旅を生きる知恵
それからミティはヴェリスと共に、旅を続けるための基礎を一つずつ学んでいった。
その日教わったのは、魔物との戦い方だった。
相手は森の浅い場所に生息する、小さなスライム。
「まず見る」
「急いで攻撃しなくていい」
「相手を知る」
学院では学ばなかった実戦の基本を、ミティは少しずつ身につけていく。
◇
別の日は森の歩き方も教わった。
「迷ったら」
「慌てて歩き回らない」
「最後に分かった場所まで戻る」
コンパスで方角を確認すること。
目印になる岩や大きな木を覚えること。
太陽の位置や周囲の景色にも目を向けること。
地図だけではなく、実際の地形と照らし合わせること。
道具だけに頼らず、周囲そのものを見て道を判断する。
それも冒険者に必要な知識なのだと知った。
◇
ヴェリスに足跡を見る事を教わり、ミティは足元を見るようになった。
ヴェリスが足を止める。
「痕跡は」
「足跡だけではない」
ミティは周囲を見回す。
「……じゃあ、何を見るの?」
ヴェリスは地面へ目を向けた。
「折れた枝」
少し先の枝を指差す。
「倒れた草」
その先には、草が一方向へ倒れている。
「掘り返した跡」
地面の一部が荒れていた。
「……何かが通った跡?」
「ああ」
ヴェリスはさらに歩く。
やがて、乾いた地面に細長く湿った跡が続いている場所で足を止めた。
「これは?」
ミティがしゃがみ込む。
「……濡れてる」
「スライムだ」
「スライム……」
よく見ると、草の根元にも水滴のようなものが残っている。
「身体を引きずって移動する」
「だから足跡は残らない」
「でも、通った場所は分かる」
ミティは湿った跡を目で追う。
「……本当だ」
少し先まで、跡が続いている。
「痕跡は」
ヴェリスは立ち上がる。
「残したものを見る」
「足跡だけを見るな」
ミティは小さく頷いた。
森には、生き物がそこにいたことを示す小さな痕跡が、あちこちに残っている。
ミティはまた少しずつ学んでいった。
◇
空を見ることも増えた。
ヴェリスがふと足を止めた。
空には青空が広がっている。
けれど、遠くの雲が大きく上へ伸びていた。
「……雲」
ミティも空を見上げる。
「雲がどうしたの?」
ヴェリスはしばらく空を見ていた。
「育っている」
「……育ってる?」
「縦に伸びている」
ミティは目を細めて雲を見る。
「本当だ……」
ヴェリスは風を確かめるように手を少し上げる。
「風も変わった」
「今日は雨になる」
「でも、今は晴れてるよ?」
「ああ」
それ以上は言わなかった。
その日の夕方。
空は暗くなり、大きく発達した雲から雷鳴が響いた。
やがて雨が降り始める。
ミティは窓の外を見つめ、それからヴェリスを見る。
「……本当に降った」
ヴェリスは外へ目を向けたまま、小さく頷いた。
「ああ」
ミティにとって天気は天気盤という魔道具で確認するものだった。
でも、空を見ること。
雲の形を見ること。
風の変化を感じること。
それだけでも、これから起こる天候を予測できる。
それもまた、冒険者が身につけておくべき知識だった。
◇
夕暮れが近付くと、ヴェリスは必ず足を止めた。
「暗くなってから探すな」
「野営地は明るいうちに決める」
平らな地面。
風を避けられる場所。
近くに水場があり、魔物の痕跡がないこと。
野営地一つにも、多くの理由があることを教わった。
◇
宿へ戻ると、今度は武具の点検と手入れだった。
ヴェリスは大剣の刃を光に当て、欠けや傷がないか確かめる。
次に柄を握り、わずかに力を込めた。
ぐらつきがない。
ヴェリスは刃を布で丁寧に拭いていく。
大剣の手入れを終え、腰のナイフを抜く。
こちらも刃を確かめ、鞘へ戻す。
次に短槍と数本の投げナイフの刃を目視で確認する。
ヴェリスは最後に腕に装着されている投槍器の点検を始める。
固定具を確かめる。
革のベルトを指でなぞり、傷みがないかを見る。
射出機構を動かし、正常に動くかを確認する。
ヴェリスは一度だけ腕を動かした。
問題ないことを確かめると腕から外し机に静かに置いた。
ミティはその姿を見ながら、自分の杖へ目を向ける。
旅をするということは、戦いだけではない。
自分の命を預けるものを手入れすることも大事なのだと
◇
ヴェリスは荷物を開き、中を確認する。
「食料が減った」
「町で補充する」
「うん」
ミティも頷いた。
町へ入る前、ヴェリスは荷物の中から小さな羊皮紙と鉛筆を取り出した。
「買うものを書いておく」
近くの切り株へ腰を下ろし、紙を膝の上へ置く。
鉛筆を持つと、一文字ずつゆっくりと書き始めた。
一文字書いては少し止まり、また次の文字を書く。
やがてヴェリスは小さく頷く。
「できた」
紙をミティへ差し出した。
「持っていてくれ」
「うん」
受け取ったミティは、何気なく紙へ目を落とす。
そこには、パン、水、乾燥肉、塩。と書かれていた。
不慣れながらも丁寧に書かれた字
一文字一文字を丁寧に書こうとしたことが、その字から伝わってきた。
「……あれ?」
1つの単語にミティの目がとまる。
思わず小さく声が漏れる。
ヴェリスが視線だけ向けた。
「どうした」
ミティは紙を見つめながら指をさして言う。
「乾燥肉のここ……スペルミスしてる」
ヴェリスは紙を受け取り、静かに見つめた。
しばらく文字を眺める。
「……そうだったのか」
ミティは優しく頷く。
「発音通りに書くとそうなるもんね」
「正しい綴りは――」
間違いを指摘されても、恥ずかしがったり、誤魔化したりする様子はなかった。
素直に受け入れ、鉛筆の先端に付いている消しゴムで消し、一文字ずつゆっくりと書き直していく。
そんな姿をみてミティは思った。
(ヴェリス…ちょっと可愛いかも)
「ふふっ」
小さく笑みがこぼれる。
ヴェリスが顔を上げる。
「……?」
「ごめん」
「笑ったんじゃないの」
ヴェリスは書き直した紙を見つめ、小さく頷く。
「あまり」
「得意ではない」
「うん」
ミティは優しく笑う。
「でも、ちゃんと読める」
「一生懸命書いたんだなって、すぐ分かる字だよ」
ヴェリスは少しだけ紙を見つめ、それを折りたたんで胸ポケットに入れた。
「……そうか」
「……行こう」
そう言うとヴェリスは立ち上がった。
「うん」
ミティは笑顔で頷くと後を追う。
数歩先を歩くヴェリスの背中を見つめながら、ミティは小さく笑った。
書き間違えることがあっても
誤魔化さず、素直に受け入れる。
――やっぱり、少し可愛いかもしれない。
ミティはそんなことを思いながら、ヴェリスの隣へ歩み寄った。




