聞かれなかった
夕暮れが近付く頃。
二人は街道を外れ、小さな草地へ足を踏み入れた。
近くには浅い川が流れ、大きな岩が風を遮っている。
ヴェリスは辺りを見渡し、小さく頷いた。
「ここにする」
「うん」
ミティは荷物を降ろした。
ヴェリスと出会ってから初めての野営だった。
以前のように、お金がないから仕方なく野営をするのではない。
今日は、旅の基礎を教わるための野営だった。
ヴェリスは手際よく周囲を見回し、薪になりそうな枝を集め始める。
ミティも後に続こうとした、その時だった。
ヴェリスが火打石と火打金へ手を伸ばす。
「あ……」
思わず声が漏れる。
ヴェリスが静かに振り向いた。
ミティは小さく笑う。
「あの」
少しだけ躊躇う。
「私がやってみてもいい?」
あの日、一人火打石を打ち続けた。
何度やっても火はつかなかった。
辺りは暗くなり、冷たいパンを食べながら毛布にくるまった夜。
あの悔しさは、今でも覚えている。
ヴェリスはミティを見つめる。
そして火打石と火打金を静かに差し出した。
「ああ」
ミティは両手で受け取る。
「ありがとう」
深く息を吸う。
(大丈夫)
(教えてもらった)
まず枯れ草を細かくほぐす。
細い枝を重ねる。
火花が落ちやすいように形を整える。
火打石を火打金に擦る
火花が散る。
まだつかない。
もう一度擦る。
枯れ草に細い煙が立ち上る。
ミティは思わず息を吹きかけそうになり。
ふと、手を止めた。
(焦らない)
『ゆっくりだ』
あの時言われた言葉を思い出す。
小さく息を吹きかける。
煙が揺れる。
その次の瞬間。
ぽっ、と小さな炎が生まれた。
「……!」
ミティは炎を見つめたまま目を丸くする。
炎は細い枝へ燃え移り、ゆっくりと大きくなっていく。
「……」
あの日の夜が頭をよぎる。
火を起こせず、不安で眠れなかった自分。
冷たいパンをかじりながら、星空を見上げていた自分。
あの頃の自分には、想像もできなかった。
ミティは小さく笑った。
「……できた」
ヴェリスは腕を組み小さく頷く。
「ああ」
「十分だ」
「えへへ、ヴェリスのおかげ!」
ヴェリスは視線をミティに向ける。
「できるようになったのはミティだ。俺は教えただけだ」
ミティは少しだけ目を丸くした。
「……そっか」
さっきまで燃えている炎を見つめていた瞳が、今度はヴェリスへ向く。
「じゃあ……私が頑張ったってこと?」
ヴェリスは小さく頷いた。
「ああ」
ミティは少しだけ照れたように笑った。
「……なんか、嬉しい」
もう一度、焚き火へ目を向ける。
「……えへへ」
するとヴェリスは周囲へ歩き出した。
拳ほどの石を三つ拾い、焚き火の周りへ並べる。
ぐらつきがないことを確かめると、太めの薪を数本くべた。
炎が少しずつ大きくなる。
ミティはその様子を不思議そうに見つめていた。
「何してるの?」
「調理の準備だ」
ヴェリスは荷物から小さな鍋を取り出す。
石の上へ静かに載せる。
鍋はぴたりと安定した。
「わあ……」
「そんなふうに使うんだ」
ミティは出来上がった即席の竈をまじまじと見つめる。
(こんな方法があるんだ)
読んだ冒険譚には書いていなかった。
「ああ」
「火が安定する前に」
「準備を済ませる」
「何を作るの?」
「スープだ」
それだけ言うと、手を止めることなく準備を始めた。
小鍋へ水を入れる。
腰の鞘から静かにナイフを抜く。
乾燥肉を小さく切り分ける。
乾燥野菜も加える。
一定の大きさに切り揃えられた具材が、次々と鍋へ入っていく。
無駄な動きは一つもなかった。
切り終えると、刃を布でひと拭きし、静かに鞘へ収める。
あまりの手際の良さにミティは思わず見入ってしまう。
「……すごい」
思わず声が漏れる。
ヴェリスは鍋をかき混ぜながら視線だけ向けた。
「そうか」
「こんなに慣れてるんだね。私、包丁なんてほとんど握ったことがなくて……」
「旅には必要だ」
(……私には、できない)
料理は「出てくるもの」だった。
作るものではなかった。包丁を握ったことさえ、ほとんどない。
そんな自分が少しだけ恥ずかしくなる。
鍋から湯気が立ち始めた。
乾燥野菜がゆっくり戻り、優しい香りが辺りへ広がる。
ヴェリスは木の匙で一口味を見る。
少しだけ考え、塩をひとつまみ加えた。
「できた」
静かに器へよそう。
ミティへ一つ差し出した。
「熱い」
「気を付けろ」
「ありがとう」
ミティは両手で受け取った。
「いただきます」
優しい塩気と野菜の甘みが口いっぱいに広がった。
「……おいしい」
ヴェリスは自分の器を持ちながら、小さく頷いた。
「ああ」
「そういえばヴェリスって、いつから冒険者なの?」
ヴェリスはスープを一口飲んでから答えた。
「……冒険者ではない」
「え?」
ミティが目を瞬く。
「傭兵だ」
「……ええー!?」
思わず声が大きくなる。
「知らなかった!」
ヴェリスは不思議そうにミティを見る。
「……聞かれなかった」
「そうだけど!」
ミティは思わず笑ってしまう。
「だって、ずっと冒険者だと思ってたよ」
「違う」
「あ、そうなんだ……」
「じゃあ傭兵の仕事をしながら、冒険者ギルドの依頼も受けてるんだ」
ヴェリスは少し考えてから頷く。
「ああ」
「なるほど……」
ミティは器へ視線を落とす。
そして、ふと気づく。
(……そういえば)
(私も、元貴族だって伝えてない)
そう考えると、文句を言うのも違う気がした。
その時だった。
「ミティ」
「え!?なに?」
「スープが」
「冷める」
そう言うとミティの器に視線を向けるヴェリス
「……あ!ごめん考え事してた」
ミティは小さく笑った。
「そうか」
ヴェリスは小さく頷く。
ミティはもう一度スープを口に運ぶ。
温かくて美味しい。
向かいでは、ヴェリスが黙々と食事を続けている。
焚き火の向こうにいるヴェリスを見つめ、ミティは小さく笑った。




