影
包丁を握る鬼火を前に、天狗はまず包丁を奪おうと狙う。
だが、鬼火たちはちょこまかと動き回り、簡単には捕まえられない。
しかも三体に分かれているため、一体が捕まりそうになると、別の一体が包丁を受け取り、そのまま逃げる。
一人では分が悪い。
とはいえ、普段の天狗であれば容易に対処できる相手だ。
今は疲労とストレスで弱っており、体も思うように動かない。
せめて黒緋がいれば違ったかもしれないが、今はどこにいるのかも分からなかった。
どうしたものかと考えていると、鬼火たちが急に一つへと集まり始める。
「な、なんだ……?」
訝しみながら見ていると、影が大きくなり、やがて輪郭がはっきりする。
その姿を認識した瞬間、天狗は顔を歪めた。
「最悪だ……そいつにも化けられるのか」
現れたのは、妖癒旅館の門番とも言える存在――九尾。
包丁は床に落ち、代わりに青い狐火が宙に灯る。
――これは、一人じゃ無理だな。
そう判断し、天狗は両手に錫杖を作り出す。
シャラン、と澄んだ音を鳴らし、構えた。
九尾は天狗を見据え、複数の狐火を放つ。
天狗はそれらを避け、弾き、距離を詰める。
上から錫杖を叩き落とすが、軽々と後方へ跳ばれてかわされる。
続けざまに下から振り上げるも、やはり通らない。
ニヤついた表情が本物の九尾と酷似しており、天狗の額に青筋が浮かぶ。
「……本当に、厄介だ」
錫杖を構え直したその瞬間、九尾は先ほどよりも多くの狐火を放った。
全てを避けきることはできず、腕や肩、腰をかすめ、痛みに顔を歪める。
それでも必死に錫杖で弾き返すが、体力は急速に削られていく。
息が上がり、視界が揺れた。
「くっ……」
後方へ跳ぼうとした瞬間、膝から力が抜け、床に崩れ落ちる。
顔を上げると、迫る狐火が見えた。
致命傷だけは避けようと錫杖を構えた、その時――
「頭を下げてください!!」
背後から聞こえた声に、反射的に頭を下げる。
直後、何かが頭上を通過し、狐火に直撃して霧散した。
振り返ると、息を切らしたスイが駆け寄ってくる。
「天狗様、大丈夫ですか?」
「……なぜ戻ってきた。早く逃げろ」
「はい、私は逃げます。でも、それは天狗様も一緒にです」
立ち上がろうとした天狗は、言葉を失った。
「まったく、一人で格好つけるなよ」
「面倒事は好かんが……仕方あるまい」
そこに立っていたのは、黒緋と九尾だった。
指をボキボキと鳴らし、天狗たちを通り抜けて九尾の偽物の前に立つ。
「九尾の偽物かぁ。これは、少し厄介かもしれねぇなぁ」
「そんなに我を買ってくれているのか、嬉しいのぉ~」
二人がそんな呑気に話している姿を見て、スイは思わず苦笑いを浮かべる。
なぜここにスイが戻ってきてしまったのかも、なぜあの二人がいるのかもわからない。
困惑している天狗の手をスイが引き、偽物の九尾と距離を取る。
「おい、何が起きている」
「今回は、クレーム対応に慣れている黒緋さんと、なんだかよくわからないけど九尾さんが相手をした方がいいかなと思って、連れてきました」
「なんだかよくわからない……。まぁ、九尾様はよくわからないと言えば、よくわからないが……。よく連れて来られたな」
前を走るスイに聞くと、げんなりと肩を落としながら答えた。
「理由を話せば来てくれましたよ。……条件付きで」
「条件付き?」
「黒緋さんは、何かハラハラすることをさせてくれ。九尾様は、美味い酒を寄こせ、だそうです。天狗様、何かおすすめありますか?」
今にも泣き出しそうな顔で振り向き、天狗に懇願する。
まさかそんなお願いをされるとは思っておらず、天狗はすぐに答えられなかった。
「駄目ですかぁ~?」
「いや、それくらいならお安い御用だが……」
「良かったですー!! よろしくお願いします!」
天狗の返答に、スイは一気にテンションを上げた。
なぜこんなことで、ここまで喜べるのかはわからない。
だが、不快な気持ちはない。
むしろ、気持ちがすっきりしていた。
「スイ様ー!! 雪女を連れてきましたー!」
「ありがとう、小鬼!!」
小鬼は雪女を数人連れて来た。
何が起きているのかわかっていない様子の雪女たちに、スイは状況を伝える。
すぐに把握した雪女は、天狗の様子を見た。
「勝手にいなくなったかと思えば……」
「い、いや……」
雪女に睨まれ、天狗は気まずそうに顔を逸らす。
「ゆ、雪女さん、天狗様を怒るのは後にしてください。今は、ひとまず一人は私と一緒に天狗様を安全な場所へ。他の雪女さんたちは、体が溶けない程度に黒緋さんたちのお手伝いをお願いできますか?」
スイが指示を出すと、雪女たちは頷いた。
すぐに行動に移し、一人の雪女は「こちらへ」と案内を始める。
ここまで的確に指示を出すスイを見て、天狗は困惑するばかりだ。
思わず見つめていると、ふと、誰かの影が脳裏をよぎる。
天狗が妖癒旅館に来た頃、今回のように逃げ回る事態に発展したことがあった。
その時、スイの母・香苗は、笑いながら「やばーい」と楽しそうに逃げ回っていた。
その時も、天狗は手を引かれ、ただ困惑しながら走った。
まるで鬼ごっこを楽しむような香苗に、ついて行くことしか出来なかった。
その記憶が蘇り、スイから目が離せなくなる。
すると、視線に気づいたスイが振り返った。
「っ!」
「…………天狗様、私は今、天狗様の役に立てていますか?」
再び前を向いたまま、スイは問いかける。
「結局、指示を出すだけで、自分では何もしていない。こんな私でも、今、みんなのためになっているのでしょうか」
視線は真っすぐ前を向いている。
だが、声は少し不安そうに震えていた。
天狗の言葉が怖い。
何が返ってくるのか、何を言われるのか。
それでもスイは、天狗に聞いた。
「――――役に立つ、立たないは関係ない」
「…………」
「今は、スイの指示が一番だ。何も言うことはない」
その言葉に、スイの目が輝いた。
頬を染め、「やった!!」と小さくガッツポーズをする。
なぜそこまで喜べるのか。
天狗には、本当にわからない。
「人間は、やっぱりわからない」
「え、どうしたんですか? 急に」
「何でもない」
走り続けていると、雪女が「こっちです!」と襖を開け、中へ入った。
そこは、何もない部屋だった。
必要最低限の物しかなく、殺風景だ。
その光景を見ただけで、天狗はすぐに、ここが誰の部屋か悟った。
「黒緋さんの部屋か。ここが、安全な部屋なのですか?」
「安全にするのです。そのために、私がスイ様に呼ばれたのですから」
そう言いながら、雪女は閉じた襖に手を伸ばす。
次の瞬間、襖が凍りついた。
「――――これで、しばらくは大丈夫かと思います。私は窓の外を見て回ります。外にも怪しい影があるかもしれませんので」
そう言うと、雪女は二人の返答を待たず、雪へと姿を変える。
風に乗り、窓の隙間から外へと出ていった。
二人きりになり、気まずい空気が流れる。
――――今頃、黒緋さんと九尾様が戦っているんだよな。俺も行きたいが、さすがに体力が残っていない。
自分の手を見ると、微かに震えていた。
恐怖からではない。ただ、疲労によるものだ。
「天狗様、今は黒緋さんと九尾様にお任せしましょう」
「そうだな。今はそれしかない。だが、珍しいな」
「珍しい、ですか?」
スイは目を丸くして、天狗を見返す。
「珍しいだろう。今までは、自分がやらなければならないと言っていたのに、今は黒緋さん、九尾様、雪女、それに小鬼まで使っている。前なら、こんな指示は出さず、何でも一人で解決しようとしていたはずだ」
その言葉に、スイは少し悲しそうに微笑んだ。
「確かに、そうですね。私は今まで、自分一人で何でもしようとしていました。それが、私の責任だと思っていたから。でも、今回でわかりました。出来ないことは、抱え込んでも無理なんだって。九尾様の言葉で、実感しました」
天狗と目を合わせ、スイははっきりと言い切る。
「やっぱり、他の人に頼るのも、経営者には必要なんですよね」
その言葉に、天狗は大きく目を見開いた。
――――昔、似たようなことを言われたことがある。
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