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グレイルプス③

アルファの足元で木の葉が円を描くように宙を舞い、次の瞬間、それらは猛烈な勢いでアルファの姿を完全に包み込んだ。


パッと視界が遮られ、ハラハラと無数の葉が地面へと落ちる。


――そこには、もうアルファの姿がなかった。


(いない……どこに行ったの……!)

ミティは背筋に冷たいものを感じながら、慌てて周囲へと視線を走らせる。


ガサガサと、わずかに揺れる茂み。

右か、左か、それとも背後か。

しかし、次の瞬間にはぴたりと音が止み、あたりに不気味な静寂が満ちた。


「左」


ヴェリスが低く呟く。だが、その視線はなぜか全く別の、右の茂みを向いていた。

直後、空気を切り裂く鋭い音が響き、三筋の風刃がヴェリスへと襲い掛かる。


一撃。

二撃。

三撃。


ヴェリスは両手剣の刃を巧みに返し、飛来する風刃を次々と流していく。

「こっちは見るな」

「左だ。来る……」

ミティはすぐに杖を構えた。

その先端に備えられた球体の結晶へ、無数の細かな氷晶が吸い寄せられていく。

初めは頼りない白い光だったものが、一点へと圧縮されるにつれて、眩い青白い光へと変貌していく。


そして――。

青い光の線が、一直線に森を走った。

通過した軌跡の空気そのものが、一瞬にして凍てつくような冷気へと変わる。


アルファは身を捻って回避を試みるが、完全に避けきれない。


青い光が前脚を掠め、その毛皮の一部が真っ白に凍りついた。


「グルァッ!」

アルファ・グレイルプスが地面を蹴る。

だが、倒れない。それどころか、獣は一気に距離を取って逃走の体勢に入る。


「……逃げる?」

「ああ、後を追う」


その言葉が終わるよりも早く、ヴェリスは走り出していた。

ミティも必死にその後を追う。


走りながら、ヴェリスは腰のポーチから素早く投擲ナイフを取り出し、そのままアルファへと放った。


木々の隙間から差し込むわずかな光を、回転するたびに刃が拾う。

そして

獣の頑丈な大腿筋に突き刺さる。

アルファが一瞬大きくよろめいたが、それでも振り返ることなく、森の奥へと駆けていく。

その時。


「ミティ」

「っ!」

ヴェリスの鋭い声が飛ぶ。

「氷壁だ」

「……氷壁?」

「逃げ道を塞げ」


ミティが前方のアルファを見る。


学院の授業では、氷壁はあくまで身を守るための「防御魔法」として教わっていた。


だが、実戦においては――敵の逃げ道を塞ぎ、動きを制限するための「檻」にもなる。


その真実に気づいた瞬間、ミティの目が大きく見開かれた。


「……!」


前方のアルファは、進路を左へと変えた。

ヴェリスの視線が、その逃げ道を正確に捉えている。


「左」

その一言を受け、ミティは走りながら魔力を練り上げる。


(――ここ!)


杖を強く突き出す。

次の瞬間、地響きとともに地面から巨大な氷の壁がせり上がった。

透明な厚い氷が、木々と木の間を完全に塞ぎ切る。


「グルッ……!」


退路を断たれたアルファが急停止し、慌てて方向を変えた。

右。

だが、そちらには倒木。

獣が一瞬だけ迷いを見せた。


「右へ行く」

ヴェリスが指示を飛ばす。

「塞げ」

「わかった!」


ミティは息を弾ませながら、再び杖を振るう。

先ほどよりは低いものの、獣が通り抜けるには十分すぎる障害となる氷の壁が、再び地面から生み出された。


アルファの足が止まる。

それと同時にヴェリスが歩みを止め、静かに身構えた。


ミティは荒い息を整えながら周囲に気を配る。

ヴェリスの瞳は、一瞬たりともアルファから逸れていない。

スッと、ヴェリスが前へ一歩踏み出す。


「ミティ」

「うん」

「俺が止める」


アルファの筋肉が沈み、再び跳ぼうとする気配を察知する。


「その間に、足元を凍らせろ」

「――わかった!」


ミティは杖を強く握り直した。

アルファが跳ぶ。

それと同時に、ヴェリスが踏み込んだ。

両手剣の刃と獣の鋭い爪がぶつかり合い、森に重く激しい金属音が響き渡る。

しかしヴェリスは力任せに押し返そうとはしない。


爪の軌道を半身の身のこなしで外し、長大な刃の側面で獣の身体をいなすようにわずかに逸らした。

その絶妙な隙。


「今だ」


――パキンッ。

硬質な音とともに地面が一気に凍りつく。

滑ったアルファの前脚がバランスを崩した。


ヴェリスはその好機を逃さない。

研ぎ澄まれた両手剣を頭上へと大きく振り上げる。


だが――その刃が振り下ろされる直前。


獣の周囲で、落ち葉が不自然に揺れていた。

風は吹いていない。

それなのに、一枚、また一枚と地面の葉がアルファの足元へ吸い寄せられていく。


「……!」


ヴェリスの目が鋭く細まった。

魔力の流れ。

空気が、変わる。


「ミティ!」

「え――」


アルファの身体を中心に、空気がわずかに歪んだ。

次の瞬間――。

暴風が、爆発するように膨れ上がった。


風圧に逆らいながら、ミティへ向かって駆ける。

その瞬間ミティの足が少し宙に浮いた。

「っ――」


ヴェリスは両手剣を地面へ突き立てる。

それと同時に片腕を伸ばし、ミティの身体を強く引き寄せた。

深く突き刺さった刃が、土を抉りながら身体を支える。

風に煽られたミティの身体を抱き寄せるようにして、自らの背を風上へ向ける。


「掴まっていろ」


「ヴェリス……!」


荒れ狂う風圧が二人を容赦なく叩きつける。

髪と外套が激しく煽られ、音を立てて翻ひるがえる。


ヴェリスは地面へ突き立てた両手剣を支えに、必死に踏みとどまった。

それでも風圧は凄まじく、靴底が地面を削りながら、身体が少しずつ後ろへ押し流されていく。


(このままじゃ吹き飛ばされちゃう)


ミティは必死に魔力を一気に解放する。

杖の先からあふれ出した冷気が、二人の周囲をぐるりと取り囲むように奔った。


次の瞬間――パキパキと鋭い音が響き、半球状のドームを象った厚い氷の幕が、二人の頭上を覆うようにガッチリと組み上がる。


激しい風と巻き上げられた木の葉が、その氷のドームに激しく叩きつけられた。

ガリガリと耳障りな音が響くが、ドームはびくともしない。


ヴェリスは一度だけミティへ視線を向けた。

「無事か」

「うん……ありがとう」

「そうか」

ヴェリスは短く頷くと、すぐさま前方へ視線を戻した。

地面に突き立てた両手剣を抜く。

ヴェリスは視線を周囲から外さない。

片手で剣を持つと、手慣れた動作で腰の装具から短槍を一本抜き取り、左腕に備えられてる投槍器のガイドレールへと滑り込ませる。押し込まれたボルトが重厚な金属音を響かせて噛み合い、装填が完了する。

ヴェリスは氷の盾の影で敵の出方を窺う。


やがて、狂ったような暴風がピタリと勢いを潜め、静けさが戻ってきた。


風の名残で、舞い散る木の葉がヒラヒラと地面へ落ちていく。

ミティは荒い息を整えながら、ドーム状の氷の幕をそっと解除した。


冷気の粒子が光に溶けるように消えていく。

氷のドームが霧散した直後、ヴェリスの双眸は一瞬たりとも揺らぐことなく、風の晴れた前方一点を見据えていた。


暴風の残り香を切り裂くように、アルファ・グレイルプスが跳び出してきた。


狙いは二人の間合いの隙を突いた突撃か――だが、遅い。


「逃がさない」

呟きと同時に、投槍器のトリガーが絞られる。

空を裂いて放たれた鉄の短槍は、凄まじい勢いで一直線に飛行し、アルファの剥き出しとなった胸板の中心へと深く、重く突き刺さった。


巨体が大きな衝撃に貫かれ、激しくよろめく。

一瞬にして体勢を崩したアルファの足が、もつれるように地面を滑った。

最大の防御であり攻撃手段だった風を失い、致命傷を負った獣が膝をつく。


「ミティ」

ヴェリスの声が、合図として響く。

「――うんっ!」


ミティは迷わず踏み込み、杖の先端をよろめくアルファの眉間へと向けた。

あふれ出る魔力が一点に集中し、鋭く尖った氷の槍がその場で急速に形作られていく。


(これで……終わりっ!)


ミティが強く杖を突き出すと同時に、透き通るような氷の槍が猛烈な勢いで放たれた。

音を置き去りにした一撃が、アルファ・グレイルプスの急所を正確に穿つ。


鈍い衝撃音とともに、獣の大きな体が崩れ落ちた。

バサリと、舞い散る木の葉の音が静まり返った森に響く。

アルファはもう、二度と動かなかった。


ミティは大きく息を吐いた。倒れたアルファを見つめる。



「……終わった。」


ヴェリスは剣に付いた血を布で拭き取ると静かに背負った。

そして倒れたグレイルプスへ視線を向ける。


「よくやった」


その言葉を聞いた瞬間、胸の中で暴れていた鼓動が、ふっと温かい安堵へと変わっていく。


「……ありがとう」


ミティは震える息を小さく吐き出しながら、ようやく自分の足で立っているのだという実感を噛みしめた。


ヴェリスは小さく頷き、討伐証明に必要な牙を静かに取り外し始めた。

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