23 異世界で聖女として生きていく
一昨日の大雨がまるで無かったかのように、カラリと乾いた川沿いの道を歩く。
芝生はみんな、ピンッと背筋を伸ばしている。
秋も深まるというのに、アスファルトはお日様のエネルギーを吸い上げて私の肌を焼いた。
実にいい天気だ。
正直、晴れてホッとした。
大雨は怖い。大事なものを奪っていく。
私の兄は増水した川に流され、今でも見つかっていないのだ。
今日でちょうど三年になる。
私もいなくなった時の兄と同じ年、十七才になった。
伝えたい事はたくさんある。
祖父がお酒をやめた事。
祖母が兄の分までご飯を作ってしまう事。
キモいとか言ってしまって、謝りたい事。
今でも、兄が大好きだって事。
でも、それは叶わない。
ひょっとしたらとは思っているけど、さすがに三年は長い。
最悪の事も、決して受け入れられないけど、覚悟はしている。
「妹ちゃん!」
背後からの声に振り向く。
私を妹ちゃんと呼ぶのは一人しかいない。
「宗一郎さん、おはようございます」
林宗一郎さん。兄とは中学の同級生で、一番の親友。
毎日祖父の空手道場に通ってくれていて、祖母が作りすぎたご飯をよく食べてくれる。
「おはよう。恋の所に行くんだよね? 一緒にいいかな?」
「はい、どうぞ」
宗一郎さんは、兄の好きだったお菓子でパンパンになったビニール袋を抱えている。あいつの事だから川からザパーンって突然出てきて、「腹減った」とか言いそうだから。そう言いながら笑った。
「あ、今日から冬服なんだ」
「ええ。と言っても今日は暑いから、明日からにすれば良かったかな」
「そうだね、恋ならずっと夏服でいいって言うかもね。あいつ薄着の夏を愛してるから」
兄ならきっとそう言うだろう。
私だって理由なく兄をキモいと言っていた訳ではないのだ。
実際キモいのだ。
兄は変態なのだ。
宗一郎さんのお姉さんに肩掛け鞄を贈ったりとか、ネットで胸の谷間の作り方を見ていたりとか。
いなくなる少し前なんて、乳首から毛を生やして喜んでいた。しかも名前までつけて。
年頃の妹からしたら全力で「うわ、キモ」案件である。
それを指摘すると、「うるせーどうせ俺はモテねーからいいんだ」とか開き直ったりしてどうにもならない。
確かに女の子の顔をしているけど、それは美形だという証拠だし、そういう顔が好きな女の人も少なくないと思う。背は小さいけど、細マッチョで頼もしいし。
だけど兄は自分の魅力に気づけず、色々とこじらせてしまっているのだ。
やっぱり、私の友達を紹介した時の事をひきずってるのかな。だとすれば本当に申し訳ない。
兄の将来が心配だったが、今はその将来があるのかもわからない。
会いたい。
兄に会いたい。
兄が流された河原には先客がいた。
兄が助けた男の子、涼馬君とそのお母さんだ。
二人は川に向かって手を合わせていた。私達と同じように、彼等もここへ兄と話しに来たのだろう。
彼は幼いながらも責任を感じていて、初めて会った時は大泣きして私や祖父母に謝ってきた。
勿論、彼のせいじゃない。それでも彼は謝り続けて、兄が空手をやってると聞くと「自分もやる!」と言って道場に通いだした。空手に対しても真面目らしく、宗一郎さんも「涼馬は強くなるぞ」とよく言っている。
お母さんは私達に気付いて深く頭を下げた。この人もまた、苦しんでいる。自分達だけが幸せに暮らしていていいのか。そんな風に悩んでいる。
いいに決まっているのに。
そう、涼馬君のお母さんだけじゃない。みんな苦しんでいる。助けられなくてすまんと泣いてくれたおじさんも、涼馬君と一緒にいた友達も、みんな苦しんでいる。
兄が帰ってこない限り、私達に降るあの大雨は決してやまないのだ。
「宗一にーちゃん愛おねーちゃん、俺もう学校行かなきゃ。そうだ、これあげるよ。学校にもあるから」
「下敷き?」
「違うよ、観察プレート。え? ひょっとして興味ないのおねーちゃん?」
真っ黒な下敷きのような板。観察……あ、そうか。
「今日だったっけ? 金環日食?」
そういえばニュースでやってたな。何百年に一度、ってやつ。
「うん。ほら、もう始まってるよ」
「あ、ホントだ」
プレート越しに太陽を見てみると、二割ほど太陽が黒く欠けていた。
もう少しすれば、あれがリング状になるのだろう。
「じゃあ、また道場でね」
「うん、行ってらっしゃい」
涼馬君は大きく手を振って学校へと行った。
私は土手の芝生に腰を下ろす。
「妹ちゃんも学校じゃないの?」
「一時限目ぐらいサボってもいいでしょ?」
「じゃ、俺もサボろっと」
私の隣に寝っ転がって、うーんと伸びをする。
何をするでもなくボーッと川を眺めて、たまに宗一郎さんと兄の事を話して、たまに観察プレートで日食を見て。
宗一郎さんと何気無く過ごしていれば、兄がふらっと帰ってくるような気がして。
「お、すごいよ妹ちゃん。今完全に指輪みたい。ほら」
一枚の観察プレートを交代で使う。
「うわぁ……、綺麗……。あれ?」
月が太陽の中心にかかった時、突然真っ赤になった。
中の月も、周りの太陽も、真っ赤に。
「お、おい妹ちゃん! 大丈夫か?」
「え? どうしたんで……うわぁ!」
私の体が輝き始めていた。
驚いて立ち上がる。
熱い。
足の先から熱を帯びる。
そして、消えていった。
「嘘? 何これ? 足が、足が!」
足から段々と消えて行き、既に太ももまでなくなっていた。
いや、何処かに立っている感覚はある。無くなっているというより、移動している?
すぐに胸の辺りまで消え始めた。
怖くなって必死に手を伸ばす。
「妹ちゃん!」
伸ばした手を、宗一郎さんが掴んで引っ張ろうとするけど、止められない。
「宗一郎さん!」
私の腕が消えた後、そのまま宗一郎さんの腕も消え始めた。私と同じように段々と消え始める。
やがて消失は顔まで飲み込んで、視界が変わった。
「え? パルテノン神殿?」
柱と梁のみではなく屋根のついた、ギリシャにあるような神殿の中央に立っていた。
丘の上だろうか、見渡せば欧州のような街並みが眼下に広がる。
腕の先には宗一郎さんの姿。手を繋いだまま、キョロキョロと周囲を窺っている。私もだけど、驚いて声にならないようだ。
周囲には十人ほどの人の姿。みんな白人で、中世ヨーロッパの人のような格好をしている。オカッパ頭の神父のような法衣を着た男性。栗色の長い髪の魔法使いのような女性。頭部まで兜で隠した全身鎧の騎士と、実に様々だ。
「成功だ……!」
「おおお……成功だ! 聖女様だ!」
「妹ちゃん大丈夫? 怪我はない?」
「はい、何ともないです。けど、ここは一体……?」
「わからない。光ったと思ったら体が消えて、気付いたらもうここにいた」
ヒソヒソと相談をしていると、一人の男性が近づいて、胸に手をあてながら私達に礼をした。王子様のようなきらびやかな衣服を身に付けて、腰には剣をさげている。金髪でアイドルのような美少年だ。
「聖女様。そしてお付きの方、よくおいで下さいました」
その外国人のような見た目からは想像出来ない、流暢な日本語だった。
聖女? まさか、私の事だろうか?
足下を見れば、円状の枠に見た事のない文字がびっしりと描かれている。漫画とかでよく見る魔法陣みたいだ。
「まさか、召喚されたって事か?」
「そうです。恐れながら、私達が喚び出させて頂きました」
「は? マジで?」
「はっ、聖女様。どうかこのセラヴィスをお救いください!」
こうして私は、兄がいなくなってちょうど三年経ったこの日から、召喚された異世界で、聖女として生きていく事になったのだ。
第一章、完
第二章に続きます




