様なのだ。
「私の手にその手をそっと重ねられて、死ぬときは一緒に死んでください、キリッて! キャー! かっこよかったあ!」
「コホン、アンジェリーク嬢」
「あ、失礼しました。どこで覚えたのかわかりませんが、超級魔術テュポーンの詠唱を唱えられ4柱の竜巻を操って……」
幻獣テュポーンの詩は私も知っている。二つ首の赤い蛇で、竜巻を操る幻獣だ。アンジェリークの話ではその後竜巻が一つになり黒龍の幼体の姿に変わったという。だとすると、少々引っ掛かる。詩そのものがテュポーンを行使する詠唱だというならそれをいつ、誰が作ったのだ? 本来アンジェリークが来なければまだこの時代には王子の頭の中にしか詠唱の概念自体が存在しないのだ。ひょっとしたら我々が知らないだけでとっくに詠唱は産まれていて、そして無くなっていったのかもしれない。
「アンジェリーク嬢は本当に聖女様の事が好きなのだな」
美しく、強く、そして優しいという。明日召喚する聖女様も是非そうあってもらいたいものだ。
「はい! 恋人ですから!」
「え?」
「え?」
まさか、アンジェリークが同性愛者だったとは。しかも相手は聖女様……憧れというか、お手本の様な女性として好きなのだと思っていた。
確かに、セラヴィスの人間と恋仲にでもなってもらうのが手っ取り早い。今の所、交神の円環無しに聖女様を元の世界に返す術はない。私もこれから研究をしていくつもりだが、未来から来たアンジェリークがその方法を知らないという事は、私もその答えに辿り着けなかったという事だ。
元の世界に戻れない以上、セラヴィスで幸せになってもらうしかない。私としても聖女様には気分よく日々を過ごしてもらいたいと願っている。
「そうか……アンジェリーク嬢は聖女様と恋仲なのか。僕はどうしたらいいのだろう……」
王子がポツリと呟く。
実は王子、国王より聖女様をそのお側で支えよとの任務を命じられている。下世話な言葉は使っていないが、チャンスがあれば口説け、そう言っているのだ。現国王はあまり有能ではない。伝説の聖女様を王妃にしようなどふざけた話だ。そんな事をしたら国民からも、他国からも反発を買う。今回の聖女召喚だって私に丸投げしただけでどうにかなると思っているのだ。王子が何かと手伝ってくださっているからなんとかなったが、さっさとジークムンド王子に王位を譲ってくれと願うばかりである。
それに、ジークムンド王子には既に意中の相手がいる。
「殿下、気乗りしないのであれば国王の命を無理に聞く必要はないと思います」
「ベネディクト、声が大きいぞ。王の命令は絶対だよ。気乗りはしないがな」
「ジークムンド殿下はベネディクトさんの事好きですもんね」
「ぶっ! ア、アンジェリーク嬢! 何を言うのだ」
「え? 違うんですか?」
「い、言えるか!」
「アンジェリーク様。冗談は控えてください。私の様な者が殿下となど、畏れ多い事です」
別にくっついてしまえばいいのだ。ベネディクト殿は近衛騎士だが、元々侯爵家のご令嬢だ。剣と魔術の才能があったから騎士として働いているだけで、騎士でなければ婚約者になっていてもおかしくない家柄の出なのだ。
「ゴホン、とにかくだ。聖女召喚に失敗は許されない。頼んだよアドルフ」
「大丈夫です王子。アンジェリークさんがここにいるという事は成功したという事、何も心配はいりません」
「そうだな。それにアンジェリーク嬢には聖女様の信頼を得られるという策があるらしいし、僕としても気が楽だよ」
アンジェリークによると聖女様の世界には魔術がないらしい。いきなり魔術と言われても信じられない事かもしれないし、なにより拉致同然に召喚するのだ。信用を得るのが一番の問題だったが、アンジェリークには間違いなく聖女、フジサワアイ様を説得する事が可能だという。
「お任せください。あー! 忘れていました!」
口に手をあて、突然アンジェリークは大声を出す。
「そう言えばアドルフ師匠が死んじゃうんでした! それを助けろとも言われていたんです」
「は? 私が、死ぬ?」
「魔族の襲撃で死んじゃうんですって。アドルフ師匠がいなくなって召喚魔術の研究がされないと困るんです」
「おいアンジェリーク嬢、魔族とは緋色の瞳の事なんだろう? 大丈夫なのか?」
何て大事な事を忘れるのだこの子は。
「大丈夫、私が治しますから!」
どん、と胸を叩くが、私も王子もベネディクト殿も苦笑いでそれに応えたのだった。




