1ー1. 配属先はタヌキ様お世話係
◯月◯日
本日のタヌキ様。
午前中は、王宮裏の森にてご散策。
その際、森に自生しているアンデン・ベリーをお召し上がりになりました。
その後いつものところでご立派な便をお出しになり、少し散歩を続けられた後王城に戻られました。
午後は、自室にてごゆるりとお過ごしになりました。その際施したマッサージを大変お気に召したご様子。今後も続けて行う予定。
便の状態 良好 食欲 良好
タヌキ様担当女官 マリーニ・ミゼラ
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マリーニ・ミゼラ。
新人の王宮官吏だ。
田舎の貧乏子爵家の長女。
茶髪に新緑色の瞳。特別美人というわけでもなくひたすら平凡な顔立ちと体型の十七歳。
この度、王宮官吏採用試験に無事合格し、本日より王宮勤めになる。
今私は羽が生えたように浮き足立っている。
何せ、今日から憧れていた王宮官吏になれるのだ。
思わずスキップしてしまいそうになりながら、憧れの王城の門をくぐった。
真新しいお仕着せに着られた同じ新人の仲間たちは皆、一様に期待に胸を膨らませ、瞳がキラキラと輝いている。
例外なく、私も同じようになっていることだろう。
案内に従って進んだ先は大きなホール。
新人たちが一堂に会する、最初で最後の機会だ。
今後はそれぞれ選ばれた部署へと散り、バラバラになる。
ザワザワと聞こえる声は、大きな期待と、ほんの少しの不安だ。
開始時間になり、先輩官吏たちが入ってくる。
お仕着せをビシッと着こなす恐らく上司になるだろう先輩方は明らかに格が違う。
皆、王宮官吏らしく一分の隙もなく前方に並び、控えた。
これからそれぞれの配属先が発表され、先輩官吏指導の下、学び、いつかあの方々のように新人に頼られる上司になるのかもしれない。
そうなれるように気持ちを新たにし、その時を待った。
壇上にスノーヴォルフ宰相閣下が現れた。
宰相閣下の言葉は魔法によって拡声され、真ん中よりも後方にいた私にもしっかりと届いた。
「諸君、今日から王宮官吏の一員になることを歓迎する。まず、諸君に覚えておいてもらいたいことがある」
宰相閣下は、新人官吏たちをゆっくりと見渡す。
「王宮には、守らなければならない規則が数多くある。時間を守ること。規則を守ること。機密を漏らさないこと。そして──」
一拍置いて。
「自分の仕事に誇りを持つことだ」
新人官吏たちの間に緊張が走った。
「仕事を怠れば、必ず誰かに皺寄せがいく。自分一人くらいなら、という考えは捨てなさい。それから、失敗をした場合は速やかに報告すること。隠蔽した場合は、失敗そのものより重く処分する」
ぐるりと見渡していた目がひた、と私に止まった気がする。
「諸君が今日から任される仕事は、華やかなものばかりではない。むしろ地味な仕事ばかりだ」
ふっと視線が逸れる。
知らずに止まっていた息をそろりと吐き出す。
「しかし、そうした仕事を疎かにすれば、いずれ大きな問題となる。地味な仕事ほど丁寧に、そして誠実に取り組むこと。……以上だ」
宰相閣下は無感情の声で淡々と告げる。
「諸君の働きを期待している」
宰相閣下が壇上の端に移動する。
「宰相閣下、少し怖いね」
「厳しそう」
周囲からはそんな声が囁かれた。
確かに厳しそうな声音だった。
茶髪の男性が壇上に上がり手元に視線を落とす。
「名を呼ばれた者は、前方に出て来るように」
次々と名前が呼ばれ、配属先が発表される。
歓喜や落胆の声があちらこちらから上がる。
官吏の花形である外交補佐官や、女性官吏の花形王族付き女官は一際声が上がった。
前方に立っていた官吏が、次々と担当の新人を連れて退室していく。
段々と人が減っていく中で、いつまで経っても名前は呼ばれず、とうとう前方の官吏も居なくなり、広いホールにぽつんと一人残される。
しかも、名前を読み上げていた男性が紙を畳んで退室していった。
最悪な想像が頭に浮かぶ。
もしかしたら、試験合格は間違いであったのだろうか、と。もしくは、何か問題があって取り消しになったとか。
悪い想像がぐるぐると頭の中を回る。
「マリーニ・ミゼラ」
「へぁ、は、はい」
宰相閣下が壇上から下りて近づいて来る。
紺色の髪に、ペリドット色の瞳。
整ったご尊顔をしているが、眉間には深い皺が二本刻まれている。
眼光鋭い瞳で射抜かれれば、ヒヤリとしたものが背中を流れた。
「あのっ、私に何か問題でもありましたでしょうか? ミゼラ子爵家は貧乏で、下に弟と妹がおります。私はあの子たちの学費を稼がねばなりません。下働きでも何でもします、どうか、どうか合格取り消しだけは何卒」
土下座する勢いで、ガバッと頭を下げる。
…………無反応。
「お願いします!」
重ねて言うと、これ見よがしのため息が聞こえた。
恐る恐る顔を上げる。
(ああっ、眉間の皺が三本に増えている)
終わった。
始まる前だと言うのに、私の官吏人生が終了した。
宰相閣下は言わば官吏の総括責任者。
その宰相閣下を怒り? 呆れ? させてしまったのだ。
「分かりました。お世話になりました。失礼します」
お世話になる程居なかった気もするが、肩を落としとぼとぼと出口へと歩く。
このお仕着せに袖を通してまだ半日も経っていない。
なのにもう脱ぐことになるなんて。
溢れそうな涙を目に力を入れて堪える。
「おい、マリーニ・ミゼラ、どこへ行くつもりだ」
「へ?」
「お前はせっかく受かった王宮官吏の職を棒に振るつもりか?」
「いっ、いいえ」
「では、戻れ」
「し、しかし。私は名前を呼ばれませんでしたし、上司の方ももう全員出て行かれました」
「呼んだだろう」
呼ばれていた?
もしや、聞き逃してしまっていただろうか?
「あ、私はどこに行けばよろしいのでしょうか? 配属先はどちらで?」
「お前の配属先はタヌキ様お世話係で、上司は私だ」
「………………はい?」
(タヌキ……様? そんな険しい顔して冗談?)
「冗談ではないぞ」
(バレてる)
「タヌキ……ですか?」
聞き間違いかと思い聞き返す。
「タヌキ様、だ」
「タヌキ……さま」
疑問符が頭の中を埋め尽くす。
「何かの隠語……」
「違う」
「獣人?」
「違う。正真正銘タヌキ様だ」
正真正銘タヌキ?
ど田舎の我が子爵領。
自然豊かというか、自然しかないこの領地での遊びと言えば野山を駆け回ることである。
森には色々な野生動物が生息していた。
森に行けば出会う。茶毛と黒毛を持つ愛らしくまんまるの瞳で何か言いたそうにジッとこちらを見つめて来る──
「あのタヌキですか?」
「どのタヌキだ? それと、何度も言うがタヌキ、様だ! もういい、とりあえず付いてこい」
「はい」
宰相閣下の後を付いていく。




