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第28話 もっと早く気付けば良かった。

 部屋に入るとルルタはすぐに頭を下げ、貴人に対する拝礼の姿勢を取る。

 一瞬だけ視界に映ったシャナラは、窓辺の椅子に腰掛けていた。


「こちらへ」

 

 指し招かれたため、ルルタは顔を上げてシャナラの前へ歩み寄る。シャナラはルルタの予想に反して、ひどく穏やかな表情をしていた。

 再び主君に対する礼の姿勢を取ろうとしたルルタをシャナラは止めた。

 あおい瞳に見つめられているのを感じ、ルルタは狼狽して顔を赤くした。

 シャナラの白皙の美貌に、柔らかな笑みが浮かぶ。


息災そくさいだったか?」

「は、はい」


 どぎまぎしながら頷いたあと、ルルタは身を乗り出す。


「シャナラさま、この間のことですが、わたしは……っ」


 シャナラの顔に物言いたげな表情が浮かんだため、ルルタは言葉を飲み込んだ。

 シャナラはしばらく黙ったあと、わずかにこうべを垂れた。


「先日は……済まなかった」

「え?」


 ルルタは意外さに目を見開く。

 シャナラは顔を伏せたままの姿勢で言葉を続ける。


「クランスカ家は宮廷でも尊敬される、由緒正しい家柄だ。エルシド……国王陛下も侍従長を信頼し、重んじている。お前にとっては、これ以上望むべくもない良縁だ。それをよく調べることもなしに、あのように頭からお前を利用するためだけの申し込みだと断じるなど……浅はかだった」

「そんな……顔を上げてください」


 ルルタは慌ててシャナラの足下に駆け寄り膝まづく。


「私が騙されている、良いように使われているだけではないか、シャナラさまがそう思われるのは当たり前です。私の身分や立場では、クランスカ家のかたから結婚のお話なんていただけるはずはありませんから」

「当たり前……か」


 シャナラは呟いて微かに笑った。ひどく諦念に満ちた笑いだった。

 シャナラはルルタの髪に付けられた編み紐を見つめながら言った。


「お前と別れたあと、レイどのを呼び寄せて話をした」


 驚きを露にしたルルタから、シャナラは目をそらした。


「確かに家柄を鼻にかけた高慢なところはある。だが話に聞いていたよりも、ずっと道理を重んじる人間だと感じた。妻に迎えると決めたからには、お前はクランスカ家の一員だ。情勢がどう変わろうがそれは変わらない。縁を結ぶとはそんな軽々しいものではない。そう言っていた」


 シャナラはホッと吐息し微笑んだ。その顔は透き通るように美しく、どこか寂しげに見えた。


「私もお前に最初に会った時、お前の明るさや優しさに気付かなかった。だがお前は、理不尽な態度をとられても、変わらず私のことを考え尽くしてくれた。一緒に過ごすうちに、レイどのもきっとお前の良さに気付く。私がそうだったように」


 淡く色づいたシャナラの唇が微かに震えた。

 シャナラはうつむき、ひじ掛けの上で拳を握りしめる。


「お前が私を思い一生懸命色々してくれていたことを、私は何も見ていなかった。心を鎧って自分の中に閉じこもって、不遇からくる苛立ちをぶつけてばかりいた。お前の献身をないがしろにして傷つけて……何とも思っていなかった」


 シャナラは苦しげに言葉を絞り出す。


「もっと……早く気付けば良かった。そうすれば……」


 ルルタは仰天して叫ぶ。


「そんなことはありません! シャナラさまは、私にたくさんのものを下さっています。辛い境遇にいらっしゃるのに、私のような至らない者にも優しくして下さいました。私がおそばにいることで、少しでもシャナラさまのお心が慰められて笑って下さるなら、私はそれだけで、それだけで幸せなんです」


 シャナラは顔を上げ、ルルタの顔をジッと見つめた。まるでどこか遠くへ旅立とうとするかのようなシャナラの様子は、ルルタをひどく不安にさせた。

 シャナラはその表情のまま、ルルタの頭の上に両手を伸ばす。


「細工師を呼んで、お前に似合う髪飾りを作らせよう。お前は髪の色が明るいから、きっと紅玉や赤い瑪瑙めのうが似合う」

「シャナラさま……?」


 シャナラはルルタの声が耳に入っていないかのように、虚ろな声で呟く。


「こんなみすぼらしいものは、クランスカ家に嫁ぐ身にはふさわしくないな」


 頭の上でシャナラの白い指が動くのを感じた。指先が微かに震え、ひどくたどたどしい動きだった。

 シャナラが編み紐を取ろうとしていることに気付き、ルルタは反射的に立ち上がり身を引いた。


「やめて下さい!」


 叫んだ瞬間、編み紐はちぎれ、半分はシャナラの手の中に残り、半分は床の上に舞い落ちた。

 ルルタはちぎれた編み紐を拾い、両手で抱きしめた。目の奥が熱くなり、涙が溢れそうになるのがわかった。

 シャナラは編み紐の半分を握りながら、戸惑ったようにうずくまったルルタの背中を見つめる。


「済まない、大丈夫か? 髪を痛めたか?」


 ルルタは編み紐を抱きしめたままジッとしていた。

 口を開いたら泣いてしまいそうだった。


「ルルタ……」


 シャナラがしゃがみこみ、何とか覗き込もうとしている気配が感じられた。


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