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第36話 たった一人の友人だった。

 見慣れたシャナラの手蹟が目に入る。

 上流階級の人間にとって筆跡は、教養や人柄を表す重要な要素だ。シャナラの筆は外見の繊細な美しさからは想像がつかないほど、峻厳で武骨だ。

 たおやかさやなよやかさとは無縁なその文字は、ルルタにとってはこの世で自分が主と慕う、たった一人の人の手蹟だ。


(シャナラさま……)


 シャナラが窓辺の椅子に腰掛け、墨をすったすずりを横に置き、背筋を真っ直ぐに伸ばし、白い手を筆に伸ばす様が心にありありと浮かぶ。

 まるで本当に見たかのように。


 我が麾下きかにあった者、人品卑しからざる者であることを我が名を持って保証す。

 

 定型文の後にルルタの詳細な素性、後宮に入った経緯いきさつ、仕事振り、人柄などが並ぶ。

 その精緻な書きぶりから、ルルタがシャナラに仕えた日々がルルタと同じくらい、否、それ以上にシャナラにとって忘れがたくかけがえのないものだったことが伝わってくる。


 上記を以て、この者の忠信と赤心せきしんを保証せんとす。


 決まり文句である結語の後、やや間をおいて附記が続いていた。

 その文章を読んだ瞬間、ルルタは茶色の瞳を大きく見開く。


 人のことを思いやれる心の温かい娘で、異国から来て孤独と暗闇に閉ざされた私の心を救ってくれた。

 私にとっては何者にも代えがたい、たった一人の友人だった。

 このような事情でなければ、ずっとそばにいて欲しかった。

 どうか幾重にもお願いする。

 大切にして欲しい。

 私の代わりに。


 パタリと水滴が書の上に落ち、文字をにじませる。

 涙が後から後から溢れ、紙を濡らし続けた。


(たった一人の……)

(友人)

(ずっとそばにいて欲しかった)

(大切にして欲しい)

(私の代わりに)


 ルルタは手の中にあった書を、両腕で抱き締める。


(シャナラさま……)


 会いたい。

 話したい。

 あなたに……。


 ルルタは涙で汚れた顔を乱暴にぬぐう。


「キラ、ユンカ」


 ルルタは自分を見守っている、二人の友人のほうへ顔を向ける。


「私、シャナラさまにもう一度、お心の内を聞きに行ってくる。見つかったら後宮を追い出されると思うけど、それでも、もう一度、シャナラさまにお会いしたい。それがシャナラさまのお心にも叶うことだと思うから」


 ルルタは二人に向かって顔を下げる。


「お願い。力を貸して。シャナラさまのところに行くために」

「言ったでしょう、ルルタ」


 キラはルルタの姿を見つめたまま、素っ気なく聞こえる声で言った。


「これは、あんただけの問題じゃない。侍女全体の問題よ。私はあんたに協力するんじゃない。侍女たちの力を合わせて、今回の理不尽な決定と戦うの。その代表をあんたに務めてもらうってだけよ」

「キラ……」

「ルルタ、言ったじゃん」


 ユンカが微笑みながら言う。


「私たち、侍女みんなの力を合わせて、ルルタをシャナラさまに会わせたいって。ルルタ、私たちを代表して、主人に侍女の思いを届けて」

「ようやく話がまとまったようだな」


 キラとユンカによって隅に追いやられていたレイが、ここぞとばかりに身を乗り出す。


「まったく、さっきから下らないことばかりグチャグチャと言って。やるしかないだろうが。この僕の立場がかかっているんだからな。いいか、お前ら。ここからはこの計画の指導者たる僕の言うことをよく聞くんだ……」

「レイさま!」


 ルルタは書状を握りしめたまま、感極まった表情でレイの顔を見つめる。


「ありがとうございます。私、レイさまのこと、誤解していました。高慢ちきで気取り屋で嫌味ったらしくて、おとぎ話に出てくる意地悪な魔女みたいな人だなって思っていました。本当は凄く優しくていいかたなんですね。レイさまが届けて下さったシャナラさまの書状、大切にします」

「それは僕がいただいたものだぞ!」

「そうしたらさ、早速、侍女のみんなに話を聞きに行こうよ」


 今にも部屋から出ていこうとするユンカを、キラが落ち着いた声で止める。


「待って、ユンカ。まずはこれからやることを整理して工程を組まないと。失敗はできないから、決行日は慎重に決めなきゃ」

「おい、仕切りは僕がするからな」


 あれこれと話し出した三人を見ながら、ルルタはもう一度、シャナラによって書かれた書状を胸に抱き締めた。


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